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氷紀
2024-02-26 22:16:54
7107文字
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とある息子たちの話
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息子たちの父と父
『とある~』シリーズ番外。時空を隔てた父と父。
後書きがわりに少し詳しめのシリーズ背景設定も。
1
2
『
……
そういうことであれば、むしろ、そちらに預けた方が良さそうじゃな』
コンピューターから流れてくる声は、時空を隔てたもうひとりの自分の声だった。音声を繋いだ砂かけ婆が、終わったら知らせてくれと言って席を外してくれたのは、数世紀にわたる付き合いの結果だろう。内心で彼女の気遣いに感謝しつつ、もうひとりの自分に応じる。
「そうじゃな、目玉の。こちらは大きな紛争にまでは至っておらぬ。といっても、少なくとも今はまだ
……
というところじゃが」
『うむ。こちらも話した通り、大きな衝突はあらかた片付いたとはいえ、まだ平穏とは言いがたくてのう』
話し方はそのものは今も大して変わらない、しかし声の響きはどうしても体に依存するからか、響きが違う。
『あまり大声では言えんが、倅を休ませるには、ちと難があるのは事実じゃ
……
すまんが、頼む』
聞こえてくるのは声だけで、画面に浮かんでいるのは灰色のこまかな砂嵐だ。時空の壁を破るには相応の力が必要だが、今の自分に通せるのは音だけだと向こうの自分は言う。目玉の体で扱える妖力には限界がある、仕方ないだろう。
「うむ。己自身にごく近しいもう一人を守る程度は、うちの倅に期待して良かろう。
……
しかし、」
――
今すぐ、って訳にはいきませんネ。
――
だってその言い方だと、案じているのは“身”だけでしょ?
――
なんであいつは三回も、僕のところに飛び込んできてるんでしょうネ?
今は田中ゲタ吉と名乗って人間の街で暮らす我が子の、驚くほど冷たい声を思い出す。こちらの世界に逃げてきた向こうの“鬼太郎”が、どういう経緯で人間に頭を撃ち抜かれるに至ったか、息子は聞いてはいないとのことだったが
――
それでも、その冷たい声が全てだという気がした。水木に育てられ、人間と妖怪の狭間を生きたその結果が今の息子たちだ。こちらも、向こうも。
たとえ形は違っても、背負う因果の重さは同じ、ということだろう。
「そちらも、なかなかに難儀な道を歩んでいるようじゃの。目玉の体でいたとて、楽であったとも言い切れぬということか」
『
……
どういうことじゃ。お主も、鬼太郎の頭の上で、己の無力を悔いたことは幾度もあろうに』
「それは確かに。しかしこうして力が戻ってみたら、戻った分だけ別の因果を背負い込むことになってしもうたんじゃ。
……
身一つの力で守れるものなど、たかが知れておったということじゃな」
『何か、訳がありそうじゃのう』
「ワシは倅の心に酷い傷を負わせてしもうた。目玉の姿であったなら、絶対に有り得なかった行いで。
……
しばらく前のことなんじゃが、倅が、対妖怪の武装を固めた妖怪と人間の集団に、手ひどくやられてのう。怒りによる報復など目にすれば、あやつが苦しむのは分かっていたというのに、ワシは己を止められなんだのじゃ」
――
あのとき自分がやったのは、怒りによる報復だった。
息子が、裏鬼道の武器を持った妖怪と人間の集団に、足を砕かれた挙げ句滅多打ちにされて血を奪われかける光景など、忘れようにも忘れられない。その報いをくれてやったことは一切後悔していないが、息子が下駄を返すと言ってきたときの、酷く打ちのめされた顔もまた、心に突き刺さって離れない。
あれがおそらく、何かの限界を超えてしまった瞬間だった。
「報復自体は、決して、間違いであったとは思わぬ。しかし
……
人間と妖怪の狭間で、痛みと怒りを引き受け続けてきた倅じゃ。そやつらの血にまみれた親の姿を、見せてしまったのはな
……
時空を混乱させとうない、これ以上詳しくは話せんが」
『
……
』
微かな、砂嵐のような音。そこに酷く感情の揺れる気配が乗っている。言葉はなくとも、意外と伝わるものだ。
こちらに残っていた『M』と裏鬼道のことまで語れば、その感情の揺れが思わぬ副作用を生みかねない、と直感の部分が伝えてくる。なのでこの件については深入りせず、もう一つの事実を口にする。
「それから、
……
これもあまり詳しくは話せんが、ワシの力が戻ったことで、日本妖怪の間に閥ができた。それ故に、最終的には暴力装置として、倅をアテにせざるを得ぬ状況が続いておる」
『そうか。力あるが故の、というところじゃな』
「ああ。これに気づいたときは、盤をひっくりかえそうか、と思うたよ」
『盤を、か。
……
上手いこと言いよるな、そちらのワシよ』
まぼろしの汽車、という名はお互いに出さなかった。迂闊に出してはいけない言葉だ。しかし対話の相手が、他ならぬ“自分自身”であるのなら、名前を出すまでもなく通じることだ。
「しかし
……
最も近い時間軸のお主の世界が、そのような状況になっておるなら、思いとどまって正解じゃったな。お主の世界を越えるほど強くねじ曲げない限り、倅の状況は大して変わらんようじゃ」
『そうじゃな。余程の動機を持つ者が、“鬼太郎の父”以外におらねば
……
ワシの世界でもお主の世界でも、倅の負う痛みの深さは変えられんじゃろう』
深い確信を秘めた声だった。もしかすると、あちらの自分もそれを考えたことがあるのか
――
それか、“すでにやった”あとに“やったかもしれない”タイミングを通過したことがあるのか。どちらであっても大差はないな、と思う。
『それか、いっそのこと哭倉村まで戻るか。
……
最も大きな要因がどこにあるかを考えれば、自ずとそうなろう?』
向こう側から聞こえてきた言葉に、数秒、絶句した。それだけは考えてはいけないと思っていたことだ。
目玉の声は淡々と続く。
『倅が撃たれて死んだと聞いたとき、ワシはそれくらいのことを思うたよ。結果的には人間の友と、ねこ娘と、それまで積み重ねてきた縁のお陰で、生きのびはしたが
……
そうでなければ、本当にやっていたかもしれん』
「生きのびたからこそ、続けることを選んだのじゃな。
……
その結果、そちらの倅は、死に値するほどの絶望の記憶までも、背負い込むことになったと」
『
……
その状況で、下駄とちゃんちゃんこを置き去りにして姿を消されては、最悪の想像がよぎるのも仕方なかろう?』
「じゃな」
心の底から同意した。
もし同じ状況になったら、と想像するのは簡単だ。簡単すぎる。何しろそれは、こちらの世界でも、あり得たかも知れない話なので。
『しかしまあ、
……
倅が雨宿りの軒先を見つけておったなら、幸いじゃ。それが“もう一人の己自身”とは、少々予想外ではあるがの』
「こちらの倅にとっても、何かしら思うところはあるじゃろうが
……
今は見守るより他になさそうじゃな。そちらの倅が癒えるまでの間くらいは、守ってやれよう。ワシも目は配っておこう」
二人の“鬼太郎”がいる状態では、おちおち盤をひっくり返すこともできない
……
とは、心のうちに留めておいた。最後の退路を塞ぐ存在ができてしまった、とも言えるが、まだそこまで状況は差し迫っていないのだから、言う必要はないだろう。
かなうなら、今の平和がどこまでも続いてほしい。そう願いながら、こぼれ落ちていく砂時計の砂を見続けている。いつか必ずくる破綻を少しでも遠ざける為に、何ができるか
――
それが、目玉からヒトの姿に戻った、今の自分の立場である。その中にほんのひととき、守るべき相手が増えただけのこと。やることは大して変わっていないのだ。
『うむ。
……
こちらも、少しはマシな状況で出迎えられるよう、何とか動いてみることにしよう。何、この姿でも出来ることはある』
「結局、親としてはそれが全てじゃな。
……
全く、こんなことになるとはのう。水木もとんだ置き土産を残していったものじゃ」
『ほんに、なあ』
目玉の声音に、他にどうしようもない、という苦笑が乗った。
それ以上の言葉は不要だった。どう語っても語り尽くせない存在だからだ。
『さて、そろそろ時間切れじゃな。最後にそちらのワシよ、ひとつ教えてくれんか。
……
そちらとこちらの暦は少しズレているようじゃが、あの紺色の箱の煙草は、まだ売られているかのう?』
「煙草はあるが、火種がな。煙草より先にマッチがなくなりよった」
あの懐かしい木の軸の火種は、もう、ほとんど作られていない。
煙草の味は火種で微妙に変わる。木の燃える香りが宿った煙草を知る者さえ、もうすっかり少数派だろう。そもそも煙草呑みの数自体が減っていて、残った物好きも電子煙草に流れる者が多いのだ。かつて水木の手元にあったあの煙草も、辛うじて生き残ってはいるものの、それもいつまで続くだろう。
『そうか。あの香りが絶えてしまうのは、さびしいものじゃな』
「仕方あるまい、それが時代の流れというものじゃ」
言いながら、思う。
人間の時間は煙草のように早い。あっという間に燃え尽きてしまう。
自分も倅も
――
あの面影を追うことは、いつまで許されるのだろうか。
『違いない。
……
また、状況が変わったら連絡しよう』
「うむ。こちらからも、何かあれば」
『では』
最後に短い言葉を残して、音は途絶えた。
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