ミルクキャラメルミルク

暁子さん@akkpspから頂いた、アンとリューの現パロ小話です。

 
【綺羅星の子】
【月のひかり、陽だまりの歌】
両作品で途中退場してしまうリューの救済企画(?)として現パロ小話を書き始めました。
いざ書いてみるとリューよりもアンの方が救われているような、アンがリューと共に生きたいと願ったもうひとつの世界線のような気もしてなりませんが……
現パロのアンリューは割と軽い調子の話になっております。
興味ありましたらご覧になってみてください♪

【忘れ物はリボンをかけて】
二人の初めてのバレンタイン。

【両手いっぱいの花をきみに(1)】
こちらはネプリ限定配信でしたがそろそろ1年経つのでネットでも公開してみます。
アンとリューが同棲を始めることになった経緯です。





----------
 
 すっかり湯気が立たなくなったカップ越しに、チカチカと点滅するカーソルが見えた。
 数字を打ち込んでいる途中だったことを思い出したアネッサははっとして背筋を伸ばし、すっかり乾いた目を閉じて大きな溜め息をつく。
 ついでにじんわりと滲むような痛みを訴える眉間を揉むと気持ちが良かった。休み時だな。
 冷めきったコーヒー入りのカップを手に立ち上がり、キッチンへ向かう。
 キッチンと隣り合う居間には人気がなくて薄暗い。日曜日の午後だというのに寂しいものだ。陽射しもすっかり弱々しく、早くも夕暮れの気配があった。時計の針はまだ三時を回ったところだというのに。
 レースのカーテンの向こうに見えた休日の空からふいと顔を背けて、アネッサはコーヒーを淹れ直す前に流しでカップを洗い始めた。
 まだ三時といえばそうだけど、そろそろ夕飯のことも考えなければいけない。でも食べたいものが思い浮かばなかった。
 外食の気分でもないし、仕事がまだ残っているし。そう思うと何もかもがどうでもよく、そしてそのことが腹立たしくなってきた。
 そんな気持ちが手の力加減を失敗させた。アネッサの指からつるんと逃げたカップは勢いよくステンレスの上に身を投げて、がちゃん、と派手な音を立てて呆気なく割れてしまう。
……あぁ、もう」
 泡だらけの手を流しの縁について、抑えきれずに自分へのイライラを吐き出す。なかなかカップの破片を拾う気になれなかったが、それでもどうにか陶片を拾い集める。気に入って使っていたカップだったが、仕方ない。
 このまま次のカップを出してコーヒーを淹れても、その途中でまた何かヘマをやらかしそうな気がしたアネッサは、手を拭いて薄暗い居間のソファに沈むように座った。
 暖房も切ってあったのでいささか寒い。それでも構わずソファの背もたれにぐったりと身体を預け、天井を仰いだ。
 夕飯、どうしよう。
 夕飯というより、リュヴァルトが帰ってきたら。
 彼は今頃、ウィルと二人で秋の動物園だ。本当はアネッサも行く約束をしていたのだが、先週中に片付かなかった仕事を持ち帰ってきてしまったので急遽断った。
 じゃあ、また今度ね、と言ってリュヴァルトと一緒に出かけて行ったウィルの顔を見るのは、来週か、再来週かになるだろう。もの分かりのよい甥っ子には可哀想なことをしたなと思う。
 そのもの分かりのよい甥っ子が、アネッサとリュヴァルトの間に漂う妙な空気を察知していたようだということも、なおさらアネッサをいたたまれなくさせた。
 話は些細なことだ。


 ここ数週間は細々としたトラブルが重なり、その処理に追われたアネッサは大いにペースを乱された。
 お昼を片手に持って食べながら移動する羽目になったり、処理しきれなかった仕事のために帰りが遅くなったり、雨が降ったり、電車が遅れたり、さっきのようにものを壊したり。
 いつもなら軽々と跨いで通り越せるようなことに次々と躓く……そういう日が幾日か続いた。
 それで結局、決して家には持ち込むまいと思っていた仕事を持って帰ってくることになってしまった。それも、よりによってウィルと遊びに行く約束をしていた休日に。
「あーそうなんだ。最近忙しそうだったもんね、アン」
 だからウィルと出かけるのは無理そうである、悪いけど二人で行ってきて。金曜日にそう告げたところ、夕飯とともにアネッサを迎えてくれたリュヴァルトはごはんをよそいながら言った。
「明日、うちのことは全部俺がやるから、それでも無理かな?」
「無理だよ。月曜日の午前には資料がそろってなきゃならないの。遅れましたじゃすまないんだから」
 ごはんの隣の、きのこと秋鮭のホイル焼きから立ち上る湯気の向こうにすら数字が見える気がして、アネッサは眉間にしわを寄せ、溜め息でその湯気を吹き払う。
 持ってきた仕事は部下の仕事の一部だったが、元はといえばアネッサとその部下が互いにわたわたしていたために指示が上手く伝わらず、ぜんぜん違う資料が出来上がったせいだった。……そういう場合、アネッサが責任を取るのが筋だ――そう思って半分以上のデータを引き受けてきた。
 それも憂鬱の元だ。そしてミスをカバーする責任はやはり自分にあると思う。
「あ、じゃあ、入力手伝おうか? 数字を入れるだけなら俺にも――
「いい。むしろあんたがやった分を点検する手間が増える」
「だよね、すごくそんな気がする」
 ふにゃ、と笑ったリュヴァルトを無視するように「いただきます」を言って、アネッサは鮭の上に乗っていたシイタケを箸で摘まんだ。ちゃんと切れていなくて、四枚もぺろぺろとくっついてきたことになんとなくイラッとした。
「でも残念だな。先月新しく来たオオカミのオスがちょうど明日から公開なんだって。あとカモシカのタケゾー? 誕生日が日曜日だから餌やりイベントがあるって、ウィルも情報チェックしてたみたいだし」
 午後九時近いというのに、リュヴァルトは一緒にごはんを食べていた。その時アネッサは彼がアネッサを待っていてくれたのだと気づかずに、黙々と箸を動かしてリュヴァルトの話を聞き流していた。
 代わりに、最早飾り切りのようなレベルで繋がっているシイタケやタマネギやニンジンの存在にばかり気がついた。
 なんだこれ。切る気あるのか、ないのか。短冊切りになりきらなかったニンジンが箸の先でハリセンのように広がる。
「あれっ切れてなかった? ごめんごめん……あ、俺のとこにも切れてないのが……
 二人そろって優雅に広がるニンジンハリセンを箸にぶら下げる。
「あんたには絶対、手伝わせられない」
 ニンジンが端まで切れているかすら気にしない助手は、今のアネッサには必要なかった。
 むしろニンジンも切り直したい。他人に任せず、すべて自分でやりたい。
 しかしそれを実現する時間も物理的なキャパシティも、アネッサにはないのだった。認めたくないことだが。
「え、うん、それは分かったよ。……でも、やっぱり無理かな。ウィルと一緒に出かけるのはちょっと久しぶりだし――
「無理だって。それと、別に家事のこともいいから。決めてあった分はちゃんとやるよ」
「いや、それこそいいよ。どっちかが大変なら助け合わないと――って、面倒を見て貰ってるのは俺の方なんだけど……
「いいってば。面倒見てるなんて思ってないし、そういうフェアじゃないのはあたしが嫌だから」
「フェアとかそういうことじゃなくてさ……休みの日にはちゃんと息抜きをして欲しいというか、」
 珍しく食い下がってきたリュヴァルトをお茶碗越しに睨むと、彼は背筋を伸ばして黙った。
「資料が先なんだよ。とにかく、あたしは行けないから。オオカミのタケゾーには二人で誕生日プレゼントをあげてきて」
「タケゾーはカモシカだよ……あと、プレゼントは受け付けてないかもカモ……
「悪いけど本当に時間がないから、あんたが満足するまでつき合ってられないの。ウィルにもちゃんと謝るし、それでいいだろ。ごちそうさま」
 アネッサは一方的に話を打ち切り、食器をまとめて席を立った。
 流しに置いておけばリュヴァルトが片付けてくれたのであろうが、なんだか意地になって使いっぱなしのまな板や包丁、ボウルも一緒に洗い、それから風呂に向かった。
 五分ロス、なんて思うくらいならリュヴァルトに任せればいいのに。
 アネッサは自分の中から響く呆れ声を振り払い、さっと湯浴みをすませると、それから遅くまで資料作りに時間を費やした。
 思えばそれから、リュヴァルトとはまともな会話をしていなかった。
 分担通りの家事をし、あとはずっとパソコンの前に座っていた。時々コーヒーを調達するために立ち上がったりしたが、マンションの同じ部屋の中にいたはずのリュヴァルトがどこで何をしていたのかはとんと記憶にない。……ごはんは一応、一緒に食べた気がするが。
 それで徹夜第二弾を敢行して、外が明るくなってから少しだけまどろみ、事務作業のようにトーストを焼いてレタスを千切って盛って食べていたら、九時になってウィルが訪ねてきた。
「アン、だいじょうぶ……?」
 甥っ子はアネッサが座っていた食卓の傍へやって来ると、土気色の叔母を見て少し呆然としながら呟いた。
 どうやらリュヴァルトから「アンは一緒に行けないんだ」ということを聞いたあとで、本当に行けないのか確かめに――あるいは一緒に行きたいとねだりに来たところだったらしい。そして、瞬時に無理だと悟ってくれた。
「ごめんね、ウィル。ちょっと仕事が片付いてなくてさ……
「うん……
 頷きつつ、ウィルは食卓の縁にちょこんと手をついてアネッサの顔を覗き込んできた。そしてぺたりと頬に手を当ててくる。
「そんなにひどい顔してるかい?」
……リューも元気がなかったから。二人とも、ほんとうは風邪ひいてるんじゃないかと思って」
「え……
 熱はないからちがうかな……と言って身体を離すウィルを見つめながら、アネッサは丸一日、ほとんどリュヴァルトを無視していたことに気がついた。
「じゃあ、また今度ね。……お仕事がんばってね」
 リュヴァルトどころではなかったとはいえ。いや、こんな言い方はあんまりか。
 居間を出て行く甥っ子は、少し意味深な視線をアネッサに残していった。そんな彼に黙って手を振っていると、なかなか袖の通らないコートに苦戦しながら噂のリュヴァルトが現れる。
「ああ、アン。夕飯、俺が作るからね。仕事頑張って……えっと、何がいい?」
 そう言いつつ、彼はテレビの隅に表示されているデジタル時計を見て「うわっ」と悲鳴を上げた。動物園方面へ向かうバスの発車時刻が迫っているのだ。しかもコートの袖はねじれたままで、リュヴァルトの手は出口を求めまだもがいている。
「いいよ、夕飯はあたしの当番だろ。それよりちゃんとウィルと遊んできて。遅刻で時間足りなかったなんて冗談じゃないよ」
 あたしも行けないんだから。これ以上甥っ子をがっかりさせてはならない。
 アネッサはリュヴァルトのコートの袖を解きつつ、すげなくそっぽを向いた。
「いや、だけど、」
「リュー、バスがすぐそこの角まで来てるよ!」
「今行く!」
 玄関先から叫ぶウィルに応えつつ、リュヴァルトはなおもその場に踏みとどまる。アネッサはそっぽを向いたままコーヒーを啜った。
「ほら、行きなよ。気をつけてね」
「あ、あとでメールするよ。いや、でも――
 まだ何かわめこうとするリュヴァルトの背中を、アネッサは文字通り叩き出した。


 メール。そういえばメールするって言ってたか。
 リュヴァルトの言葉を思い出したアネッサはのろのろと腰を上げ、パソコンの隣に置いてあった携帯電話を取りに行った。
 画面をつけてみると、気づかないうちにメールが届いていた。
『今夜はロールキャベツを巻いてあげたい気分ですが、どうですか』
 ちょっと回りくどくてやっぱりイラッとするメッセージだった。
 「巻いてあげたい」ということは、リュヴァルトが作るということだろう。アネッサに作らせる気はなさそうだ。なんだか今回は強情だな。
 ロールキャベツが食べたいなら作ってやるとも――そう思ってボタンを叩こうとしたアネッサだったが、唐突にウィルがぽつりと残していった言葉を思い出す。
(元気がなかった……
 そりゃあ、気遣っている相手からどこまでも邪険にされたらさすがのリュヴァルトだって悲しくなるだろう……
 洗っているカップを取り落として割るくらいには疲れて集中出来なくなっているのに、アネッサ本人はそれを認めようとしないし、追い詰められるほど何もかも自分で抱え込もうとするし。
 アネッサがどんなに焦っていようと、リュヴァルトはいつもリュヴァルトでふにゃっとしているからついイライラしてしまうのだが、あのふにゃふにゃさでもアネッサを支えようというつもりなのだ、一応。
 ふにゃふにゃなリュヴァルトには、支えて貰うよりクッションよろしく沈ませて貰った方がよさそうだが……
 ともあれ、巻いて貰おうかな、ロールキャベツ。
 部屋に差し込む陽射しがいよいよ赤みを強めてきた頃、アネッサはようやくそう思えた。
 でも、その言葉を送り返す決心をするまでには、もう少し時間を要した。


 日がとっぷり暮れた頃、ウィルを送り届けてからスーパーに立ち寄り、ちゃんと持参したエコバッグにキャベツの大玉を入れたリュヴァルトが帰ってきた。
「おかえり。ウィルは楽しんでくれてた?」
「うん、タケゾーの誕生日祝いが思ったより盛大でさ。なんとウィルと同い年だったよ! 人間の年齢で考えたら俺と同じくらいらしくて、お嫁さん探してるんだって。すてきな子が見つかるといいよねって、二人で言ってたんだ」
……そう」
 キャベツを取り出しながらリュヴァルトが嬉しそうに言うので、楽しかったのは間違いなさそうだ。
 ところで、「タケゾー」って誰だったっけ。ヤギだったかしら……一昨日の会話を覚えていないアネッサには曖昧な返事しか出来なかった。
「アン、またコーヒー淹れに来たんだろう?」
「ああ、まぁね」
 カウンターに頬杖をついてキッチンを覗き込んでいたアネッサは、取り上げられるままカップを手放した。
「コーヒーばかりだと胃によくないよ。だから代わりのを淹れてあげる。ウィルに教えて貰ったんだ」
「代わりの?」
 リュヴァルトはカップをゆすぎ――アネッサのお気に入りではないことに気づいたようだが何も言わず――小鍋に牛乳を注いで温め始めた。
「何、カフェオレ?」
「じゃないんだ。でも、ウィルが『勉強で頭を使ったあとに飲むとすごく美味しいから、お仕事したあとのアンに作ってあげて』なんて一人前なことを言うから」
 小鍋の中で牛乳からぷくぷくと気泡が出始めるその隣で、リュヴァルトは〝お菓子〟の箱を開けた。そして豪快に中身をすべて出す。
「えっ、ちょ、ちょっと」
 そしてそれを包んでいた包み紙を次々と外して裸にすると、これまた豪快にすべてを牛乳の中に沈めた。
「分量は適当なんだよ」
「え、いや、そうじゃなくて。キャラメル?」
「うん」
 ほどなくして真白い牛乳の中にほんのりと茶色い筋が浮かんで来たので、リュヴァルトはスプーンでそれを掻き回した。途端に広がる甘くて香ばしい匂い。
 いつもなら甘ったるすぎと思うところだったのかも知れないが、昼食もそこそこに仕事を続けていた空腹のアネッサには、たまらなく美味しそうな匂いに思えた。
「で、アンは大人だから……
 小鍋の中が柔らかで均一なアイボリーに染まると、リュヴァルトは戸棚にしまわれていた料理用のブランデーをその中に垂らす。温められたアルコールがふわりと溶け出し、キャラメルの匂いを一瞬で華やかなものに変えた。
 美味しそう、と思って一連の作業を見つめていたアネッサの前に、さっき取り上げられたカップが戻ってきた。よい匂いのキャラメルミルクで一杯になって。
「お疲れさま、アン」
 リュヴァルトがふにゃっとした笑みとともに差し出すそれを両手で受け取ったアネッサは、カップ越しに伝わるぬくみと、キャラメルにブランデーの香りをしみじみと吸い込んだ。
 自然と眉尻が下がる。なんか、ピリピリイライラしていたのがばかみたいだ。
「ありがと」
「うん」
 謝らなくてはいけないのも分かっていたが、それはこのキャラメルミルクを飲み終えて、一緒にキャベツを巻き始めてからでもいい気がした。
 アネッサは背中でカウンターにもたれかかりながら、リュヴァルトがキッチンの中をごそごそと動き回る気配を耳で楽しむ。そして舌にまとわりつくような優しい甘さに、少しずつ疲れを溶かしていった。





----------

リスンさんの新商品のお香(2017年冬)がアンという名称でミルクキャラメルの香りというところから、暁子さんが拙宅のアン(アネッサ)を連想してくださり、こんな素敵なお話を書いてくださいました……
二人+αの休日の一幕が、大好きな暁子さんの文章で読めるなんて本当に幸せすぎて!
2018年、とてもよい1年になりそうな予感です。
暁子さんどうもありがとうございました!!