また誕生日と思って書いたけど間に合わなくて更に好き放題書いてしまった現パロの続き回(タイトル未定)

およそ1ヶ月の遅刻です、色々と滾ることがあってネタが増えました、現パロで相変わらず捏造多数です



「お前の役割もここで終わりだ」
 知らない男性の声がする。日の暮れた荒野に立ち並ぶ沢山の人たち、彼らの目線は全て自分へと向けられている。自分は手足を拘束されているようで動けずその場に佇むだけ。気が付けば首筋に冷たくて硬い金属のような物の感触がした。なんとなくそれが刃物だと分かって、自分が今からどうなるか理解した瞬間に強く押し当てられる。一瞬で視界が真っ赤に染まって意識が断絶された。

……あ、はっ……!?」
 息が苦しい、胸が痛くなるくらいに早く鼓動を打ち、大量の汗によって肌に貼り付いた下着が気持ち悪い、白い毛の尻尾も汗でべったりと蒸れている。不快感に満たされたことで強制的に目が覚めてしまった。
「く、ぅ、はあ……はぁ……
 自分が眠っていたのはいつもと変わらないアパートの自室のベッドの上、しかし枕元のデジタル時計は午前二時を過ぎたあたりだと表示されている。日付の変わる前の午後十一時過ぎにベッドに横になり、ようやく寝つけたのがたしか午前一時を過ぎたあたりだったから、それから一時間も眠れていないことになる。
「ああ……
 今日も、またダメだったのか。何とか呼吸を整えながら今夜も状況が変わらなかったことを自覚して、大きくため息をついて再び布団の中に潜り込んだ。

   ◇ ◇ ◇

 紆余曲折あってディルから想いを伝えてもらえて、俺の生活はまた変わっていった。相変わらず社長と秘書という立場は変わっていないが、それでもプライベートにおける互いの関係性は今まで以上に親密になっていた。平日は仕事に集中し、休日に互いの予定が合えばショッピングに行ったり、近場の観光地に遊びに行ったり、本当の恋人らしい時間というのを沢山楽しませてもらっていた。会社にいる時よりも世話焼きで構いたがりなディルは片時も離れたくないといった様子で、いつも最後に帰る時には名残惜しそうに手を握ったりしてきたりしていた。しかし、普段の仕事での様子はしっかりとしていて、この時ばかりは互いに敬語で話すようにすることも変わらず続けていた。そんな日々が数か月は続いて、俺もまたこれから少しずつ関係性が深まることを楽しみにしていた。

 そんな順調で幸せな生活を送っていたはずなのに、ある日の夜から睡眠中に悪夢を見るようになった。それも決まって「自分が死ぬ夢」という内容だった。ある時は人混みの中で誰かに斬りつけられ、ある時は横断歩道で車に轢かれ、ある時は崖の淵で突き飛ばされた。周りには顔も分からない人々が沢山見ているのに、誰もが傍観者となって助けてくれない。自分一人だけが苦しみ息絶える瞬間に目が覚めて、現実に引き戻される。そして一度こうした夢を見てしまうとすっかり目が冴えてしまい、朝まで再び眠ることが出来なくなってしまう。今みたいにもう一度横になってどれだけ目を閉じ続けても眠気はこないし、結局睡眠時間は一、二時間程度しかとれなくなってしまった。勿論そんな状態で昼に働き続ければ身体が休んでいないから辛い部分もある。そこは昔の支社のパワハラ時代にもお世話になったエナジードリンクで何とか体力を補給して、目の下に薄っすらと黒い隈が滲むようになってきてからは、シミ隠しのクリームを薄く塗ってぱっと見では分からないようにしていた。とはいえ脳も休んでいないから仕事のパフォーマンスは落ちるし、ミスをすることもちょくちょくあった。
 このままじゃ身体がもたなくなると思って、市販の睡眠導入剤を買って服用してから眠るようにもした、しかし僅かに寝つくまでの時間が短くなっただけで、状況は変わらなかった。むしろ夢の中で危害を加えられた後にもなかなか意識が戻りにくくなってしまい、ただただ息が詰まる苦しみを味わい続けてから、心身ともに疲れ果てた状態でやっと目が覚めることになってしまった。数回そんな夜を経験してからはもう薬を飲むことも止めた。
 でも、それでもやっぱり社長の秘書たる自分としてここで挫けるわけには行かないと思った。だって、そうじゃなきゃ、ディルにせっかくここまで連れてきてもらったのに自分が頼りないんじゃ申し訳が立たないだろう。たかが自分自身の体調管理が出来ていないだけだ、だからこそ俺自身で何とかしなくてはならない。

   ◇ ◇ ◇

 そうして仕事を続けて一か月ほど経ったのだろうか、相変わらず睡眠はほとんどとれていないし、時々立ち眩みのように視界がブレてふらつくようにもなってきた。それでも今日も社長の傍で秘書として働くために共に社内の廊下を歩いていたのだが、今日も身体の調子は悪いままで隣でずっと話しているはずの彼の声が時折遠くかき消えてしまう。
……スドーラ……なあ、聞いてるか?」
……ぅ、あ、はい、すみません。次の予定についてですか?」
「そうじゃない、お前はもう……無理をしすぎだ。今日は俺一人でも大丈夫だから、もう帰って病院に行くんだ」
「いえ、平気です」
 そう言って仕事を続けようとしたが、一歩歩き出した瞬間に社長に腕を強く掴まれた。何だか床との距離が近い気がする。
「っと、ほら、また倒れそうになってるぞ」
「え、そんなことは……うわっ、なんですか!? 降ろしてください!」
「いいから医務室行くぞ、前みたいに社長室のソファーで寝たいか?」
「い、え、そのっ、すみませ…………
 そのまま抵抗する間も与えられずひょいと抱きかかえられてしまい、道行く他の社員たちにがっつり見られながらベッドがある医務室へと運ばれてしまった。その目線があまりにも恥ずかしすぎて、情けなくて、抱かれたまま思わず社長の肩に顔を押しつけてしまった。

「ムナカタ社長、これは一体どういうことでしょうか!」
「こちらの会社で起きたことについて答えてください!」
 会社の出入り口のガラス扉の前には沢山の報道陣が詰めかけている。各々がこちらに向かって質問に答えるようにと叫んでいるが、果たして自分たちは何をしてしまったのだろうか。中には社長や会社を罵るような発言をしている人もいる。彼らは会社の中に入ろうと歩みを進めていて、このままだと社長や社員たちが危ないと考えた。俺は一人で扉の前に立ち、両腕を精一杯広げてこれ以上進まないようにとジェスチャーをする。来ないでほしいと言いたかったけど、喉の奥が痺れているかのように感じられて声が出せなかった。
「どうして止めるんですか!」
「私たちには聞く権利があるはず!」
「そこをどいてくれ!」
「今すぐ謝罪をするんだ!」
「そこに居続ければどうなるか、分かっているんだろうな!?」
 そうだ、見た限り百人以上はいるであろう人の波を一人で止められるとは思っていない。でも、ここは大事な場所なんだ。原因も分からぬままに好き勝手言い続ける人々をここに侵入させるわけにはいかない。せめて、ほんの少しの時間だけでも彼らを守るんだ。
「無駄なことを!」
「たった一人で何が出来る!」
「どうせただの捨て駒だ!」
「俺たちを通せ、己の立場を弁えろ!」
「お前に出来ることは何もないんだ!」
 人々が押し寄せてくる波が大きくなり、ガラスの扉にヒビが入る。ああ、ここを突破されたらどうなるのかな。きっとガラスの破片も飛んできて刺さるだろうし、社内はあっという間に蹂躙されるだろう。今更逃げたってどうしようもない。また、俺は痛くて酷い目に遭うんだな。ミシミシと扉の軋む音と人々の怒号を聞きながら、襲い掛かるであろう衝撃を覚悟して静かに目を閉じる。
 すると突然、両肩を強く掴まれる感覚がして、身体を揺さぶられる。
……い、目を……せ、クルウ!」

   ◇ ◇ ◇

 目の前には珍しく切羽詰まったような、焦ったような表情をした社長がいた。ああ、今回もやっぱり何もできないまま死んだ……のか……って、いや、待ってくれ、あの風景はもしかしていつもの悪夢だったのか? さっきまで会社で働いていたはずなのに、社長に抱きかかえられてから俺は寝ていたのか? あれから一体何があったんだ? 相変わらず胸が痛くて息苦しいのに加えて、今の状況が理解できずに脳内が混乱してしまう。
「おい、しっかりしろ、まずはしっかり呼吸をするんだ」
……っ、はあ……っあ、れ……
 社長の声かけに合わせて呼吸を整え、額に付いた汗を手で拭いながら周りを見渡して状況を確認してみる。自分がいたのは医務室のベッドの上。傍には社長が心配そうにこちらを見ているが、彼の黒いスーツの肩や黒い角には白いクリームのようなものが僅かに付着している。何故だろうと思った瞬間に思わず目の下を触ってみると、今朝塗ったシミ隠しのクリームが指先に付着した。
「お前、やっぱり体調不良を隠してたな」
「あの……、すみません、角と……肩の部分、スーツを汚してしまって」
「謝るのはそこじゃないだろう」
 いつもより低い社長の声で、明らかに彼が怒っていることが理解できた。結局自分はまたやらかしてしまったんだなと、すっかり気持ちが沈んだままクリームの付着している白い指先を見つめていた。
……お前はここに運んでいる途中で反応が無くなって恐らく気を失ったんだ、今は大体十五分くらい経ってる。それでひとまずここに寝かせて安静にさせていたんだが、さっき急に魘されて苦しみ始めたから、居ても立っても居られず起こしてしまった。隈も出来てるし顔色も悪い、その様子じゃここのところまともに睡眠がとれていないだろう、バスドーラ?」
 その通りだ。やっぱりこの人に隠し事は出来なかったな。
「とにかく、これ以上勤務させるわけにはいかない。送迎の車を用意しているから、病院に行ってからちゃんと休むんだ、いいな?」
「でも」
……頼むから、言うことを聞いてくれ」
 クリームの付いた手を社長の両手で包み込むように握られながらそうお願いされてしまって、彼の体温のぬくもりが伝わってきて、これ以上仕事を理由に休まないと思う気持ちがなくなってしまった。
「わかり、ました。あれ、でも車って……もしかしてタクシーを呼んだのですか?」
「いや、俺の知り合いとでもいうか、信頼できる人たちがちょうど今日は手が空いていたから頼んだ。本当は俺自身で連れていきたかったが……もう会社の入り口で待ってる頃だと思うから、そこまでは手を貸そう。どうだ、立てそうか?」
「はい、今ならなんとか。お手数をおかけします」
 それから社長に身体を支えてもらいながら会社を出ると、目の前には明らかに高級な黒い立派な車と、その傍に佇む二人の男性がいた。一人は黒髪黒角のアウラ男性、もう一人はサングラスをかけた金茶色の髪のヒューラン男性。どちらも全身黒いスーツを纏っており、正直社長以上の威圧感に溢れていて思わず身震いしてしまった。
「やあ、預かるのはその子だね」
「そうです、よろしくお願いします」
「とりあえず早く座らせろ、顔色が悪すぎる」
 すぐに車内の後部座席に誘導されて、これまた高級そうな真っ黒いレザーシートに座る。しかしこの車とあの二人の風貌といい、最初の会話だけ聞いてたら今から誘拐でもされそうな……
「じゃあクルウ、後はヴァスクさんとシンさんの言うことを聞いてちゃんと休めよ」
「病院は近くの総合病院でいいか」
「それでいいんじゃないかな。バスドーラさんは着くまで寝てていいからね、もし気持ち悪くなったりしたらすぐに知らせて」
 何か返事をしたかったけど、もう体力が限界だったようで背もたれに身体を預けた瞬間からまた気を失ったのか記憶が途切れてしまった。次に目を開けた時には病院に着いていて、黒だらけの車内の運転席から同じく黒いアウラ男性のシンさんが振り返ってじっとこちらを見ていたので、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 それから病院で二人に付き添いをされながら色々診てもらったものの、慢性的な不眠と食欲不振による栄養不足と微熱があった程度でこれといった病気は見つからなかった。医者にはストレスのような精神的な原因が関わっているかもしれないと睡眠導入剤の服用を勧められたけど、俺はそれはどうしても嫌だと首を振ると今度は点滴を用意された。中身はビタミン剤に近い点滴らしいが、点滴を受けながら三十分ほどベッドで横になっていると頭の中がクリアになってきたように感じた。とはいえ微妙に身体に力が入らないような、漂うような眠気がずっと纏わりついているような気もする。ひとまずは気持ちを落ち着かせるための安定薬と、どうしても眠れない時用の睡眠導入剤を処方してもらって、付き添いの二人に手伝ってもらいながら会計もした。
「お疲れ様、あとは俺たちが送るから休んでいていいよ」
「すみません、何から何まで……自宅までは口頭で説明するので」
「ああ、それは大丈夫。ディルから予め場所は全部聞いてるよ」
 そうか、社長が全部手配してくれていたんだな……申し訳ないや……。ヒューラン男性のヴァスクさんが休むように促してくださったので、お言葉に甘えて車内に戻ってからも再び目を閉じて微睡んでいた。しばらく経ってから走っていたはずの車の揺れが収まってエンジンが切れる音がしたので、自宅のアパートに着いたのかなと思って目を開けてみれば、そこはとても見覚えのある大きな和のお屋敷の前だった。
「ほら着いたよー、起きてるかな」
「え……お、きて、ますけどっ、あの、何で、ここって社長のご自宅ですよね!?」
「うん、ここで静養してもらうようにって頼まれていたからさ」
 いつの間にか車から降りていたシンさんが、こちら側の後部座席のドアを開けて降りるようにと促しているし、屋敷の出入り口には社長の妹である薄紫色の髪のヒューラン女性のウゲツさんがニコニコ笑顔で待機しているし、今ここで帰りますなんて、とても言えるような雰囲気ではない……
……降りれるか?」
「あ、はい、あの、お二人ともありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
「気にすることはない」
「どういたしましてー、お大事にね」
 そのまま颯爽と去っていく二人を見送ってからすぐに、優しく微笑むウゲツさんにバトンタッチされてしまう。
「お待ちしてましたクルウさん、お着換えと布団はいつもの離れの部屋に用意してあります。それとお食事も用意してますが、食べれそうですか?」
「あー……、すみません、今はあまり食べる気にはならなくて……とりあえず、少しだけ休ませてもらってもいいですか……?」
「いえいえ、構いませんよ! 部屋に飲み物もありますが、何かありましたら気軽に私を呼んでくださいね」
 この屋敷にはプライベートで何度も訪れたことも泊まらせていただいたこともあるし、ある程度間取りは知っている。そして来るたびに自室として離れの和室に案内されるのだが、この部屋に来るたびに専用の日用品や新品の衣服が増えているような気がする。そういえばディルはよく俺に対して服を買い与えたりしたがるよな……と思うと、俺の知らないうちに買い足しているんだろうなとなんとなく予想は出来る。
 そうして見慣れた部屋に向かうと、既に布団が敷かれていて枕元には寝間着や冷却シート、体温計も用意されていた。あとはお盆の上にスポーツドリンクやミネラルウォーターが入った市販のペットボトルが数本、お湯が入っているであろう保温ポットと湯呑みも置いてあった。布団を見てようやく休める、と思った途端に瞼が重くなって、一気に眠気が深くなってきたように感じられた。ひとまずは着替えなきゃと思いながらダラダラとスーツから寝間着に着替えて、フラフラになりながらも布団の中に潜り込む。時刻は正午を過ぎたまだまだ明るい時間帯、さてここからどれだけ眠れるまでにかかるんだろうと思いながら目を閉じて、しかしすぐに身体から完全に力が抜けた。

   ◇ ◇ ◇

 ある夜、懇意にしてる同業他社の記念パーティーに招待されて社長に付き添って行ったことがある。勿論こういった場所では会社同士の交流も大切だし、社長も様々な会社の方々に声をかけられては対応に追われていた。俺もある程度はフォローをしていたが、それでもしばらくは絶えず人がやってくるような状態だった。ようやくそれらがひと段落して、社長は少し疲れたような表情をしながら言った。
「お手洗いついでに少し外の風を浴びて気分転換してくる。バスドーラは自由にしててくれ」
「かしこまりました、お気をつけて」
 社長を見送ってから、改めて会場を見渡してみる。パーティー会場のホテルのホールにはビュッフェ形式で料理が用意されているが、お腹が空いていてもここで一人で食べるのは何だか場違いだなと思ってしまって、結局は端の方に移動して佇んでいた。少しすると如何にも高級なスーツを身につけた恰幅の良いヒューラン男性がこちらに笑顔で近づいてきた。
「おお、探したぞネコ秘書クン。ムナカタ社長はいらっしゃるかな」
 この方は……確か二回ほどお会いしたことがある某社の社長さんだったはず。毎回こちらの会社にお得だという取引を持ち掛けてきていたが、条件があちら有利のものが多くて社長がきっぱり断っていたのを覚えている。
「いえ、申し訳ありませんがただいま席を外しております。御用件がありましたら私が代わりに承ります」
「そうか、残念だな……いや、この際キミでもいい! 少し聞きたいことがあってね」
「はあ」
「その、ムナカタ社長も若いと言われていたがそろそろいい年頃だろう? 何かこう、春めいた話題はないかと思ってね」
……
 ニヤニヤと笑顔を貼りつけながら、人のプライベートにズカズカと入り込んでくる目の前の人は、正直仕事の付き合いであろうと好きになれない。社長もそれを分かっていて、断っているんだろうなとはっきりと理解する。
「あれだけ顔が良い方だから、さぞ素晴らしいパートナーでもいらっしゃるのかと思ったがあまり話を聞かないものでね。もし、もしお探しのようなら是非! 我が娘を検討してくださると助かるよ! 家事全般は仕込んであるし、私の元で育てたから社長のパートナーたる礼儀作法だってばっちりさ! ああ、男性のほうがお好みとあらば息子でも構わないよ! 我が社の次期社長として教育もしているし、社長同士のゴールインとあらばこちらもさぞ花のあることだろう!」
……すみませんが、プライベートに関することについて私からはお答えしかねます」
「ああそうかい。なあに、キミには会社のために犠牲になるという役割があるからね。どのみち最初から答えてもらえると期待はしてないよ。やっぱりキミに邪魔をされるくらいならムナカタ社長に直接お伝えしたかったが、いやあ残念残念……しかし、キミも長く彼の傍にいるのであれば、少しは彼の幸せを願って行動したらどうだい? このまま寂しく仕事に囲まれて独身生活、なーんて勿体ないとか思わないのかい?」
 ああ、この人は他人を道具のようにしか思えないんだな。実の娘も息子も自分の栄誉と安泰のための駒なのか。そして社長にも同じように駒になるように仕込もうとしている。俺のこともまるで障害物かのような扱い。
「私はあくまでも秘書として、社長を支えるだけです」
「ふん、そうか。キミはやはりつまらない。そのまま役割を果たし、擦り切れるまでこき使われて捨てられるがいいさ」
 そう吐き捨てられてからドタドタと足音を立てて彼は離れていく。何とか平静を保てたまま対応は出来たと思うが、やはり言われたことが胸の中に重くのしかかる。いや、実際こんなに酷く言われてはいないような気がするが……でも、どうだろう、これからも俺が隣にいてもいいのだろうか。俺だけが満足して、俺だけが幸せになって、いないだろうか。

「どうしたんだバスドーラ、随分と顔色が悪いようだが」
……あ、お戻りになられたんですね」
 いつの間にか今度は目の前に社長がいた。先程の会話からずっと考え込んでいたようで気が付かなかった。
「俺がいない間に何かあったのか?」
「いえ、特に何もありませんでした」
 そうだ、もう忘れよう。あんな内容を社長に伝えるわけにもいかないし。気持ちを切り替えないと。そう考えていたところで、急に頭の上に何かが触れた。
……なあ、クルウ。お前が何を悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか分からないが、それでも俺はお前と出会って共に過ごしてきて後悔したことはないぞ」
 触れたものが彼の大きな手だと分かり、また普段仕事中には呼びかけられることがない名前で声をかけられて困惑する。こんな大人数がいる中で急に頭を撫でられて挙動不審になる俺に構わず、ディルは話を続けた。
「本当に、あの時寝ながら苦しんでるお前を見て、こっちが心臓が止まりそうになったぞ……。相変わらず必要以上に働きすぎるお前の癖も良くないが、なによりここまで追い詰めてしまったのが俺だっていうならそれは申し訳ないし、ちゃんと反省も改善もする」
 寝ながら苦しむ? それって確かさっき会社で……あれ、なんで今朝の話を? ここは確か先日のパーティー会場で……色々と聞きたいことがあったけど、何故か声は出なかった。
「だから今は心置きなく眠るといい。仕事だって数日休んだくらいじゃお前が心配するようなことはない。逆に皆が休まないお前を心配してたぞ? そんな皆を安心させてやるためにも、俺のためにも、な?」
 彼の声が遠のいていく。ああそうか、これも、また夢なの、か……
 優しく温かい手に導かれて、ふわりと身体が浮いて、静かに意識が深く落ちた。

   ◇ ◇ ◇

 よく寝た、と感じたのは随分と久しぶりだった。そろりと目を開けてみれば、部屋の中はぼんやりとオレンジ色に覆われていてとても薄暗かった。天井に吊り下げられた照明は豆電球だけが光っている。
「ふぁ……
 あれからどれくらい経ったのだろう。起き上がってから手元にスマホを手繰り寄せて時間を見れば、何と太陽もすっかり沈んで夜の二十時を過ぎた頃だった。ということはちょうど八時間睡眠ということになるのか……、そんなに長く眠り続けることが出来たのもいつぶりだろうか。起き抜けの動悸や呼吸の乱れも感じられないし、やっぱりちゃんと診てもらえて良かったなと改めて思った。
 とりあえず先程よりもしっかりとした足取りで廊下にでてお手洗いを済ませ、多少の空腹を感じたので台所に行くか一旦部屋に戻るか迷っていたところでこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「クルウ! 起きたのか!」
 ゆったりとした部屋着に身を包んだオフの姿のディルが駆け寄ってきて、軽く抱きしめてきたかと思えば額や首元などあちこち触って確認してくる。
「は、い……ご心配をおかけ、して……
「こら、もうここは俺たちの家だからその言葉使いはなしだ。それより身体は大丈夫か? どこか気分が悪かったりしないか?」
「それは、特にない……
「そうか、そうか……ああ、お腹空いてないか? 今さっきウゲツとシェイと夕飯を食べていたところだから、食べれそうなら何か食べたほうがいいだろう。薬も貰ってきたんだろう?」
「うん……すこし、なら、食べれるかな」
「分かった、おいで」
 そのままディルに手を引かれて食卓まで連れていかれる。こころなしか後ろ姿のディルの黒い尻尾がいつもよりも機嫌よく揺れ動いているような、そんな気がした。

 それから夕飯にと柔らかく煮込まれたうどんをお椀一杯分だけ頂いて、食後には処方された安定薬だけ飲んでおいた。それから浴室をお借りしてシャワーだけ済ませて、これまた何故か追加されていた新品の下着に着替えて歯も磨いてから離れの部屋まで戻ってきた。しかしそこには布団がもう一組追加されていて、待っていましたとばかりに満面の笑みのディルが出迎えた。
「おかえり」
……ただいま?」
 彼も既に横になって寝る準備を整えていて、まるでお前もこっちに来いと言わんばかりに空いている布団をポンポンと叩いている。
「ほら、俺ももう寝るから一緒に寝よう」
「いや、でも、さっきかなり長い時間寝ていたから……今からまた眠れるか怪しいぞ?」
「横になるだけでも違うっていうだろ? それに人の体温があるだけでも寝心地は違うっていうし、せっかくなら試してみよう」
……わかった」
 きごちなくディルの布団にお邪魔して彼の横で小さく丸くなると、彼は嬉しそうに頭を撫でてきた。
「やっぱり、お前が隣にいるのが落ち着くな」
「そう? 暑くないか?」
「そんなことないさ、ちょうどいいよ」
 ディルはその後も寝る様子はなく、ずっと俺の頭を撫でたり背中を撫でたりを繰り返していた。しかしその手はやっぱり優しいぬくもりがあって、安定薬の効果も出てきたのか心が落ち着いていく。気が付けばグルグルと喉が鳴っていた。
「おやすみクルウ、いい夢を」
 返事の代わりにグルルと唸る。穏やかな微睡みの中でパートナーの体温に包まれて、幸せな気持ちのままいつの間にか眠りの中に入り込んでいた。

   ◇ ◇ ◇

 そうして、時刻が随分と進んで、日が昇った頃。
「んんぅ……、ぁ…………?」
 前日あれだけ寝ていたはずなのに、また同じくらい長く寝ていたらしい。時間を確認すると朝の六時、すごい、よく寝れたな。そういえば傍にいるディルはどうなっているのだろうと様子を見ると、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。
……今日はまだ仕事だよな、明日は週末だから休みだけど」
 頭の中に予めインプットしてあった今日の自分と彼のスケジュールを思い出す。昨日は仕事に穴を開けてしまったし、今日でしっかり取り戻さないと。そう決意しながら起き上がろうとした時、腰のところに何か違和感を感じた。
……ゥ、ンー……
「え、なに」
 ディルはさっきまで行儀よく寝ていたはずなのに、いつの間にか唸り声を上げながら俺の腰にギュッと抱き着いている。抜け出そうと身体を動かしてもびくともしない。
「グ、ヴヴ……
「おはようディル、起きてるの、か? もう朝だぞ?」
「ヴ……ッ」
 そういえば寝起きは悪いほうだと本人や御家族も言っていたな。今までこんなに寄り添って寝た事はなかったのでどれくらい悪いか把握していなかった。しかしここまで悪いのか……というかまるで駄々をこねる子供みたいだな?
「今日も仕事があるんだぞ、そろそろ起きたらどうだ? というかせめて俺を離してくれよ」
……嫌、だ」
 更に力を入れて抱きしめてくるので、思わず小さな悲鳴が上がった。
「い、った!? おいこら、やめろってば!」
「今日も、仕事、行く気だろう? まだ、行かせたくない」
「俺はもう体調回復してるよ、熱もなさそうだし。それに今日行けば明日明後日と休めるんだから、一日なら平気だろ」
「だったら、せめて……今日もここに、帰ってこい」
「ええ……
 薄っすらと目を開けて、ジッとこちらを見つめてくるディル。寝起きにしてはその眼光はとても鋭いように思えた。
「今日だけじゃない、これからもずっと、ここに帰ってくればいい」
「そんなこと言ったって……ウゲツさんやシェイくんにもこれ以上迷惑かけられないよ」
……そうか、なら、お前も家族になればいい」
 現にこうして体調不良のたびに御家族のお世話になっていたんじゃ申し訳ないだろう……って、ん? 今なんて言った?
「正式に婚約しよう」
……はい?」
 もうすっかり目が覚めた様子のディルが起き上がり、体勢を変えて俺の全身を包むように抱きしめる。
「これから毎日一緒にここへ帰ってきて、一緒に眠って、朝になったらこうして一緒に起きよう。むしろ起こしてくれ」
「おこして……?」
「やっぱり、お前がいなきゃ俺もダメだなって今回の件で自覚した。だからもういっそ家族になってここに住もう」
……う、ん?」
 まさか、寝起きすぐにプロポーズされるなんて、全く予想が付かなくて茫然としてしまった。
「ダメか? なんならほら、ここでクルウが生活するための準備はもう揃えてあるし、アパートからの引っ越しだって責任もって俺が手配しておく。今週末にお前の体調が良ければ指輪も見に行こう。だからもう今日から一緒に住もう、な?」
「あ、ええっと……ご迷惑、じゃ、ないなら」
 こうして、なんともとんでもないタイミングで、ここに住むことが決まってしまった。いや、嬉しいけど、これでいいのかな……

   ◇ ◇ ◇

 その後、まず朝食をウゲツさんとシェイくんと一緒に食べている最中にディルと二人で報告をして、ウゲツさんは目をキラキラと輝かせて喜び、シェイくんは飲んでいた味噌汁を危うく吹きかけていた。そしてこれまた何故か既に用意されていた俺のサイズに合わせた新品の白いシャツを貰い着替えてディルと共に出社。俺の姿を見た社員たちは何事もなくて良かったと声をかけてくれた。しかし昨日は主に社長が大変だったようで「バスドーラさんが早退してから終始落ち着きがなかった」「会議中もどこか上の空でスマホが鳴るたびに画面をガン見して大げさにリアクションをしていた」「新人社員が休憩中に廊下で缶コーヒーを強く握りしめたまま茫然と窓の外を見る社長に遭遇して怖がっていた」「もういっそ社長も早退させたほうがいいという話も出てきていた」という情報を次々と知ることになった。いやもう、俺が体調不良になったことでこの会社全体に悪影響になってしまったようで、本当に申し訳なかったと思う。
 この日は何事もなく無事に二人とも仕事を終えて、朝言った通り二人でディルの家に帰ってきた。夕飯の食卓には焼肉やらお刺身などの豪華なおかずが並んでいて、なんなら赤飯も炊かれていた。どうやらウゲツさんが過去一番張り切って支度をしたらしい。

 そうして再び同じ布団の中で眠って休日の朝、この日も快眠だった。そしてさっそくと言わんばかりにディルによってハイブランドのアクセサリーショップに連れこまれ、あれやこれやと二人で相談しながら指輪を決めた。その指輪は二人の名が刻まれて後日届くことになるのだが、後にある懇親会で例の恰幅の良い方に再び会った時にこちらの手元を見られ、それが揃いの指輪だったことに気が付いたようで苦虫を噛み潰したような顔をしていらした。とはいえ、もう社長も彼とコンタクトをとる気はないらしいから、俺も気にしないようにすることにした。そして落ち着いたタイミングで役所に書類も出して、ディルと俺は正式に絆を結ぶことが出来た。
 しかし、こうしてディルの家で暮らし始めて、改めて俺のために買ったという品物が多すぎると思った。曰く付き合うとなった数か月前からではなく、俺が支社から本社にやってきた数年前からずっと買いためていたらしい……ので、もしかして、彼、とんでもないくらい俺に対してつぎ込んでいないか? そんなことに今更ながら気が付いて戦慄していたりもするのだった。