■『ファルル』の名前が生まれた日のこと
二年前のとある日に、災禍に見舞われ滅んでしまった、一つの小さな集落があった。
焼け落ちたその場所で、目を閉じて眠る女の子を瓦礫の中から見つけたのはルナリア族のシリャーナだった。
災禍の中でただ一人だけ生き延びた小さな女の子を、シリャーナは安全な場所へと運び、甲斐甲斐しく看病をした。
やがて目覚めた小さな少女は、自分の名前をも含む、すべての記憶を忘れていた。
それを知ったシリャーナは、少しの間を置いたあと、静かな声で『ファルル』と名付けた。
名の由来は『アルファルド』──孤独な者、という意味を持つ星。
“全てを失ったこの少女が、いつか、同じ星座を形作る、誰かに出会えますように”
そんな祈りを込めて名付けたと、ルナリアの女は静かに語る。
──その日から、桜色の髪の女の子は、『ファルル』と呼ばれるようになった。
■狩人のブラドと、話し方のこと

森に住んでいた頃の、ファルルの唯一の友達が、セリアン族の優しい少年、夜空のような色の髪と目の、ハウンドのブラドだった。
彼が連れている犬のシエナとも、ファルルは大の仲良しで、夜空色のブラドとシエナが、小屋に肉を届けに来るたび、ファルルはいつも遊んでもらった。
『ファルル』になったその日から、言葉をうまく話せなくなっていた女の子に、話し方を思い出させてくれたのも、この少年と犬だった。
「こんにちは、ファルル」
「こんにちは、ぶらど。こんにちは、しえな!」
「シエナも、こんにちは、言ってる」
「しえな、こんにちはゆった。しえな、なでる、いい?」
「ん。良いよ。
……シエナ、嬉しい、言ってる」
「ん。しえな、うれしー、ゆった!」
言葉の切れ端を繋げるように、ぽそぽそと話すブラドの口調を、真似して話をするうちに、気付けばファルルの話し方も、少し独特なものになっていた。
けれど、上手く話せていないことを、ファルルはあまりわかっていない。
……ついでに舌が上手く回らずに、時々話すことに失敗していることも、ファルルはまったく気付いていない。
名付けの親のシリャーナの名前も、のちに出会った冒険者のリシュの名前も、全然言えていないことに、ファルルはまったく気付かない。
「らーな、なまえ、らーなってゆう。りーしゅ、なまえ、りーしゅゆった。ん。
……ふぁるる、なまえ、いえる!」
だけど、例え言えてなくとも、ファルルが元気に名前を呼べば、みんなちゃんと振り返り、ファルルとおしゃべりをしてくれる。なので、問題はひとつもない!
そうしてファルルは今日も今日とて、少し独特の拙い話し方をして、元気いっぱいにおしゃべりをする。
「ふぁるる、せかいず、ぼうけんする。ふぁるる、しっぽ、ぼーけんしゃっ!」
■行商人のカザンと、りんごのこと

カザンは、身長が二メートルはありそうな、浅黒い肌の大男で、赤い髪と目をしている。
“少しだけ”背の低いファルルは、カザンの膝ほどしか身長がない。そのため、カザンに会うときは、ファルルはいつも一生懸命に、首を反らして彼を見上げる。
すると、そんなファルルを見つけた強面の巨人は、顔をくしゃくしゃにしてしゃがみ込むと、大きな手でファルルを撫でてくれるのだ。
「おぉ、おぉ、ファルル
……! 久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」
「ん。ふぁるる、げんき」
「そうか、それは、良かったなぁ!」
馬車に荷物を乗せたカザンは、ファルルとシリャーナしか住んでいない森の小屋へ、街で手に入れた色々なものを、定期的に届けてくれる。
それは、暮らしに必要なものや、あると便利な道具類や、おいしい加工品などだ。木箱いっぱいに物を詰めて、カザンが小屋へと物を運ぶたび、ファルルはその足元を、うきうきとして付いて回る。
そんなたくさんの物の中で、いつも決まって持ってくるものが、シリャーナへの花束と、ファルルへのプレゼントの、紙袋いっぱいのおいしい“りんご”。
大きなカザンが片手で持った、紙袋いっぱいのたくさんのりんごを、小さなファルルは両手で受け取る。そうしてまじまじと中を見て、ぱっと笑顔の花を咲かせると、子犬のようにぴょこんと跳ねる。
「りんご、ふぁるるの? りんごっ、ふぁるるの!」
初めの頃、『ファルル』はりんごが、特に好きでも嫌いでもなかった。
けれど、カザンにりんごを貰ううちに、いつしかファルルにとって“りんご”は、貰うとなんだか嬉しいもの、食べるとすごくおいしいもの、持っているだけでにっこりとして、幸せになれるものになった。
りんごを両手でぎゅっと持つと、不思議とへにゃりと笑顔になる。
りんごの皮を剥いてもらう時の、わくわくとしながら待つ時間が、幸せで幸せでたまらない。
そのまん丸の果物を見つけると、なんだか楽しいことがありそうで、なんだか嬉しいことがありそうで、ファルルの心もぴょこんと跳ねる。
「りんご、たべる、おいしーなる。おいしーなる、にこってする! にこってする、しあわせゆった。りんご、おいしい、しあわせ、なる!」
そうしていつの頃からか、ファルルが一番好きな食べ物は、赤かったり黄色かったりする、おいしい“りんご”になったのだった。
■“らーな”のこと

すべてを忘れた女の子に、『ファルル』という名前を与えてくれて、森の小屋で一緒に過ごした、ルナリア族のシリャーナのことを、ファルルはあまりよく知らない。
ファルルが知っていることは、らーなの長い髪の色が、朝日を浴びた森の木に似た薄い黄緑色をしていることと、らーなの綺麗な目の色が、コハクという石に似ていること。
いつもマホウのケンキュウをしているらしいことと、お肉や魚や果物を、たくさん食べるのが好きだということ。
いつもたくさん眠ること。そしてなかなか起きないこと。
いっぱいいっぱい本を読むこと。すぐに部屋を散らかすこと。
触ると手が冷たいこと。淡々と静かに話すこと。
それから、あまり笑わないこと。
……けれど、ファルルが花やりんごを両手に抱えて、「ただいま」と小屋に帰ったときには、「おかえりなさい」と出迎えて、少し、にこりと笑うこと。
そんなシリャーナと一緒にいると、ファルルは少しほっとして、シリャーナがにこりとすると、ファルルもなんだかにっこりとなる。
多くのことは知らないけれど、ちょっとだけなら知っている。
だけど多分、必要なことなんて、これだけあれば充分だ。
「ふぁるる、らーな、すきゆった。らーな、ふぁるる、すきゆった。ふぁるる、らーな、いっしょいる、すき!」
ファルルはシリャーナの話をしていると、なんだか自然と笑顔になる。
なんだか心があったかくなる。
──知っていることなんて、きっと、これだけで充分だ!
(そのうちページが増えるので、わすれたころにもういちどきてね……)
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