時間がわかるものはいくつか身につけていたが、それが現実と連動しているものなのかどうかはわからなかった。閉じ込められた場所は七億不思議が作り出した精神世界だ。
壁の文字を隅々まで目を通してみたが、本当に七億不思議や霊能者に関する情報しか得られないらしい。そこに何かしらの暗号が含まれているだとか、全てを読み切ったら部屋から出られるというような仕掛けはない。
つまり、ドッ祓う手段が手元にないひもすは、救助待ちということになる。
一般人よりは七億不思議に耐性はある。一般人が無事だったのなら、少しくらい部屋の中で長居しても、死にはしないだろう。あとは煙楽が助けを呼びにいってくれれば、いずれ脱出はできるはずだ。
呼びにいってくれていれば、だが。そのまま逃げたところで、責めはしない。人目につきやすい場所に倒れていたから、それでも死ぬ前に救助は来るはずだ。
持ち込んだ時計の上では三十分と少し過ぎたところだろうか。
部屋の中に、人が現れた。
流石に身構えたが、赤い髪の毛の姿に見覚えがある。知った顔だった。ブライに所属する日月 明だ。ブカツ道の校舎で何をと思ったが、ひもす自身もヤサ愚連からわざわざ出向いているのだから、立場は同じなのかもしれない。
「うわ。やっぱお前がいるのかよ」
日月は目が合った途端に嫌そうな顔をした。
「そんな嫌そうな顔するなら、来なければいいのに」
とはいえ、これでいくつかのことがわかった。
やっぱりということは、日月もひもすが中にいることを事前にわかっていたのだ。同じボタンを押したら、同じ空間に飛ばされる。ボタンを押した人間が個々で別の部屋に飛ばされるわけではないから、一般人が倒れていても押したボタンがわかれば、救出することは可能だ。
「この空間は?」
「学園の秘密大暴露セット」
肩を竦める。
見た以上のものはない。中に入った人間の個人的な秘密を暴露するといったような性質が、あればまだ警戒に足るのだが、そういった内容は書かれていない。他の部屋も同じなのか、一般人が入ったときに変化はないのかなど、確かめなければならないことはまだいくつかあるが、少なくともこの部屋にこれ以上の情報はない。
部屋からの直接的な攻撃はなく、ドッ祓いできない人間を閉じ込める以上の脅威はないらしい。
「暗号とかも特にない。中からドッ祓えば普通に出られるんじゃないかな」
「じゃあ、なんでお前は……まあ、いいかとにかく先に出るぞ」
肩に背負っていたスクールバッグを下ろして、カラーボールを取り出す。
「それしかないのぉ? 服が汚れそうなんだよね」
聞こえるように舌打ちをされた。
日月の背後に回る。そこならば汚れも少しはマシになりそうだったからだ。カラーボールが部屋に蛍光色の汚れを残す。インクが部屋の壁に染み込むように消えていく。
次々と投げつけていき、部屋の半分が蛍光オレンジに覆われたあたりだろうか。部屋が消失した。
瞬きをした瞬間に、文字でびっしりと埋め尽くされた部屋は消え失せ、ひもすは雪の声で起こされた。
重力の向きが違う。
床に横になっているせいだ。学校の天井と蛍光灯。
顔の上で、雪が跳ねて爪が食い込み、流石に痛い。
「雪、痛いって」
手のひらで押しのけ、上体を起こす。
体の上にかけてあった布が、膝に落ちた。誰かの上着。クラスリボンは黄色だ。煙楽が置いていったのだろうか。律儀なことだ。
本人はここにはいないが、助けをちゃんと呼んでくれたらしい。
相手が日月と平のコンビだとは、流石に思っていなかったが。
「あ、おかえり」
その言葉はひもすではなくて、日月に向いていたから返事はしなかった。生気を吸われたから疲労はある。だがそれ以外は今のところ、なんの問題もない。
「あんたでも、あんなミスするんだな」
日月の言葉は嫌味のつもりだろうか。
「だって、危ないでしょ。あんたが相罠連れて行かなかったのと、同じ理由だよ」
引き離されてしまったら、片方にはドッ祓いの能力がない。しかも雪は鳥だ。人権は人にしかない。法律上、ペットは器物として扱われる。動物愛護の範疇で大切にはされるが、有事の際は当然人の命が優先される。
ひもすには助けがくるが、雪には来ない。
だから、連れて行かない。
「それよりさ。この七億不思議、なんだと思う?」
違和感。
生気を吸われるというデメリットはあるものの、今回の七億不思議の特性は人を閉じ込め学園の秘密を暴露するというものだ。
捕らえた人間そのものではなく、特定の組織に対してある種の攻撃を仕掛けてくる。しかも、学園内に直接発生しているにも関わらず、情報を漏らすという婉曲な手段で攻撃を仕掛けてきている。
そんなことがあるのだろうか。
死者が七億不思議になった場合、生前の特徴や恨みを反映していることが多い。人が由来となっていないものもあるが、概ねその効果は捉えた人間に対して有効だ。だから捕らえた人間の大切な秘密を暴露するというのであれば、わかる。
だからこの七億不思議が、相罠関係に対して強い恨みを抱いて死んだ人間だとか、学園に強い恨みを抱いて死んだ人間が元になっていると言われれば、まだ納得ができる。
自然発生した七億不思議にしては、行動が政治的すぎるのだ。
ならば人為的に七億不思議を発生させて、操作することができるのかという話になってくるのだが、意思疎通が可能な個体自体は存在している。
学園長が死んだ。
当代最強と謳われていた人が。
そのあとトップ不在の学校で生徒会長戦が起こり、そのタイミングで学園の秘密が暴露された。
まるで誰かが、逢禍学園や一般人と祓魔師の関係を変えようとしているみたいだ。そう考えている誰かがいたら、あまりにも都合がいい。
このあと誰が生徒会長になり、どういう方針を発表するのかによっては、その人物に疑いを向けざるを得ない。
「なーんてね」
二人のことを信頼して打ち分けたわけではない。だが、学園の体制を変えたいだとか、勢力図を変えたいなどと大層な夢を抱いている人間は、ブライには所属しない。
第三者がどんな反応をするのか、確かめたかった。
どう受け止めるのかは、この騒ぎが終わったあと確かめればいい。
今は事態の収集をするのが先だ。ひもすは床に着いた埃を払って立ち上がった。
肩に乗ってくるはずの、雪が反応しない。
「いくよ」
声をかけても、雪は反応しない。
「雪?」
二度目でようやく飛び上がったが、ひもすを追い越してさっさと外に飛んでいってしまった。
「なに?」
ひもすは、烏の言っていることならばわかる。人と同じ言語を使っているわけではないから、思考も違う。日本語で会話するような滑らかなコミュニケーションとは違うが、感情や目的などは概ね汲み取ることができる。
読み間違いでなければ、怒っている。
寝ている間に何かされたのか。平の方を振り返る。何かされたのなら、そのことを訴えるはずだ。だが雪の怒りの矛先は平ではなく、ひもすに向いている。
平は置いて行かれたひもすを気の毒そうな顔をしているだけで、無性に腹が立った。
わざわざ第三者に何かあったのかと聞くのも腹立たしく、何も聞かずに雪のあとを追いかけた。
◇◆◇
目の前で起こっている事件に対して、自分は何もできないと認めて動かないでいるのは、勇気がいることだ。無理にでも着いていくと言えたら、精神的には楽だっただろう。
それは自分だけ安全圏にいる申し訳なさの反対側に相罠関係を乗せて、こちらも命をかけていると言って無理やり天秤を水平に保とうとしているだけだ。
だが、一緒に行動できるという保証がなければ、軽率にボタンを推すべきではない。何かあったときに助けを呼ぶことができるように、ここに留まるがいう判断は正しかったはずだ。ボタンを押したあと、意識を失って倒れた体を放置するわけにも行かない。体だけどこかに運ばれてしまったときにどうなるかわからないし、外にいる人間に何が起こったのか説明する人間がいなければならない。
ひもすも日月も、うなされている様子はないものの、動かない二人を見ていると不安になる。煙楽の話ではひもすは三十分動かなかったという。平もここで同じくらい待つことになるだろうか。
相罠関係は複数人と結ぶことができるというのは、こういうときのためなのだろう。別の七億不思議が襲ってきたときに気を失っている人間はあまりにも無防備だ。
いざとなったら囮になって助けを求めにいくつもりでいるが、特待生がもう一人いたら外でも活動できる。
(そもそも、俺が一般生徒である時点で、この無力感は拭えないんだよな)
情報収集をすることで、待っている時間の手持ち無沙汰を少しでもましにする。
直接話を聞かなくても学園内にいる人と連絡を取ることができるし、SNSを見ればごくごく近しい相手の無事はわかる。事件や災害に巻き込まれて混乱が起きると、身元がバレることを気にせずに現状を投稿してしまう人は大勢いる。投稿があれば、少なくともその人は気を失っていない。謎のスイッチの写真をあげている人もいるが、ボタンの大きさやデザインに関わらず、文言は『知りたい?』で統一されているらしい。
ボタンが見掛けられるようになってからしばらく経つが、目が覚めた人間もちらほらと出ているらしい。
起きてる人とそうでない人の違いはなんだろう。一般生徒と特待生の違いだろうか。一般生徒にも目覚めた人はいるだろうか。
ふと目線を下げると、ひもすを守るように上に乗ったままの烏と目があった。
ドッ祓いのときにいつも連れている相棒。今ここにいるということは、きっと鳥の方はボタンを押していないのだろう。飼い主がそう指示しなければ、烏がボタンを押すなんてことはないはずだ。
「追食さんは、大丈夫?」
言語を理解しているのかどうか。カァと鳴き声が返ってくる。
返事があったところで平にはわからないが、ドッ祓いに向かった相棒を見守るより他ない立場というのは、同じだ。
「早く帰ってくるといいね」
また、鳴き声で一つ返事がある。
飼い主と比べると素直に反応を返してきて、可愛いような気がしてくる。
ボタンを押した人間がどうなるのかは、押した人間にしかわからない。目が覚めた人間がいたらその人から話を聞いて、ようやく対策を練ることができる。
早く帰ってきてくれと、平は祈るような気持ちで待った。
目覚めを知らせてくれたのは、ひもすが連れている烏だった。顔の上に陣取っていたのが、翼を羽ばたかせ声を上げる。
万が一があったのかと身構え、最悪の想像をしたが、日月が目を開き起き上がった。
「あ、おかえり」
生気を吸われたのか、頭が痛そうな顔をしている。
ややあって、ひもすも目を覚ました。
元々態度のいい人ではなかったけれど、今は更に低血圧の人を無理やり起こしたような不機嫌な顔をしていた。
戻ってきたということは、無事にドッ祓いに成功したのだろうか。壁のボタンがあった場所を見ると、あのボタンは跡形もなく消えていた。
その場に存在するように見えたが、やはり物質としてこの世にあるものではなくて七億不思議だったのだろう。
目が覚めた日月は同じく起き上がったひもすを見た。気を失っている間、二人の間にどんなやり取りがあったのかを、平は知らない。
「あんたでもあんなミスするんだな」
日月の言葉は刺々しく情報交換する前に喧嘩になるのではないかと、内心でひやひやした。こういうとき、ひもすはいつも相手を怒らせるような言葉か、皮肉をいう。
だが、今日はそのどちらでもなかった。
人を揶揄う言葉の代わりに切り出したのは、今回の事件に対して頂いている疑念だった。学園長の死と生徒会長戦、そして今回の謎のスイッチ。
平がこちら側を知るようになったのは最近だ。
霊能者に助けてもらっている。特待生や非常勤講師は心強い味方だ。
両者を別勢力として捉える視点は新鮮だったが、その話を切り出してきた相手が相手ということもあり、頭から信じることはできなかった。煙がなくても火を疑う人だ。
そしてひもす自身はその件に関して、ここで議論をするつもりはないようだった。烏を連れ、そのまま歩き去ってしまった。烏の機嫌が悪いのは、置いて行かれたからだろうか。
平は人間だからそれをしかたがないことだと受け止めることができるが、あの相棒の烏はどうだろうか。
どちらにしろ、口を出すことではなかった。
「どう思う、今の話」
日月はカラーボールの残量を確認していたが、話は聞いていたらしい。
気を失っている間、手荷物が減ったりはしていなかった。祓いが成功したということは、中でボールを使ったのだろう。現実世界のボールは減っていない。
「どうって言われても、次の生徒会長が黒幕だったとして、今更当選は止められないだろ」
肩をすくめた。
「確かに。今はそれどころじゃないしね」
人命に関わる。七億不思議の対処が最優先だ。黒幕がいるとするのなら、そこも含めて思う壺なのかもしれないが、気にしておく以外のことは現状できないのだ。
「あいつのいうことを信じるのは、癪だけどな。現状後手だし、出方くらいは見ておいてもいいのかもな」
「……うん、そうだね」
「よし、中で見てきたこと共有して、これからのこと決めよう」
ボタンを押すと部屋に移動している。現実ではなくて、異空間の部屋だ。中にはひもすがいたが、他に倒れている人はいなかった。同じボタンを押したら同じ部屋に飛ぶ、ということなのだろう。
中には学園の秘密が書かれていて、部屋に攻撃を加えれば出ることができる。
「ひもすは、烏を連れてないから、出られなかったらしい」
「人によっては相性が悪いってことか。じゃあまだ目覚めてない特待生はそれが理由なのかな」
やはりついていっても、囮の出番はなさそうだ。その代わり、効率的に救出するために他にできることがある。
「じゃあ、俺は日月が祓っている間に構内にあるボタンの捜索だね。倒れて保健室に運ばれたりしちゃったら、どのボタンを押したらわからなくなる。聞き込みして集めてくるよ」
人が飲み込まれているボタンから優先して祓いたい。となると、倒れた人が移動されている前にボタンを見つけて祓ってしまわないと辿る手段がなくなってしまう。
「祓いの相性が悪そうなやつがいたら、倒れてる体を守ってもらう方に回ってもらう」
しばらくの間は、別行動になりそうだ。
「気をつけて」
「ヘーキンもな」
二人は各々のするべきことを為すため、歩き出した。
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