takisaka
2017-02-07 22:03:06
3716文字
Public コンレボ
 

パンタグラフ

コンレボ習作

 なにかの弾みで顔を合わせること自体は多いが、お互いにそれを歓迎しているわけではない。

 大体にして柴来人とはもののはじめからそういう出会い方と過ごし方をしていたもので、じつのところあの神化44年の擾乱と神化47年の爆発事件の収束を越えて再会してから暫くは顔を合わせる都度、なにか含羞のような、奇妙な感じがつきまとうのだった。
 出会い頭に皮肉のひとつふたつもぶつけあい、それでようやく自分たちらしくなる――そうこうするうちに、いまは探偵事務所を営んでいる男がさぐるような物言いで「暇か」と尋ねてくることがあった。いつもの嫌味の一部か、と当初は思ったがそうでもなく、じっさい手が回らないことが多いらしいのだった。頭脳に生前の人格を搭載した電子演算装置と手足に山ほどの兵器を仕込んだかれでも、所詮手は二本で足も二本。そういうことだった。
 おおよそそれが破壊活動のためではないという確信があれば、人吉爾朗はその依頼に応える。再会以来鋼鉄探偵と名乗る男――柴来人が傾倒している思想をかれ自身複雑な思いとともにあやぶんでいるし、なによりこの相手は生来の生真面目な性分もあいまって、仕事に対する報酬の分け前がきっちりとしているのだ。
 そうこうしているうちに、やがてお互いのあいだに成立した関係はなかば、暗黙の了解めいた。
 人吉爾朗は超人たちを助けるために柴探偵事務所の人脈を借りることもあり、柴来人が探偵としての仕事の人手に爾朗を駆り出すこともある――
 その夜もそのようにしてかれが過ごす長くも短い神化の日々のひとつ、首尾よく調査の裏を取り、報酬をわけあって、互いのふところも暖かい。
 そういうときにかれ愛用のインスタント食品にいい顔をしない元刑事が「たまにはまともなものを食え」と連れ出すのは安い定食屋や、しぶい赤提灯や、夜のさなかにあたたかそうな白い湯気をともなう屋台が多かった。隣で白コートの探偵が箸をつけないお通しを横に置いて何杯かのビールを空ける横で、かれはいままで口にしたことのない料理をがっつく。脂身がぷりぷりと光る白い臓物の煮込みも、角がくずれるほど煮込まれて出汁の色がすっかり染み込んだ大根も、つやつやとした白米に濃い味のしたたる肉片をたっぷり乗せてかきこむ丼も、だいたい腹がすいているせいかいつだって、どれだって美味しいと思う――とうさんや千夏さんが見たらいい顔はされないな、と頭の隅で思わないでもないのだが、所詮今更だ。

 ふちに白い泡のついたビールのジョッキを鳴らすおざなりな乾杯。時代のついた狭いカウンター、互いの失敗をあげつらって舌を出し、串にしがみついた鶏肉を歯で引き抜く――なあ、今日あんたが調査先に浮気相手に間違えられたの最高だったな。おまえこそこのあいだのあれ、なんで出先でひったくりなんかに巻き込まれてるんだ。……

 ふたり、長々と居続けた焼鳥屋で互いのコートもマフラーもすっかり燻されて独特のにおいがする。爾朗が満足するまでたっぷり飲み食いするころには、となりの探偵も体内でアルコールによって行われる消毒と発電にすっかり酩酊しているのが常だ。

◇◇◇

 これもつまり、そんな一幕だ。

 やってみろ、と鼻で笑われたのだ。やってみろ、おまえにできるものならな。

 互いに、したたかに酔っていた――完全に、売り言葉に買い言葉だった。言われた相手が相手だっただけに人吉爾朗は、瞬間的にものすごくかちんときた。
 ネオン街からも隠れたガード下の暗闇、目の前を歩く広い肩幅、相手のほうが頭ひとつ分は背が高い。肩を掴んで振り向かせ、その身長差をコートとネクタイの胸倉をぐいと引き寄せ問答無用で距離を詰める――勢い余って歯がぶつかるほどの速度でくちびるをくっつけてやると、体温のかわりに電子頭脳からの放熱がともる皮膚と発声のために口蓋と粘膜とを模したそこは適度な弾力で、意外にも柔らかい。爾朗のほうがちょっと目を見開いた。
 眼鏡越しの目はオレンジ色の輝線が走るスコープアイ、予想し得なかった行動に処理が追いつかなかったらしく目を見開いたまま瞬間的に硬直したのが、酔った頭にひどく爽快だ。
 ガード下の暗闇の頭上では、終電近い電車がふたりの頭上を通り過ぎてゆく。耳から脳を揺らす轟音がごんごんと鼓膜を打ち、その容赦ない喧噪がなにかの歯止めを外した。
 調子に乗って、すり、と空いた片手で頬を撫でてやる――外装越しで夜風に冷えきった頬は芯は硬質だがひんやりとしていて、酔って熱ぼったくなった手のひらに気持ちよい。男の両の手はまだあっけにとられて、ぶらりと無為に垂れ下がったまま。

 ――抵抗くらいしたらいいのに。

 そう思って下唇にやんわり歯をたてると、そこではじめて男の肩がびくりと震えた。動きにつれて顔に眼鏡が当たるのがじゃまで、角度を変える。はふ、と息継ぎをするはずみに唾液がつと糸を引くのが、奇妙に生々しかった。あたまがぼうっとして、更に歯止めが利かない。
 ぐいと顎を掴んで咀嚼するようにくちもとを動かすと、舌にあたる歯列の粒だった感触。
 粘液のまじりあう音は騒音に上書きされて、踏切で明滅する遮断機の警告音がする。電車の轟音がまた、ふたたび迫りつつある。パンタグラフと架線のあいだで弧を描く青白い火花のように、脳裏の電気信号が快楽に変わる。
 つま先だち背伸びした姿勢で触れる、ジャケットとコート越しの胸と胸。相手の鋼の骨格を秘めた感触の静けさとはうらはら、生身のからだである自分の鼓動ばかりが騒音に聾した耳にうるさい――
 奥へ。もっと奥へ。衝動のまま隙間から差し入れた舌で歯列の感触を存分に味わい、それが奥歯をつついた拍子、ぴりぴりとしびれるような味が、舌先にした。

「?」

 味、というより感覚だ。毛穴の縮んだうなじから髪の毛までがかすかに逆立ち、うっすらと目を見開くと近すぎて焦点がにじむオレンジ色の瞳がいっぱいに見開かれていた。ジッ、と音を立てて、機能を停止していた瞳孔が収縮する。
 電車の轟音がいま、かれらの頭上を通り過ぎた。

……ッ!!」

 瞬間、ようやく我に返った来人に肩のあたりを突き飛ばされた――それも手加減なく、思い切り、容赦なく。「わっ、と、と。……」たたらを踏んで、数歩ばかり離れたガード下の壁面に勢いよく背中がぶつかる。結構痛い。

「あぶないなあ。俺じゃなかったら怪我してるぞ」
「すればいいだろう! いきなりなんなんだ貴様」

 そう叫ぶとともに来人は勢いよく顔をそむけ、ぐいぐいとくちもとをこぶしで拭いはじめた。爾朗はひょいと肩をすくめ、「なんだよ、傷つくなあ。――できるならしてみろって言ったのはあんただろ?」「……
 こういうとき、警視庁所属の柴刑事だったころならあの高圧的な正論でもってけんけんとまくしたてて言い返してきたことだろう。あの当時といまのかれとの違いといえば、こうやって不機嫌そうに押し黙ることを覚えたところだと爾朗は思う。会話の面倒くささは単純に軽減されたが、その反面、すこしさみしくも感じる。腹立ちを紛らすように足音高く背を向けて歩き出す背中をながめ、彼もまたぶらぶらと歩きながら声をかける。

「にしても、いまのなんだったんだ」
「はあ? いまの?」
「あの、あれ。なんか、びりびりするやつ」
……

 口直しのつもりなのか来人は潰れかけた煙草の箱を取り出しかけたところだ――またちょっと黙り、とんとんと箱の底から最後の一本を叩きだしてくわえる。眉間に寄せた皺はくっきりと深く、火はまだつけないまま、

――おまえがへんなところにさわるからその拍子で電流が流れたんじゃないか。奥歯に一個スイッチがあって、だからだ、きっと。――

 機械であり全身兵器であるところの男は苦虫をかみつぶしたような顔をしてぶつぶつ言う――くそ、くそ、なんだってこいつと、こんなこと。

「スイッチ? なんの? あんたまだ秘密兵器があるのか」
「企業秘密だ! ……はあ、もう満足しただろ、悪ふざけは」
「いや」

 とっ、と駆けだして男の隣に並ぶ。ガード下の闇をくぐり抜け、ネオンはふたたび目にまぶしい。不機嫌な顔つきをすくいあげるように上目遣いにのぞき込む。

「はあ!?」
「気持ちよかった」

 またしていいか?
 追いついてそうことばを投げつけると、あからさまにうろんな目つきが一対の義眼に浮かぶ。もとを人間の人格に依っているからなのか、もしくは反対にむしろ人間ではない機械ゆえなのか、かれの知る柴来人の素の表情はひどく直裁でごまかしひとつきかないのだった。

「正気か? ……ああ正気じゃないか。この酔っぱらいめ」
「ははっ」

 拗ねてすさんだ野良犬のような背中をした男のとなり、人吉爾朗は、わざとらしくすりよる黒猫のようににんまりした。まだ先刻の感触が残っている自分のくちびるをこっそり、親指の腹で撫でる。――ああ確かに、今ならあんたにキスくらいできる気がするよ。

 口のなかに、まだ電気の味がした。