《ことの始まり》
玄関のベルが鳴る。
客の予定はないのだが、とガスパルは腰を上げて確認する。そこにいたのは、淡い桃色の髪を二つ揺らした見知った少女。
同時刻。
開けようとしていた酒瓶を置き、玄関を確認したリゼットの前には、無造作な黒髪の見知った青年。何用かと問えば。
「喧嘩した」
エドと。
リディと。
違う場所で同じ言葉を告げたリディとエドワールに、ガスパルとリゼットも目を丸くする。
あからさまに口を尖らせた少女に、ガスパルは頭を掻き。
どこかバツの悪そうな青年に、リゼットは小さくため息を零し。
(
……来る場所が逆では?)
と、これまた違う場所で同じことを思ったのを、四人の誰もが知ることは無論ない。
《その一:リディとガスパル》
「喧嘩ねえ。珍しいこともあるもんだ」
「そうでもないわよ」
甘いジュースをコップに注いで、リディの前に出してやる。ありがと、とリディは両手で受け取った。常備しているわけではないが、今日はたまたま色の綺麗なジュースを手に入れた所だった。酒で割って飲めばいいか、と思っていたのだが、ちょうどよかった。
「にしても、何でウチ? こういう時は女子同士の方がいいんじゃないの?」
付き合いこそガスパルの方が長いが、リゼットの方が色々と機微を分かってやれるだろうに。そもそもリゼットでなくとも同世代の付き合いだってある筈だ。
「エドの昔の話を知ってるのはあなたでしょ?」
「あー」
確かにそれはそうだ。つまりエドワールの話を聞いて仲直りをしたいと。
かわいらしい所もあるもんだ、と口角を上げたガスパルに、リディはにっこりと笑う。
「弱みとか」
…………。
「あー」
それ以外にどう言えと。
リディはジュースに口を付ける。どうやら気に入った様子で、一気に半分ほどがなくなった。
何故ここに、の答えにすっかりしっかり納得して、ガスパルは自分用にアイスコーヒーを取り出す。それなりに長くなりそうなので。
しかしまあ逞しいことで。
恐らく予想通りの場所にいるだろうエドワールへ密かにエールを送りつつ、ガスパルはリディの前に腰を下ろした。
《その一:エドワールとリゼット》
「コルク抜きは」
「右端の引き出しだ」
手土産のワインを開けるのは本人に任せ、リゼットはソファに座った。
エドワールは慣れた手つきでコルクに螺旋状の針を差し込んでいく。
「何故こちらに来た? あいつの方が付き合いは長いだろう」
あいつが誰を指すのか、は言わずとも伝わる。互いに腐れ縁だ。
「あんたの方が客観的に意見をくれそうだ」
「そうか」
自分に一般的な女子の感性を期待されては少々困るが、それこそ一般論なりリディの好みの推測ならば、力になれないことはないだろう。
「あと」
きゅ、と最後まで針を押し込んで、エドワールは低く呟いた。
「あいつからリディの好みを直接聞くのはイヤだ」
「ああ」
物凄く腑に落ちた。
まあ、何となく負けたような気分になるというか。兄から妹の好みを聞き出すような、そんな気分が近いのではなかろうか。
兄は言いすぎか、と一人納得を深める内に、エドワールはコルクを抜いてワインをグラスに注いだ。
まずはエドワールがどう仲直りをしたいのか、果たして何を贈るつもりなのか。それを聞いてから、手土産分くらいは相談に乗ってやろう、とリゼットは小さく笑ってグラスを手に取った。
《その二:ガスパルとリディ》
「そういやこんな時間に来ちゃってさ、エドは心配すんじゃねえの?」
幾ら近しい関係とはいえ、仮にも一人暮らしの男の家だ。ガスパルにそんなつもりはないが、一般論として。
話が一段落した辺りで、からかい半分、心配半分でわざとらしく笑いながら問うてみる。
リディは呆れたように肩を竦めた。
「あたしが悪い大人に悪いこと吹き込まれないかは心配してるでしょうね」
「はいはい悪い大人だよ」
昔話や笑い話になる程度のちょっとした失敗談は、既に聞きだされている。
まあ、エドワールの心配する『悪いこと』はそういう類の話ではなく『教育上の悪いこと』だろうけど。
「あなたがそういう人間なら、最初のジュースでとっくに終わりよ」
「そりゃあご信頼頂きましてどうも」
「別にいい人間とは言ってないけど」
「えー、ひどーい」
何杯目かのジュースを注いで、リディは笑った。先程のガスパルのように、わざとらしく。
「ガスパルこそどうなの、この時間に。エドはかっこいいわよ?」
行き先の予想は同じらしい。
心配はしてない、なんて言えばあたしも同じよ、と返されるに決まっている。心配だ、なんて言えば鬼の首を取ったようにからかわれる。
苦笑して大人しく降参のポーズを取った。
「しっかし、あの顔面と比べられると俺の立つ瀬なくない?」
「大抵の人は立つ瀬がないから大丈夫よ」
「惚気がひどい」
話題をずらして誤魔化そうと思ったのにどうしてこうも畳みかけられるのか。
「客観的事実。ガスパルだって悪くはないし」
「おざなりぃ」
「それにリゼットはそういうの関係ないでしょ」
ため息。
すっかり温くなったアイスコーヒーを飲み干して、ガスパルは立ち上がった。
「ま、リディちゃんは大丈夫だと思っちゃいるけど、他所でこういうのはしないようにな。エドも俺達も心配するから」
む、とリディは押し黙る。
コップを回収し、鍵束を取り出して玄関に向かう。
「ほれ、送ってくから。心配はさせたろうから、そこは素直に謝っときな」
「
…………そういう大人の仕草は狡い」
仕草も何も。
「悪い大人なんでねえ」
「
……分かった」
お邪魔しました、と定型文を呟いてリディも玄関に向かう。
大人びて他の誰も敵わないくらい頭のいい少女だけれど、こうして話を聞く耳があるのはいい子だな、なんて気持ちを込めて頭を撫でてみた。珍しく反抗されなかったのでそのままぐりぐりしてみたら、容赦なく叩き落された。痛い。
「調子に乗り過ぎ」
「へーい、失礼しました」
さて、あちらの考えそうなことは。
送り先の候補を考えつつ、家に鍵を掛けてガスパルは静かに笑った。
《その二:リゼットとエドワール》
「ところで。こんな時間になんて、リディに心配をかけるんじゃないか?」
「リゼットの所ならリディは心配しないだろ」
大体の話が終わった所でワインを傾けつつからかってみれば、エドワールはあっさりとそう答える。
何の気負いもない返事に流石に呆れると、エドワールは少々渋い顔をした。
「
……確かにあんたとガスパルには悪いと
……いや、あいつに関しては少しは振り回されればいいと思う」
八つ当たりめいた言葉に失笑する。素直でよろしい。それだけエドワールにとってガスパルは甘えていい相手なのだろう。
心配ないと言い切るのは、こちら側も間違いを起こす心配がないと思っているのだろうが、まったく。
くつくつ笑っていると、エドワールは項垂れて首元に手をやった。
「
……いや。本当にすまないと思ってる。この時間に押しかけるのはよくないと分かっては
……いたんだが
……」
仮にも妙齢の男女という括りになるわけだ。分かっていればいい。
それを押しても、仲直りの贈り物がしたいなどとかわいい相談をしてきたのだから、大目に見てやろうというものだ。
「そうだな、その点だけはあいつにも悪かった。その点だけは」
「ふ。エド、意外と酔ってるか?」
「ちゃんと正気だから安心してくれ」
子供じみた言い方に笑いが止まらない。まあ、酒が飲めるだけの子供ではある。
「あちらの心配はいいのか?」
「ああ。ふざけた言動の奴だが、ちゃんと大人なのはあんたが一番知ってるだろ?」
真っ直ぐに言われて、リゼットは思わず口を閉じた。エドワールは気付かなかったようで、自分のグラスを口に運ぶ。
「
……私が言いたいのは、恐らくお前の恥ずかしい話が知られている、ということだが」
ごふ、とむせる音がした。
「
……ああ、くそ、あいつ
……!」
「代わりにお前が知っているガスパルの話を聞かせてくれてもいいぞ?」
「いや、まだいつかの切り札に取っておく
……あんたもあいつの話をしてくれていいんだが」
「また何かあった時にでもな」
「ああ」
ガスパルが頭を抱えるであろう密約を交わした所で、グラスに残ったワインを呷る。そろそろいい時間だ。
エドワールも残りを飲み干して立ち上がった。
「世話になった」
「ああ。そうやって人を頼れるのはいいことだ」
立ち上がって、黒髪をくしゃくしゃと撫でてやる。
「ひとまず花丸をくれてやろう」
「
……オレはあんたの生徒じゃないんだがな」
「似たようなものだ」
荷物をまとめて共に玄関を出ると、エドワールは怪訝な顔をした。
「もう遅いし、あんたまで出歩くことはないだろ」
「ついでだ、最後まで見届けさせろ」
そろそろあちらも同じ結論に至っているだろう。
「いや、あんたを一人で帰すわけには」
「それは大丈夫だ、心配するな」
どうせガスパルもそこにいる。このかわいらしい喧嘩の顛末を見届けるのが、この相談の何よりの報酬となるだろう。
未だ疑問符を浮かべるエドワールに、リゼットはただ笑みを浮かべた。
こう描いて頂いて
これがこう
そして更にこう!!
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