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戸倉
2024-04-07 00:35:48
13960文字
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終わらない牧台シリーズ
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終わらない牧台①
【今日からウチ住み編】
・現パロ W23歳 会社員 × V23歳 売れない役者
・高校からのともだち
・4年前に失踪したVが3か月前に突然Wの前に現れた
・続きは不定期で書きます
1
2
『今日からウチ住み』
その一言だけが、ヴァッシュの頭の中をぐるぐる回っている。ウルフウッドの声色は至って普通、いつも通り。今日は外に飲みに行くか、くらいのノリにしか聞こえなかった。
無情に閉ざされた金属の扉をじっと見つめながら、ヴァッシュは膝を抱え込んでウーンと唸ったり、床に無造作に置かれたブランケットをやわやわと揉んでみたり。いや、こんなことをしている場合ではない。住むわけがない。早く出ていかなければ。しかし、せっかく用意してもらった朝食を無駄にするのは申し訳ない。冷蔵庫を開け、『トンガリ用』と丁寧にメモの貼られたサンドイッチ、サラダ、ヨーグルトを取り出した。勝手知ったるキッチンでインスタントのドリップコーヒーを淹れている間、ヴァッシュは椅子の背もたれに寄りかかりながら白い天井を見つめる。
毎週この部屋に入り浸るというのは確かに過ぎたことだったのかもしれない。四年間も連絡を返さないという無礼を働いたにもかかわらず、何もなかったかのように迎えてくれたウルフウッドにヴァッシュは甘えきっていた。
役者としてのキャリアは上手くいかず、だらだらと中途半端に続けている。芸能事務所のマネージャーに紹介してもらったカフェレストランでの収入のほうが多いという悲しい現状。事務所に入るのをきっかけに保護者であるレムから離れ一人暮らしを始めて四年目になるというのに、時々どうしようもなくさみしくなることがあった。すべて自分で決めた道だというのにみっともない。そんな時ヴァッシュがいつも思い出していたのが、高校からの友人であるウルフウッドのこと。世話焼きで、お人好しで、口が悪くて、なんでもかんでも一人で背負いこもうとする責任感の強い男。良いところも面倒なところも挙げ出したらキリがない。
とある理由で大学を中退してから、ヴァッシュは身勝手にもウルフウッドを避けていた。何かされたわけでもないのに酷い話だ。ただどうしても、あの時はウルフウッドから離れることがいちばんの解決策なんだと信じていた。
二年前、ウルフウッドが無事に一般企業に就職したことをレムを通して知った時、心から祝福したい気持ちとスーツ姿を見たいという欲が膨れ上がって、携帯端末を片手に二時間もメッセージアプリの画面とにらめっこをしてしまったことがある。ヴァッシュが自分の方から連絡をしてしまいそうになったのは、後にも先にもこの一回だけ。
そうして季節はいつの間にか四度巡り、ついに一度もウルフウッドへ連絡をすることはなかった。それでもヴァッシュの生活は続いた。一日三食の食事が二食に減って、わずかな芸能の仕事とアルバイトの二足の草鞋、よく眠れるのは多くて週に三日。そんな湯気みたいに消えてしまいそうな日常を繰り返す。お世辞にもまともな社会人とは言えない生活だったが、それでもどうにか生きてこれた。
しかし三か月前のある日、ヴァッシュは街中でウルフウッドの声を耳にした。心臓が口から飛び出しそうなほどに驚いて振り返ったが、その声の主はウルフウッドではなかった。ヴァッシュはその時思い知る。たった四年会わないだけで人は簡単に声を忘れられる
――
と。
ヴァッシュは己の記憶力にそれなりに自信があった。だから、ウルフウッドの笑った顔も、怒った顔も、くだらない話の内容も忘れるはずがないと自負していたというのに、あの唇から紡がれる音の輪郭がふやけてもうボロボロになっている。そして気づけば、以前レムに聞いていたウルフウッドのマンションの前にヴァッシュは立っていた。
目深に被った黒いキャップのツバを握り締め、一度だけインターホンを押して出てこなかったら逃げ帰ろうと決めていた。二十三年間生きてきて、こんなに緊張した経験はない。震える指を壁に押しつけ、二十分も立ち往生。素面の状態ではどうしても押せなかった。
ヴァッシュは近場のコンビニへと全速力で走り、ビニール袋いっぱいにアルコール類を買い込んで、店の外で一気に二つ缶を空けた。
一言だけウルフウッドの声を聞けたら満足するはず。意を決してマンションへと戻り、インターホンのボタンを拳で押した。機械越しに聞いた「はい」の一言にヴァッシュは小さく首を傾げる。こんな声だったと言えばそうだし、そうじゃないといえばそうじゃない。満足するどころか、いざ四年ぶりにウルフウッドの声を耳にすると、機械を通さずにその声を聞きたいという欲が溢れ出てきた。
不審極まりない画面越しの男に向かって、ウルフウッドは大きな溜息を吐く。その溜息を聞いて、ヴァッシュはようやくこの機械の向こうの男がウルフウッドだと確信した。何度も隣で聞いてきた溜息。「生きとったんか、トンガリ」と凪いだ声は四年ぶりにあだ名を呼んだ。その瞬間、無理やり止めていたヴァッシュの時間が一気に動き出し、目頭が熱くなる。何も言わないヴァッシュに対し、ウルフウッドは、エントランスの鍵を開けたから上がってこい、とぶっきらぼうな調子で言った。405号室
――
。扉の前で二の足を踏んでいると、ウルフウッドはすぐに内側から扉を開けてくれた。
ヴァッシュはウルフウッドに謝らなければならない。でもどうやって。理由は墓場まで持っていきたいから言えない。どうしたらいいか分からなくなってもたついていると、そんなめちゃくちゃなヴァッシュの胸の内を察したように、ウルフウッドは呆れた笑顔を浮かべた。もうどんな顔をしたらいいか分からなくなって、ヴァッシュはウルフウッドの知っている四年前の顔で笑うことにした。近くに引っ越してきたんだ、と咄嗟に嘘を吐いて
――
。
それからはなし崩しの状態だ。連絡なしにいつ家を訪れても冷蔵庫に常備されるようになったビール、身体をすっぽりと覆えるふわふわのブランケット、手触りのいいラグマットが部屋を彩るようになったことも、ヴァッシュが話題に出すことは決してなかった。自意識過剰になって後で痛い目を見るのは嫌だったからだ。
三か月前のことを遠い昔のように思い出しながら、ヴァッシュはサンドイッチの最後の欠片を口の中へ放り込む。ついに居心地が良かったこの場所を手放さなければいけない時が来た。ただそれだけのことを脳が理解してくれず、まるで根の生えた植物みたいに脚が動かない。ウルフウッドの帰宅時間までまだ時間はある。それまでに家を出ればいい。ヴァッシュはいつもの定位置であるラグの上に寝そべりながらタブレットで仕事のメールをチェックしたり、ゲームをしたり。とにかく出ていくことを先延ばしにしたくて、昼を過ぎても無駄な時間を過ごしていた。
いつもはヴァッシュがここに寝ていると、知らないうちにウルフウッドがブランケットを掛けてくれる。それだけで充分だというのに、昨日はどうして自分の使っているベッドに寝かせてくれたのだろうか。そういえば、昨日意識を手放す前、何かを口走った気がする。ヴァッシュは働かない頭で考えるが、目蓋は次第に重くなっていく
――
。
次にヴァッシュが目を開けた時、既にカーテンの隙間から夕陽が差し込む時間になっていた。慌てて飛び起き、貴重品の入ったショルダーバッグを片手に玄関で靴を履いてドアノブに手をかける。一瞬だけ後ろ髪を引かれる思いに駆られ、リビングの方を振り返る。間もなく帰宅するウルフウッドへ何か書置きを残すべきか、後から何らかの形で連絡を入れるか。考えた末、後で連絡を入れることに決め、ヴァッシュは逃げるように家を出た。
赤く燃えるような夕陽を背に重い足取りで歩く。紅に染まる空が、初めてウルフウッドの家の前に立っていた日のことを思い出させ、こころが重くなっていく。勝手に離れたくせに、無様に姿を現して、また逃げている。急にぴたりと足が止まった途端、ヴァッシュはそれ以上前に進めなくなった。道端で立ち止まっていても邪魔になるだけなので、子どもたちの帰った後の寂しい公園で独りブランコに揺られながら、ヴァッシュはメッセージアプリを起動した。四年前から携帯端末の機種は変えていない。ウルフウッドからの大量のメッセージは既読をつけることなく、通知の画面ですべて読んでいた。こんなに酷い友人なのに、一度も恨み言を送ってくることもなく、ヴァッシュを心配する言葉ばかり。四年ぶりにウルフウッドのアイコンをタップし、すべてのメッセージに既読をつけた。無機質な画面を指でトントンと叩きながら、なんと送ればウルフウッドが納得してくれるか考える。
『一緒には住めないです、ごめんなさい』
『ひさしぶりに会えて楽しかった』
『やさしくしてくれてありがとう』
どれもこれも今のヴァッシュの気持ちを表すにはふさわしくなく、文章を入力しては消すことの繰り返し。やがて空が夜の穏やかな色を見せ始めた。結局、まともなメッセージひとつ作ることができないまま、重い腰を上げる。自宅へ戻る前にコンビニで何か食料を調達することに決め、とぼとぼと暗い道を進んだ。
保存の効きそうな惣菜を何種類か、飲み物、お菓子を適当に手に取る。もしかすると連絡もなしに部屋から消えたからウルフウッドが追いかけてくるかもしれない。家は知られていないと信じているが、万が一のために籠城できるように多めに。
ヴァッシュはコンビニを後にし、ビニール袋を揺らしてウルフウッドの家から遠ざかる。なんでもかんでも買いすぎたようで、袋の紐の部分が手首に食い込んでいる。一人分にしては明らかに多すぎるビールの数に苦笑して、ヤケクソ気味に重い袋を揺らして大股で道を進んだ。
もう少しで駅に辿り着く。家に着けば、今朝からずっともやもやと考えてきたことなど全てアルコールで流し込んでしまえばいい。眠りについて明日を迎えれば、きっといつも通りに戻れる。四年間そうして生きてこれたのだから。この三か月間はほんの少しイレギュラーだった、それだけ。ひとりに戻るだけ。考え事をしていたせいで、ヴァッシュは自分の手首が握られたことに気づくのが数秒遅れた。驚いて顔を上げると、今いちばん会いたくない男が息を切らしてこちらを真っすぐに見つめていた。朝見たスーツ姿のまま。ただ、靴だけは革靴ではなくスニーカーに履き替えられていた。
「なんべんも名前呼んだんやけど、聞こえへんかったか?」
どれだけ走ってきたのだろうか。ウルフウッドは肩で息をし、額に汗を滲ませていた。ヴァッシュは強く掴まれた手首をどうやって外そうか必死で考える。
「手首、跡になるで。持ったるから手ぇ放し」
「おれの一週間分の食料を人質にする気?」
「こんだけで一週間分になるわけないやろ、アホ」
ウルフウッドの汗ばんた手は、ビニール袋ごと手首を掴んだまま放してくれそうにない。睨み合いではヴァッシュは確実に負ける。力比べでも以下同文。だが、じゃあ一緒にお家へ帰りましょう、というわけにもいかない。
「そんな悪人ヅラで言われると逃げたくなるなぁ」
張りついたような笑みを浮かべ、ヴァッシュは足をわずかに後ろへ引く。頭の中では逃げられる確率を必死で計算していた。
「高校ン時の体育祭覚えとるか? おどれがワイに足の速さで勝てると?」
「何年前のこと言ってんだよ!」
確かに体力勝負じゃ昔も今もヴァッシュが敵うことはない。それでも今は逃げなければいけない時なのだ。
「アイス、なんでも好きなん買うたるで」
「そんなんでつられるわけないだろ! ガキかよ!」
「飯も三食作ったるし」
「それはちょっと
……
魅力的だけど
……
」
「おどれが体調崩してヘバっとる時はワイが面倒見てやれるし」
「そんな世話してほしいわけじゃないんだよ。おれだって稼ぎはアレだけど、いい大人なんだから」
「せやな。ほんなら
……
ワイとおるん楽しないか?」
息の仕方を忘れたみたいに、ヴァッシュは開いた口が塞がらなかった。いつも堂々としているくせに、ウルフウッドは時々自分に価値がないようなことを言う。こんなことをウルフウッドに言わせてしまう自分に腹が立って、涙がぐっとこみ上げる。ヴァッシュが小さく深呼吸を繰り返すのをウルフウッドはただ静かに見守っていた。
「
――
ていうか、なんでここが分かったんだ?」
「住まへんとか言うといて、このへんのコンビニか公園でうだうだ時間潰しとるんちゃうかと思ってな」
「ハイハイ、お見通しってわけですか」
「おおきに」
「
……
何が?」
「分かりやすい場所におってくれて」
これが嫌味ではなく、ウルフウッドの本心だと柔らかい表情から痛いほど分かってしまい、ヴァッシュは抵抗する気も失せて力なくへらりと笑う。それを完全な降参だと理解したウルフウッドは、ヴァッシュの手からビニール袋を外して取り上げた。空いた方の手をゆらゆらと揺らしながらヴァッシュへ差し出し、ウルフウッドは声を弾ませる。
「手ぇ、繋いで帰るか?」
「やぁだよ」
子ども扱いされている
――
というよりは、おそらくウルフウッド自身が心配なのだと、眉を下げた笑い方を見てヴァッシュは思った。この後に及んで逃げたりなどしない。それどころか、見つけてもらえてどこか安心している。どこまでも我儘で甘ったれな自分が嫌になる。
「ほんなら、指一本でええから」
差し出された左手の人差し指を見て、ヴァッシュは胸が詰まる想いだった。そんな縋るようなお願いをされてしまえば断れない。そっと手を伸ばし、ヴァッシュは親指と人差し指でウルフウッドの指を掴む。伸びっぱなしの爪。熱を持った長い指。隣を歩くことはできなくて、ヴァッシュはウルフウッドの少し後ろを歩く。ヴァッシュがちゃんと後ろを歩いているか時折確認するウルフウッドはさながら迷子の犬のよう。掴んだ指から目を逸らしたくて顔を上げると、街灯でぼんやりと浮かび上がった桜並木が目に飛び込んでくる。行きもこの道を通ったのに、ヴァッシュは花を見る余裕すらなかった。満開を少し過ぎた頃合いの樹々たちは、地面に見事な花びらの絨毯をつくり、帰路につく人間たちはその上を踏み荒らす。
「ごめんね、踏んじゃって」
独り言のつもりでぼそりと呟く。
「花びらに話しかけとるんか、けったいな奴やなぁ」
「お花見
―――
、四年ぶりかも」
「
……
奇遇やな、ワイも四年ぶりや」
「
……
ふーん、そっか」
「そっかってなんやねん」
「
……
うるさいなぁ、せっかく楽しんでるのに」
「さよか」
風に舞って飛んできた薄いピンク色の花びらをヴァッシュは空いた手でキャッチする。そういえば四年前の花見でも、桜の花びらに話しかけ、前を歩く男に揶揄されたことをヴァッシュは思い出す。桜はどこにでも毎年咲くというのに、二人とも四年間花を愛でる余裕もなかったというのは、なんともこころが貧しい。
そのあとはひたすら黙って歩いた。沈黙は苦になるどころか短い花見を楽しむふたりの間を満たしてくれる。指一本では心許なくてヴァッシュは中指も掴もうとしたが、やはり今はやめておこうと思い止まる。これが今のふたりの距離
――
。
ウルフウッドの家に着くやいなや、ヴァッシュは急激な眠気に襲われ玄関先で意識を失った。意識を手放す数秒前、ウルフウッドが何かを言った気がするが、それが名前を呼ぶ声だったのか、挨拶だったのかも分からない。ヴァッシュが覚えているのはそこまで
――
。
✧
翌朝、食欲をそそる匂いに鼻孔をくすぐられ、ヴァッシュは目を覚ます。いつも重くて開けるのが億劫な目蓋がすんなり開いたことが不思議だった。寝かせられていたのは昨日と同じウルフウッドのベッド。二日連続でベッドを占領してしまったことを謝ろうとヴァッシュが匂いのする方へ向かうと、リビングのテーブルには民宿のような朝食が並んでいた。
「お、起きたか。おはよーさん。飯できとるけど、食べるやろ?」
おにぎり、漬物、海苔、焼き鮭と、お味噌汁。急いで顔を洗い歯を磨いてリビングへと戻ってきたが、ヴァッシュの寝ぼけた眼に映った光景は夢ではなかった。テーブルの上にはやはり民宿風の朝食が堂々と並んでいる。
「いただきます」
ふたりで朝食を食べるのは四年ぶり。ヴァッシュはまず味噌汁の椀に口をつけ、昨日の疲れをじんわりと労わってくれる仄かな甘い味噌の風味に舌鼓を打つ。
「すごいな。いつも朝からこんなちゃんとしたの食べてるの?」
「アホ、おどれに食わせるためや。昨日はコンビニの飯で済ませてしまったからなぁ」
「気を遣わせちゃったな」
「別に。ワイも食べるしついでや」
「おにぎり、握ったの?」
「握らへんとおにぎりにならんやろ」
「いや、おまえがおにぎり握ったの? はは、マジで」
ウルフウッドの手で握ったにしては、小さめのおにぎりが二つ。一つは昆布、もう一方は高菜。食べやすい大きさのそれを頬張ると、口の中で米粒がほろりとほぐれた。これまでの人生で、こんなにふわっと柔らかなおにぎりは食べたことがない。今まで食べてきた市販のものや、レムの握ったそれとは明らかに違う。ヴァッシュは目を輝かせ、夢中でかぶりついた。
あの大きな手でどうやってこんな食感を生み出したのか興味が沸き、ヴァッシュは上目でウルフウッドを盗み見る。目が合うなりウルフウッドはしたり顔を見せ、ヴァッシュの口の横についた米粒を指で取り自分の口に放り込む。まるで年の離れた子ども扱いだ。さすがに恥ずかしくなってヴァッシュはうつむき、もそもそと食事を続けた。
薄青の平皿に乗せられた二切れの卵焼き。一つ目を口に入れると、優しい甘さが口の中に広がる。もう一切れの焼き色が若干薄いことが気になり、続けて口に入れる。こちらは出汁のきいた少ししょっぱい卵焼きだった。
「甘いのとしょっぱいのだ!」
「どっちが好きか分からんかったからどっちも作った。おどれ甘いもん好きやけど、だからって卵焼きも甘いのが好きとは限らんやろ」
何食わぬ顔でそう言って、ウルフウッドは味噌汁を啜る。出会った頃からこういう優しいことが誰にでもできる男だったと思い出し、ヴァッシュは自然と緩む口角を味噌汁の椀で隠した。こんなに簡単に絆されるわけにはいかない。
「おいしい
……
」
「そういえばワイの作った飯食べるん初めてやな? いつも飯は買ってくるか外食か、夜はおどれ酒ばっか飲んどったし。まぁ、意外とイケるやろ?」
得意げに眉を持ち上げるウルフウッドの笑顔はカーテンから差し込む太陽よりもまぶしい。見ていられなくなったヴァッシュはテーブルの一点を見つめたまま箸でほぐした焼鮭を口へ運ぶ。意外ではない。なんでも器用にこなす男だとよく知っている。ずっとずっと。
「おいしい」
「さっき聞いたわ」
四年間も連絡を無視し続けたともだち、再会してまた逃げ出したともだちに、ウルフウッドは何も追及しようとしなかった。あまりにも普通に受け入れてくれたから、ヴァッシュは自分のしたことを棚に上げてぬくぬくと居心地の良い場所に留まろうとしていた。
「おいしい」
「褒めてもなんもでぇへんで~、ってなに泣いとんねん」
「泣いてないよ」
ヴァッシュは雑な嘘を吐いた。あたたかい朝食を誰かと食べることが久しぶりだった。その〈誰か〉がウルフウッドだということが心底嬉しかった。
「うん、お米うまい、ふっくらつやつや。噛むほど甘いし、どっちの卵焼きとも合うなぁ。お味噌汁は少し甘めの味噌を使ってるのがいいね!」
止まらない涙がヴァッシュの唇の表面を濡らし、せっかくの美味しい料理が塩辛くなっていく。それでも何かを喋っていないと落ち着かなくて、ヴァッシュは泣きながら料理の感想を言い続けた。
「食レポごくろうさん。この米美味いやろ〜!ブランド米やねんけどな、ちぃっと遠くのスーパー行くと安く買えんねん。これからおどれも買いに行くん手伝えよ」
「えっ、通販で頼もうよ」
米や水ほど持って帰るのが億劫なものはない。ヴァッシュは躊躇うことなく不満を顔に浮かべる。
「節約した金でなぁ、美味い肉が食べれるで」
「
……
それは、イイデスネ」
「せやろ? 魅力的やろ? まあ固く考えんとお試しで住んでみ。嫌になったらいつでも出て行ったらええ。好きな時に
終わらせられる
関係や。気楽やろ?」
ヴァッシュは胸を鋭いもので貫かれ、頭を鈍器で殴られたような思いだった。今ウルフウッドが言ったことが本当ならば、もしこの生活が壊れてしまったとしても、ふたりはともだちのままだということ。会話の途切れた部屋には、ウルフウッドが漬物を咀嚼する小気味よい音だけが響く。
――
いつでも終わらせることができる。
それは美味い肉と同じくらいあまりにも魅惑的な言葉で、ヴァッシュはゴクリと生唾を飲み込む。
「
……
あ、明日はしょっぱいほうの卵焼きでお願い
……
します」
四年ぶりに繋ぎなおした細い糸がまた自分のせいで切れてしまうのは嫌だった。だが、それを気にしなくてもいいのなら。
とりあえず明日もこのあたたかい食事にありつける道を選ぶのも一興。
住めば都と言いますし。
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