戸倉
2024-04-07 00:35:48
13960文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台①

【今日からウチ住み編】
・現パロ W23歳 会社員 × V23歳 売れない役者
・高校からのともだち
・4年前に失踪したVが3か月前に突然Wの前に現れた
・続きは不定期で書きます




 お邪魔します――と言って人の家に入るからにはそれなりに礼儀を弁えてほしい。それがいくら高校時代からの友人だとしても。
 数時間前にその挨拶を元気よく口にしたウルフウッドの友人もといヴァッシュは、ビールの空き缶が散乱する床で呑気に寝息を立てている。時折もにゃもにゃと寝言が聞こえてくるが、ウルフウッドは耳を傾ける気すらなかった。半開きになった薄い唇からたらりと垂れる涎が今にもラグマットを汚しそうで、たまらず舌を打つ。
「なんでワイが同い年の男の涎拭いたらなアカンねん」
 施設育ち故に子守りは得意だと言える。しかしそれはもちろん子どもに限ってのこと。安心しきった寝顔を見せる男の口元をティッシュで雑に拭うと、ヴァッシュは煩わしそうに頭を左右に振って呻き声を漏らした。

 ウルフウッドとヴァッシュは高校のクラスが同じだったこともあり、いわゆる腐れ縁のようなともだちだった。なんでも気軽に話して、冗談を言い合える普通のともだち。そのまま同じ大学へと進学し、腐れ縁も当たり前に続いていくものだとウルフウッドは思っていた。しかし大学二年目のある日、ヴァッシュは突然大学を中退し姿を消した。「また明日」と言って笑顔で手を振り別れたのに、その明日が来ることはなかった――
 当然、ウルフウッドはヴァッシュの行方を躍起になって探し回り、電話やメッセージでの連絡を幾度となく試みた。お人好しで、嘘もわるくちも下手、いつもニコニコ笑っていて、トラブルメーカー、なんでもかんでも一人で背負いこもうとするところがあり、悲しいことがあっても嬉しいことがあってもすぐに泣き出す面倒くさい男。良いところも悪いところもいくらだって言えるくらい理解しているともだちだと思っていたのに、片手に収まる小さな電子機器で連絡が取れないだけで簡単に切れてしまう縁だったのだ。
 かなしい、というよりは遣る瀬無さが喉の奥で燻って、ヴァッシュひとり探し出せない自分の不甲斐なさにウルフウッドはずっと腹を立てていた。
 いなくなって半年ほど経ってから、ヴァッシュが小さな芸能事務所に入ったことを保護者であるレムから知ることになる。嘘もつけないあの男が役者になるとは――まさに青天の霹靂だった。役者になりたいという話をヴァッシュから聞いたことはないが、そんなことは大したことじゃない。無事でいるならそれでいい。ただ、心配しているともだちに対して返事の一言も寄越さなかった――その一点に関してだけは面と向かって文句を言ってやりたかった。しかしヴァッシュが会いたくないというのならば、仕方ない。レムを通してこっそりヴァッシュの近況を教えてもらうことでどうにか心の安寧を保ち続けていた。
 まぶしいほどに輝く金色の髪、目尻の垂れた甘い顔立ち、すらりと長い手足の映える身体。すべての要素が揃っていると言っても過言ではないというのに、ヴァッシュの役者としての露出は非常に少なく、モデルとして雑誌に載ることはあっても、いかんせん芝居の仕事は端役くらいしかないようで、生計のほとんどはレストランスタッフのアルバイトで立てていると聞いていた。
 ヴァッシュがモデルとして雑誌に載ると聞けば、読み方も分からないタイトルのファッション誌を購入してチェックし、メッセージの返事が来ないのを承知の上で、事あるごとに「飯は食べているのか」とか「ちゃんと寝ているのか」なんて見てくれているのかすら分からないメッセージを送りつけていた。

 季節はいつの間にか四度巡り、ついに一度たりともヴァッシュからの返事が来ることはなかった――。それでもウルフウッドの生活は続いた。三食きちんとたべて、働いて、睡眠を取る。お手本みたいにまともな生活なのに、どこか色の欠けた世界でウルフウッドは日常を繰り返す。そうやって地に足をつけて生きていたのに、三か月前のとある夜、まだ正月休み気分が抜けなかった寒さの厳しい日、四年間なんの音沙汰もなかった男は、缶ビールやチューハイをぎちぎちに詰めたビニール袋を掲げて突然現れた。近くに越してきた――! と最後に別れた時と変わらぬ満面の笑顔を浮かべて。

 それから毎週一回、ヴァッシュは自分の仕事やアルバイトが休みの夜に酒の入った袋を引っ提げてふらっと現れるようになった。事前の連絡は一切寄越さない。お邪魔しますなんて殊勝なことを言いながらも自分の家かのようにくつろぐ有様。本当は言ってやりたいことも聞きたいことも山ほどあった。だが、ヴァッシュの笑顔を見た途端、なにもかもがどうでもよくなってしまい、ウルフウッドは口を噤むことにした。

 愛想よく迎えてやるほど優しくする気はなくとも一応来客なのでスリッパだけは毎回出してやる。そうすると、ヴァッシュは一瞬だけ居心地が悪そうに両脚の爪先を擦り合わせ、眉を落とす。慎みを見せるのはその時だけ。
 酒を飲む以外にふたりで何かをすることは特になく、ヴァッシュは人の家で飲むだけ飲んで朝には自宅へ帰っていく。そんなことがもう三か月も続いていた――


「トンガリ、おんどれいい加減帰れ! いつまで管巻いとんねん! 明日バイトとちゃうんか⁉」
 言っても無駄であろうとも言わないわけにはいかない。ウルフウッドはヴァッシュの両肩を掴み無遠慮に激しく揺らす。
「ん〜〜大丈夫。明日はバイト休み……だから、朝……帰る」
「何が大丈夫やねん! アホ!」
「う~、きもち、わる、揺らすの、やめ……て」
「大体なぁ、毎週なんの連絡も寄越さずふらっと来よってからに! 酒なんぞ自分の家で飲んだらええやろ!」
――だって……さみし……だも…………
 伏せた長い金の睫毛にじわりと雫が浮かんだ途端、ヴァッシュの肩を揺らしていた両手から一気に力が抜ける。そのまま数秒固まって、ウルフウッドは肺の底に残して置いたような重い溜息を吐いた。片膝を立てその場に座り込み、再び夢の中の世界へと旅立っていったヴァッシュをじとりと睨む。
「なぁにが、さみしいやねんドアホ」
 ヴァッシュは家主の予定を聞くこともなく現れるので、ウルフウッドにとってもそれがいつしか普通になった。
 一か月を過ぎたあたりで、ウルフウッドの家の冷蔵庫には様々な種類のビールとチューハイが常備されるようになり、大柄な男の身体をすっぽり包めるブランケットが通販で届き、二か月を過ぎた頃には殺風景だったリビングにラグを購入した。ヴァッシュのためではないと誰に聞かせるでもない苦しい言い訳を頭に浮かべながら――。ウルフウッドはずっとヴァッシュに振り回されている。人生と呼べるほどの長い年月を共にしたわけではないし、ヴァッシュが掴みどころのない奴だなんてとうの昔に知ってはいるが、それにしてもたった一人の男の行動に引っ搔き回され続ける自分はもしかするとほんの少しお人好しなのかもしれない、とウルフウッドは思ってしまう。
 そんな友人の葛藤など露知らず、ヴァッシュは気持ちよさそうに仰向けで眠っている。
 さみしい――。ヴァッシュのこぼした声色は駄々っ子のようでもあり、わがままの言えない可哀相な子どものようでもあった。いつもならこのまま床に転がしてブランケットをかけてやるくらいだが、今日はどうしてもこのまま放っておく気になれない。仕方なくヴァッシュの脇の下に両手を差し込み、ずるずると引きずって運ぼうとすると、寝ぼけたヴァッシュが右手を天井に向かって振り上げた。頭にぶつかりそうな勢いのそれを咄嗟に躱し、ウルフウッドは腕を掴む。
――はぁ? なんやねんこの……、ほっそい腕」
 高校の頃はふたりとも訳あって帰宅部だったが、運動部の手伝いで試合にはよく駆り出されていた。あの頃はそれなりに筋肉質だったはず。それが、ここまで細くなってしまうものなのか。呆気に取られながらウルフウッドはヴァッシュの全身を見下ろす。安らかに定期的なリズムで上下する胸。学生の頃より薄くなった身体から細い脚が伸びている。しかし、いちばん驚いたのは腰回りの細さだった。思わず腰へと両手を伸ばし、触れる寸前のところで我に返る。内臓はちゃんと入っているのだろうか。そんな現実的ではないことが頭に浮かんでしまうほど、今のヴァッシュは四年前とは明らかに違っていた。
 思い返してみれば、この三か月間は酒ばかり飲んでいて、ヴァッシュが食事をするところをほとんど見ていない。子どもじゃあるまいし、食べるものまで世話を焼いていたらキリがない。しかし、昔からこの金髪頭のことになると世話焼きに歯止めが効かなくなることに多少の自覚はあり、一度放っておけないと思うとそこからはどうにもならなくなってしまう。
 ウルフウッドは引きずって運ぶのを止め、背と膝裏を支えながらゆっくりとヴァッシュの身体を持ち上げる。自分と同じくらいの身長の男の重さとは到底思えず、背中に冷たい風が通り抜けるような感覚に襲われる。自分の知らない四年間にヴァッシュに何があったのか――。過去に寄り添うことはどうしたって叶わない。けれど、やっと手を伸ばせば届く距離にヴァッシュが今いるというのなら、ウルフウッドに残された選択肢はひとつしかない。ベッドに寝かせたヴァッシュに掛け布団をかけ、ウルフウッドはどうやってこの駄々っ子を言いくるめようかと思考を巡らす。明日のことを考えるだけで長い間淀んでいた古い血が波立ち騒ぎ、柄にもなく心が踊った。

 ✧

 白いワイシャツに袖を通しベランダに出ると、まだ人もまばらな平日の早朝の風景がウルフウッドの眼下に広がる。今日も今日とて、自分もこの小さな世界の一部に過ぎないのは変わらないのに、本日一本目の煙草は妙に美味く感じるし、白い煙は浮き立つ気持ちを代弁するかのように風に乗って揺らめく。春の日差しの強さすら、ウルフウッドの決断を応援してくれているよう。
 寝室の扉が開く音がして、ウルフウッドは吸いかけの煙草を灰皿に押しつけ急いで部屋に戻る。前髪に寝癖のついたヴァッシュは欠伸をしながらリビングへ入り、目が合うなり日向を見つめるみたいに目を細めた。
「ん? あぁ、おはようウルフウッド。ごめん、昨日ベッドに運んでくれた? おれ頑丈だし床で大丈夫なのに――
「トンガリ、今日からウチ住み」
――は?」
「はよ出勤せなアカンからもう家出るけど、明日土曜日やし必要なもん買いに行くで」
「ちょっ、ちょっと待てよ、話が見えないんだけど……
 ヴァッシュの口元がヒクリと引き攣る。拒絶ではない。混乱から来るなにか。昨晩、脳内でシミュレーションした通りのヴァッシュの反応にウルフウッドは思わず笑いそうになったがどうにか堪える。唖然として立ち尽くすヴァッシュへ迫り寄り、人差し指で鼻先を指す。
「オマエ、ココ、住む、キョウカラ」
「待ってくれ、そんな宇宙人みたいに言われても……、えっ、あの、住むってなんでだよ、付き合ってるわけでもないのに」
「何言うとんねん、寝ぼけとるんか」
「寝ぼけてるみたいなんだよね。高校からの同級生で、最近再会したばっかりの男友達が一緒に住もう、っていうか住めって言うんだけど」
「現実や。頭冴えとるやないか」
 ウルフウッドは朝刊を筒状に丸めたものでヴァッシュの頭を軽く叩く。だがヴァッシュは依然として混乱した表情のまま、何の反応も見せなかった。
「おどれまともな飯食うとらんのやろ? 酒ばっかり飲んで体に悪いわ。しばらくウチで朝昼晩ちゃんと食べてまともな生活リズム取り戻し! 学生の時はそんなんとちゃうかったやろ?」
 本当は細すぎると言いたかったが、やめておく。どこを見ているのだと気持ち悪がられるのはショックが大きすぎるし、ヴァッシュの口から出てきた『友達』という言葉は何よりも嬉しく大事にしたかった。たとえ四年間会っていなくても、そのポジションは失っていなかったらしい。
「今日の朝飯と昼飯はさっきコンビニで買ってきたからそれで勘弁せぇ、冷蔵庫に入っとる。明日からはちゃんと作る」
「いや、まって! おれ住まないよ! でも、えっと、朝飯はありがとう、助かります」
「鍵はここに置いていくから、もし出かけるんやったらちゃんと戸締まりするんやで。七時半くらいには帰れるようにするし、晩飯は家でええやろ?」
 とにかく畳みかけるように言いたいことを済ませると、ウルフウッドは出勤用の鞄を引っ提げ足早に玄関へ向かう。
「ほんなら、また………十時間後くらいに」
「あの、ちょっと待ってくれ、住まないよ⁉ 住まないから!」
 勢いよく玄関の扉が閉まる寸前、起き抜けとは思えないほど張り上げられたヴァッシュの声を背に浴びてウルフウッドは喉の奥を鳴らし笑う。少し意地が悪かったかもしれないけれど、ヴァッシュの狼狽ぶりがあまりにも面白くて笑いが止まらない。人目も憚らず緩み切った口元のまま、今日は絶対に残業をせずに帰宅しようと心に決め職場への道を急ぐ。ウルフウッドの小さな世界に少しだけ色が戻った。こんなにこころが踊るのは、きっと四年ぶり。

――狼の口に飛び込んできたのは、他でもないヴァッシュの方だ。