自室や執務室で缶詰め状態になるより、作業が捗る理由から共有スペースである休憩室の一角で私は絶賛書類と睨めっこを繰り広げていた。紙の海で泳ぐ活字を目で追っている時点で、内容そのものが頭の中に入ってこないというのはとっくに分かり切っている。
私以外誰もいないからこそ大きく出てしまった溜息を聞いてまた溜息を吐いてしまった。
最近私は困っていた。いや困っているには困っているけど、そこまで重要度は高くな──ある意味高いけど命の危機があるかどうか、いやあるな。十分ある、大いにある。だって、下手しなくてもそうなる危険性はいつだって孕んでいる。
嗚呼、本当になんでどうして。ここ最近……。
──フィルくんのスキンシップが顕著なのかッ!?
思わず手に持っていた書類をくしゃり握りしめりそうになるのをなんとか堪えた。
おかしい、おかしいなあ。彼は古代遺物も相俟って前ループの記憶を知っているはず。それに私の≪不運≫の力は何度も何度も説明しているのに、なのにっ。
まだ抱っこして欲しいとか、手を繋ぐとか、あやとり一緒にして遊ぼうとかはいい。全然構わない。むしろもっと遊んであげれなくてごめんねの気持ちの方が大きい。
じゃなくて、どうして覆ってない肌や髪に触れようとするのか。本人に筆談等々で訊いてみても変にはぐらされている気がするし、フィルくんのお母さんに至っては何か隠しているみたいだけど話してもらえない。
「私からは話せないんです、ごめんなさいごめんなさい」
と、謝られてしまう。別段私が何か悪いことしたわけじゃないって念押しされたけど原因が全くもって分からない。
「いや、風子ちゃんにも原因大いにあるから」
って、ちょっと呆れ顔でジーナちゃんにも言われたけど私自身、本当に身に覚えが無い。
唸りに唸ってから思考を現実に戻す。
少しばかり皺が付いてしまった紙の書類に目を通している時、足元に気配を感じて顔を上げれば新緑色の澄んだ瞳が此方を見上げていた。
いつの間にという疑問は、それほど周りに気が回っていなかったんだと思う。足音や気配すら気付けなかった。
何も喋れず目と目が合う。瞬きすらせずフィルくんが私を見たまま、向かい合うかたちで膝の上に乗っかってきた。小さくて軽いから如何ってことはない、如何ってことはないけど……。
「こらこらこら」
「……」
幼く小さな手が恐れず私の顔を触れようと伸びてくる。
私はそれを優しく書類ガードで諫めるが、書類を横にズラしてひょっこり顔を覗かせてきた。
うーん。目頭を揉んで彼に訊いてみる。
「次の任務の詳細聞きに来た?」
フィルくんは視線を逸らさず首を横に振う。
「あ、誰かに私を呼んできて欲しいから来た、とか? 逆に誰かを一緒に探して欲しかったりする?」
またフィルくんが首を横に振う。
「お昼ご、はんはさっき食べたしなあ……」
唸りに唸ったお陰か一番らしいのをすっかり見落としていた。
「分かった! 私と遊びたい! でしょ?」
私の言葉にフィルくんの綺麗な瞳が虚空を見遣る。お、これは正解の予感だと思っていたのに、小さく首を横に振われてしまった。その後も色々訊いてみたけど、てんで駄目だった。
まさにお手上げ状態。手に持っていた書類を横に置き、もっと親身になって訊くべく身を正すのに合わせまた彼の両手が伸びてくる。完全に伸び切る前にはっしと優しく捕まえたけど、これじゃいつもと何ら変わらない。
「(あ、そうだ)」
出来る事ならしたくなかった。でも、これで少しでも良くなるのであればと──私はフィルくんの顔ギリギリまで自分の顔を寄せて、自分の中では結構大人っぽい感じで微笑んだ。
「キスして欲しいのかと思った」
これで合っているのか分からない。そもそも正解が何なのか誰か教えて欲しい。
でも、これが切っ掛けでフィルくんが少しでも≪不運≫の怖さを分かって知ってくれたら……。キスしたら隕石だからね、怖いからね、組織壊滅も夢じゃないからね、大変なんだから。実際それで町ひとつ無くしちゃったことだってあるんだから。というか前の記憶を見ているなら、フィルくんだって知っているはずなんだけど。
後半大人っぽい微笑みをキープし切れず、崩れているのを自分自身感じていれば澄み切った新緑色の瞳が瞬いた気がした。
ふにっ
柔らかい感触が唇に伝わる。意識が視界に入り込んでいた情報を理解するのに時間が掛かった。
単純明快。普通に考えれば自分からギリギリまで距離を詰めていた結果が招いた事。溶ける氷みたいに理解が追っつくにつれ、フィルくんの両手を掴んでいた手が緩んだ。
自由になったフィルくんの手が私の首に巻き付き素肌同士が触れ合う。正確にはフィルくんの体は古代遺物だから純粋な人肌とは違うけど、今はそんなことはどうでもいい。
ちゅっちゅっと何とも愛らしい音は自分と彼の唇の間から産まれ続け、満足したのか頬擦りしながら更に抱き着いてきた。耳元で聞こえるフィルくんの規則正しい穏やかな呼吸音。対して私の息はどんどん荒く大きくなっていき──。
「フィルくんっっっ!!!!!!!」
目をぎゅっと固く瞑り組織内全体に轟く位の大声で彼の名前を叫んでいた。
多分その時の顔はすごく真っ赤だったと思う。だって、火照っているのが私自身分かっていたから。
その後、ニコさん達が奮闘してくれたお陰で地図から無人島がひとつ消し飛ぶ程度の被害で済んだ。
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