イーディス騎士学校の獅皇祭。一日かけて行われる祭も間もなく終わる。
露店や出し物は既に終わり、一般客も全て退出させた。普段は必要最低限の外灯しかない夜の時間だが、今は広場にランプが吊るされたり台に置かれたりして、常にはない明るさだ。そこに集った生徒や職員は互いを労い、話をしている。楽器の出来る面々は最後の出番とばかりに音を奏で、それに合わせてダンスも散発的に発生していた。奏者もまた声を掛けられ、抜けたり入ったりを繰り返しているので、音楽も一定ではない。
そんな賑やかな光景を、二階の窓から眺めている女がいた。
「お疲れ」
ガスパルの声に、窓辺の女
――リゼットは顔を上げる。小さなため息が零された。
「まだ居たのか」
「まだってお前、まだって」
冷たい言い草に今度はガスパルがため息を漏らした。
コーヒーの入ったカップを差し出す。食堂を借りて淹れてきたばかりなので、まだ温かい。
リゼットはコーヒーを見、ガスパルを見、再びコーヒーに目を遣って両手で受け取った。
「
……ありがとう」
素直だな、なんて茶化しは呑み込んだ。
リゼットが自分に辛辣なのは、概ね人前でのことだ。それもガスパルが周囲に軽薄さを印象付ける言動に付き合ってくれている、という所が大きい。リゼット自身も教官として厳しく辛辣な雰囲気を醸し出す一助になっているようだが。
けれどここで茶化してみれば、人前と同じく減らず口のやりとりになることは想像に難くない。それは少しばかり、勿体なかった。
生徒達の明るい声と途切れ途切れ変わっていく演奏が、窓越しに響いてどこか遠い。
「賑やかだな」
「ああ」
コーヒーを啜りながら、窓の外を見下ろすリゼットに目を遣る。
下からの灯りに照らされた横顔は静かだった。
「毎年のことだが、こうやって毎年をあの子達が迎えられるのは嬉しいよ」
目を細めたリゼットはいつになく穏やかで、なのにどこか胸がざわめいた。幼い頃、妹を見守っていた時と同じ目をしている。
……ああ、そうか。だから。
出窓にカップを置いて、手を差し出した。何だ、とリゼットは視線で問う。
「一曲どうよ」
「は?」
リゼットは眉を顰めた。今ちょうど流れているのはワルツだ。社交ダンスの中では定番のリズム。
「だーかーら、一曲踊る?」
「踊れないくせに?」
お、言ったな。
リゼットの右手を取って、もう片手を腰に回す。反応しかけたリゼットは、左手のコーヒーに気付いて動きを止めた。その隙に腰を引き寄せて少々強引に腕を押してやれば、バランスを崩したリゼットは背中から倒れ込み
――片脚を浮かせた状態でぴたりと止めてやる。
「ご覧の通りだけど?」
「お前な
……」
体勢は戻してやるが、手も腰も離さない。
「そもそも、私は見回り中だ」
「さっきまで窓の外眺めてたろーがよ。大体、不審者なんざもう居ないだろ」
リゼットは胡乱な目でガスパルを見上げた。ここに居るが、とでも言いたげだが無視する。
じっと見つめていると、やがてリゼットはため息を吐いて、一滴も零さなかったコーヒーを出窓に置いた。
「
……一曲だけだ」
「おう」
肩にリゼットの左手が回る。右手をリゼットの腰から離し、肩甲骨に添えて支えた。
音楽に合わせて1、2、3、と合図を出してステップを始める。
舞踏会や社交場に潜り込む為には、こうしたダンスにも慣れる必要があった。おかげで今、特に困ることもなくリード出来ているわけだが。
軽く誘導してやると、リゼットはややぎこちなくステップを踏む。下手ではないが、普段の見事な足さばきとは比ぶべくもない。
「鬼の教官殿にも苦手分野がおありのようで」
「踏むぞ」
言いながらも語気に棘はない。時折途切れる演奏でステップが乱れるが、すぐに持ち直す。大きくステップを踏んで回る度、スカートも袖もなく、ただ互いの上着の裾が揺れる。
昔はこんなこと思いもしなかった。想像の埒外と言っていい。
雪もない温暖な異国の、学校の片隅で、リゼットと二人、社交ダンスなんてものを踊る。
どれもこれも縁がなくて、パタラに乗った王子様や魔王と勇者なんかよりよっぽど遠い。おまけに自分の方が社交ダンスに慣れてるなんて。
外の曲調が盛り上がってくる。曲の終わりが近いのだろう。
手を持ち上げれば、意図を解したリゼットが一回転する。ふわりと裾が空気を孕んだ。
抱き留めて、そのままリゼットを持ち上げてくるりと回転する。
着地と同時、外から歓声が聞こえた。どうやらあちらも盛り上がっていたらしい。
慣れない動きをしたからか、リゼットは少々顔を上気させ、短く息を吐いた。多分、自分も同じ顔をしている。
「
……楽しかったな」
近いままの距離で呟くと、リゼットは目を丸くした。ガスパルが軽口を叩かなければ、リゼットはそれに応えてくれる。なら、リゼットが素直に答えてくれる分は、ガスパルの方から率直に言うべきだろう。
リゼットの薄く開いた唇がまた閉じる。そうして少しの沈黙の後。
「
……ああ」
小さく笑って、リゼットは答える。
この窓辺に来てから、ようやくリゼットが笑った所を見た。
リゼットはいつも、どこか自分を外に置いている。
さっき窓辺から楽しそうな様子を眺めていた時のように。ガスパルとアニエスを見守っていた時のように。それを寂しいと思ってる様子ではない。そのことが、ガスパルの心をざわめかせた。
あの頃はそのざわめきが何なのか分からなかった。今は、ほんの少し腹立たしくて、口惜しくて、もどかしい。
言ったことはないけれど、言えばきっと「お前が言うか」と反論されるだろう。あの頃、居場所などないガスパルを見つけて、手を引いてくれたのはリゼットとアニエスだったから。
なのに当人は外にいるつもりなのだから、やはり腹立たしいというのが一番近いのかもしれない。
だから、今。校舎の片隅で、広場の中でなくとも、楽しい時間を共有出来たのなら。外でなく内に居てくれるのなら。それがどうしようもなく嬉しいと、ガスパルは思う。
――不意に込み上げた衝動のまま、リゼットを抱き締めた。
柔らかく、温かく、ここに居ると教えてくれる。
「っ、な」
何か言われる前に、素早く身を離した。
出窓に置いたカップを取って、コーヒーを飲み干す。
「あーあ、すっかり冷めちまった」
「
……お前が浮かれたからだろう」
「浮かれ男のお誘いに乗ってくれたのはどこのどなたでしたっけねえ」
「知らんな」
ヒールで軽く足を踏まれる。
「いって! おま、踊ってる時は踏まなかったのに」
「ふん」
大袈裟に痛がるとリゼットは鼻で笑う。リゼットも冷めたコーヒーを干したので、カップを受け取った。
「じゃあな。私は見回りに戻る」
「ついてってやろうか? 一曲時間取らせたし」
「いい。どうせ明日もどこかに行くんだろう?」
それを言ったらリゼットだって授業がある。明日は片付けと休息を兼ねているから普段ほど激しくないにしても、明後日からは準備期間を取り戻すべく怒涛のスケジュールになる筈だ。
そんなことはおくびにも出さないのだから、本当こいつは。
「おやすみ、ガスパル」
「ああ。おやすみ、リゼット」
去っていくリゼットを見送って、反対方向へ足を向ける。
リゼットが窓から広場を眺めていたように、休憩をすぐ取れるような見回りであっても一応は職務中だ。それでも休憩扱いで一曲付き合ってくれたのだから、リゼットはガスパルに対して甘い、と思う。甘やかされてる、と言えるかもしれない。
手に目を落とす。
とっくに熱を失って冷えた空のカップが二つ。さっきまで、手袋越しに感じていた温度。
離したくなかったな、と。
そんな想いを沈めて、未だ喧々たる騎士学校の中を、ガスパルはただ前に歩を進めた。
ここから
こう
毎度の如く書かせて頂きました、ありがとうございます!!
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.