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梓
2024-02-29 20:03:52
2824文字
Public
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帳は重く上がらず
反照を辿る(
https://privatter.me/page/65d9df054c785
)からのアセンダント√。色々とif展開。
タヴに固有名がついています。
「The First Light」収録。
「悪い子だな」
「
……
」
別に裏切ろうとしたわけじゃない。ただ、少し外に出たいだけなのに。掛けられた声に、咄嗟に振り向けずただ身を竦めた。
アスタリオンが目を離した時だとか貴族として外せない用事の時だとかを狙って、試みたのは何度目だったか。最初はふとした思いつきで、そもそも咎められるとすら思っていなかった。そのあと、私"だけの"ために造ったという地下の一室で数日、彼の腕に閉じ込められることになるだなって誰が想像できただろう。あの日から、ありふれた本屋も埃っぽい石畳の街並みも遠いものになってしまった。
元々出不精ではあったし、外に出なければいけない用事もない。それが例え客観的に見て仮初めで紛い物でしかないとしても、宮殿の、アスタリオンが築いた箱庭の中であればどこまでも私は自由だ。生活には憎いほど何一つの不自由もなく、寧ろ一切の労苦なく手に入るには余りにも不相応なほど贅沢な暮らしではあった。しかしそれは、私を閉じ込める代わりに与える憐れみでもあるはずだ。かわいそうな生贄に、せめてもと捧げる供物の意味ならよく知っていた。
人の言う、"自由のない"境遇ならよく知っている。あの時は全て理解していて、それでも何もわかっていなかった。ないのと奪われるのとではこれほどまでに心持ちが変わるのか、と半ば他人事のように今は感じる。
それから、時折思いついたように、自分でも少し意外なくらい衝動的に、ふと外に行きたくてたまらなくなる。その引き金は今もってわからない。窓から見える街並みでもなく、外を行く鳥の声でもない。それでも胸を叩く確かな衝動に押されて光に誘われる羽虫のように、でもアスタリオンの目を盗む程度の理性は残して外を目指すのに、今のところ成功した試しはない。
一度目は、アスタリオンの呼んでいた蝙蝠に気付かなかったから、部屋を出た時には既に把握されていたと聞いた。二度目は、普段いる階から出るための扉に罠が仕掛けてあることに気付かず、作動させたと気付いた時には薄い霧から人の姿に戻るアスタリオンが後ろにいた。
今回は何を見逃したのだろう。今までの生で身につけてきたはずの勘をほぼ全て失くしたことに反省して、幻覚も置いてきて、音も立てず姿も消して、丹念に罠を探し、未知のダンジョンへ潜る時と同じように万難を排した。これ以上、もう打つ手がないくらいに。少し、目まぐるしく駆け抜けたあの旅を思い出して口角が知らず上がるくらいに。
魔法が解ける。声がした方を振り向けば、紫色の花を手で弄びながらアスタリオンがこちらを見ていた。
「そろそろ出たがる頃だと思ってな。冒険ごっこは楽しめたか?」
会ったばかりの頃を思い出すような、殊更に甘い声音。合間にダーリン、と呼び掛けてくるのは、もう随分懐かしいとさえ思う。
ヴァンパイアとその仔、命じてしまえばいい今となってはもう騙す必要も私に追いかけさせる必要もないのに、何故だろう。しかもわざわざ、魔法を使わせないためにアンダーダークにまで出向いて。彼の手にあるスーサーの花は陽の光を浴びれば枯れて効果を無くす。そんなもの、いったい何のために。
「
……
俺は、お前を守りたいんだ」
まただ。いつも彼はそう言った。外は、そんなに危ないところだっただろうか。
首筋に走った痛みから先の記憶はない。
意識が浮上する。
柔らかな布地と横に感じる重力、何より思い出せる最後からして私はまた失敗したらしい。目を覚ませばまた"あの"部屋なのだろう。
誰かの指がそっと頬に触れた。それは私に危害を加えない。怯えなくていい。だけど羽根のように肌を滑る指先から、何を感じ取ればいいのかわからなかった。流れていた髪が掬われて、そっと耳に掛けられる。瞼に掛かる光は一度増して、また遮られて暗くなった。
「おはよう」
「
……
おはよう」
狸寝入りも馬鹿らしいので返事はしておく。気怠いまま目を開けた。気分が優れないのは失態のせいだけではなく、ご丁寧に飾られたスーサーの花のせいでもあるらしい。
「お転婆を止める気になったか?」
「たまには外に出たい」
「だめだ」
「
……
」
「お前を外に出す気はない。誰にも傷つけさせない。何の不満がある? 必要なものはなんだってあるはずだ。今までお前が見てきた何よりも上等な物で囲まれて、いったい何が足りない?」
「
……
わからない」
そう、もう何もわからない。
目を合わせていられなくて天井に視線を逃す。控えめながらも技巧を凝らした彫刻で細部まで彩られたこの部屋は、どれほどの手間を掛けて作られたのだろう。一般的な価値を素直に愛として受け取れたなら、どれほど良かっただろう。
この部屋はおよそ万人が喜ぶだろう豪華なもので溢れていた。一人が着るには少し多すぎる服、二人しか見ない美しい調度品。私の無聊を慰めるための大きな本棚は、定期的に新しい文学や研究書に入れ替えられている。
「木の洞より、泥に塗れた野営地より、ずっといい暮らしをさせてるはずだ」
「村の人たちも、良くしてくれたよ。彼らにできる最大限で」
機嫌を損ねるだろうとは思った。視線を戻せば想定以上に苛立たしいと顔に書いたアスタリオンが、肩口をベッドに押し付けてきた。抵抗する気もなく仰向けになる。影になった表情は、少し読みづらい。たぶんこの先、言葉をなくして夜を重ねるんだろう。体だけの快楽で全て忘れてしまえたら良かったのかもしれない。心を伴わないまま気持ちよさだけ拾ってしまう体が、我が身ながら疎ましい。肌を合わせたところで時折思い返す最初の後朝が、朝日を浴びていた後ろ姿が私の心をを引き戻してしまうのに。
欲しいものを聞かれる度に像を結ばない願望を浚っていたけれど、私が今一番見たいものは陽の光を喜んでいた、生きていた彼なのかもしれない。ふと過った直感は、外れていないように思えた。
与えられたいわけじゃなかった。守られたいわけじゃなかった。
もっと見ていたかった。話していたかった。対等に。
離れる気がないのは、怪物にした責任だけではない。あの、まるでお伽話みたいな冒険に彩られた、理不尽でも楽しかった日々がもっと続いてほしかったと今でもまだ思い返す。幼生も支配者もいなくなれば、楽しい日々がいつまでも続くんじゃないかと願ってしまったからだ。もう望みなんてなくても縋っていたいからだ。
多少の傷なんてどうでも良かった、死にかけて馬鹿みたいに笑ったことだってあったから。それに、もう余程のことではお互い死なないだろう。いいじゃないか。
「外に、」
外に出よう、一緒に。
そう言い切れないまま、貪るように口を塞がれる。一瞬、アスタリオンが浮かべた表情が泣きそうな顔に見えたのは、きっと私の感傷だ。
見ても何もわからないから、そっと目を閉じた。
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