【村と白神家】

村と密接な関わりを持つ白神家の記録。
初代、2代目(しろ様)、7代目(乙葉)の話。小説もどきのメモ。






【白神家7代目当主・乙葉おとは


それから約500年後。
白神乙葉という若い巫女が生贄としてやってきた。
この500年で数多くの犠牲者を出してきた村は、生贄にふさわしい人物を見失って困り果てていた。
その中で白神家7代目当主である乙葉が、生贄に選ばれた。しかしその裏で糸を引いていたのは乙葉の父方の叔父。
彼は彼女の人間離れした神聖な力を疎ましく思っており……いや、それは建前で、姪が白神家の主として鎮座する現状に不満を抱いていたというのが本音だ。叔父は男尊女卑の思想がとりわけ強かった。


どうにか乙葉を白神家当主の座から引きずり下ろせないかと画策していたとき、村の上層部の間で持ちきりだった『しろ様への生贄』を誰にするのかという話題を耳にした。
叔父は秘密裏に乙葉に生贄になってくれるよう頼み込んだ。断られたときの手段をいくつか用意した状態で。しかしそれらの手段は用いられなかった。
乙葉は二つ返事で了承したのだ。思ったよりあっさりと受け入れられ、呆気に取られている叔父に乙葉は「しかし条件があります。わたしを生きた状態でしろ様の元へ送ってください」と、凛とした表情ではっきり告げた。


それから一週間後、乙葉は今までの生贄と違い、五体満足の状態でしろ様の元へ出向いた。途中で逃げ出さないよう、屈強な見張りで囲みながら。
乙葉は終始抵抗せず、涼しい顔をしていた。
乙葉の扱いよりも苦労したのは、彼女の妹が泣きじゃくるのを取り押さえることだった。乙葉は18歳で、妹は5歳とまだ幼かった。両親を早くに亡くし、姉であると同時に親代わりだった乙葉が、これからどうなるのかを妹は知らなかった。
しかし怖い大人たちに囲まれてどこかへ歩いていく乙葉に何かを感じたのか、普段大人しい妹は暴れながらひたすら姉の名前を叫んだ。
乙葉は振り返らず、しっかりとした足取りで迷いなくしろ様の元、神社へ歩を進めた。



強い人間不信に陥り、神というより悪霊に近い状態になっていたしろ様は、生きた状態でやってきた生贄に目を見開いた。いや、生きているから驚いたというより……似ていたのだ、乙葉と自身の母親――初代が。
白神家の血筋だから似ていても不思議ではなかったが、しろ様はそこまで頭が回らず、「母様……!」と迷子が親を見つけたような表情で涙を一筋流した。


乙葉はしろ様の住まう部屋から、少し距離のある離れに隔離されていた。隔離されているといっても、扉に錠は無かったため自由に出入りできた。しろ様が犠牲者たちのために作った小さなお墓に手を合わせたり、近くで摘んできた野花を添えたり。そんな乙葉の後ろ姿をしろ様は部屋の窓からぼうっと眺めていた。
乙葉は初代と似ている。姿も慈悲深い性格も何もかも。しかし、彼女も村人の一人だ。
この数百年で村人への不信が高く高く積み上がってしまったしろ様は、直接対面する勇気を持てなかった。乙葉もあの村人たちと同類だったら……もう二度と立ち上がれなくなってしまうだろう。


しろ様は乙葉を殺さなかった。乙葉も自死は選ばなかった。ただただ時間だけが過ぎていった。
そんなある日、しろ様、乙葉、白神村にとって最大で最悪の転機が訪れた。


しろ様は敷地内に霊力が強い者の気配を感じ取った。乙葉ではないまた別の存在。明らかに人間のものではない力。確認しようと窓から身を乗り出して辺りを見渡したが、何も見つけられなかった。それなら扉から出ようと、目を向けたがやはり足が動かない。扉の先に行きたくないと心が叫ぶ。だが神として確認しなければ。いや、もう神として機能しているのか分からないけれど。
結局その日は扉の外へ出られなかった。


だがその日以降、乙葉の姿も見かけなくなった。しろ様は嫌な予感がした。彼女のことは生贄ではなく、母に似る安心感が強い存在として置いていた。もしまだこの世に乙葉が留まっていることを知った村人が来たら、その村人を殺しても構わないとさえ思うほど、彼女を気に入っていた。そんな彼女を見かけなくなったことで、しろ様は外に怯えて閉じこもっている場合ではないと悟った。


一方で乙葉は、白神村の外からやってきた精霊に手引きされて逃走を図る準備をしていた。精霊の名前は『リュミエール』と言うらしい。しかし外の言葉に詳しくない乙葉は上手く発音できず、名前の意味を問う。意味を聞いて納得した様子の乙葉はその精霊を『灯ともしび様』と呼ぶことにした。


しろ様は震える手足を無視して、扉の外に勢いよく飛び出した。
数百年ぶりに味わう外の空気と眩しい太陽の光に、しろ様は懐かしさも感動も覚えることなく、乙葉を探すために懸命に足を動かす。
目は血走っており、息遣いは荒かった。はたから見れば、怒っているようにしか見えない。遠目からしろ様を視認したリュミエールは、あまりの異様な威圧感に怯んだが、乙葉を守るために隠れることなく彼女のそばで待機していた。
乙葉はというとのんびりとお茶をすすり、穏やかな表情をしていた。乙葉もしろ様の気配に気づいていたが、手荒な真似はしてこないだろうと予想していたため、いつも通りくつろいでいた。
実際、しろ様は何もしてこなかった。乙葉の部屋のすぐ目の前まで来たが、

「こんにちは、しろ様。こうやってお話するのは初めてですね。扉越しで申し訳ありませんが……今日はお散歩ですか?」
……!」

乙葉は変わらずのんびりと穏やかに話しかけた。しろ様は扉越しではあるが、声の調子で乙葉が無事であることを察したのか、異様な威圧感はゆっくり消えていった。

「あなた、そこにいるのね」
「はい」
「あなたの姿をずっと部屋から見てた。あなた、わたしの母様に似てる」
「しろ様のお母様……ということは初代様でしょうか。それはそれはとても光栄なことです」

扉越しに交わされる会話をリュミエールは警戒を解くことなく、ただ黙って聞いていた。しろ様の本来の気質を知る者はこの世には誰一人いない。落ち着いて対応している乙葉ですらも知らないのだ。生贄として捧げられる理由も知らない。ある一人の村人が持ち込んだ他所の伝承が歪んだ善意として定着したものだとは、知らない。
しろ様は乙葉を気に入っていたが、乙葉はしろ様に特に何の感情も抱いていなかった。……いや、あるとすれば。
乙葉の母親はしろ様のために殺された。亡くなった命は返ってこないし、しろ様を責めても意味が無い。だがせめて聞きたかったのだ。どうして生贄を欲するのかを。それをずっと知りたかったから、叔父の頼みをすんなり受け入れた。知りたい気持ちが無かったら頑なに断っていただろう。


それから数日後の深夜。乙葉は神社から姿を消した。
しろ様はすぐさま異変に気がついた。追いかけて乙葉とリュミエールを術で捕まえた。

「どうして逃げるの。あなたも結局あの村人たちと同類なんだね」「どうして人間はすぐに考えを変えるの」「あなたならわたしの気持ちを分かってくれそうだと思ったのに」

しろ様は術で身動きが取れない乙葉を背後から抱きすくめて、呪詛のように低く呟き続けた。乙葉を外へ手引きしたリュミエールのことはこれっぽちも眼中に無かった。
リュミエールが必死に「やめてくれ!彼女は見逃してやってくれ!!」と懇願する声を無視して、しろ様は乙葉を責め続けた。乙葉は苦しみや恐怖に顔を歪めることなく、しろ様へ静かに問う。

「しろ様、生贄はあなたが望むものでは無いようですね。全て村人が仕組んだことですか?」

意表を突いた言葉にしろ様は固まり、次いで狼狽えた。どうしてそのことを乙葉が知っているのだと。言葉を止めたしろ様に構うことなく、乙葉は静かに続ける。

「霊たちから聴きました。全ては大昔の村人たちの歪んだ善意が元凶だと。それを知らない後世の者たちは、しろ様を恐れるあまりしろ様が全ての元凶だと思い込んでいた」
「ですが本当はあなたは関係なかった。むしろ被害者だと。何も知らなかった後世の者、わたしも含めてずっと誤解していました。申し訳ありませんでした。あなたを理解せず、踏みにじるような行いをしてしまって本当に」

静かに謝罪を行う乙葉にしろ様は一瞬力を緩めたが、すぐに力を強めた。

……もう遅いよ今更理解されたって、同情されたって嬉しくない。それにあなたはわたしから逃げたでしょう!それだけは許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!!!!」

しろ様の呪詛のような怒号とともに青白い炎が放たれ、乙葉を包み込む。リュミエールが悲鳴を上げるのに対し、乙葉は全てを諦めたかのように瞳から光を失うと目を閉じながら呟いた。

「申し訳ありません、灯様。貴方だけでもお逃げになってください。わたしはもう……

その後も乙葉は言葉を紡いでいたが、炎の音にかき消されてしまった。
炎が自然鎮火した頃には、しろ様と乙葉は姿を消しており、その場には膝から崩れ落ちたリュミエールと乙葉がつけていた青いリボンだけが残されていた。