はるの
2022-08-08 23:19:10
43853文字
Public スタートレック
 

朝だけがあればいい

全年齢|AOS マッコイ・スポック|2022.3.17|STIDコアルームのあと、ジムが起きるまでのマッコイとスポックの話。

Side.S


 カーンを打倒する方法を、未来から来たスポックに尋ねることは不正行為である。
 スポックは正しく、その事実を認識していた。けれど状況は、これから自分の船長が非協力的な殺人鬼と共に敵戦艦へ突入する、という非常事態だったのだ。彼がうまく仕事をやりきって帰還することをおいて、ほかに重要なものなどありはしなかった。論理的に――もはや何をもって論理であると断言できるのかは不明である――生き残る確率が最も高い方法を、採択しないことのほうが不誠実だと考えた。したがって、ニューヴァルカンへの通信を依頼したときも、やや疲れたような未来の自分に、容赦なくHowを尋ねたときも、迷うことは一切なかった。
 遠回しな彼の助言をもとに、スポックはあらゆる事態をシミュレートした。そして細心の注意を払って、出し抜いてやったと信じていた。もし誰かが犠牲になるのだとしても、それはきっと自分に違いない。スポック大使の言葉からそう推察していたので、墜落し続ける船を最後まで動かすのは、はっきりと自分の仕事だと確信していた。やすやすと死ぬつもりはないが、自分の命が使えるのなら、目いっぱい使い果たすだけだ。また、カークとウフーラは激怒するかもしれないが――、そんな雑念を振り払いながら、コンソールにしがみついていた。
 だから、前触れもなく出力が戻って、助かったとき。
 おかしいと思ったのだ。
 そして、スコットからの通信を聞いて、すべてが吹き飛んだ。






「カーク大佐の働きにより、エンタープライズは市街地への墜落を免れました。彼の献身的な決断がなければ、艦隊は大きすぎる損失と、今以上の信用低下をこうむることになっていたでしょう」
 ぐるりと椅子が囲む広い会議室は、パイク提督が命を落とした日を連想する。
 あの銃撃のさなか、スポックは会議室から飛び出していくカークを見ていた。そのため、自分は残って救出活動を行う選択をしたのだ。地球人たちより頑丈な体を持つ自分には適任だと思えたし、彼が飛び出したのなら、きっと何らかの形で解決を導くだろうと考えていた。
 今、この場にいるのは、大佐と中佐ではなく、それ以上の役職や、本部の運営を担っている人々である。
 ヴェンジェンス事故対策委員会とシンプルに名付けられた組織を前にして、スポックはまっすぐ起立していた。前日までにまとめた報告書の内容を、努めて冷静に、淡々と言葉にしていく。
「つまり、内部監査とその見直しは本件における根本的解決策であり、マーカス配下の組織は徹底的に精査されるべきです。そもそも、組織の内部で派閥を争うなど」
「もう結構、スポック中佐」
 事故報告書の対策の段になったところで、対面に座っている上官が声を上げた。遮られた形となるが、スポックは即座に口をつぐむ。
「でも、結局カーク大佐は生きているんだろう?」
 その沈黙をついて、今度は別のところから声が上がった。遮っておいて特に発言をしない様子の上官は、自分で考え込んでしまったようだ。スポックは視線を外して、身振りの大きな事務官のほうに顔を向ける。
「はい。しかし予断を許しません。今はかろうじて命をつないでいますが」
「そもそも、艦長は艦に責任を取るものだ。みな命をかけてそれをまっとうしている」
 また別の上官が口を挟んだ。スポックは即座に口をつぐむ。
 そうすると、また別の席で、しかつめらしい表情の誰かが顔を上げた。大仰に周囲を見回して、残念そうに首を振る。
「エンタープライズは落ちなかったが、ヴェンジェンスはまずいところに落ちた。これをどうにかできなかったのか?」
「そうだな、どうにかできる施策があったかどうかの検討がされていない」
「内部の取り締まりはもちろんだが、まず検証すべきは、現場の事故時の対応が十分だったかだろう」
「何故、エンタープライズの墜落は阻止できて、ヴェンジェンスはできなかった?」
「命を賭してでも一般民を守るのが我々の仕事だろう。君はコバヤシマルテストの制作者じゃなかったか?」



 カークの病室は、いつでも静かだった。
 モニタは静謐に彼の生命反応を可視化しており、音が鳴るようなことはない。高官用の個室はプライバシーの保持レベルが高く、ほぼ完璧な防音がなされていた。自分の呼吸音が一番うるさく聞こえるくらい、カークの寝息ははかなく弱い。彼は身じろぎすらしないので、こうして微動だにせず突っ立ったままでいると、この部屋だけ時間が止まってしまったようにも思えた。錯覚である。
 結局、事故対策委員会からは、もっと報告書を仔細にしろと差し戻された。
 何故、ヴェンジェンスが墜落したか。直接的な原因は、自分が魚雷をけしかけたからである。それを回避した場合、カークはあの場で殺され、エンタープライズは襲撃されていただろう。彼らはスポックに、「キャプテンとクルーたちを見殺しにできなかったから」とでも書かせたいのだろうか。
 そしてそれが誤りだったと、ジム・カークから承認されろと?
 見下ろしたベッドの上で、カークはすやすやと眠っている。絶対に、そのようなことをさせてはならない。スポックは強くそう思った。彼がこうなってでも守ろうとしたものが何なのか、もはや分からない自分ではない。
「ジム」
 一言、彼を呼んだ。ベッドの傍らで、彼を見下ろしたまま、直立不動のいつものポーズで。
 返事がないことは承知している。けれど、何故だかそのまま、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。まるで言葉尻が宙に浮いてしまったようで、ひどく落ち着かない気分である。ひっそりと声の落ちた平静な部屋に、居心地の悪さを覚えるのは不思議だった。
 そしてふいに、なんでもないような話はいつも、彼から振ってくれていたことに思い当たる。
 スポックは、静かにカークを見続けた。
 息をひそめて、この祈りの時間分、彼に健康が戻るようにと、非現実的なことを願い続ける。
 彼の状態は安定しているそうだが、彼がこのまま目覚めなかった場合の結末は、マッコイから聞き及んでいた。






「副長」
 スポックをそんなふうに呼び止めるのは、エンタープライズのクルーだけである。
 果たして、振り返った先にいたのは、見覚えのある士官だった。本部の制服を着ているので見た目には分からないが、保安部のふたりである。若い男性で、表情は張り詰めていた。
「はい」
「お話が、あります」
 昼どきの本部の廊下は、人通りも多くせわしない。雑然とした雰囲気の中で、そう切り出した士官はじっとこちらを見つめていた。上官のヴァルカン人に一切ひるむことなく、いっそ戦いでも挑むような様子である。
 連れ立っているもうひとりの士官は、反してごく不安そうな表情だった。スポックに対して、というより、付き添っている彼に対して、はらはらした様子で両者を見比べている。友人だろうか、とスポックは考えた。
「承知しました。部屋を取りますので、ミーティングルームに」
 そう答えて、スポックは彼らを促す。先に歩き出したふたりに続き、パッドを取り出してミーティングルームを確保した。並んでいる肩に部屋番号を伝えると、揃って了解の掛け声が飛んでくる。
 付き添いの彼だけが、不安そうに振り返った。スポックは軽く頷き、その視線を受けとめる。
 指定の部屋にたどり着くまで、3人に言葉はなかった。自動で点灯するライトにも、クルーは動じることがない。いずれにせよ、あまり楽天的な話ではなさそうだった。スポックは先の見えない状況に身構えながら、部屋を静かに施錠する。
「座りますか?」
「いえ、ここで」
 振り返って問いかければ、話があると言った彼は立ったままそう断った。視線は床に落ちていて、顔は蒼白になっている。最初の勢いは、極度の緊張に飲まれてしまったようだった。
 けれど、彼はぎゅっと唇を食むと、きちんとこちらを見て背筋を伸ばす。
「キャプテンが生きているというのはどういうことですか」
 ともすればかすれそうな、その声に、スポックは彼がカークの死体袋を運んだうちのひとりだということに思い当たった。どうして忘れていたのだろう。
「確かに、キャプテンは死んでいました。医療ベイに運んで、ドクター・マッコイにお渡しした。そのあと、俺は船内の安全確保に回ったので、どうなったか分かりません。でも、今は生きている。つまり、彼を生き返らせた。そうでしょう? 俺が訊きたいのはそれなんだ」
……あなたの目的は、告発でしょうか」
「違う! そんなことはどうでもいい、キャプテンが助かったのはいいことだ。だめだと思ったけどうまくいった、そうでしょう? いいことだ」
「あなたは――
「つまり、死んだキャプテンを助けられたのなら、死んだ俺のダチだって助けられるはずだ」
 スポックは彼の訪問目的を悟って、表情を引き締めた。
 目の前の彼は、必死の形相だ。憤怒と哀願を混ぜ合わせたようなまなざしは、一度も逸らされることがない。自分の記憶が確かならば、普段は冷静と評価されている士官だった。それが、まるで取り乱したように言葉を崩し、激情に突き動かされ、上官を詰問している。
 何故なら、友人が死んだのだ。スポックはそう思った。彼の友人が死んだ。だから、彼は怒りに満ちていて、もし助けられるのなら、どんな手を使ってでも助けたいと思っている。
 スポックは一瞬だけ、頭を空にした。
「あなたのご友人は、助けられません」
……なんだって?」
「あの方法はもう使えません。それに、人権を軽視し辱める方法です。誰にも二度とさせないでしょう」
「人権なんて! 人権なんて、生きてるからこそ発生するものだろ! 俺のダチは死んだんだ! 治す方法があるなら教えてくれ!」
「おい、やめろよ」
 彼が激高して腕に掴みかかってきても、スポックは抵抗しなかった。ぎゅうと込められた握力に、自罰的な心境になる。揺さぶられて目を伏せれば、黙って成り行きを窺っていたもうひとりが、間に割って入ってきた。彼の手を外して、心配そうに肩を掴む。
「副長がここまで言うんだ、よっぽど」
「よっぽど人理に悖る方法だとしても、生きてるほうがずっといい」
 彼はすぐにおとなしくなったが、きっぱりとそう宣言した。言葉を失くした付き添いに強い視線を残して、怒れる男はそのままこちらを振り仰ぐ。
「生きてるほうがずっといい。そうだろ? だから、副長だってそうしたんだろ? ドクターだってそうしたんだろ! じゃあなんで俺のダチはだめなんだ! いくら上官だって、生かしたいやつと死んでいいやつを決める資格なんかないはずだ!」
 そう言い放つと、彼はうつむいて盛大に舌打ちをした。地団駄をするように足を前後させながら、なんとか衝動をやり過ごすと、背中を向けたまま静止する。付き添いの彼は、まるで深い切り傷を負ったように顔をしかめていた。
 スポックは、ただその背中を見つめることしかできない。
 何が言えるだろうか。こんな彼に、今の自分が。何を言っても欺瞞であるし、どう繕っても救いはない。
 何故なら、友人が死んだのだ。
――分かりました。じゃあ、俺は自分でその方法を暴きます」
 ふいに、彼はそう言うと、決然と振り返った。それから部屋を出ていこうとするので、思わずスポックは彼の腕を掴む。
 想像以上に強い力を出してしまったようで、振り向いた彼の顔は歪んでいた。
「どういうことですか」
「どうもこうも、話し合いで得られないなら自分で探り出すだけです。規則違反だろうがなんだろうが、いくらでも食らってやる。人を生き返らせる方法を、俺は絶対に暴いてやる」
「待ってください」
「止められてもやりますよ。そもそも、人のことなんか言えないだろ、あんたは」
 力をゆるめた途端に腕を振り払われ、自由になった彼はドアに手をかける。
 スポックは瞬間的に、この後に起こるだろう問題と、カークへの影響を想定した。ほとんど無意識に、彼の肩口に向かって再び手を伸ばす。
 同時、すぐそばで破裂音がした。
 キュウン、という大きな音と、一瞬の閃光。またたく間に、出ていこうとしていた彼はのけぞり、倒れそうになった。
 スポックは伸ばしていた腕で、間一髪、気を失った彼の体を支え、呆然と振り返る。
 もうひとりの友人が、スタンモードでフェイザーを構えていた。
「キャプテンを生き返らせる方法は」
 彼の声は震え、虹彩も揺らいでいる。けれど、銃口だけはぴたりと静止したままだった。
「たぶん、すごく違法か、すごく代償を払うか、きっとひどい方法なんですよね。死んだ人を生き返らせるんだ、悪魔の所業です」
 彼はかすれ声でそう言うと、まるっきり泣き出しそうな双眸でこちらを仰ぐ。銃は構えたままのポーズで、もしかしたら自分の行動を受けとめきれていないのかもしれなかった。
「だから、彼にはやらせない。そうですよね? それは、優しさですよね? キャプテンのことだけじゃなくて、こいつも悪いことにならないように……、そうですよね?」
 息苦しさにあえぐように、向けられた懇願のまなざしを、スポックはまっすぐ受けとめた。彼の友人を抱えたまま、ゆっくりと歩み寄る。そして同じだけゆっくりと、フェイザーに触れて腕を下ろさせると、彼は弛緩したようによろめいた。
 数瞬だけ、躊躇する。けれど、感情的であるべきだと思った。
「そうでありたいと願っている」
 スポックのそんな言葉を聞いて、彼はかすかな笑みを浮かべる。案の定、それはすぐに壊れて、あとに残るのは深い悲しみだけだった。
……断言はしないんだ」
「私はもうずっと、平常ではない。すまない。けれど、彼も助けたいと思っている。キャプテンが大切にしているすべてのクルーを、私も大切にしたいと思っている」
 彼はうなだれ、抱えられた友人の顔をじっと見つめると、そっと両腕を伸ばしてくる。
 スポックは素直に、気絶させられたクルーを彼に明け渡した。身長はあまり変わらず、彼のほうが幾分か低いくらいなので、どうも難儀しているようだ。やはり自分が医療センターまで運んだほうが、とスポックが申し出ようとすると、じっとこちらを見据える双眸とかち合った。
「ヴァルカン人は記憶の操作ができる、と聞いたことがあります」
 静かに伝えられた内容に、スポックは息をのむ。
「僕らふたり、キャプテンを死体袋で運んだことなんて、すっかり忘れさせてくれませんか。そうしたら、少しは楽になれるのかも」
 視線は揺るぎなかったが、彼の目はうるんでいた。小さな声でそう言って、彼はかき寄せるように友人の体を抱きしめる。
「だって、キャプテンが死んだことを知らない人たちは、なんとか普通にやっています。僕たちは、普通じゃないんだ。だから」
――しかし」
「僕もつらいんです。お願いします。お願いします、副長」
 彼はひたむきにそう言うと、おもむろにフェイザーを構え、自分のこめかみに向けて撃った。
 青の閃光と破裂音がして、ふたりの体が投げ出される。突然の事態に、ほとんど目を見開いていた。伸ばした手は間に合わず、スポックはかろうじて、ふたりの頭部を守って一緒に倒れ込む。
 何が起きたのか、理解できなかった。ゆっくりと身を起こせば、すぐそばに気絶したクルーの体が転がっている。
 スポックは呆然と座り込んだ。



 そうは言っても、何もできないのだ。
 その事実に思考が至ったスポックは、緩慢に我に返り、のろのろと立ち上がった。コミュニケーターでマッコイを呼び出し、ふたりを医療センターへ運んでもらう。フェイザーの誤射と説明したが、マッコイだけは疑わしそうな様子だった。ほかの者はごくスムーズに、患者を診察し、慣れた様子で病室へ収容したというのに、彼にだけは『ヴァルカン人は嘘をつかない』が通用していないようだった。
 ほとんど連行される形で、スポックはカウンセリングルームに押し込められる。
「撃つ相手を間違えている、という点において、誤射と何も変わりません」
「言い訳が聞きたいんじゃない。いいからちゃんと説明しろ。あいつらは俺たちのクルーだろうが」
 マッコイはそのようにして、根気よく問いただした。だんだんと衝撃から落ち着きを取り戻してきたスポックは、彼らふたりがカークの〝蘇生〟で不安定になっていることをすべて説明する。
 冷静に考えれば、彼らは数時間で目を覚ますのだ。そのあとのことは、自分ひとりで解決できる問題ではなかった。
「記憶を消してくれと言われました」
「記憶を? ああ、ヴァルカン人はそんなこともできるんだったか」
「私にはできません」
「は?」
 話を聞いているうちに顔をくしゃくしゃにしてしまったマッコイは、意外なことを聞いたように目を丸める。難しく考え込むような表情が一瞬でほどけたのを見つめながら、スポックはそっと頷いた。
「私は一般教育課程を終えたのち、評議会の提案を蹴って故郷を飛び出しました。そのため、記憶を操作するような、緻密で繊細なマインドコントロールの手法は習っていないのです。対象が自分であれば、おそらくできると思いますが、第三者、それも地球人となると、手に負えません」
……そうか。はは、そう考えるとお前も十分じゃじゃ馬だな」
 マッコイは表情をゆるめると、そんなことを言って肩をすくめる。誰と比較されたのかは明白であり、スポックは彼の物言いを非難する気にはならなかった。実際、事実だろう。あの星を出てきたときの顛末を話して聞かせたとき、カークは手を叩いて喜んだものだった。君が喧嘩っ早いのは、君自身の資質だったんだな。そんなことを言いながら。
「ドクター」
「わかった。ふたりは俺のほうで見ておく。できれば説得もするし、できなければ――
……彼は、友人から撃たれました。手ひどい裏切りです。また、もうひとりの彼は、友人を撃った。それで救われると信じていました。ふたりの心は今、少なくとも、深く傷ついているはずです」
……そうだな。まずはカウンセリングをして、様子を見ながら事情を話そう。説得できなければ、そのときはそのときだ」
 はあ、と重苦しい溜息をついて、マッコイは片手で両目を覆った。しばらくそのまま、打ちひしがれたように身じろぎもしなくなるので、スポックは静かに、彼の考えが整理されるまで待機する。
 やがて、億劫そうに顔を上げたマッコイは、直立不動で後ろに手を組むスポックの姿を見ると、脱力したようにひっそりと微笑んだ。再び大きな溜息をついて、深刻な表情になる。
「だめだな。倫理を置き捨ててしまいがちだ」
「当然です、ドクター。そうなるに当然のことをしたのです。あなたもきっと、彼らのように深く傷ついています」
「冷血のとんがり耳とは思えない発言だな」
 ひねり出したような皮肉の笑みを向けられて、スポックは苦労して片眉を持ち上げた。いつもどおりのやり取りをするのも、今は多大な労力がかかる。きっとそれは、疲れ果てた目の前の男も同様だろう、とスポックは思った。
「それでは、私は戻ります」
「ジムには会っていかないのか」
「勤務中ですので。終わり次第、また来ます」
……お前も、あんまり無理するなよ」
 そんな珍しい言葉には、小さく首を傾げておく。踵を返せば、背後から溜息が聞こえてきた。






 ヴェンジェンス事故対策委員会の会議は、いつも同じ場所で行われた。
 ぐるりと取り囲む士官たちは、一様に難しい表情で座っている。大きなガラス窓の向こうには、よく晴れた青い空と、広範囲に渡って倒壊した街並みが広がっていた。余計な雑音は一切なく、参加者がパッドを繰る音や、ときおり抑えた嘆息がこぼされるのみである。
「現場側の対応について、まとめられた報告書ですが」
 眉間に皺を寄せた士官が、トントン、とパッドを爪で叩いた。
「脱出命令に反抗したスールー大尉の判断、除染作業を徹底しなかったスコット少佐の判断、高リスク再生治療を同意書なく実施したマッコイ少佐の判断、これらはすべて、その場では看過された、ということですか」
 はい、と答えるべきか、スポックは逡巡する。この場では、正しいことを答えるだけでなく、心証を考慮する必要がある、と理解していた。自分にとっては、難度の高い判断である。けれど、必要なことのためであれば、迷うことはしなかった。ためらいはあったが、もはやヴァルカン人の矜持を天秤にかけている場合ではないと結論付けている。
 迷っている間に、ほかの士官が咳払いをする。そちらに顔を向けると、厳格そうな表情と目が合った。
「カーク大佐には常々問題行動があった。常日頃から、リスクが看過されていたのではないか?」
「いいえ。本件に限って申し上げますと、墜落の時点で艦長は行動不能でした。つまり、看過されたことも含め、副長である私に責任があります」
 スポックは士官を見返しながら、ごく冷静にそう答えた。言葉を切ればしんと沈黙が降り、厳格そうな表情は無言でパッドを見下ろす。
「まあまあ。でも、カーク大佐は生還したのだ。うまくいった部分もあるだろう」
 誰かが鷹揚にそんなことを言う。するとすかさず、高い声が遮った。
「結果論では? エンタープライズは旗艦です。他艦の模範となり、艦隊の代表となるべき航宙艦です。問題行動が看過されるような環境をほっておくわけにはいきません」
「そうだな。今回の件はむしろ、見直しができるいいチャンスだと思って」
「キャプテンが命を落としかけたことを、いいチャンスだと?」
 軽々しい発言を、低く張りのある声が強く咎める。途端に、再び議場は沈黙に包まれた。しん、と静まり返り、全員のやや驚いたような視線を集めるに至って、スポックは自分が感情に任せて反抗的な態度を取ってしまったことを自覚する。無表情を保ったまま、努めて冷静に、と自身に言い聞かせた。冷静に、冷静に、冷静に。
 咎められた上官が、呼吸を整える。
「もちろん、そうは言っていない。この事件自体をだ」
「スポック中佐」
「はい」
「あなたの艦はいささか情動的に動くところがあります。それは確かでしょう」
「ああ、ニビルの件ですね」
「故人をとやかくは言いませんが、パイク提督の処分は甘かったのでは?」
「パイク提督はマーカス派でしたから」
「ということは、カーク大佐もか? サンフランシスコを救った英雄が敵の派閥だった、というのはまずくないか」
「スポック中佐」
……はい」
「カーク大佐がマーカスに与するようなことはありましたか?」



 凶弾に倒れたクリストファー・パイクの心に最初に触れたとき、そこにあったのは悲しみと恐怖だった。死によって圧倒的にすべてが奪われるということに対する、根源的な拒絶である。
 けれど、彼と目が合ったとき、そしてスポックがマインドメルドを始めたと理解したとき、パイクはかつての副長に、気を許すような情動を見せた。
 彼の元へ配属される前から、彼はいつでもそうだった。融通の利かない若いヴァルカン人に対しても、パイク船長は常にフラットで、冷静で、そのうえ慈愛に満ちていた。彼の副長として働いたのはわずかな期間だったが、ここでマインドメルドを行おうと思うくらいには、彼のことを尊敬していた。
 パイクはスポックに意識を向けると、まるで堰を切ったように、心をカークでいっぱいにした。
 彼の将来への心配と、同じだけの期待と、その結果を見られないのが何よりも悲しいということ。
 彼は、頼む、とは言わなかった。ジム・カークの後見人としての役割は、1から10まで自分の仕事だと思っていた。かけらだって、それを誰かに譲る気はない。けれど――、ただ。
「ジム」
 パイクの意識は、ただそれだけを告げるのだった。いつもの彼の指示のように、明瞭に、スポックに向かって。
 スポックは、記憶から現在に目を向ける。昨日と同じように、カークは個室のベッドで眠り続けていた。
 ただ彼の名を呼んで、それ以外に何も考えられなくなるようなことが、この世には存在する。それを、スポックは今回、実地で体験し、理解した。
 ジム。
 彼の副長としての役割は、1から10まで自分の仕事だと思っている。かけらだって、それを誰かに譲る気はない。
 けれど――、ただ。
 ただ。
 スポックは口を引き結び、後ろで組んでいる自分の手をぎゅっと握った。カークの伏せられたまぶたと、揺れもしないまつげを、つぶさに見つめて息を詰める。
 ジム・カーク以外の理由で、彼へ向かう自分の思いを、決してなくしたくはなかった。この無様なありさまもすべて彼に献上して、彼に選別してほしかった。カークに断罪されるのなら、自分は喜んで受け入れるだろう。ヴァルカン人らしからず。
 敬愛するキャプテンの死を、合理的だと思うくらいなら、ヴァルカン人になんてなりたくなかった。






「街は説明を求めています。正式な抗議も自治体から受けている。さらに放置すれば、デモにもなりかねないでしょう」
「だが、我々は真実を隠すために沈黙しているわけではない。事実確認に手間取っているだけだ」
「スポック中佐」
「はい」
「カーク大佐は、無事なんですね?」
……何度も申し上げているとおり、予断を許しません。状態は安定していますが」
「では、発表を出しましょう。艦隊のチャンネルで会見を。プランA原稿のままでよいでしょう」
 せかせかした上官の声がスポックを遮る。起立姿勢を崩すことはなかったが、思わず肩が揺れてしまった。
 そうだな、と同意するその他の会話を割るように、スポックは片手を挙げる。
「恐れ入りますが、発表とは?」
「もちろん、カーク大佐の素晴らしい業績をニュースに。私たちはその間に、できることを考えましょう」
「さっさと資材を出して、復興を進めるのがよいのでは?」
「街と連携している、というアピールは必要だ」
「恐れ入りますが、プランAとは?」
 スポックは、再び挙手をした。ざっ、と視線が集まり、議場はしんと静まり返る。
 窓の向こうは、今日もよく晴れた空だった。澄んだ青と、半分がらくたと化した都市。シンプルで機能的な会議室と、事故対策委員会。
「スポック中佐」
「はい」
 呼んだのは、この場で最も高位の士官である。静かにそちらを向くと、彼はいたわるように、かすかな笑みを浮かべた。
「あなたも、自分の艦長が街を救ったことは、誇りに思うことでしょう。我々も、誇らしく思っています。彼はよき艦長として、ふさわしい行いをしました」



「まだジムは目を覚ましてないってのに、なんて言い草だ!!」
 カークの病室で突っ立っていると、前触れもなくドアが開き、そんな怒号が飛び込んできた。足取りも荒くやってきたマッコイは、いまいましげに歯を噛み、衝動を分散させようとうろうろした身振りをする。
 彼がどんな『言い草』を聞いたのか、スポックは悟って目を伏せた。カークは今日もすやすやと眠り続けている。
「ニュースを見たか! あんな言い方あるか?! もう全部、きれいさっぱり終わったことみたいに言う! ジムはまだ〝助かって〟ないんだぞ!」
 このマッコイの大声で、カークが起きればいいのに、とスポックは思った。彼はいつも、マッコイにどやされていたから。だからいつもみたいに、うわボーンズ怒ってる! なんて言いながら、びっくりして起きてしまえばいい。
「お前は何も言わなかったのかスポック! こんな仕打ち――
「言いました。ドクター」
――
「私は何度も、まだ予断を許さないと、言いました、ドクター」
「スポック」
「言いました」
 思ったより、きっぱりとした声が出てしまった。気圧されたように声をひそめるマッコイに、過分な対処だったと判断する。
 こんな喧騒においても、カークはピクリとも動かなかった。まるで深い眠りをむさぼるように、殊更ゆっくりと、胸が上下するだけだ。昨日と同じように。
……すまん」
 ぽつりと小さな謝罪が落ちて、スポックは顔を上げた。マッコイの打ちひしがれた表情は、もう一生分見たのではないかと思う。
 謝ってほしいわけではなかったし、彼も許してほしいわけではないだろう。マッコイが感情的なのは今に始まったことではないが、自分もずっと感情的だった。
 もうずっと、スポックは感情的でいる。
 ヴァルカン人らしからず、と言いたいが、同じだけ、ヴァルカン人であることにも底知れない怒りがあった。あらゆることに、緩慢とした、途切れのない憤怒がある。地殻の下にマントルを内包するように、どろどろとした灼熱の何かを、腹の奥底に感じている。
「けれど、言えなかったこともあります」
 マッコイを見つめて静かにそう言うと、視線を落としていた彼はふっと目を向けてきた。抗いようのない無力感にさいなまれるような、そんな表情を彼はする。
「なんだ」
「プランBは、キャプテンが死亡したパターンを想定しているのかと、私は問いただしたかった」
――は?」
「英雄の献身的な死によって、事件の幕を閉じるやり方のほうがうまく世論をごまかせたのか? ジムがパイク提督を慕っていたのは、そんなに悪いことなのか? 大切な友人を死なせまいとする、スールー大尉や、スコット少佐や、あなたの行動は、確かに規則違反でしょう。けれどそれは、本当に、醜悪だと非難されるべきことなのか? コバヤシマルテストを、死によってのみ、評価されるとした、私は――
「待て、スポック、待ってくれ」
 唐突に、ぐいと腕を掴まれて、スポックは口を閉じた。ほとんど呆然とした様子のマッコイは、まるで自分を落ち着けるように、ゆっくりと息をのむ。顔をのぞき込まれるようにされても、スポックは彼を見つめたままでいた。充血ぎみの白目、その下のくま、眉間に増えた小皺と、剃り残しの目立つあご。ずいぶんとくたびれ果てた様子は、同じだけ、カークを救いたい気持ちの表れだろう。
「私は、ジムに生きていてほしい。ドクター」
「スポック……
「私にできることすべてと引き換えにできるなら、私はどんなこともする。私の血で生きてくれるなら、すべて抜いたって構わない。どんなにずるく、人を踏みにじるような、汚いことをしても。ジムが生きていてくれるなら」
 マッコイに掴まれている腕を動かして、スポックは彼の腕を掴み返した。驚いたようにそちらを見る彼をまっすぐに見据えて、迷いなく言いきる。
「どんなことだってするのに」
 再び見開かれた目を返されても、スポックは動じなかった。そのまま、いくつかまばたいたマッコイは、やがて複雑そうに顔をゆがめる。
……お前は悪くない。とは、言わんよ。スポック」
 そんなことをつぶやいて、彼は掴んでいた腕を離した。ぽんぽん、と肘を優しく叩かれて、スポックも彼から手を離す。
「規則やぶりだしな。この件でもう何個やぶった?」
「重篤なものも含め、19です」
「立派なワルだ。俺も、お前も。――だが、お前がそんなふうに願うことを、俺は汚いとは思わんよ」
 慎重に、彼の言葉に耳を傾けながら、スポックは背筋を伸ばして後ろに手を組んだ。マッコイはそんな様子に少しだけ笑って、追加するようにぽんと腕を叩く。それからごく真剣な顔つきで、しっかりとこちらを向いた。
「お前、少しは顔に出せ。いっつも取り澄ましてるから、分かんないだろ、そういうの。俺はジムじゃないんだ、お前にそこまで詳しくないんだよ」
……ジムは、私に詳しいのですか?」
「詳しいだろ、どう考えても」
 まるで鼻で笑うようにして、マッコイは肩をすくめた。そのままベッドに目を移すので、スポックも静かにカークを見下ろす。
「なあ、スポック」
 肩を並べて自分たちのキャプテンを見つめていると、小さな声にそっと呼ばれた。隣を見やったが、マッコイは静かに、カークを見つめるだけである。
「俺は、命の選択をする。こいつは間に合うから最優先、こいつはほっといても少し先まで生き延びるからあと、こいつは助からないからここで死んでもらう。そうやって、助かるものを助けてきた」
 スポックも静かに、再びカークを見下ろした。ゆっくりと、呼吸を繰り返す命。
「でも、ここで死んでもらうはずのやつを、全力で助けようとしたのは初めてだし、助けられたのも初めてだ。あの場にいたみんな、ジムを助けようとしていた。それに、少なくともお前は、死者を蘇らせるということがどういうことなのか、ちゃんと分かっていたはずだ。分かっていて、選んだ。お前も、俺もそうだ。傲慢だな?」
……ええ、傲慢です」
「わがままで駄々こねて、いやだいやだとぐずりまくって、力ずくで、無理やり心臓を動かした。ジムの同意は一切ない。こいつはどうせ、ありがとうなんて言うだろうけど、俺は」
「私は、生涯それを背負います」
「ああ、生涯背負う。ジムのためとか言いながら、結局は失いたくない自分のためだ」
「はい」
「でも、それで何が悪いと開き直ってる」
……そう、ですね」
「おい、なんでそこで言いよどむ。俺だけ悪者みたいじゃねーか」
 どん、と背中をはたかれて、スポックは顔を上げた。真面目な声音を不真面目に変えて、マッコイはとてもわざとらしい、恨みがましい表情をしてから、気が抜けたような笑みを見せる。スポックはぱちぱちとまばたいて、年上の部下からの気安さに少し戸惑った。
「開き直って、いいのでしょうか。少なくとも、亡くなった士官には顔向けができません」
……そっか。そうだよな。お前って、ほんとは良い子なんだな。ジムと一緒だ」
 戸惑いのまま、懸念点を口にすれば、マッコイは何故か眉尻を下げてしまう。何とも形容しがたい表情をしながら、手の甲で目元をこする彼に、スポックは発言の意図を問おうと口を開いた。けれどそのタイミングで、マッコイはぱっとこちらを見やる。
「どんなに願っても、全員は救えない。そういうことは確実にある。スポック、俺たちはいつだって、選ぶしかない」
……はい」
「だから、俺は選ばなかったもののことを、今でも全部覚えてる。だからお前も、覚えていればいい。覚えとけ、全部」
「ドクター……
「分かったな? よし。じゃあ外行くぞスポック」
――は?」
 これで話は終わりだ、とばかりに、軽くひとつ手を叩くと、マッコイはそんなことを言い出した。脈絡がなさすぎてぽかんとしていると、彼はカークのバイタルを見やってから、さっさと戸口へ向かってしまう。スポックは、慌ててそんな背中に抗議した。
「ドクター。私はまだここにいます」
「ベッド脇でそんな薄暗いオーラ出されてたら、良くなるもんも悪くなるわ。いいから出ろ、スポック」
「ですが」
「外走んぞ」
……は??」
 有無を言わせない雰囲気で、素っ頓狂なことばかり言うマッコイに連れられて、結局スポックはカークのそばから離されてしまう。医療センターの玄関から外に出れば、あたりはもう夜に包まれていた。見回りの警備がひとり歩いているだけで、ほかには人影も確認できない。確かに、面会時間はもうすぐ終わりだろう。けれど、それとこれとは話が別である。
「ドクター」
「行くぞ」
 真意を問おうとしたものの、彼は構わず走り出してしまった。予備動作もない、突然の全力疾走である。目立つ白衣の白が、あっという間に街灯の向こうへにじんでいくのを見やって、スポックは仕方なく後を追った。自分の格好も、ただの艦隊制服である。走りにくいことこの上なかった。
「ドクター」
 追いついて彼を呼んでも、マッコイは無反応だ。一心不乱に、がむしゃらに、ただ前だけを見据えてあえいでいる。
 建物の角まで来ると折れ曲がり、ひたすらに彼は走った。そんなふうに、センターの周りをやみくもに走りながら、ときおりうめき声のようなものを上げる。
 スポックは、その横顔を観察し終えてから、前を見た。
 隣で走る男のように、自分の意識に集中する。筋肉への負荷、酸素量の低下、眠り続けたままのカーク。
 何もかも、ままならないこと。解決できないこと。沼底の泥のように堆積した、もがいてもあがいても抜け出せない何か。
 走っているうちに、そういったものが、少しだけ後ろに置き捨てられていくような心地になる。錯覚だ。
 スポックは速度を上げた。呼吸と心拍が跳ね上がるくらいにはスピードを出して、挑むように風を切る。
 錯覚だから、なんだというのだろう。
 このまま叫び出して、好きなだけ、雄たけびを上げながら、限界まで体力を使い果たして倒れ込んでしまいたい。流れる景色は次第に意味をなさなくなり、耳が拾うのは、一定した自分の吐く息だけになった。もはやここがどこかとか、自分が何故走っているのかという理由は消え失せ、スポックは一種、瞑想の極致のような心境に至る。
「ま、待て! スポック! 早……ッ、もう俺は限界だっ!」
 やがて、ぜいぜい言いながらよろめいているマッコイに、そう声をかけられた。
 何故か前にいた彼に、道をふさがれるようにされて、スポックは我に返って足を止める。やっと止まりやがった、と悪態をつく様子を見るに、何度か声をかけられていたようだった。まったく気づかなかったが。
 きょとんと首を傾げると、マッコイは心底嫌そうな顔をして、そのままアスファルトに倒れ込んだ。






「以上です。ご意見がありましたらお願いいたします」
 報告書を説明し終えてそう言葉を切れば、会議室にはしんとした沈黙が降りた。弧を描いて座る面々は、等しくパッドに目を落としている。スポックは直立不動の姿勢を保ったまま、特に意味もなく窓の外を見た。街の壊れた部分には、がやがやと人がつめかけて、がらくたを回収している。今日の空は曇りだった。
「提督、何かありますか?」
「いいえ。すっきりした内容だと思います」
「ええ、これなら記録として残してよさそうですね」
 改訂を繰り返した事故報告書は、ようやく受理されるようだった。スポックは一仕事終えた気持ちで、内心そっと息を吐く。
「スポック中佐。こちらの内容で、通常通りの報告フローに乗せてください」
「承知いたしました」
 探査部の上官から申しつけられて、折り目正しく受諾する。もうこれで、この委員会が一堂に会する場に立つのも最後だろう。内部調査は進行中とのことだが、その内容を共有するような深刻な会議に、中佐職――もしくは大佐職が、呼びつけられるとは思えなかった。いくらか調査される側にはなるだろうが、おそらく、身内の評価はもう少し閉鎖的に行われるはずだ。
「街の復興はどうなっている?」
 着席しようとした刹那、誰かがそんな声を出した。
「いくつかのプロジェクトをストップして、人員と資産を回しています」
「そうか。航宙艦を2機も廃棄だからな。あのスクラップを他に回せないか?」
「待ってください。2機?」
 そしてまた無関係な会話を始めた高官たちに、スポックは思わず声を張る。椅子を引こうとした手を机について、ほとんど前のめりの体勢になった。
 そんなヴァルカン人の部下を、議会は不思議そうな表情で見つめる。沈黙が落ち、お互いに読み合う視線が交わされた。
 口を開けたのは、スクラップと発言した士官だ。
「2機だろう。ヴェンジェンスと、エンタープライズ」
「エンタープライズは、墜落ではなく着陸をしています」
「君は機関主任からの報告書を読んでいないのか? スクラップだ、あの内容は」
「読んでおりますが、彼の提出した報告書は修繕案で」
「今、宇宙船を作っている余裕はない。少し考えれば分かるだろう」
 話しているうちに、相手は気分を害したようで、やや強い語調になった。スポックは気にせず議論を進めようとしたが、横から違う士官が挙手をする。口をつぐんだスポックに対し、彼女は気の毒そうな、いたわるような表情をした。
「街の人々の心証を考慮すべきです、スポック中佐。ヴァルカン人のあなたには、少し不条理に思えるかもしれませんが」
「そうだな。ヴェンジェンスはもちろんだが、エンタープライズという名前も、今後使用不可にしたほうがいいかもしれん」
――ですが、今回、事故の規模拡大からこの街を守ったのは、エンタープライズだと、あなたがたは、ニュースに」
「よい思い出として忘れられることも、時には必要だと思わんか?」
 論理展開が信じられず、スポックは呆然とする。浮ついた口調で動揺した発言をしてしまったからだろう、こちらの言葉に返答した士官は、やや尊大な物言いだった。
「忘れる、という文化は、君たちにはないかもしれないが、地球人にとっては大切なことだ」
「あの、すみません。それよりも、まずは殉職通知を進めたいと思います。報告書がまとまりましたので」
「ああ……、そうだったな。クルーの対応は本来艦長の仕事だが、カーク大佐は実施できるか?」
「そのあたりの対応もまとめて、スポック中佐のほうで確認を進めてください」
「スポック中佐。遺族の方々には、くれぐれも配慮するように」



「ジム」
 ぽつりと。
 自分の口からこぼれ出た言葉は、あまりにも頼りなかった。それをいまいましいと思うが、だからといって憤る気力も湧いてこない。
 今日も静かに眠り続けるカークは、ゆったりと肺を動かしているだけだった。
 傍らに起立したまま、スポックはその様子を見つめ続ける。じっと動かず、ただ息をひそめていた。
 最終的に、今回の事故で違反行為を指摘された者は全員、昇進査定に大幅なマイナスはついたが、在籍は守りきった。その結果は、自分でも満足のいく内容である。きっと、カークは喜んでくれるだろう。あんなに大切にしている自分のクルーを、とりこぼすことなく迎えられるのだ。
 けれど、この世からエンタープライズ自体がなくなってしまうかもしれない。
 そんな現実は、この人をひどく悲しませるだろう。目が覚めたときに、自分の船が粒子に変えられ、今後も存在することはないと知ったら、この人はきっとひどく打ちのめされるに違いない。
 そして落ち込んでいる暇などないと、彼のクルーが死んだ証明書を突きつけられるのだ。彼の名のもとに死んだ名前が連ねられ、それを遺族に届けなければならない。きっと、とても悲しむだろう。もしかしたら涙を流して、あんなふうに……、あんなふうに、怖いとこぼすかもしれない。
 だったらいっそ、このまま目覚めないほうが――
――ジム」
 スポックは浅く息を吐いて、手のひらで両目をぎゅっと押さえた。心拍が上がって動悸がする。自分はなんて愚かなことを願ってしまったのだろう。ごめんなさい、という言葉が、声にならずに唇を震わす。この願いのせいで、カークが目覚めなくなったら、自分の命に代えたって償えることではない。そんな考えは非論理的だと分かっている。分かってはいるけれど。
 ジム、起きてください。
 はく、と乱れた息がこぼれる。やはり声にはならなかった。きっと後ろめたいからだろう。
 手で覆った暗闇の中でも、映るのは眠ったままのカークだった。起きてほしい、と強く願う。
 起きてください、どうか。
 起きて……






 殉職者には、理由に応じて勲章が贈られる。
 カークの代わりにそれを受け取ったスポックは、ひとつひとつ、死亡証明書と照らし合わせて、名前と住所を確認した。
 それから、ひとりひとり、遺族にアポイントを取る。総務からまとめて手配する申し出も受けたが、スポックはそれを断っていた。きっとカークならそうする、と思ったからだ。
 きっと、カークが動ける状態なら、直接遺族に会いに行っただろう。彼らの悲哀に寄り添って、直接非難を受けることを、きっとよしとしたはずだ。スポックはその確信とともに、丁重に制帽をかぶる。それから荷物をまとめた鞄を持って、静かに本部を抜け出した。今日も朝から夕方まで、予定は詰め込まれている。
 本当なら、殉職通知は、カークの目が覚めるまで待ちたかった。
 エアカーを停めながら、スポックはそう思う。クルーの死に打ちのめされたとしても、彼は結局、どこまでもキャプテンなのだ。自分が眠っている間に終わらせてしまったと聞いたら、きっと無念に思うだろう。
 けれど、上層部がすぐさま実行するよう命令している以上、彼を待つ猶予はない。
 だからせめて、キャプテン・カークの副長として、恥じない働きをしたかった。
 対峙する遺族たちは、大半が悲しみに暮れている。
 当たり前だ、自分の大切な人がいなくなったのだ。永遠に、もう二度といない。
 スポックはそんな彼らに、事故状況を明示し、士官の仕事ぶりを讃え、サポートが必要ならいつでも連絡をと伝えた。それから、カークの不在と、彼の体がまだ自由に動かないことの説明。彼らは泣きながら、あるいは何かに耐えるように、じっとその話を聞き、手渡した勲章は受け取られた。スポックは深く礼をして家を辞し、また次の遺族が住む場所へと向かう。
 同じことを、繰り返し、繰り返し、伝えた。
 静かに終わり、過ぎ去っていくことが、まるで無慈悲に思える。
 とある家で待っていたのは、家族と、数日前にフェイザーで撃たれた保安士官だった。スポックは一瞬、立ち止まってしまったが、努めて冷静さを保ち、伝えるべきことを伝えていく。彼はほとんど憔悴しきり、淡々としたこちらの言葉をただ浴びるだけだった。家族は泣いて悲しみ、彼は遺された母親を優しく抱擁する。最後の最後まで、こちらを見ることはなかった。その後、彼は辞職を申し出たと聞いている。
 すべての家を回りきるまでには、数日を要した。
 お前らのせいで息子は死んだ、と罵倒されることも、もちろんあった。
 反対に、名誉を讃えられ勲章を授かることを、ひどく感謝されることもあった。
 アポイントを取ったとき、迷惑そうな声色で、もうずっと会ってないし勲章とか言われても困る、と断られたこともあった。
 スポックはただ、誠実に、事実を述べていくだけだ。会う気のない人々には無理強いをせず、配送の手配をした。それ以上の、何ができるとも思えなかった。
 何故なら、大切な人が死んだのだ。
――それで、それだけですか」
 最後の家では、妻を亡くした夫が待っていた。一通り話を聞いて、力なく勲章を受け取り、彼はうなだれてそうつぶやく。
……はい」
「はい、か。あなたはそれで、終われるんでしょうね」
 口をつぐむスポックに、彼は卑屈な笑みを浮かべた。
「英雄だとかちやほやされてるあの人は、謝罪には来ないんですか?」
……申し上げましたとおり、キャプテンは起き上がれる状態になく」
「あの人はまだ生きてるのに、僕の妻は死んだんだな」
「ミスター」
 当てこするような発言に、スポックはすかさず声を上げた。カークがここにいないのは、カークの責任ではない。誤解を解こうと彼に呼びかけた、途端、手渡した勲章を投げつけられた。
 頬にぴりっとした痛みが走る。おそらく、ケースの角で傷ついたのだろう。
「こんな勲章が何かになるんですか。彼女の何かになるんですか?」
 震える声で、彼はそう言った。みるみるうちに目に涙が溜まり、ほろほろとこぼれていく。純粋な瞳はまっすぐこちらを射抜いていて、スポックは息をのむしかなかった。
「ひとりで、生き残って、どうしろって」
 彼は自分の左手を胸に抱きしめると、ぎゅっと両目を閉じて縮こまる。その指先がきらめくマリッジリングに触れるのを見て、彼らが新婚であったことを実感した。
「ふたりでしたいことも、たくさんあったのに。やっと、僕たち、気持ちが通じて。これから、もっとずっと、仲良くなるはずだった。これから、もっと、ずっと――。どうして、どうしてこんなことに?」



 彼の家を出る頃には、日も暮れて雨になっていた。
 うまくエアカーを捕まえる予定で、傘は持ってきていない。スポックは制帽のつばからしずくをこぼしながら、とぼとぼと歩いて大通りに出た。
 ふいに、カークの声が聞こえて、顔を上げる。
 夜闇に輝く街角の大きなディスプレイに、アカデミー制服を着たカークが大きく映し出されていた。彼はその柔らかそうな髪と、澄みきった双眸をきらめかせながら、はつらつと演説をしている。卒業式の映像だった。
 ――彼はその身をもって、船とクルーと、そしてこの街を守ったのです。
「まるで死んだように言う」
 真摯な声音のナレーションに、スポックは小さくつぶやいた。雨の街角は人通りも少なく、それを聞き咎める者はいない。
 カークの映像が切り替わったタイミングで、スポックは見上げていた首を戻した。道路へ寄ってエアカーを呼び、無言で座席に乗り込む。
 雨音が反響する車内は静かだった。さあさあとしたささやかな音に、スポックはぼんやりと車窓を眺める。不規則に流れる雨粒と、白くけぶるあいまいな街並み。自分は今、本当にここにいるのだろうか。そんな根拠のない不安がじわりと湧き上がってくる。自身の体を見下ろせば、濡れてにぶく光る喪章が目に入った。
 これからもっと、ずっと仲良くなるはずだった。
 あの勲章を受け取ったのが自分で、それを授与されたのがカークなら、自分だってきっと、あの何にもならない箱を投げつけただろう。
 マッコイの言うとおり、ジム・カークはまだ目覚めていないのだ。
 このままひっそりと、まるっきりあっけなく、終わってしまう可能性は、かけらだって消えていない。
『行き先を指定してください』
 背もたれに身を預けたまま、静まり返る乗客に、ナビゲーションが問いかけてくる。
 スポックはゆっくりと息を吸って、目を閉じた。
「ジムが元気でいられる場所なら、どこでも構わない。どこでもいいから、そこへ連れていってくれ」
 まるで感傷的な言葉である。
 そんな自分に笑い出したいような気分を、破れかぶれな理性で覆っていると、長考を挟んだシステムは、静かにこう返してくれた。
『該当の場所が見つかりません。再指定してください』






 直帰予定でスケジュールを出しているため、本部に戻る必要はなかった。けれど、カークがいるのは本部の医療センターである。
 濡れた体をどうにかしないといけない、と思いながら、スポックは何も考えずセンターの玄関をくぐった。不要なときですら何でも計算をしたがる脳は、今やすっかり別のものに置き換わってしまったようだ。
 ずぶ濡れの士官に対して、通りがかった看護師は気の毒そうな表情をしたが、特に声をかけられることはなかった。スポックは足を止めなかったし、いつもの何食わぬ顔をしていたのだ。ヴァルカン人がそうするなら、きっと何か正当な理由があるのだろう、と思われているに違いない。
「スポック!!」
 けれどもちろん、それが通用しない、例外の地球人も存在した。
 疲れ果てた姿で廊下を歩いていたマッコイは、対面からスポックが歩いてくるのに気づくと、みるみる目を剥いて、そんな大声を上げる。
 駆け寄ってくる彼を見据えながら、スポックは眉根を寄せた。マッコイが歩いてきたその向こうには、カークの病室がある。彼の様子からすると、またカークの体調が不安定になったのかもしれなかった。それを引き戻す仕事を不定期に繰り返しているこの医者は、カークの容体に関する『悪い部分』を、極力スポックに見せないよう配慮している節がある。
「何かあったのですか」
「それはこっちのセリフだ!」
 硬い声で問いかければ、それ以上に張りのある声を返された。マッコイは勝手にこちらの制帽を取り去ると、不機嫌極まりない表情で、頬にできた傷を観察する。
「何があった。この傷は?」
「できました」
「そりゃできたんだろうよ! まったく! ジムの部屋にタオルがあるから来い」
「もともと行くつもりでした」
「今日はやたら反抗的じゃねえか、ええ?」
 マッコイは斜に構えてそう言うと、靴音も高く踵を返した。じろり、と肩越しに睨まれたので、スポックはおとなしく彼と肩を並べる。ひょいひょいと制帽を振ってしずくを落とすマッコイは、それを自分に返す気はないようだった。
「お前、自分が相当まいってるってことを、ちゃんと自覚しているか」
 歩きながら、彼はじっと制帽を見下ろす。宇宙艦隊のインシグニアに、思うところがあるようだった。
「まいっていない、などとは思っていません。まだ、ジムは目覚めていない。それに、あなたもそうでしょう。今日は一段とくまが濃い。髪も乱雑で、顔はとても不景気です」
「うるせえ。落ち込んでても弁舌だけは絶好調だなこのやろう」
 苛立ったようなポーズをして、マッコイは遠慮なくドアを開ける。そのまま彼は、部屋のすみの物入れに向かった。
 カークの病室は、いつでも静かだ。鬼気迫るようなアラート音はないが、笑い声ひとつも聞こえない。この白く清潔な部屋に足を踏み入れるとき、スポックはわずかに緊張する。
 まっすぐ歩いていって、ベッドの傍らに立てば、カークは今日も静かに眠っていた。
「ジム」
 彼を見ると、いつも、そんなふうに声をかけてしまう。それによって達成したい行動目標もないのに。
 すっと背筋を伸ばして、後ろに手を組んだ。すると背後から鼻で笑うような音がして、そういえばマッコイがいた、とスポックは思い出す。
「忠犬」
「私は犬ではありません」
「いいや、立派なヴァルカン・ポインターだよ。この様子を早くジムに見せてやりたいな。お前がなついてくれないって、よく酒の席でくだ巻いてたから」
 唐突に視界を遮られて、頭に片手を置いた。後ろから投げつけられた白いタオルに、スポックは振り返る。
 マッコイは椅子を引っ張り出してくると、こちらに向けてどんと置いた。その小さな背もたれに手をかけて、じっとこちらを見据えてくる。
「座れ」
「いいえ。私は」
「俺は今、俺の患者に言っている。座れ」
 口答えをすれば、医者は決然とそう言い放った。無言で見返しても、まるで譲る様子を見せない。こういうとき、いつもなら、先に折れるのは彼のほうだった。けれど今は、その強靭な忍耐力で、こちらが動くのを待っている。
 スポックは、素直に従うことにした。黙したまま、少しだけ歩いて、用意された椅子にそっと座る。
 落ち着けば、腿の上に制帽を返された。
「何があった」
 頭の上から聞こえる、マッコイの声は静かだ。目を伏せるとタオルが垂れ下がり、外界を遮断する。
 何も起こらない、静かな白い部屋のように。
「殉職のご報告を、直接遺族の方へ行いました」
……ばかだな。総務の仕事だろ」
「ばかです。ジムはいつもそうだ」
「ああ、いつもそうだ。でも、それがジムだ」
「はい」
 こくりと頷くと、視界の白が揺れる。すると突然、タオル越しに、頭を乱暴にこすられた。そのままぐいっと下に押されて、スポックはなすがまま首を揺らす。
 よく、こんなふうな構われ方をしていた。スポックの脳裏に、やめろよボーンズ、などと言いながら、嬉しそうにしているカークの姿があざやかに浮かぶ。
 タオルに包まれてうつむいたまま、スポックは目を閉じた。
「ドクター。ジムは起きますか?」
「起きる。だから安心しろ」
……はい」
 確かな声の断言に、体中から力を抜く。小さな背もたれは頼りないはずなのに、それは難なくスポックを支えてくれた。



 ふと、意識が浮上する。
 そして同時に、何故浮上するのか、という疑問が浮かんだ。
「お前まで手がかかる分、俺が落ち込んでもいられないってのは、なんつーか、あんまり認めたくないシナジー効果だがな」
 目を開ければ、不平と不満を濃縮したようなしかめっ面のマッコイが、椅子に座ったまま組んだ足の上で頬杖をついている。
 ぱちり、とまばたいて、スポックはあたりを見回した。いつものカークの個室である。窓の外は夜に沈んだままで、部屋はひっそりと薄暗かった。患者の手元を照らすために設置された、小さな暖色の明かりだけが灯っていて、自分は何重もの毛布に包まれた状態で座っている。
 再びマッコイに目を向けると、彼は面倒そうに溜息をついた。
「ドクターストップだ、スポック。一度休め」
「ですが」
「お前が泣きながら寝落ちるっていうのは、痙攣して失神するくらいのインパクトがある」
「そ、あの、私はそのようなことを……?」
 言われた内容があんまりで、スポックは思わず背を伸ばす。安心して力を抜いてからの記憶はないが、今の自分の精神状態には一切の信用がなかった。動揺して胸元に毛布をかき寄せていると、ちらりと剣呑にこちらを見たマッコイは、ふっと軽い笑みを見せる。
「まあ嘘だが」
「嘘なんですか?!」
「声がでけぇよ! とっくに消灯時間すぎてんだよ! お前がここにいるのはまずいし、なんなら俺も当直じゃない!」
 驚いて腰を浮かせると、マッコイは押さえたかすれ声で精いっぱい怒鳴りつけてきた。発声させたのはそちらだろう、という理不尽を覚えながら、スポックは座り直す。長時間動かずにいたからだろう、体が硬くなっていることが分かった。つまり、そうなるほどの時間、マッコイはここで自分を見てくれていたということだ。
 スポックはおとなしく、口を閉じた。自分の体から毛布を剥ぎ取って、丁重に小さく折りたたむ。制服はほとんど乾いていて、今は寒さを感じなかった。
「俺をしこたま驚かせた罰だ。1日でいいから、休暇取って休め。寝ろ」
 こちらの手作業が終わったと見るや、マッコイは真面目にそう諭してくる。腿の上に畳んだ毛布を置いて、その上に礼儀正しく両手を重ねると、スポックも真面目に彼を見やった。
「できません」
「できる。お前が寝てる間に簡単なチェックをしたが、あの数値はろくに寝てないだろ。いいか、俺だって薬頼りだが、きちんと睡眠は取ってる」
「それは胸を張れることではありません。ドクター、あなたは今、薬に頼らないと眠れない状況なのですか? それは即刻、医者に診てもらうべきです」
「俺が医者だ! それに今はお前の話! いいからおとなしくしてろばか!」
「しかし」
「しかしは受け付けない」
「このままではエンタープライズが廃艦になります。私はキャプテンが戻るまでに、これを阻止しておかなければなりません」
「廃艦?」
「ジムが悲しみます。ドクター……
 言葉にしてしまうと、より一層の焦燥を覚える。自分が立ち止まってしまったせいで、何かが手遅れになってしまうかもしれないのだ。
 そのせいで、カークをひどく悲しませることになるかもしれない。それは、どんな手を使ってでも、回避しなければならない。
 そういう情動は、きっとこの医者こそ理解するはずだった。そう考えて、スポックはじっと目の前のしかめっ面を見つめる。
 マッコイはわざとらしく、はあ、と大きく息をついた。
「そんな声を出してもだめだ。というか、お前にも人に媚びるなんて能力があったんだな」
「媚びてはいません。事実を述べています」
「ね・ろ! それに、そんなのはスコットが許さんだろう」
「そう、ですが……、艦隊上層部の決定は、絶対です」
……なるほどね。次から次へと、ほんとに大変だな、お前も」
 はあ、と再び溜息をついて、マッコイはうんざりとした顔をする。唇をひねってへの字に曲げているところを見ると、彼も状況を理解してくれたようだった。ちらりと寄こされる視線はなぐさめるような色合いで、スポックは自分の手をきゅっと握る。
……あなたも、最初の1週間は、ジムの急変にかかりきりでした。本部の医局からは、執拗な確認も受けているでしょう」
 大変だというのなら、この男こそそうだった。本当にいたわられるべきは、自分ではなくマッコイである。
「私には、ジムの命を救うことはできません」
「スポック」
「ですが、ジムの大切なものを守ることはできます。あなたがあなたの仕事をするように、私は私の仕事を。違いますか?」
……そりゃそうだが」
「だがは受け付けません」
「うるせえ。そりゃそうだが、限度がある。エンタープライズのことなら、ジムが起きてからでもいいだろ。航宙艦の廃艦なんて、一朝一夕で決まることじゃないはずだ」
「ジムに、このことを?」
「あいつだって気になるところだろ、そこは。だから、船長さんと副長さんと、うるさい機関主任さんで、みんなで一緒に考えればいい。なんでもかんでも取り上げてたら、絶対にへそを曲げるぞ、あいつは」
「ですが、悲しませたくありません」
「お前なあ……
 きっぱりと言いきると、マッコイはあきれたような顔をした。
 悲しませたくない理由が脳裏をよぎって、スポックは膝の上の毛布を掴む。ふいに、目の前の景色がぼやけて、意識が記憶に塗りつぶされた。
 茫洋と、涙をこぼして、見上げる青い双眸。
「もう泣かせたくありません。あんな、ひとりきりで、もう二度と、私は」
「スポック」
 呼ばれて目を開けると、マッコイの表情は深刻なものに変わっていた。
……カウンセリング受けるか?」
「は?」
「お前のほうが、よっぽどぶっ壊れてる気がするぞ」
 これでもかと眉間に皺を寄せる姿は、見た目だけなら不愉快そうだ。スポックは意識して両手をほどくと、再び静かにそっと重ねた。
「不要です。ドクター、私は自分で分かっています」
「分かってんのかね、ほんとに……
「では、あなたはジムを悲しませたいのですか?」
……すっごい顔するな、お前。そんな顔もできるんだなびっくりだ」
「ドクター」
 神妙な顔をしたまま、ふざけたことを言う医者を強く咎める。するとマッコイは、強く息を吐きながら、再び背もたれに全身の体重を預けた。そのまま首を後ろに逸らして天井を眺め、ぴたりと動かなくなってしまう。
 しばらく、そのような形で、彼は逡巡し続けた。
 マッコイは、こんなときに本気でふざけるような人ではない。習慣的にそれを知っているスポックは、ただ静かに座っていた。彼の向こうに横たわるシーツの小山は、ゆっくりとかすかに上下し、その向こうの生体モニタは、今日も穏やかな曲線を描いている。
 今日も、とは言ったが、今はもう明け方に近いだろう。夜明け前の、一番暗い時間だ。
「スポック。悲しみをすべて取り除くなんてことは不可能だ。しようと試みることもあまりよくない。悲しいときは、どうしても悲しい」
 緩慢に、マッコイは首を戻した。そんなことを言いながら、ただ静かに、そっとこちらに視線を置く。
「だから、ジムが悲しいときは、一緒に悲しんでやればいい」
――そんなことで」
「うまくいかないときは一緒に悔しがって、うまくいったら一緒に喜んでやれ。何も言いたくないようならただそばにいて、何か言いたそうにしてたら話を聞いてやってくれ。お前のそういう、困ったことは全部引き取って自分で解決、ってのも、きっと思いやりなんだろうが」
 反論を挟んでも調子を崩さず、彼はゆっくりとそう言った。言い聞かせるでもなく、平滑に、ただ事実を述べるように。
「すぐにできないことなら、そうしてやってくれ。すぐにできることでも、そうしてやってくれ。一緒にいることだけでできることはあるし、一緒にいることだけができることもある」
 まるで禅問答のような不可解さを、さも当然のように。
 おそらくそれは、とても大切なことなのだろうと思った。きちんと胸の内に持ち帰り、きちんと検討すべき、感情なのだろう。『そんなことでは何の解決にもならない』という結論以外の、正しさが意味を持たない答え。この医者は、こういうときだけは、あまり間違ったことを言わなかった。
 そっと置かれたままの視線を引き取って、スポックは小さく首を傾げる。
……地球人みたいに?」
「地球人じゃなくてもそうする。ジムがそうされたいなら。違うか?」
 それはたぶん、違わないだろう。
 沈黙を肯定と取ったのか、マッコイは幾分か満足そうな顔をして、立ち上がった。
「ジム、ってお前が呼ぶとき、本当はそうしてるんじゃないのか。お前がこいつのベッド脇に突っ立ってきた時間は、そういうことなんだって、俺は勝手に思ってるんだが?」
 自分の座っていた椅子を片づけて、こちらの膝から毛布を引き取ると、彼はベッドに寄ってカークを覗き込む。しばらく様子を窺ってから、マッコイはこちらを振り向いた。
 その下手くそな笑い方は、いつも、彼の不器用さを際立たせる。
 もしかしたら自分は今、励まされているのかもしれない。そのことに思い当たって、スポックはわずかに目を見開いた。
「そろそろ早朝組が来るから、顔を出してくる。お前のことは適当にごまかすから、明るくなったらここを出ろよ。薬をもらいに来た帰りです、みたいな顔しとけばいい。しれっとした腹立つ顔は得意だろ」
「レナード」
 そう呼び止めると、彼はぴたと動きを止めた。
 それからゆっくりと、ものすごく変な顔つきになる。
 ジム、と呼びかけるときのことを考えて、彼を同じように呼んでみただけなのに、なかなか奇妙な反応だった。マッコイが不可解な言動をするのは今に始まったことではないが、あまり見たことのない表情である。
 けれどスポックは、構わないことにした。彼がどんなに不可解であれ、今はただ、受けた励みを同じように返したいと思う。
……は?」
「ありがとうございます」
「いや、別に……、は? いや、俺はジムを呼べと言ったんであってなんで俺だよ」
「悲しいでしょう、レナード。ずっとジムが目覚めなくて。目覚める保証もなくて。悲しいでしょう」
「おっま――、俺が一緒に悲しめっつったからか?! 素直か! このばか! ジムにやれそういうのは」
「ジムにもします。ですが、あなたも悲しいはずです。悲しいでしょう」
「は……
「悲しいでしょう。何故なら、ジムがいないからです」
 スポックは立ち上がって、折り目正しく裾を引いた。いつものようにベッド脇で佇み、背筋を伸ばして手を後ろに組む。
 カークの枕元には、制帽が置いてあった。座っている角度からは見えなかったようだ。寄り添っているようなそれに、彼は着帽をあまり好まなかった、と思い出す。蒸れるし、髪型変わっちゃうから。そんな、上級士官としてあるまじき発言をしながら、ぺろっと舌を出して笑っていた。
……悲しいよ」
 片耳が、そんな小さな声を拾う。珍しく、弱々しい響きだった。
 スポックは、目を閉じたままのカークを見つめる。
「私も、悲しいです」
 静かに同意すると、隣の気配がふらりと揺れた。そちらを見やれば、マッコイは背中を向けている。
 そのまま、彼はスポックの座っていた椅子を片づけ始めた。
「悲しい、なんて感情、非論理的なんだろ」
「非論理的です。ですが、非論理的であることは、その存在自体を否定することではありません」
 がたがた、と音を立てて椅子を収納すると、マッコイは振り返る。怒ったような、困ったような、けれど確実に非難がましい、そんな表情をしていた。
「ヴァルカン人め」
「脈絡のない侮辱です。私の推論が正しければ、あなたは今、私を励ましてくれたはずです」
「うるせえ。うぬぼれんな」
「ずいぶん優しくしてもらったと、ジムには伝えようと思います」
「なんでだよ! 上官にチクんのお前の趣味か?! やめろやめろ、かゆいだろ!」
「かゆい? 湿疹ですか?」
「ものの例えだばか!」
 相変わらず精いっぱいの小声で、マッコイはそうわめき散らすと、地団駄を踏むようにして部屋を出ていく。
 スポックは首を傾げながらそんな船医を見送って、静かにカークへ向き直った。






 彼の呼吸と同じくらい、ゆっくりと夜が白んでいく。
 次第に明るくなる窓の外に、スポックはそっと腕を伸ばし、小さな明かりを消灯した。
 暖かな色合いを失って、薄暗がりに白い顔がにじむ。まつげが震えることもなく、まぶたはぴたりと閉ざされていた。
「ジム、あなたがいないとさみしい」
 眠り続けるカークを見つめながら、スポックはそっと言葉を紡ぐ。ささやきはどこに届くでもなく、静かな部屋に霧散した。
 朝だけがあればいいのに。
 スポックは、そんなふうに思う。
 あなたが目覚める、素晴らしい朝だけがあればいい。
 陽の光が差す瞬間、祈るように目を閉じた。