冬灯夜
2023-02-27 22:00:03
6311文字
Public ルミナリア
 

この手をどうぞ、どうか

ルミナリア ガスリゼ
・998年の獅皇祭
・Shall we dance?したかった
【8/13 2P目更新】




「お疲れ」
 聞き慣れた声に顔を上げた。思った通り、ガスパルがカップを両手に佇んでいたので、ため息を漏らす。
「まだ居たのか」
 獅皇祭が盛り上がる昼間にも顔を見せていたのに、一般客も居なくなった夜まで居るとは。決して暇ではない筈だ。なのに顔を見せる時には、まるで「暇なのか」と言わせたいのではという態度を取る。
「まだってお前、まだって」
 大袈裟にため息を吐いたガスパルは、リゼットにカップを差し出した。
 もうとっくに出店も閉じている。それなのに湯気の立つコーヒーを持っているということは、食堂で淹れてもらったか、自分で淹れたかだ。
……ありがとう」
 後者だろう、と予想がついてしまうから、棘は呑み込まざるを得ないのだ。
 受け取ったカップからじわりと熱が伝わってくる。再び窓の外に目を遣りながら、コーヒーを口にした。
「賑やかだな」
 ぽつりと呟いたガスパルに相槌を返す。
 後夜祭はいつも音楽とダンスで終わる。ここからでは細かい表情は見えないが、生徒達が笑っているのはよく分かる。
「毎年のことだが、こうやって毎年をあの子達が迎えられるのは嬉しいよ」
 騎士学校を卒業すれば、多くの生徒は軍人となる。ブレイズであれば在学中でも戦場に出る。いつ命を落としてもおかしくない。けれどリゼットが彼らにしてやれることは少ない。教えられるのは戦闘技術と、生きる為の、そして自らの意思を貫く為の心構えくらいだ。
 そんな時代であっても、子供が子供としていられる時間を持って欲しい。気の許せる仲間とはしゃぎ、遊び、いつか――或いは最期の時に、決して悪いことばかりではなかったと思える時間を持って欲しい。
 エゴだと思いはしても、こうしてその光景を見ることが出来るのはリゼットにとって、とても嬉しいことだった。愛おしく、あたたかく、願わずにはいられない。
 ガスパルが出窓にカップを置いた。そのまま手が伸ばされたが、意図が掴めず、ガスパルに視線を遣った。
「一曲どうよ」
「は?」
 何故そうなる。
「だーかーら、一曲踊る?」
 反射的に疑問の声を返しても、ガスパルはやれやれまったく、とでも言うような態度で繰り返すだけ。
「踊れないくせに?」
 何となくカチンと来て挑発的な物言いをしてみれば、ガスパルは小さく口の端を上げた。
 そして至極自然な動きで右手を取られ、腰にもう片方の手が回る。咄嗟に押し返そうとしたが、左手のコーヒーを零すことは出来なかった。腰を引かれ背中から倒され、左手だけは位置を動かさないようにと集中して――片脚が浮いた状態で静止する。
「ご覧の通りだけど?」
 ガスパルは至近距離で笑みを深める。身を起こし、リゼットはため息を噛み殺した。
 ああそうだ、ガスパルはこういう類のダンスにも慣れているんだった。――あの頃と違って。
「お前な……そもそも、私は見回り中だ」
「さっきまで窓の外眺めてたろーがよ。大体、不審者なんざもう居ないだろ」
 自分でも苦しい言い訳だとは分かっていた。が、目の前の男は十分に学外者ではあるのだ。手を離さない男に抗議の意を込めて睨めつけても、全く意に介した様子はない。
 大きくため息を一つ。
……一曲だけだ」
「おう」
 仕方がなく付き合ってやる、と見せてもやはりガスパルは気にした風もない。
 肩に手を置くと、ガスパルの手も背に回った。ガスパルの拍子に合わせてステップする。
 ダンスの機会がないではないから、一通りのことは出来る。が。
「鬼の教官殿にも苦手分野がおありのようで」
「踏むぞ」
 笑い含みに言うだけのことはあって、ガスパルは様になっていた。
 足捌きも手も私の動きを誘導して、乱れたステップの補助も卒なくこなす。
 触れている肩はしっかりしていて、リゼットの手を取り腰に添えられた手も大きくて、上背もすっかり伸びた。あんなに小さな少年だったのに。
 幼い頃、座っていたガスパルの手を引いて、その軽さに子供ながら驚きを覚えた。時折、あの頃の少年と目の前の男が結びつかなくて言葉を呑み込んでしまうことがある。今は、どうだろうか。自分をリードして踊るこの男は、自分の知るガスパル・エルベなのだろうか。
 益体もないことを思っている内に、外の音楽が盛り上がる。変わらず楽しそうで何よりだ。
 ガスパルが手を持ち上げたので合わせて一回転、し終わると同時に抱き留められ、リゼットを持ち上げた状態でガスパルはその場でくるりと回った。浮遊感に、思わずガスパルの肩を掴んだ手に力が入る。危なげもなく降ろされたと同時、外の盛り上がりも最高潮に達したらしい。歓声が聞こえてくる。
 手の力を緩めて息を吐いた。ガスパルも息を吐いて、珍しく顔を少し火照らせている。
 ふと。ガスパルが笑った。
……楽しかったな」
 幼い頃たまに見せた、柔らかでほんの少し照れくさそうな微笑み。あの頃と違って少しばかり上から、けれど近い距離のそれ。
 ――大きくなったな。
 ああ、それは、少なくともそれだけはいいことだ。この微笑みをまだガスパルが浮かべられるのなら。
 幼い少年と間近の髭面の男が重なる。
……ああ」
 だから、込み上げたものや、踊っている間やあの浮遊感に感じた想いを表出してもいいか、と思った。思えてしまった。
 互いに短い一言だけのやり取りが、どうしようもなくやさしくて。
 不意にガスパルの笑みが崩れ――次の瞬間、抱き締められた。だから、崩れた後の表情は分からない。
 押し付けられた胸板は硬く、腕の中は大きくて温かい。ついさっき一致した筈の姿がまた見えなくなって動揺する。
「っ、な」
 それを言葉にする前にガスパルはあっさりと身を離し、窓辺のコーヒーを飲み干した。
「あーあ、すっかり冷めちまった」
 その表情はいつもと変わらない。飄々とした胡散臭い大人の顔だ。
 動揺したことに自分でも驚いたが、気付かれないよう息を吐き出して収める。
……お前が浮かれたからだろう」
「浮かれ男のお誘いに乗ってくれたのはどこのどなたでしたっけねえ」
 ああそうだ、浮き上がったとも、文字通り。
 ヒールで軽く足の甲を踏みつける。
「知らんな」
「いって! おま、踊ってる時は踏まなかったのに」
「ふん」
 すっかり冷めたコーヒーを飲み干すと、ガスパルがカップを回収した。
「じゃあな。私は見回りに戻る」
「ついてってやろうか? 一曲時間取らせたし」
「いい。どうせ明日もどこかに行くんだろう?」
 にも拘らず残っていたのは、互いへの息抜き要請であると察せてしまう。だから、来るなとは言えない。言い訳が下手なのは昔から相変わらずだ。
「おやすみ、ガスパル」
「ああ。おやすみ、リゼット」
 ガスパルに背を向けて歩き出す。
 外は少し落ち着いたようだが、まだまだ十分に楽し気だった。
 手に目を落とす。
 何もない両手。とうに失われた手袋越しの温度。
 それでいい。この手に何も残らなくとも、ガスパルが忘れてしまっても、ただ自分が覚えてさえいれば。
 賑やかな声を背に、リゼットは静かに見回りを続けた。