メルゼブルクの主要な都市の1つであるベルリンの中心部、行政庁にある会議用のホール。円形にテーブルと椅子が並べられた広いホールのテーブルについたハーティアの隣の席に腰掛け、ラザフォードは緋色の目を細めた。
ドーナツ型のテーブルの向かい側、空席のままの椅子に目的の人物が現れることを待ちながら、テーブルに置いた手の人差し指でテーブルを叩いた。
「落ち着きなさいな。ラザ」
と、隣にいるハーティアに言われ、苛々と息を吐きながら椅子の背に深くもたれかかった。
ルフェーヴルの一族を殺したと発言したグリーディア・L・メルゼブルクとの会談の予定を取り付けたハーティアに連れ立ってこのベルリンを訪れたは良いが、かれこれ数十分に渡って待たされている。軍の再編に加え貧民街の解体と亜人自治区の建設もあって立て込んでいるのだろうが、これだけ待たされると苛立ちもするというものだ。歯噛みしながら腕を組み、向かい側のドアを睨みつける。
と、その時だった。丁度睨みつけていたドアが開き、1人の人物が入ってきた。膝の辺りまで伸びた真っ黒い髪を揺らす、中性的な顔立ちの人物。ぬらぬらと輝く鮮血のような赤色の目を楽しげに細め、かつかつとヒールの音を響かせてホールへと入ってくる。
「こんにちは、ハーティア・ウィンズレット女王陛下と……ラザフォード・シンクレア猊下かな?」
にこにことした表情のまま問うてくるその人物。声も中性的ではあるが、女性とは異なる微妙な低さ。そしてその身のこなしから辛うじて男だと分かった。その人物に怪訝な表情を浮かべつつも、ラザフォードは問いに問いで返した。
「誰だ?」
「ああ、これは失礼。僕はテイル。テイル・ルフェーヴル」
と、そう名乗り、自らが何者かを告げながら、長髪と共に揺れるチェリーレッドの片マントを払い除け、物腰柔らかく腰を折ってお辞儀をして見せる男。そのよく通る声で紡がれた言葉にラザフォードは時が止まったような感覚に襲われたが、その感覚とは裏腹に身体は弾かれたように動いていた。テーブルに立てかけていた剣を手に取るやいなや、椅子から立ち上がると同時にテーブルに足をかけて飛びかかろうとする。
ルフェーヴル。自らの残りの人生で唯一の目的であると言って良い名。それを有する人物が今、目の前に現れた。理由などどうでもいい。殺すのだ。あの日の悲劇を、血肉を、絶叫を、今ここで糾弾するために。
しかし、遠く聞こえるハーティアの制止も聞かず剣を抜き、テーブルを蹴ろうとしたところで別な声が響いた。
「待て」
重苦しい、押し潰すような圧を帯びた低い声が場を支配し、ラザフォードは反射的に動きを止めると、テーブルに足をかけたままの体勢で声のした方へ目を向けた。
「リベルタリア教皇の末裔にしてはやや蛮勇に過ぎるな。ラザフォード・シンクレア」
こちらを見据える真っ黒い目。鋭いが、余裕のあるその黒色の主はつまらなそうな表情を浮かべたままテーブルの前までやってくる。
「ようやくお出ましか……」
右手で握りしめた剣の柄を離さぬまま言いながら、ラザフォードは緋色の目でその男を睨んだ。
グリーディア・L・メルゼブルク。帝国メルゼブルクの第2代皇帝であるその男は、左手で椅子を引いてどさりと腰掛けると、つまらなそうな表情のままではあるものの、威厳を有した声色で仕切り直す。
「長らく待たせてしまい申し訳なかった。女王陛下。それと、いい加減に剣を下ろしたらどうだ? シンクレア公」
言いながら、頬杖をついたグリーディアが指先でテーブルを数度叩いた。テイルの方も物腰柔らかく椅子を引くと、にこにこと笑みを浮かべたまま優雅に腰掛けた。それを睨みつけるラザフォードは動かなかったが、ハーティアに名を呼ばれ、しぶしぶテーブルから足を下ろすと剣を下ろし、鞘へと収めてから改めて椅子に座った。
「それで?」
頬杖をついたグリーディアがつまらなそうな表情のまま問いかけてくる。どういう要件かと問いたいのだろう。ぬけぬけとよく問いかけたものだ。自分とハーティアがここに来た理由など誰でもわかることだろうに。
「……あら」
と、グリーディアの問いかけにハーティアが半ば吹き出すようにして溢した。
「あらあら。まさか心当たりがないなんて仰っしゃられませんわよね? 皇帝陛下」
続けたハーティアが鋭い目をグリーディアに向けて問いかける。その声色に含まれた僅かな挑発に乗るような男でないことは雰囲気からわかるが、つまらなそうな表情だったグリーディアが不敵に笑む。
「……まあ、無用な問答を挟むのはやめておきましょう」
と、息を吐きながらハーティアが仕切り直す。そして、薔薇の色の瞳でテイルの方を一瞥してからグリーディアに視線を戻して問うた。
「皇帝陛下。貴方、本当にルフェーヴルの一族を処刑したのかしら?」
「ああ」
ハーティアの問いに、グリーディアが平坦に答えた。
「そちらのテイル・ルフェーヴル氏と?」
「ああ」
テイル・ルフェーヴル。そう名乗ったこの人物と共に、ここに居るグリーディア・L・メルゼブルクはルフェーヴルの一族を殺し尽くしたという。その証拠はないが、1つの国を統べる皇帝の言葉はそれに代わるだけの説得力があるものだ。その発言は国の総意と言い換えても良い。
「ルフェーヴルの一族にはバチカン崩落に関わった容疑がかかっていることは、このリベルタリアに生きる者であれば勿論ご存知だと思いますけれど、それを承知で処刑されたということかしら?」
「そうだな」
この男からすれば、バチカンで起こった悲劇などどうでもいいということだろう。所詮は過去の、自分にはなんの関係もない出来事だと。既に歴史に埋もれた事柄だとそう言いたいのだろうが、ラザフォードにとってはつい昨日のことのようで、永遠に残るとても深い傷痕なのだ。だからこそ、糾弾しないという選択肢はない。
「リベルタリアの均衡が大きく崩れる可能性のある行為を独断で行ったと?」
噛み殺すような口調で言いながら、ラザフォードは緋色の目でグリーディアを睨みつける。
「今にも牙を剥きそうな顔だな。では逆に問うが、ラザフォード・シンクレア。貴公は明確に悪だと確信した者を前にして、その剣を振り上げない自信があるのか?」
「なんだと……?」
冷やかすかのように片方の口角を上げて笑むグリーディアの言葉に、ラザフォードは歯噛みしながらも唸るように言う。
腹の底で燻り続ける怒りが今にも火の手を上げようとしているようかのように熱を上げていく。しかし、つい先程ルフェーヴルと聞いて即座に飛び掛かろうとしてしまった手前、返す言葉もなく噛み締めた奥歯がぎりぎりと軋む音が頭の中に響くのを聞きながら黙してグリーディアを睨むしかなかった。
「くく、憎悪を飼い慣らすのは容易ではないらしいな? シンクレア公」
口の端を歪めて笑うグリーディアの言葉に我慢が限界を迎えそうになったその瞬間だった。ホールの扉が音を立てて開き、1人の男が入ってきた。「失礼」と短く告げて足早に入ってきた男は、リベルタリアの貴族リストで見たことのある、ロゼ・シュタインベルクという人物だった。メルゼブルク軍大将であり、軍団長を務める男。メルゼブルクに属する貴族の中でも指折りの軍人の家系であるシュタインベルク伯爵家の現当主である。
ロゼは足早にグリーディアの傍らに歩み寄ると、座したグリーディアに厳しい表情のまま耳打ちした。聞き取れはしなかったが、その表情から良くない知らせだろうと推察する。しかし、ラザフォードの内心はそれどころではない。めらめらと炎を上げ始めた猛りを噛み殺すことに必死になりながら、全身から吹き出す脂汗の不快感と呼吸の詰まるような感覚に襲われ続ける。陽炎のように揺らぎ始めた視界の中でグリーディアとテイルを交互に睨むが、こちらの気など知らぬグリーディアがロゼの言葉に「ほう……」と零しながらほくそ笑んだかと思えば、突然席を立った。
「ここまでだ。失礼する」
「っ!? どういうことだ!」
告げられた言葉に立ち上がったラザフォードは、マントを翻して去っていくグリーディアの後ろ姿を追うように叫ぶが、グリーディアは「すぐにわかる」とだけ言い残し、ロゼと共に出て行ってしまった。
ぱたりと小さく音を立てて閉まったドアを見つめたまま言葉を失うも、続けて声が響いた。
「それじゃあ、僕も失礼しようかな」
言いながら、残っていたテイルが席を立ち、チェリーレッドの片マントの裾を揺らして踵を返すと、出口へ向かって歩き始めた。その声に我に返ったラザフォードはこつこつと響くテイルのヒールの音を遮るようにして叫んだ。
「待てっ!」
「なんだい?」
と、足を止めてこちらを振り返ったテイルが変わらぬ笑みを浮かべて問いかけてくる。その姿を睨みつけたまま、ラザフォードは歯噛みしたまま問いを投げた。
「17年前、バチカンに魔物を差し向けたのはお前達なのか!?」
投げかけた問いにテイルはにこりと笑み、答えた。
「そうとも。貴方の仇は間違いなく、ルフェーヴルの一族さ」
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.