ガイベル
2024-04-23 05:20:00
4399文字
Public お話
 

chill

2023.11.1



久しぶりに帰ってこれた我が家は、相変わらずバジルが世話をしている植物たちが元気に出迎えてくれた。
今玄関先にあるのはラベンダーだろうか。鮮やかな色で咲き誇り、良い香りが鼻をくすぐる。
「ただいま。」
扉を開け声をかけると、奥からバジルが出てくる。
「あ、サニーくんおかえり。」
いつものようにへにゃりと笑う彼の顔を見て、帰ってきた実感が湧いた。公演が一段落した今、しばらくは彼とゆっくりできるだろう。
今日は何を話そうか。

そう思っていたのだが、どうにもバジルの様子がおかしい。
どこが、と言われるとすごく微妙な感覚でしかないが、少し避けられているような、よそよそしいような。ちょっとした違和感。
彼もただ単に疲れがたまって元気がないだけかもしれない。植物を扱う仕事も結構な重労働らしいから。あるいは、また自分のいない間に唐突なネガティブに陥っていて落ち込んでいるのかも。それならいつものようにいくらでも聞くから、しゃべってくれたらいいのに。

……バジル」
キッチンでご飯の準備をしている彼に"構って"というように後ろからハグする。正直ご飯は後でもいいから、彼と触れ合っていたかった。
「どうしたの、サニーくん。はは、やっぱりお腹空いてるんでしょ。すぐ準備するからちょっと待っててね。危ないから席で待ってて。あ、お風呂も沸いてるから、先にあったまってくるのもいいんじゃないかな。」
……やっぱりやんわりと遠ざけられている。
声は優しいし、怒っている様子でもない。けど、明らかにこちらをあまり見ないし、元気がない。何かあったのだろうか。それとも気づかない間に何かしてしまっていただろうか。
しぶしぶ傍を離れ、リビングで待つ事にした。
なんだか2人でいるのにひとりぼっちの気分だ。

どうしたものかと思いながら待っていると、不意にりりりり、と固定電話の着信音が鳴る。……電話にはあまり良い思い出があるともいえないので、普段は積極的に出ないのだが。バジルの負担を減らすという意味でも、ここは自分が出るべきだと思った。
受話器を取り、はい。と手短に答える。
「お世話になっております、バジルさんのお宅で宜しいでしょうか。わたくし**不動産の者ですが先日ご紹介した物件の事についてお話がありましてお電話差し上げたのですが─。」
「はあ。」
忙しいのか、事務的に捲し立てる相手に生返事を返すことしかできなかった。なんで不動産屋から連絡が?物件を探しているってどういう事だろうか。色々な疑問が湧いて出てくるが、本人と話さない事にはもう何もわからない。
いきなり与えられた衝撃と動揺を隠して
『自分は同居人なので、本人がまた折り返す』と答えて電話を切った。
やっぱり、電話はろくな目に遭わない。

まだキッチンから帰って来ない彼を待ちながら、ざわざわした気分を落ち着けたくて、リビングに置いてあるアルバムやスクラップブック、雑誌などを手に取る。
自分がバイオリンを再開したころ、バジルも一時期ホコリをかぶっていたカメラをまた使い始めた。今では僕もしばしばカメラを拝借して撮ったりする事もあるから、新しいアルバムには色々な思い出が増えている。
それから、新しめのスクラップブック。僕がバイオリニストとして各地を飛び回り始めた頃から、公演の内容やインタビュー記事などまとめたりしているらしい。本当にマメだ。
自分がこういうものをまとめようとしたら、雑誌と新聞の束が積み上がるばかりになりそうだ。未だに片付けも、大事なものの整理も苦手なままだから。
几帳面に記録されたそれを手慰みにパラパラと捲ると、まだとじられていない記事がハラリと落ちる。内容を読んで、今日のモヤモヤとした空気の確信を得た気がする。……今回の原因はこれか。
なんてことない、バカみたいなゴシップ記事だ。打ち上げに同席した程度の人間関係を憶測で切り取ってよくもまあ、あることない事好き勝手に書いてくれるものだ。今回は近くにいたのが、最近注目されている若手俳優というのが最大の要因かもしれないが。

「お待たせ。ちょっと運ぶのを手伝ってもらえるかな。」
いよいよどう話を切り出すのが正解かと頭を抱え始めた所で、バジルがリビングに帰ってくる。咄嗟に手首を掴み、食べる前に話があると言ってソファに座るよう促した。
素直に腰を下ろした彼は僕が手にしているものをちらっと見て、言いたい事を察したようだった。目はこちらを見ずに下の方に伏せられたまま、静かな、淡々とした声で話し出す。

「信じたわけじゃないよ。」

じゃあ今までの態度と、さっきの電話はなんなのだ。質問攻めにしたい気持ちをグッと堪える。
「サニーくんはそんな事しない、って思ってる。優しい人だから。ぼくが好きだって言ってくれたことも、これからも一緒にたくさん思い出を作ろうっていう約束も、全部ちゃんと覚えてる。……でも、君は本当はもっと広い世界に行けるんだよなって、色々な人と会って可能性をもっともっと広げることができるんだよなって……。そういうことをね、色々見たり読んだりして思ったんだ。すっごく今更なことなんだけどね。」
だからぼくに縛られるような事をせず、もっと自由になるべきだと思ったんだ。そのために離れることにしようと。
君の未来に都合の悪いことは言わない。約束するよ。そう言って、口を閉じた。

黙って静かに聞いていたが、勝手な言い分に抑えていた怒りが込み上げてくる。その少し困ったような、全部僕のことを考えた結果だからとでも言うみたいなヘタクソな笑顔なんか見たくない。そんなの、そんなのは全部バジルの押し付けで、わがままだ。

「だったら僕はそんなことしないって、バジルを置いて行ったりなんかしないって、そんな奴じゃないって事を今まで通り信じてよ!!それの何がだめ?バジルの事が好きって言った僕の言葉を信じていてよ!!!!!!!!」
叫んだ声と一緒に涙が出てきて、頭がガンガンして、耳鳴りもする。彼は僕があまり出さない大きな声にびっくりして固まっている。
僕自身の行動や、気持ちを信じてもらえていないわけじゃない事はわかった。それでも、彼が何もかも諦めたように僕を手放そうとする事が悔しくて、悲しくて、そして許せなかった。すごくすごく、許せなかった。
頭の中がグチャグチャで、なんて言うべきなのか全然わからない。ただ、またあの夜みたいに傷つけあいたくはなかった。深く息を吸って、吐く。

僕を置いていかないで。ずっと傍にいるって約束して……。お願い。」
いつか彼に言われた事と同じフレーズが口をついて出て、祈るような気持ちで抱きしめる。
彼が自分を置いてどこかへ行ってしまうんじゃないかという不安を抱えているのは、僕だって同じだ。同じだから、やっぱり一緒にいるべきだ。これはきっと、僕のわがままだけど。

しばらく沈黙が続く。
抱きしめているから、彼がどんな表情で聞いていたのかはわからない。でも、次に聞こえてきた声はさっきまでの淡々としていた音が嘘みたいに震えていた。
「サニーくん.、ごめんね……。ぼく、また変な迷惑をかけちゃって……。君を悲しませたいわけじゃなかったのに、……自由にしてもらいたかっただけなのに、また傷つけちゃった。」
ごめんね。ごめんなさい……
そう言って、震える手で抱きしめ返してくれた。久しぶりに預けられた体温に安心して、それからしばらく2人でわんわん泣いた。


ようやく落ち着いて離れた後、お互いぐしゃぐしゃの顔を見てどちらともなく吹き出して笑い合った。多分これからもきっと、これ以上にくだらない喧嘩をするかもしれない。
それでもやっぱり一緒にいたいと思った。

さしあたっては、不動産屋に断りの連絡を入れる事と、冷めてしまった料理を温め直すところからはじめることにしよう。




end.