takisaka
2018-04-29 19:53:44
1272文字
Public コンレボ
 

我に五月を

コンレボ習作(未完)

君が歌をやめたのは 祖国のため
君があの愛を雲に見捨てたのは 祖国のため
死んでしまったのは 祖国のため

だが 祖国とは何だ

(「桜の実のうれる頃」)

◇◇◇
 
 列車を乗り継いで、すでに幾夜かを過ごしている――故郷を出発した頃、除雪車が道路の横に分厚く積む雪はこまかく、白かった。家々の軒に幾重にもぶらさがった氷柱は、透き通って冷たかった。夜明けの日差しはそこここに乱反射していた。
 それを見上げたかれの目はすこし褐色がかっていた。生真面目な気質を表す眉をまぶしげに下げて、夜行列車の窓の表面に凍えついた霜のすきまから垣間見る曙光に目を凝らす――年なりの幼さをした、まだ少年のひとみだ。冷たい窓に額を寄せると、眼鏡が硝子にこつりと鳴り、みじかい黒髪は窓にやわらかく触れた。
 肺を病んで長く入院していた親戚から危篤のしらせを受けたのだ。少年がひとり乗った列車は、夜と霧を捲いて駆けつづていた。南へ、南へ。
 力強い車輪の振動を身体の芯あたりに感じながらささやかな手荷物だけを膝にまるく抱え、うすうすとしたまどろみから目覚めた少年はここ最近の不自然な姿勢での眠りにきしむ腰を伸ばし、がたつく列車の窓枠を持ち上げようとした。しばらく格闘し、凍りついた窓は開きそうにもなく、諦めてふたたびこつりと額を硝子にあてる。きんとした冷たさが眠りに厚ぼったくなった瞼にうれしかった。

……まぶしい)

 ふたたび目を開けたときその窓越しに目にしたのは、地平から太陽が姿をあらわす寸前に幾筋もの腕を伸ばす、黄金の曙光だった。少年は知らず、なにかうたを口ずさもうとした――それはかれの、ものごころつく前からの癖だった。

◇◇◇

 暦はすでに春だった。降り立った旅先の駅で少年は大気をあたたかく感じたが、道をゆくひとびとは外套や襟巻きの下で寒そうに首をすくめて歩く。彼はそこでは異邦の客人だった。
 病院の待合室では、あかあかと達磨ストーブが燃えていた――独特の灯油のにおい、ストーブ上の薬缶がしゅんしゅんと音を立ててお湯を沸かしている。
 いねむりする老人たちの多い早朝であり、手持ちぶさたに長椅子の隅に腰掛けるかれの姿はやや目立つ。眼鏡越しのひとみで瞬きひとつしたのは、扉の影からひょこっと顔を出している子どもがいることに気づいたからだ。
 長い入院のさなかなのか、すとんとした病院服を着ていて、たぶん自分と同じか、そのくらい。ふわっとした茶色がかったくせっ毛にまろい黒目がちのひとみ、こちらが気づいたことに気づいたらしく、いたずらめかして小さく手を振った――ただでさえ尖ったところがまるでない印象が、にこっとするとますます人なつっこい感じになる。
 びっくりして思わず肩をすくめ、あやうく看護婦の呼ばわる声を聞きのがすところだった。
「柴さん――柴来人さん? こちらへどうぞ――」「はい!」

 あわてて立ち上がりそちらへ向かいかけ、ふとさっきの扉の陰を振り返ってみたけれどさっきの子どもは影もかたちもなく、ただそれだけ。

(続)