takisaka
2021-10-21 20:06:55
9483文字
Public ネハムゲ
 

星のこぼれるところ

情緒をめちゃくちゃにしたい方向けのネハムゲです。いまのところネハンさんは概念にしか存在しない。(視点はモブ子供

 星を見上げているのだと思った、最初は。

◇◇◇

 その子どものものごころついた頃には家というものはただの冷たい箱だった。蓋を開ければ涙のしめりけと冷たい恐怖のにおいがぎっしりと詰まっている。
 母はいない。いなくなった。この冷たい箱がすっかり冷たくなる前には姿を見せてくれたが、訪れは怒声の応酬と掴み合いの暴力の都度、間遠になった。いまはすっかりない。だからその手も笑顔もいまや曖昧で、もしや最初からいなかったのかもしれないと思うこともある――その方が楽だから。
 父はいるが、幼心にもはっきりと憎しみを感じていた。体の弱い兄をことさらに邪険にし、きょうだいを諸共足蹴にしては酒に逃げ、酔いが覚めればさも後悔しているような謝罪を吐く相手に親しみや愛情を感じるのは難しかった。兄は違ったかもしれないが。
 兄は――そう、兄だけが子どもの家族と呼べるものだ。冷たい箱の底で暴力の嵐が過ぎ去るまで身を寄せ合って耐えた。腫れた傷を互いに気遣いながら、手を繋いで眠った。うすいスープとパン屑をひとしく分け合った。家に入れない日――母がいなくなる前はたびたび、その日があった。獣のような呻き声と寝具の軋み。下世話なことばと汗のにおい。そのような日が訪れる都度、子どもと兄はふたり手を繋いでは夜道をあてどなく歩いた。
 星屑の街。
 その名を聞いたのは、兄からだったと思う。

 ――そこにいる子どもは、もう大人に殴られないでいいんだって。
 ――ほんと? 兄さん。
 ――うんと強くてこわい子どもがふたりもそこを守ってて、だから悪い大人はひとりも入れない。子どもたちだけの街なんだって。
 ――行ってみたい。ね、兄さんは?
 ――うん。僕も行ってみたい。

 そうして兄は弱々しい笑顔で笑い、何度か咳をした。あるかもしれない明日の食事。雨風をしのぐ屋根がある家。愛着のある毛布や、わずかばかりの本。自分たちがたとえば大人であったとしても、今ここにある当たり前をなにもかも置き去りにして、縁もゆかりもなく名前のほか何ひとつあてどない地を目指すのは、きっと難しいことだった。
 転機として訪れるものは、粉薬の顔をしていた。それはつまり、この子どもにとっては、避けようもなかった惨事の顔だ。
 繰り返される暴力に次第に歯止めがきかなくなっていき、ふたりともに次第に命の危機を感じるようになったころ。路地裏の屑拾いから帰ってきて、さも心躍る秘密のように兄の繊弱な手に握られていた白い薬包が、つまりそれだ。

 ――兄さん、それ。
 ――ひみつ! でもきっと、これでお前を守ってやれる。……

 嫌な、ひどく嫌な予感がした。予感は数時間後、すぐに現実になった。
 たまたま虫の居所が悪かったらしい父に、いままでで一番ひどく殴られたのが、その晩だった。兄を庇ったせいで更に神経を逆撫でしたらしい。いつもなら数回ですむはずの暴力は単調な作業のように一時間、二時間と続いていた。腫れあがったまぶたの隙間から朦朧と天井を見ていた。蹴り上げられる都度、視界が揺れる。死を感じた。それは逆光の影になった父の顔をしていた。
 死ぬのかな。
 それは困る――きっと、兄さんが泣く。
 痛みから逃避するためのぼんやりとしたもの思いを覚ましたのは流れる赤、溢れる赤、噴き出す赤。小さな獣のような唸りをあげて父の喉笛に噛みつく兄の姿と、醜い悲鳴。
 それから父がどうなったのか、子どもは知らない。
 逃げなければならなかった。今すぐ、遠くへ。できれば、星屑の街へ。
 ひどい興奮状態に陥っていた兄は、それでもそう言って手を握ると、血に塗れた小さな犬歯をみせて笑った。
◇◇◇

 運がよかった。

 子どもと兄がともに星屑の街に辿り着けた一番大きな理由は、つまりそれだ。
 ちょうど寒くも暑くもない季節であったこと、貯金箱を割って取り出したなけなしのルピがその島方面行きの乗り合いの路銀に足りたこと。そこからは徒歩だ。気流の穏やかな地方であり天候に恵まれたこと、同じ方面へむかう行きずりの隊商が人買いや官憲に告げることをせず、子どもらの拙い手伝いに幾らかの金銭を支払ってくれたこと。……
 既にそのとき兄には禁断症状が出始めていた。光や大きな音に震えて泣き、激しい喉の渇きを訴えた。
 子どもがあの薬包の正体を知り始めたのもその頃だ――怪しい路地裏での商いにすり寄っていこうとする兄を、幾度必死で止めたか知れない。

 ――でも、あれは僕でも強くなれるお薬なんだ。あれがないと、父さんからお前を守れないよ。

 そう言っては幼児に戻ったかのようにすすり泣く兄を抱きしめて眠った。そうしないとまた薬を求めて彷徨い出すことがわかっていた。

 ――兄さんのせいじゃない。もう寝よう。星屑の街へ行こう。……

 体温とすすり泣きばかりを抱きしめて眠りに就く公園の地面は、夜気に濡れて冷たかった。見上げる夜の街の大気はけむり、幾粒かの強い星の輝きしか見えない。それでも、星屑はこぼれるのに。空の片隅でほんのかすかな、ともすればこぼれ落ちては消えるささやかなひかりがあることを、一体誰が覚えているだろうか。

◇◇◇

 ――兄さんのせいじゃない。
 
 そう繰り返し自分に言い聞かせることができるうちに、めざす街に辿り着けたことこそが最大の幸運だった。
 それでもそれは話に聞いて、ぼんやりと思い描いていたものとは随分様子が違っていた。
 簡易的なバリケードとしてがらくたの積まれた街の出入り口。
 くずれかけた煉瓦の壁。
 風には時折ごみの焼けたような、鼻をつくような匂いがまじった。
 ひび割れた石畳、礫を投げ込まれたらしく割れた硝子窓、まひるの光に晒された荒れた街並みは、まるで無人の街のようだった。そうしてそこで息をひそめる無数の子鼠のような気配――
 兄の手を引きながら子どもが最初の曲がり角を曲がった瞬間、小さな手がわっと伸びてきて兄弟を陋屋に引き込んだ。

 笑いながら遊びの延長のようにくすぐられながらでも、それは身体検査の一種だといえた。
 武器と燃えるもの――火薬や爆薬のたぐいをかくし持っていないかをあらためられてから、かれらは見張りをしていた子どもたちに連れられて一番大きなお家、ことエッセルとカトルが寝起きする家に行くことになった。本来は集会所らしいつくりの、大きな建物だった。
 兄はずっとしくしく泣いていたから、かわりに子どもが青ざめてふるえながらも口を開いた。
「ここが星屑の街……って。ほんとですか」
「ん。そう呼ばれてる。ごめんね、いま物騒で、みんなぴりぴりしてて。わたしはエッセル。こっちがカトルだよ」
 凝った意匠の白い外套を着ているふたりのエルーンは、まるで違う世界のひとのように見えた――うす桃と水色、ひとつがいの花の色をした毛並み。おとなびた白い横顔はそれでいて、まだ男女の性差が際立って明瞭というわけではない齢相だった。フードをはねあげて笑うとちょっとのぞく八重歯のあたりがそっくりの、まだ子どもの表情をする少年と少女。双子の星の精みたいだ、本を読んでそう思った話をすると、カトルはいつだってふきげんそうに鼻のあたまに皺をよせる。僕には銀の笛を吹く趣味なんてありゃしませんよ。ああ、でも姉さんと一緒なら、海の底で鯨の鼻面を牽き回すのも悪くないですけどね。エッセルと一緒なら、きっと天の星でも海のヒトデでも構やしないのだ。そういうところだけは、この街のどの子ともかわらなかった。
 聞いた話どおり、いちばん目上のエッセルとカトルのほかに年長者はおらず、子どもはそっとため息をついた。――少なくとも、大人に殴られることはない、ということだけは本当のようだった。
「おにいさんは病気? じゃあ、早く寝かせてあげなきゃね。部屋を用意するよ、すぐ」
 エッセルのやさしい声でそう言われ、へたへたと座り込んでしまったことだけは、いまでも思い出すと、すこし恥ずかしい。泣き出すのは頬の内側をぎゅっと噛んでこらえた。泣いてしまえば兄が火の点いたように暴れる発作を起こすことはわかっていたし、相談しなければならないことが山ほどあった。

◇◇◇

 できるだけ静かな部屋、日光を遮るカーテン、熱を出したときのための吸い飲み。
 ぱたぱた走り回る子供らの手で、すべては急ごしらえで用意された。症状を聞かれたとき、子どもが薬包の紙とそこにわずか残った薬の粒を見せたからだ。あの血の散らばった冷たい箱――家から逃げ出したとき、とっさに拾い上げて以来、ずっとかくしもっていたもの。それを目にして、双子はにわかに表情を堅くした。
 夜を通して、蝋燭の弱々しい灯りを白い頬に受けたふたりから質問を受け、わかるかぎりのことに答えた。もっとも、エッセルとカトルの言葉の端々からはじめて知ることの方が、ずっと多かったのだけれども。
 禁薬ヘヴン。
 数年前から流通し始めた薬物。一時的な多幸感、万能感、身体能力の上昇が特徴的な効能であり、薬効が切れたあとには全身の痛み、激しい倦怠感、抑鬱症状、そして幻覚幻聴による錯乱が残る。強い依存性をもち、禁断症状に苦しむ者は後を断たない……
 そういったことを少しずつ理解できたのは、もっとずっと後の話だ。その夜にはぐちゃぐちゃに熱くなった頭を抱え、寝台に寝かせた兄の手に触れているだけで精一杯だった。
……でも、兄さんは、僕を守ってくれようとしたんだ。それはほんとうだよ。ちがう?」
 そうだね、とエッセルは頭を撫でてくれて、カトルはきつい眼差しで親指の爪を噛んでいた。そのときはまだ知らなかったけれど、ひどい罵り言葉を吐くのをがまんしているときの、この少年の癖だった。
「上の兄さんや姉さんたちだけじゃなく、年下の弟妹たちまで……
「でも、おかげで少しは、どうすればいいかわかるよ。部屋を分けて……そのうち、べつの棟にでもした方がいいね。看病は交代制。それで外のお医者さんに話を聞いてみよう、私たちのこと、怖がらないでくれるといいんだけど――
 双子の話し合いは夜更けるまで続き、子どもは肩にそっと毛布が掛けられる感触で目を覚ましたが、兄の寝息に耳を澄ましているうちにまた眠ってしまった。冷たい石畳でも夜露に濡れた草でもなく、石橋の下でも鍵をかけ忘れた納屋でもない寝場所は久し振りだった。

◇◇◇

 ねむい目をこすりこすり起きだした次の朝は、新しい弟たち――この街では新しく来た者を弟妹として扱うのが常だった――をくるくると取り巻く幾つもの幼い笑顔から始まった。
 急ごしらえの病室で身を起こした兄と、エッセルがこしらえてくれたという朝食をとり、それから手ぐすね引いて待ち構えていた幾人かの子どもたち――その中にはきのうの見張りの子たちもいた――に手を引かれ、後ろ髪引かれるまま、街へ。無意識のまま何度も振り返ってしまい、それで自分がずいぶん不安なことに気が付いた。放浪のさなかには兄の世話を焼くことで自分の不安の大部分を紛らわせることができたのだった。ちょうど前を歩いていたエルーンの少女が振り向き、
「おにいさんとはなれるの、いや?」
…………うん」
「そっかあ。わたしもねえさんと来たかったなあ。――あ、ここの角をまがると公園! まだなんにもないけどね。でもお花の種とかまいたから。来年はすっごいよ、きっと!」
 咲くかもしれない花、晴れるかもしれない空、いつか平和になるかもしれない街。
 さながら、いましも風が吹く寸前のふるえる綿毛だった。その風がどんな風なのかも、そして行き着く先がどんな場所なのかも誰も知らない。そんな場所だった。この頃は、まだ。
 風にはやはりごみを焼いたような、奇妙なにおいがした。街の出入り口で、時折放たれる魔物を避けるために朝晩独特の臭気をもつ薬草を燃やすのだと、そのときに聞いた。それがその子どもが初めて覚えた、この街の『仕事』だった。姿の見えない大人たちとの、いつ終わるともしれない戦時下の街。それが初めて来た頃の、星屑の街の姿だ。

◇◇◇

 できることはすこしずつ増えていった。
 街路の清掃や運び込まれる荷物の検品、店舗の店番の代わり。
 星を見るのが好きになった。
 仕事でへまをしたとき、双子が帰らない夜が何日もつづくとき、それから、禁断症状に暴れる兄をおさえかねて頬にひどい掻き傷をつくったとき。
 ちょうどその全部が重なった夜だった――ひりひりと痛む頬にはガーゼ越しにもまだ湿った感触がにじみ出て、口を動かすと痛んだ。夕食で食べきれずに残したパンのひときれをポケットにすべりこませて、そのまま外に出た。
 その頃の街は全体がいまだ雑然としていて、かつていたという『大きな子』たちは双子のほかにはすっかり姿を消してしまっていた。それでも『小さな子』たちは夜になったらけっして街の外に出てはいけないと、繰り返し言い聞かされた。特に、エッセルとカトルがいないときに出るのは、絶対にいけない。こわい大人たちが出てきたら、とにかく大声を出してみんなのところまで逃げるんだ。そうでないと、手足をぜんぶちぎられて、頭からばりばり食べられてしまうよ。
 食べられてしまうよ。……

 そして――そして、星を見ているのだと思った、最初は。

 街の境目にある発着場は当時の星屑の街でいちばん広く、遮るものがなく、だからいちばん星を見るのによい場所だった。空気は澄んでいて、冬のさなかの夜はきんと冷たい。そしてそこに座り込む、まるで世界のすべてから忘れられた遺失物のような背中。その影は空き地に積み残された荷箱ほども丈高く、小山のようで、こゆるぎもしない。
「だれ?」
 思わず声をだしてしまった。
 弧を描く角は、振り向くだけで空の月を裁ち切るほどに大きかった。とまどうように辺りを見回し、子どもをみつけ、夜になお光る目でぱちりと瞬きひとつ。
……ダレ。だれ――……
 声は深く、低く、こだまのように響いた。なにかをゆっくりと思い出すようなとまどいが、声と声とのあいだにあった。夜の発着所。子どもとその大きな人影のほかには人っ子ひとりいない。大きな角もつその影は一度くちびるを動かして誰かの名前を呼びかけたが、夜のしじまにあまりに自身の声がひびくのにおびえたかのようにすぐ口を閉ざしてしまった。
 ずいぶん大きなひとだな、と思ったが、そもそも子どもの目には大人――ことにドラフ族の男性はみな雲を突くほどに見えるのだ。その平均よりさらにふたまわり大きな巨躯も誤差ともいえた。
 その日の最終便はとうに出たあとで、停留所も明かりを落としている時刻。乗り継ぎをしくじって朝まで待ちぼうけをくらった乗客なら、今までも見てきた。ただそういう大人がきまって抱える焦りやいらだちは、その大きな影にひとかけらも見出すことはできなかった。ただあまりに大きな体を誰の邪魔にもならぬよう発着所の片隅に据えて、しんとしている――
 そしてやはり子どもは、星を見ているのだろうかと思うのだ。
 その肩の稜線があまりに寄る辺なくて、まるでどこにもいたくない自分のように、星を見るためにここにいたのかと。大人というにもあまりにも大きいその影は、子どもを頭から食べてしまうようにはちっとも見えなかった。
 だから、とことこと空き地を横切り近づいたのだ。
 すわっているのにその背を更に屈めて、かれは子どもと視線をあわせようとする。その大きな影に入るとそこは夜から更に切り取られてしまったように暗く、それでもそこは大きな体が風よけになって、他の場所よりすこしだけあたたかだ。
……ねえ。もしかして、迷子?」
 そう尋ねると、まいご、まいご、と口の中でもごもご繰り返す。それから考えかんがえ、ゆっくりと、
「まいご、ちがう、おもう……ここ、ほしくずのまち。そう?」
 はじめて異国のことばを口にするような、はにかみと不器用さがある言葉つきだった。単語ははっきりとしていてちゃんと聞き取れたが、ことばの繋ぎは大分不自由そうだ。
「うん。ここは、星屑の街。入り口はもう少し行ったところだよ。わかる? それとも、待ち合わせ?」
「まち、まつ……あわせ? あう?」
「ま、ち、あ、わ、せ。会う約束をしてる、ってこと――だれかを待ってるの?」
……あ! まつ。ムゲン、すこししる。くる、まつ。いま、ない。ちがう?」
 大体そういう感じだった。
 かなた遠い島やまるで違う空域のひとがいきなり船から放り出されて、まだ習いたての言葉のまま、この星空の下で途方に暮れている――もしくは、空で燃えつきなかった屑星の大きなかけらが地上に辿り着いて、たまさかそこに転がっている。……
 来る。待つ。今。ない。
 そうやって訥々と、星を見ながら、少しだけ話をした。子どもがすとんととなりに座ると、かれは大きな体を律儀に少しだけ避けて、座りよい場所を作ってくれた。
 そのぎこちない話しぶりから少しだけわかったことは、迷子ではない――と、少なくとも自分ではそう思っているらしいこと。ひとりでここまで船に乗ってきたらしいこと。星や風や雲や夜や、それから次に来る船の明かりを見ていること……
「でも、船はこないよ? もう遅いもの」
「ん。まつ……まつ。あ、でもネハン、まいご……かも」
「あれっ。その人のほうが迷子?」
「うーん……わかる、ない。……でも、とむら、ある、する、いった。……とむら、どこ?」
「とむら、とむらい? お葬式? そっかあ――ううん、それだけじゃ、どこかはちょっと。そうだ、明日になったらいっしょに探してみようか?」
 家族をなくして、それでここまで来たのだろうか。お葬式のために離ればなれになって、こんな寂しい場所で誰かを待っている……それはどうにか筋の通った説明のように思われた。
 おろおろと立ち上がりかけ――そうすると、かれがほんとうに大きな体の持ち主であることがわかって、ちょっとびっくりする。それでもそうやって言い聞かせるとすとんと座り直すので、ごくすなおで温順な気質の持ち主のようだ。子どもは知らずしらず、声をたてて笑った。さっきまで沈みきっていた気持ちが、少しだけ軽くなっているのがわかる。今なら兄の病室に戻っても、きっと泣くのを我慢せずに眠れる。
「ねえ。ほんとにまだ待つ? ここで? 屋根のあるところのほうがよくない? 風邪ひいちゃうよ」
「うーん……まつ。もうすこし。でも、しんぱい、ありがと。ムゲン、うれしい!」
 まるで大地から削り出したような無骨なたたずまいから、殻を割ったようにむじゃきな笑い方がこぼれ出て、子どもは目をぱちぱち瞬きした。渺茫とした虚空の下でなお幽かな星を探すような目をしているくせに、となりで膝を抱えるちっぽけな子どもの目をまっすぐ見てはにっこりとする。……
「いいけど。……あ、そうだ。おなかすかない?」
 小さい声でぽそぽそ返事をしてから、自身のポケットの中身のことを思い出した。とりだしたパンのひときれを見せた瞬間、ぐう、と体の大きさに見合った腹の虫が鳴く。しょんぼりと頭を垂れ、
「おなか、すいた……
「やっぱり。これ、あげる!」
 冷え切った夜の大気。そこに散らばるあまた名前のない星屑と、その夜の底であてどなく星を見るひと。
 差し出したパンはそれを受け取る大きなてのひらの中では、かれの指先ほどの大きさにしか見えなかった。かれはごく太い指を動かして、それを半分こにした。ひとくち分にしかならないだろうに。
「いいの?」
「うん!」
 ただ半分に裂いただけのパンのひときれを分け合って、それを食べながらもう少し、星を見て帰った。振り返る都度、夜の発着場で膝を抱える人影は、その大きな手を振った。

◇◇◇

 翌朝はちょっとした騒ぎになった――
 早朝の発着場で朝の便の荷を受け取りに行った子らが昨晩と同じ隅で座り続けていたかれを見つけたからであり、そのしらせを受けて手の空いている子らはみんな総出で見に行ったからでもある。
 朝のひかりに隈々まで照らされたかれは、もうあの夜そのもののような巨大な人影ではない。くすんだ肌をしていて、弧を描く角は大きく、重そうで、鋭かった。おおきな掌で不釣り合いにちんまりと膝をかかえて、すっかり眠り込んでいるようだった。夕べの夜ふかしがこたえたのかもしれない。
 ちょっと遠めの積み荷の影から背伸びをしては覗き見――或いは背が足りずに覗き見しようとしては失敗する――そんな子どもたちの群れのうしろを、乗り合いの艇の乗客や乗員はくすくす笑いながらせわしなく通り過ぎていく。
「みえた! ほんとに、すっごくおおきい!」
 ぴょんぴょんはねて、ようやく角の先か何かを目にしたらしい年下の子が、そう感嘆の吐息を洩らした。
「ええー。おとなじゃん」
「わかんないよぉ。そういうしゅぞくなのかも」
 勝手な推測がとびかう横で、子どもはひときわ落ち着いた少年と、昨夜のことを話している。店をしている関係もあって計算が速くひときわ冷静な子のひとりで、年長者が不在の折にはまとめ役をすることが多い。
「きのうの夕方にはいなかったし、見回りの子も知らないって。やっぱり最終便かな……
「うん、ありがとう。お店の荷を運んでくれる貨物艇のひとに聞いてみるね。……ところできみ、なにか話、した?」
 そう尋ねられたのは、ちょうど目を覚ましたかれがのびをするついでにこちらの方向を見やり、ぱっと笑ったからだ。うれしそうに大きな手を振って、ずいぶん遠いのに、よくわかるものだ――恥じらいをないまぜにした、ちょっとじたばたしたいような気持ちに襲われ、小声でつぶやく。
――夜中。ちょっとだけ。」
「だめだよ、用心しなきゃ……大人は。とくにいまは。エッセルもカトルもいないんだから」
 たしなめる口調は冷静で、でも心配されているのがわかる。だから子どもは、頬の奥を噛んで黙り込まずにすむ。言いたいことを言いたいだけ言えるので、星屑の街はすてきな場所だと思う。緊張して喉がからからになったけれど、それでも勇気を出して、口を。
「でも。僕は……僕は、大人じゃなくて、僕たちの仲間だと思う」
「うん、これからそれを調べるんだ、みんなで。――いいかい? ぜったいひとりで話しかけないで、みんなと行くこと!」
 もう皆、話に行きたくてうずうずしていた。足踏みをしていた小さな子たちはそう聞くと、それぞれが弾丸のようにぱっと駆け出す。子どもはそれを追いかけて、ひさしぶりに大声を出した。
――まって! まって、ひとりじゃだめだって!」
 駆けていく、駆けていく。わらわらと飛び出してきた小さな子どもたちの群に大きな人影は、とまどうようにおろおろと辺りを見回し、助けを求めるかのようにこちらを見た。それだけで心臓がきゅっと絞られるような痛いような気持ちになって、どうしたってやはり一番最初に話しかけたくって、子どもは息を切らしながら、懸命に走る。

◇◇◇

 それがこの奇妙でやさしい、不器用で力持ちの、絵本から出てきた巨人のようなかれとの、この街での日々のはじまりだ。