【深夜廻】小さき檻のなかで

黒き囁きに塗れた悪しき縁が絶たれどもその身は忌まわしき災いのもとに
山の神×ユイ

 不気味なくらい静かな暗がりの中。ちっちゃく夜が切り取られたような冷たい石壁に囲まれた空間。何も見えない何も聞こえない。時間の流れなんてあるのかないのか分からない。二度と目覚めないよう夢の中に逃げ込んだところで誰かの声が閉じていた蓋を開け呼び起こす。否応なしに振り返れば思い出が切なく輝いていた。失ったものはとてもとても大事で大切でもう二度とこの手で掴むことはできない。緩み潤んだ目から涙がハラハラ零れ、しゃくりあげる声を懸命に飲み込んだ。
 一時とはいえ穢れてしまったこの手であの子を救えた。それだけでいいはずなのに。真っ白な世界に浮かぶあの子はもう隣にいない。見えるのは後ろ姿。お揃いの空色の青いリボンを揺らし、あの子の足元にいる茶色の子犬に笑いかけている。それを望んだはずなのに。
 深い深い悲しみの海に溺れていれば、また誰かの声が頭の中で響きだす。太陽が沈み月も出ない真っ暗で優しく底へ底へ引きずり込む声。
 暗がりに慣れた目を静かに開ける。流れていたと思っていた涙は流れてなんかいなかった。深い深い虚の口。おおよそ生き物とは思えない血色の悪い青白い肌、互い違いに重なった人間の手には鈍く光る赤い目たちが其処彼処からぎょろぎょろ、大きな口から吐かれる黒い靄は果物が腐ったみたいな甘い香りを漂わせ夜より暗いところへ誘い込もうとする。命あるものが羨ましいのか、そういう習性を持っているからか、それとも本質が変わってしまったからなのか生きている人間を執拗に誘い込んでは暗く冷たい寂しい場所へ引きずり込む。
 見上げるほど大きな”それ”は事あるごとに優しい声で呼び掛けてくる。大きな代償と引き換えに切れた縁に未練がましくしがみ付いている。

そんなに あの子が ほしいんだ
でも いいかげん あきらめて
わたしはもう、よんだりなんかしない

 沢山ある目が恨めしそうに睨んでくる。黒い靄はとめどもなく吐きかけられる。本当は怖くて怖くてしかたない。だけど、足が動かない。赤い目に見られると足に根っこが生えたみたいに動けなくなる。
 そうこうしている内に生白い指先が体の周りを取り囲み折りたたまれていく。掬い上げる形で冷たくも熱くもない大きな手の中に納まった。至近距離で見てくる赤い目から必死に目と意識を反らして恐怖心を誤魔化した。ビクビク怯えるのを押し隠しても手が体が震えて仕方ない。息もちゃんと出来なくて上手く吸えない。限界まで縮こまった体。でも、目だけは抵抗するように見上げ続けた。頑張って、あなたなんか怖くないんだぞって。






カワイソウカワイソウカワイソウカワイソウ

 心にもない軽く甘い声を聞きたくなくて耳を塞いだ。それでも聞こえるから、やめて、ききたくないって叫んだ。目を固く瞑って蹲る。すると、頭の中にお母さんやお父さん、クロ、チャコ、――ハルとの記憶が思い出がぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。辛いのも悲しいのも楽しいのも嬉しいのも全部が全部ごちゃ混ぜになって最後は目からボロボロ零れていった。
 いやだ、苦しい。頭を振ってみたけどどうにもならなくて。また目から零れていって。折角あの子はわたしがいなくても大丈夫って心から思えたのに、それすら、滲んで揺らいで、離した手をまた伸ばしちゃう。
伸ばしそうになる手を何度も引き戻して叫んだ。だけど、求めていた言葉は口から出なかった。わけが分からなくて喉に手を当てて声を出してみる。あの言葉だけ言えない。声にならない。

なんで
どうして こえが でないの

 このままだと伸ばしたくない手を、糸を伸ばしてしまう。ねえお願いだから。お願いだから、……声、でて。
 哀れみうすら笑っている赤い目。白い籠の中は変わらず冷たくなければ熱くもない。小さなひな鳥を包み捕まえた手はその雛を落ちた巣に戻さずどこかへ連れて行こうとする。