冬灯夜
2022-06-02 21:58:18
11279文字
Public ルミナリア
 

それでも朝は来る

ルミナリア セリアとミシェル、連邦オールキャラ
#ルミナリア版ドロライ企画【エピソードファイナル】
・式典直後の騎士学校での話
【追記】7/30 2P目 先輩達のターン




* * *


 ようやく静けさを取り戻し始めた廊下をイェルシィと二人、歩いていく。
 お盆に乗せたおにぎりを倒さぬよう、いつもより慎重に。
「少し落ち着いたかな」
「そうだな」
 レオ達が帰還してから、騎士学校の衝撃は凄まじかった。レオとセリア、ミシェルを医務室に向かわせて、リュシアンを筆頭に情報収集と学内の混乱を収める為に奔走した。
 帝国の目的やル・サント村の現状は、今後の調査を待たねば分からないだろう。だから今、私達にとって大事なのは、傷付いた後輩達のことだった。
 食事も摂らずにレオを看ている二人に差し入れしよう、とイェルシィと二人、食堂の隅を借りておにぎりを作った。お盆の上には綺麗にまとまったおにぎりと、不格好なおにぎりが並んでいる。……次回以降の課題だ。
「ヴァネッさん、あたしさ」
 イェルシィが前を向いたまま、ぽつりと言う。
「何かね、悩んでたのは知ってたの。教官と何かあったのかな、って」
 でもね、教官は大人だし。レオレオ達も見守ってるみたいだったから、相談されたら聞こうって思ってたの。でももし言いたいことあったら、あたしが教官に言っちゃるよー、ってだけ言ってさ。その時は苦笑だったけど、笑ってはくれたんだ。
……もっと、踏み込んでたら、よかったのかな」
 涙を堪えながら、イェルシィは胸の前で強く手を握った。
 イェルシィ、とトトがその手に寄り添う。
……分からない。ただ、少なくとも、イェルシィの対応が間違っていたとは思わない」
 その空気自体は、他のブレイズも感じていたことだった。どういった類の不和なのか分からず、幼馴染み達でさえそれを聞き出せないなら見守ろう、と。
 そうする内に追悼祈念式典の護衛にレオ達が抜擢され――彼らの故郷がル・サントであると、私達は初めて知ったのだ。それからは準備で忙しく、あっという間に今日になり――そして。
……イェルシィ。私は器用な人間ではないから……その、今、お前に手を伸ばしてやれない。すまない……
 お盆を持ちながら彼女を慰めてやることが出来ない。
 ユーゴに何も出来なかった。教官に問うことも出来なかった。
 気付いていたのに。近くにいたのに。踏み込むことを恐れ、考え、立ち止まった。
 イェルシィはユーゴに寄り添おうとした。何も出来なかったのは、私だ。私の方なのだ。
 今だって隣にいるのに、何も出来ないでいる。
……ヴァネッさん」
 ぱん、と軽い音が響く。
 イェルシィが自分の頬を両手で叩くように挟んでいた。
「ごめん。ありがとう」
「いや、私は何も……本当に、何も」
「ううん、心配してくれてありがとう。それから、今あたしが――あたし達がへこんでる場合じゃないよね、のごめん」
 イェルシィは一度、顔を拭う。涙は綺麗に消えていた。
「いっぱい、あるよ」
 トトが私の頬に頬ずりした。
「な、何がだ?」
「うん。ヴァネッさんがいてくれてよかった。あたしだけだと、へこんだ顔、三人に見せちゃったかもしれないし」
 そんなことはない、と思うのだが。
 イェルシィはとても気遣いの出来る人だ。医務室に着いたなら私がいなくとも明るい顔を彼らに見せるだろう、と思う。
「そのおにぎりもさ、ヴァネッさんの気持ち。……何もなんてこと、ないよ」
 トトを抱きしめて、イェルシィはいつものように笑った。
 ……ああ。逆に励まされてしまったな。
 そうだ。私達がへこんでいてはどうしようもない。なすべきことをする。すべきでないことはしない。今、私達がすべきは、後輩達の心と身体を労わることだ。
 先輩として、共に戦う仲間として、至らなかったことを嘆くのはもっと後だ。
……おにぎりの練習も、もっとするよ」
「えー、ヴァネッさんらしいけどなあ。でも付き合うぜい」
「ああ。頼む」
 これなら、少なくとも医務室の後輩達に逆に心配をかけることはないだろう。それに少し安堵して息を吐くと、曲がり角から二人の先輩の姿が見えた。
「あ、マッキ先輩とリュッシー先輩」
「お疲れ様です」
「ええ、お二人も」
「む、夜食か?」
「うん、ミーちゃん達に」
 立ち止まるとリュシアンとマクシムも立ち止まった。
 夜食か、とリュシアンが思案の様子を見せる。
「実に美味そうだ。僕も後で貰ってくるか」
「お二人はこのまま医務室に?」
「はい。そちらはどうですか?」
「一通り校内は落ち着かせた所だ。医務室に行こうと思っていたが……キミ達が行くのなら、僕は学生寮の方を見回ってくるか」
 確かに、学生の殆どは寮に戻った。そちらも念の為に見回りをした方がいいだろう。
「では、私もこれを置いたらそうします。女子寮とで手分けした方がいいでしょう」
「そうだな、頼めるか、ヴァネッサくん」
「はい」
「あ、食堂もそろそろ閉まると思うよ」
 イェルシィが指摘すると、トトもくるりと回って頷く。イェルシィと共によく出入りしているから、トトも時間を覚えているのだろう。
「何!? ならば先に夜食を調達しておくか……
「では、その後に一度玄関で落ち合いましょう」
「あたしは医務室でミーちゃん達と交代するから、二人のこともよろでーす」
「任せたまえ」
「心得た。リュシアンはどうされます?」
「私は、教官に差し入れがてらお話を聞いてこようかと。夜食はいいアイディアですね」
 リュシアンはふわりと微笑む。
 リゼット教官。レオとセリアを医務室に置いて、すぐにその場を離れた。
 傷付いたレオは勿論、憔悴した顔のセリア、隠しきれない苦みを抱えた教官。――ここにいないユーゴ。
「それでは。皆さんもきちんと休息を取ってくださいね」
 リュシアンの柔らかな声が、ぶり返しそうになった痛みからこちらへと揺り戻してくれる。
 そのまま二人と別れ、医務室に到着する。
 イェルシィとトトと顔を見合わせ、頷き合った。大丈夫。いつもの私達だ。
 息を吸う。
「セリア、ミシェル、いいか」
 二人を休ませる、その使命を完遂する為に。


* * *


「ええ。では、今日はもうおやすみしてください。それがよいかと」
 リュシアンの穏やかな口調に促され、落ち着かない雰囲気だった一般生徒達数人が帰っていく。
 すっかり夜も更けて、一つ息を吐く。
「大分落ち着いたな」
「そうですね。戻りましょうか、マクシムさん」
 廊下をリュシアンと共に歩く。まさにてんてこ舞いだった。
……何があったのだろうな」
……どうなのでしょうね」
 言っても詮のないことではあったが、零さずにはいられなかった。
 まさか帝国に亡命するなど、考えたこともなかった。
 一年を除いたブレイズは情報収集や学内の混乱を収める為、こうして動いていたが、当の本人もいない上、レオくんやセリアくんから話を聞いていない以上、分かることは少ない。リュシアンは周囲の兵士から情報を聞き出したが、やはり要領は得ない。レオくんを叩き起こし、セリアくんを尋問しようとした上層部もいたが、イェルシィくんとヴァネッサくんを中心に『今は怪我の治療が優先だ』と医務室をガードし、その間にリゼット教官や教師陣、校長先生が手を回して上手く押し止めてくれた。
 それを思い出すと、ふつふつと怒りが湧いてくる。
 あれほど傷付いている最中に何を訊こうというのだ。誘拐や捕虜といった言葉が使われなかった時点で、恐らく戻ることはないのだろうと分かるというのに。
 ……戻るつもりはないのか、ユーゴくんは。
 ずん、と重い気持ちがぶり返した。
「マクシムさん」
「な、なんだリュシアン」
 無意識に俯いていた顔を上げる。
「この後はどうされますか? 学内も落ち着きましたし」
「そうだな……やはり、医務室の後輩達が気になるが」
「そうですね。そろそろ一度、顔を出してみましょうか」
「ああ、そうしよう」
 進路を医務室に向け、無言で歩を進めれば、浮かぶのは後輩達のことばかり。そしてやはり、怒りが湧いてくる。そもそもの発端は、上層部がル・サント村追悼祈念式典の護衛にレオくん達を抜擢したことだ。
「ル・サント村、か。……故郷を失うというのは、それだけで辛いことだというのに」
 彼らは故郷の村の名を口にしたことはなかった。それは一体、どれほどの痛みか。にも関わらず、上層部は。
「あんな形で彼らがル・サント出身だと知れるようなやり方を……おのれ」
 その振る舞いは――レオくんの言葉を借りるなら、気高くない。
 強く手を握る。
 ふと、リュシアンがこちらを見ているのに気付いた。どこか戸惑うような、珍しい気配で。
「どうかしたか?」
……いえ。マクシムさんは優しいな、と思いまして」
「そうか? こんなこと、誰だって憤るだろう」
……そうですね。ええ、その通りです」
 僕は故郷を失ったことはない。それどころか、聖領アルコニスは戦火に見舞われたこともない。もしあるとすれば、それは連邦が敗れる時と言っても過言ではないだろう。
 だからきっと、本当には彼らの気持ちを分かってはやれない。
 それでも、この騎士学校で故郷を失ったという者達に多く会ってきた。ある者は淡々と、ある者は悲しみながら、ある者は怒りをぶちまけて。そして何も語らぬ者も。抱えた痛みを乗り越えようと、それぞれに足掻いていた。
 僕に出来るのは、そんな彼らと共に歩むことだけだ。
「レオさん、意識を取り戻していればよいのですが」
「そうだな……心配だ」
 ミシェルくんがいるのだから大丈夫だろう、とは思っているのだが、心配とは尽きぬものだ。
 曲がり角を折れると、一つ下の後輩達がやって来る所だった。
「あ、マッキ先輩とリュッシー先輩」
 疲れはあるものの、いつもの明るい声にほっと力を抜く。……さしもの僕も気を張っていたのだな、と気付いた。
 聞けば医務室へ差し入れをして、イェルシィくんは後輩達と交代するという。僕はヴァネッサくんと共に学生寮の見回りをすることにし、リュシアンはリゼット教官に差し入れをすることにした。
 食堂でリュシアンは紅茶を、僕は簡単なサンドイッチを用意してもらい、料理長に礼を言って二手に別れる。
「大丈夫ですよ」
 別れ際、リュシアンはいつもの調子で言った。
「ここにはマクシムさんのように、優しい人が沢山いますから」
……うむ。後輩を守るのは、先輩の役目だからな」
 面映ゆいものを感じながらも、そう返事する。
 レオくんもセリアくんもミシェルくんも――ユーゴくんも。イェルシィくんもヴァネッサくんも。
 かわいい後輩達を、これ以上傷付けさせてなるものか。
 月明かりの廊下で一人、手を握った。


* * *


「おや、リゼット教官、ちょうどよい所に。生憎と両手が塞がってまして、開けて頂けますか?」
 教官室の前で行き会ったリゼット教官に、ポットとカップを示して微笑む。教官は私を見、ポットを見、小さくため息を落とした。
「何が生憎と、だ。全く」
 言いながらも教官室に招いてくれるのだから、やはり優しい人だ。
 早速紅茶を淹れて、差し出す。
「立ったままでお先に失礼します」
 自分の分に早々に口をつけると、教官もカップを取った。
「図太いな、お前は本当に」
「あはは、恐縮です。師が優秀なもので」
 最早言葉もない、とばかりにリゼット教官は無言で紅茶を飲む。
 適温の紅茶は身体を温めてくれる。そっと息を吐いた。
「それで?」
「学内は落ち着きました。レオさんはまだ目覚めていないようです。セリアさんとミシェルさんは寮に、医務室にはイェルシィさん、学生寮の見回りにマクシムさんとヴァネッサさんです」
「そうか。ご苦労だったな、お前達ももう休め。今日はこれ以上、何も進展はないだろう」
「教官もお休みになられるべきでしょう。当事者のお一人なのですから」
 リゼット教官は窓辺に寄りかかると、窓の外に目を向けた。
「もう暫くしたらな」
……あまり信用の出来ないお言葉ですねぇ」
 体力や戦闘力には勿論信頼をおいているけれど、それにだって限度はある。今のリゼット教官を動かしているのは――強い自責のように見えた。
 教官は答えず、カップを傾けた。
 外からつい、と私に目線を移す。
……それで?」
 教官は同じ言葉を繰り返す。何か訊きたいことがあるのだろう、とその目が語っていた。
 口を開く前にポットを近付けると、意図を察してカップを差し出してくれる。おかわりを注いで、机にポットを置いた。
「バイヌセット砦を落とした時に仰っていたことと、関係があるのですか?」
 いつか話すことがあるだろう、と言っていた。リゼット教官と上との関係。帝国が何かをしているのと同様に、連邦にも“何か”はある。ル・サント村がどのように関わっているのかは分からないが、法王聖下が直々に式典を執り行ったという時点で外れた推測ではない筈だ。
 リゼット教官は紅茶に息を吹きかけ、静かに紅茶を口にした。
 ……無言の時間は、やはりあの時と同じくまだ話せないということなのだろう。
……少なくとも、シモンの亡命については、私の責による所が大きい」
 だが、リゼット教官はぽつりとそう言った。
 否定も肯定も出来るわけがなく、私も紅茶を口にする。
「では尚のこと、そろそろお休みになるべきですね。明日からまた騒がしいことでしょうから」
 上が、と口にせずとも伝わるだろう。
 心が休めずとも、身体だけでも休まなければ、皆が疲弊してしまう。
「なかなかしつこいな」
「お褒めに預かり光栄です。ブレイズの総意ですよ」
 決など取ってはいないが、皆がレオさんやセリアさんを心配するのと同様に、ル・サントの任務から帰って来たリゼット教官を心配しているのは分かりきったことだった。
「分かった。お前とここで夜を明かすわけにもいかないからな」
「それは何よりです」
 夜明けまででも粘ると気付いて頂けて大変ありがたい。
 冷めてきた紅茶を飲み干して、ポットとカップを盆の上にまとめる。リゼット教官も飲み干したカップを戻した。
「美味かった。ありがとう」
「どういたしまして」
 一礼して扉へ向かう。
「デュフォール」
 背中に掛けられた声に、振り返った。
 リゼット教官は窓辺に背を預けたまま、静かに私を見ている。
「お前の経歴は知っている。……デュフォールとなる前のことも」
……それは」
 どこまでの、と言葉を呑み込む。
 少なくとも帝国領の村にいたということは知っている、と捉えていいだろう。
……油断はするな。お前になら、言うまでもないことだが」
 ナハトガル村とル・サント村。
 共通点がある、と言いたのなら。それを教官が口に出来ないのなら。
「ええ。……十分に気を付けますよ」
 リゼット教官は再び窓の外に目を向ける。
「おやすみなさい」
「ああ」
 再び礼をして、教官室を出た。医務室の様子を見たら学生寮に向かおう。
 ……あまり想像はしたくなかった、と嘆息する。
 リゼット教官が実際にどれだけ自分のことを知っているのかは分からない。少なくとも言ったことはない。それでもあえて教官が言った、ということには意味がある。
 胸の前で、手を握る。
 あの時の痛みは、決して忘れられない。無力感も、悲しみも、燃えてしまったものも。
 ――レオさん達の痛みは、再び抉られた。新たな傷を伴って。
 けれど。
 けれどここは、独りじゃない。
 信用の出来ない“何か”が在っても。
 非道に憤る優しい人がいる。後輩達の傷を想って泣く人がいる。友の痛みを受け止める人がいる。支えようと立つ人がいる。守ろうと全てを呑み込む人がいる。
 立ち向かえるのだ、私達は。
……ユーゴさん」
 その温かな全てから離れていった後輩。
 彼にもどうか、そのような人達が傍にいてくれますよう。今は祈るしか出来ない。
 窓の外に目を向ける。
 夜は深まって、夜明けはまだ遠い。
 けれど。
 必ず、朝は来るのだ。


* * *


 夢を見ていた。
 俺は泣いてて、ユーゴとセリアが仕方ないなあなんて言いながら俺を慰めてくれて。
 俺は本を読んでて、ユーゴが剣の稽古に誘ってくれて、セリアは怪我しないでよって見守ってくれてて。
 ユーゴが倒れて、セリアはいなくて、俺は走って――ばあちゃんが。
 ぐしゃぐしゃになった景色が、騎士学校に変わる。
 セリアとミシェルがブレイズに合格して、俺とユーゴは教官の補習授業を受けて、どうにか合格出来た。やったわね、ってセリアが俺達のお祝いをしてくれた。
 帝国のスパイを斬った。
 ミシェルと隣り合わせで、守りきった。
 先輩達に稽古をつけてもらった。
 コトロマを読んで語り合った。
 演技なんてものもした。
 料理をした。
 笑った。
 いつだって――ユーゴとセリアがいて。

『キミ達に……源獣の加護があらんことを』

 そんな祈り聞きたくない。
 どうして一緒にいられないんだ。
 俺は、ユーゴが、セリアが、二人と一緒にいられたら。
 どうして。
 ――どうして俺は、こんなに弱虫なんだ。
 手を伸ばす。
 届かない。止まらない。赤黒い陣の中にユーゴの背中が消えていく。
 いやだ。
 いやだ!!
 ――伸ばした手が、柔らかいものに当たった。
 身体が一気に重くなる感覚。
「あっ………………た、……!?」
 誰かの声がする。
 パタパタと遠い音がして、がちゃんと扉の音がやけに響いた。
 さっきはあんなに手を伸ばしたのに、今は僅かに動かすのも重たくて仕方ない。
 首を横に捻る。医務室だ。模擬戦の後に、よくお世話になった。
 窓にはカーテンが掛かっていて、隙間からうっすらと光が差し込んでいる。
 見ていた夢が、霞んでいく。叫んだ苦しさだけを残して。
 ……ああ。
 …………朝だな。
 そのことが酷く、胸に詰まって。
 朝日の眩しさに、涙が一つ零れた。