青果
2023-04-21 21:46:59
16935文字
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【サンプル】秋夜回帰抄

『秋夜回帰抄』九龍妖魔學園紀:皆守と葉佩 / 文庫 / 全年齢 / 212ページ /1,000円
2023/5/3 SUPER COMIC CITY30 東2 ニ77b 『彷徨書房』にて頒布予定の前半サンプルです。
左右を決する描写・示唆する表現はありませんが、感情値が非常に高いです。

通頒:https://pictspace.net/prim_caca
(イベント後に作品ページ公開となります)

・原作の「二周目」をする皆守(成人済)
・堂々と葉佩をかばってやれない身分に戻って悩んだり、感情を拾い集めたりする本

・サンプルは読みやすいように改行がありますが、本では詰まっています
・葉佩とは最終的に愛情値優位、Aスキル・Pスキルマックスを想定

原作シナリオから台詞、展開などが変更されていますが、
これは「原作を二度目に経験する皆守」の行動によって変化が起きた、二次創作として見ていただけると幸いです。

プロローグ


 最初に考えたのは、こいつに大根入りのカレーを作ってやれなかったということだった。

 どこの店だか分からずじまいだが、葉佩は一人でフラフラ出掛けていったとき、どこかの店で大根入りのカレーを食ってきた。それも、カレーを作る段階で初めて鍋を経験する大根ではなくて、もともとおでんの具のようにくたくたに煮込まれた大根であったらしい。噛んだときにかすかに出汁の香りがしたのだと葉佩が言うから、皆守はそれを信じた。そいつは旨かったのかと聞くと葉佩なりの語彙で褒めたたえたので、じゃあそのうち再現してやろうと約束したのだった。一ヶ月か二ヶ月か前の出来事にすぎない。冬のさなかだから、身体があたたまってさぞ旨いんだろうと思われた。だがその約束を、皆守はいまふいにしようとしている。

 皆守は死んだことがない。だから、これが死なのかどうかは確かめようもなかったが、心臓からだんだんと冷たくなってゆくから、これが死なのじゃないかと思った。脳がぼけていき、視界に霞がかかる。皆守は身の回りをどう把握するかということについてはかなりの割合を視覚に懸けている。視力を奪われると、途端に不安になった。手にあたたかいものが触れた。誰かの体温だ。そしてその誰かとは、この場においては一人しかありえない。

 葉佩。視界に紗幕がかかったようだから、皆守は手探りでその体温の元をたぐり、めちゃくちゃな手つきで握った。

 この状況で彼が無言であるはずはない。どうやら、聴力もいかれているらしい。
 手が動くことは幸運だった。皆守は両手を使って目の前にいるバディの身体を検めた。彼は出血をしていないし、四肢のすべてがまっすぐだった。どこにもぬめりはなく、硬く守られたベストと特別な繊維で編まれたズボン、肌、髪が皆守の記憶のままに感じ取れる。皆守はちゃんと、バディを庇ってやれたらしい。
 安心すると、心臓が熱くなった。

 葉佩に何か言ってやりたくて、皆守は口を開いた。だが、声らしいものは喉をふり絞っても出てこなかった。
 葉佩はいまきっと、眉尻を下げた情けない顔をしている。

 ――そんな顔をするな。

 言い訳のようだが、皆守は葉佩を庇ったとき、死ぬとは思わなかった。この遺跡を調査するにあたって、周囲の住民には話を聞いたし、調査の許可もとっている。予めの装備を十全なものにするために、葉佩と皆守が入る前に協会の下っ端が地面や空気の成分検査も済ませた。一発で死ぬような罠、または植物はないはずだ。ガスの噴出には常に気をつけている。

 皆守は肺の奥から息を吐いた。

 葉佩を庇えたのは、自分の視力のおかげだった。
 葉佩の頭上にあった石が壁からころんと落ちたのが見えた。その石自体はたいした大きさではなく、例え葉佩に直撃したとしてもたんこぶができる程度にすぎない。だが、石が落ちたあと、その窪みから何か光が放出されるのを皆守の目が捉えた。通常、人の立ち入らない場所で光るものというのは、経験上、ろくでもない。

「おい」

 と言うのと同時に葉佩の腕を引いたが、あいつは重装備でびくともしない。

 葉佩と共に、高校を卒業してから再びバディとして並んで仕事をするようになって一年ほどが経つ。葉佩が遺跡に入るときにどれほどの装備品を身につけるか、それを知らない皆守ではない。皆守は葉佩の腕を重石にして前に出て、彼を肩で庇った。
 光が皆守の頭を撃つように走り抜け、消えた。直後に、頭の芯から視覚につながる線が断ち切れる感覚があった。皆守は、ああこいつに大根入りのカレーを作ってやれなかったと思った。

 いや、光ごときで死ぬだろうか?

 これが死かと思っていた数秒前の皆守を、現在の皆守が否定した。皆守は相変わらず視覚も聴覚もなく、話すこともできなかったが、思考だけはできた。
 考えられることとして、この壁の向こうには何かがあり、そこから石が剥離した。その何かは数十年または数百年、数千年ぶりに空気に触れたことで何らかの変化を起こして発光した。だがその変化が済むと、光も消えた。光による影響だけが皆守に残っている。そういうことだろうか? 酸化か? 酸化するときに発光する?

 考えていることが正しいのかどうかもよく分からなくなってきた。触覚も遠くなっていて、葉佩がしきりに皆守の手や背を撫でさすっているのが羽で遊んでいるくらいに感じた。仕事の邪魔をしてすまない、と思った。こうなるとは思っていなかった。ただ、ちょっとまぶしいのを引き受けてやる程度の、それくらいの腹づもりだった。

 たぶん、死にはしない。何か神経の……そう、神経物質の伝達を阻害する何かにすぎないんじゃないか……

 そう言ってやりたい。

 どうにか伝える術がないだろうかと考えているとき、ふと何かの香りが皆守の嗅覚を刺激した。どこから香っているのだろうか。視覚も聴覚もなく、触覚も奪われようとしているのに、嗅覚は鋭かった。他の感覚が鈍くなっているからか、その香りはしつこいくらいに皆守を取り巻いて、思考を鈍らせた。
 不快な香りではない。馴染みがある、と感じた。まるで家のようだ。甘くはなく、煙くもない。食物にはない香りだ。輪郭はところどころ鋭いのに、同じくらいところどころ丸い。理性があるのに、精密すぎなくて、多少の揺らぎは許容されている。そういう香りがする。

 ここは何だ、と皆守は思った。自分の周囲をうまく知覚できない。ロゼッタ協会の仕事だった。それは確かなはずだ。二人でメールを読んだから。ロゼッタ協会の寄越す仕事はにべもなく突き返すことはできないのだが、思い返せば今までにも妙な仕事現場は山ほどあった。ここもそのうちの一つということだろうか。

 皆守は自分の触覚を追い求めたが、もう手綱は握れなかった。この状態がずっと続くようなことになれば、皆守は前線から退くことになる。葉佩よりずっと早くにだ。それを想像したら、腹が立ってきた。こんなわけのわからないまま、自分の立場がやすやすと奪われるのを黙っていられるか、と思った。ここまで来るのに、どれほど苦労したか分かるか? どれだけの『テスト』を突破してきたと思っているんだ?

 ――ちくしょう、

 と吐き捨てたくなったとき、皆守はふと思い出した。いま自分を取り巻いている香りのことだ。どうして今まで気づかなかったんだろうか。この香りは皆守にとって何より身近だった。これを常に傍らにそなえておく必要がない生活となって久しいが、皆守はこの香りのことをいつだって覚えていたはずだった。
 そうだ、これは、

 ――ラベンダーじゃないか。