takisaka
2022-02-02 23:01:12
2191文字
Public 企画文
 

七つなく子の指のさき

柘榴さんのちょっぴり続き(隠世弐)

 ――楽しい。

◇◇◇

 そう感じながら日々を送るのは、もしかしたらこれまでで、この隠世に来てからでも、初めてのことであったかもしれない。こと、柘榴に限っては。あの橋から落ちる前――つまり生きている時分にはこの痩せた少女にとって、生きるというのは労働とあまり変わらなかった。せきたてられるように起きて倒れるように眠りに就くまで、一日のうちで余裕というものが殆どない。うまれたばかりの赤子に聞かせる子守歌、端切れで縫うお手玉、道端で吹く蒲公英の綿毛。彼女にも日々の合間を縫ってのささやかな楽しみは勿論あったけれども、だいたいがほんのわずかな手慰みで、そして、ひとりぼっちだったから。
 賑やかでちいさな黒子と、ごく静かでおおきな巌と。どこかちぐはぐな会話を聞き、習い性のように家や畑の世話を焼き、寝食をともにするのは楽しかった。この隠世でも、日々とともに季節はくるくると巡る。

 それとともに、柘榴はちかごろ、なにもしない、をすることを覚えた。

 家事はなにせなにかと気働きのするちいさいのと手分けをするし、巌はじつに手のかからないとかげであったので――しぜん空きができた時間を、暇というものの過ごし方をとんと知らぬ少女は、押しかけるようにしてともに暮らしはじめたあやかしの時間の過ごし方をして真似てみるようになったのだ。

 たとえば縁側で猫のように寝転がり、となりの大蜥蜴がうろこを甲羅干しするのを真似てみるかたち。少々設楽ないという気もする――が、所詮いまさらだ。もともと行儀も礼儀も、あまり縁のない氏育ちである。

「あ。ヒタキが鳴いたぞ」
「ウム。――

 気まぐれに投げることばは、鳥が鳴いただとか、明日の天気だとか。頬に畳の跡をつけて寝入ってしまうこともしばしばある。巌は時を過ごすのに、日当たりのよい、のどかで風の通る場所を選ぶことが多かったから。

(おれァ結構、のんきもんだったんだな)

 意外だ。

 自分で自分をそのように思ったのも、そう、この隠世まで来て、きっとはじめて思う。長い髪を床に遊ばせて、陽だまりはぬくぬくと心地よい。少女はその赤みがかったひとみをとろりと細めている。すっかり寝入ってしまったあとにはたいてい肩にうすい肌掛けがかけられているが、それが黒子のもちもちとした手によるものか、はたまたまるでとがった爪がおそるおそる掴んで運んできたものか。どちらなのか、柘榴は知らない。
 けさ畑でとれたものだから、夕餉には初茄子を出すと決めている。田楽にでもしようかと思っていたが、黒子に聞いて、外つ国の珍らかな献立に挑戦してみるというのもまた一興だ。拘りなくなんでも喰う同居人というのは気持ちのすくものだ――かれにもそのうち、気に入る味が見つかるといいと思う。

 もくもくと立つ入道雲よりも、蒼空に高さを増してくる空のうろこ雲のほうをよく目にするようになった。

 頬を撫でる風にはもう、秋の気配がする。

「なあ。あんたがいなくなると、さびしいんだろうなあ――

 てろりと縁側で溶けた猫の仔のようなむすめが口にする半分は寝言のようなことばに、夜に切れ目を入れたような銀の眸が、ふと瞬きした。巌は首をかしげた。図体の大きさに関わらず、どこか童子のようにあどけないしぐさだった。

「そうだろうか」
「うん。――

 巌はどうやら、孤独、ということをあまりにも当たり前のように呼吸しているものだから。
 いまは親切で一緒にいてくれるけれど、暗く寂しいところでずっと墓守をして暮らしてきたのだというこのあやかしはきっと、当たり前のようにその孤独に帰るのだろう――少女はそういう見当を、なんとなくつけている。期待も希望も、あまりうまくない。

「さびしい。……
「まあな。きっとな」

 ――いまは泣きはすまいが、きっとさびしいよ。

 そう口には出さずにいると、ふと頭上から声がかかる。

……いまも、であろうか」

 猫の仔のように転がっているものだから、手を伸ばそうとすると、やはり猫の仔相手のようにすることになる。おそるおそるという風情で、鉤爪ある指がそっと髪の先にふれる――その手の近さに、ちょっと驚いた。びくと震えた肩先をなんと思ったか、火傷でもしたかのように離れた。

「ム。……驚かせたか。あいすまぬ、柘榴どの」
「あ。――いや、ちげえ。いま、こわくなかった」

 柘榴は、ぽつんと呟いた。
 あの嵐の夜からずっと尖り切った神経の奥に居座っていた、誰かに触れられることの恐怖。それがどこか薄れていることに、柘榴は縁側からとかげの前にぴょんと起き直り、いとけない子どものようにはしゃいだ。

「ははっ、なんだ、すげえなあんた! ――なあ。巌。もういっかいしてくれよ」

 人の世にはあまりにも馴染みない、異形の、おそろしげな、力強い、うろこもつ鉤爪の指を引き寄せて、手を。
 そうしてあたまを撫でるように自身の髪に触れさせて、そのまましばらくそうしていた。それはやはり童女めいた、むじゃきな表情なのだった。

◇◇◇

 やがて隠世が閉じる秋が来る。柘榴は、いま、あしもとに寄せては返す波のようにひたひたとその気配を感じている。

 それまでに、この大きくて強いあやかしに、ちゃんとやさしくできていたらいいと思う。