takisaka
2018-01-30 20:53:48
3950文字
Public 企画文
 

苦い煙

ぱらお断章

 生は苦く、死もまた苦い。

◇◇◇

 夏となればこの離島――ダストボックスを灼くのは噎せ返るような熱波だ。かつて廃棄される前、戦場の炎を経て焼き爛らせた半身をもつベアートは、この季節の日常には彼独特の平坦さを失いがちである。それは直接的に体温がうまく調節できないこの皮膚を選んだ弊害でもあるし、間接的にかつて過ぎ去りし戦場の記憶が脳裏に頻繁にフラッシュバックを起こすからでもある――脳髄の奥から眼球に向けて、激しいストロボを焚くように。
 この季節のベアートは、一年の他のどの時期よりも過酷で血腥い仕事が好きだ。鉛弾を霰のようにふらせ、または無造作に回転し肉を轢断する刃を潜り、銃把を打ちすえて目に見える敵を打ち倒すのが好きだ。とろけるショコラのような甘い瞳に柔和な笑みを浮かべて無慈悲にこの組織に君臨する現ドン・グリモワール――ヴェレーノは部下であるパラフィリアにはたいそう甘いから、ねだれば簡単にそういう仕事を回してくれる。

 夏が好きだと思ったことはない。夏が嫌いだと思ったこともない。

 ただあらゆるパラフィリアと同じく、この灼熱が目に焼き付き、眼底が白く蕩ける錯覚のさなかにあるとき、火炎性愛者としての嗜癖に身を投げずにいられない。まるで羽虫のように、夏のベアートはおおむね、そのように生きるしかない生き物だ。

◇◇◇

 夜。

 暑熱のさなかにもどこか湿った大気を感じる、独特のにおいのこもる裏通り。

 壁に身をもたせかけて影のなかに身を置きながら、そのくちもとでは煙草の火口がじりじりとフィルターのぎりぎりまでを焦がす。
 レインコートのフードを外し、砂色の髪からのぞくベアートの目つきはさながら炎熱を透かした薄氷のようだ。あさましく煙を貪るとき、いつもそうであるように。
 そのように弛緩した表情で煙草を支える手の、肘あたりをぐいと無造作に掴まれた。「Scusi――」反射的に謝罪を口にして、うす青い片目が瞬きする。もう片目の動きは彼の常としてその半面の火傷の引き攣れにとらわれており、心持ちゆっくりだ。

「よう“顔なし”、久しぶりじゃねえか? 相変わらずとびきりのぼろきれみてえな面だ」

 火傷に塗り潰された痕を無貌と揶揄し無沙汰をなじる裏通りの通りすがりはどこか酔ったような語調、グリモワールの者ではないが、墨絵の葡萄蔓を思わせる刺青を半身に蔓延らせている。口からのぞく蛇めいた舌先は二股に割れたスプリット・タンだ。

「仕事が忙しかった。久しぶりだ、マセラティ」

 裏路地で無遠慮に人の肩を抱いて、顔の位置は吐息のにおいがわかるほどごく近い。蛇の舌の男の息は百合の花にも似て、人工的な香料の印象だった。

――どれくらいぶりになるか。俺が来ていた頃と建物(はこ)は変えたんだろう。新しい菓子の噂も聞いた」
「前のときとひと味違って、やみつきになるやつだよ――どうだい試しに。お前が来たら喜びそうな客もいるんだ」

 そう言いながら男は掴んでいた腕を離し、かわりにベアートの煙をくゆらせたままの煙草を唇からひょいと奪って無造作に吸いつけた。

「相変わらず、きついの吸ってやがる――
「これくらいでないと吸った気がしない。」

 行こう。彼は焼け爛れた半面を動かさず、淡々と促す。

◇◇◇

 導かれたのは場所は神話の迷宮のように刻々と変われども、たたずまいは記憶にあるものとさして変わらない。夜には数々のなまめかしい燈がともり昼には化粧の剥げた娼婦めいた地肌を晒す隘路。セントラルエンドタウンの外れ、両隣のビルディングに挟まれて軋む音が聞こえるような、うす汚れた建物だ。鼓膜を聾する音楽とジャンクな食べ物の脂のにおいが絶えずする。髪長の若い神々がつどう狂乱の祭儀として、島に来たばかりのベアートは当時、狭い地下の箱のような空間で猥雑にからむ肢体をまぶしく観たものだ――何処ででも弄りあい擦りあう、愛おしい肉の器たち。たまさかに射す光線の角度によって、彼らはときにしめやかに抱き合いすすり泣く宗教画のようにも錯覚される。地下への扉をくぐるとき、ベアートはレインコートを脱いで小脇に抱えた。
 見ることは見られることと同じ、覗くものと覗かれるものは目を介してひとつ。階段を一足くだるごと、思い出すのは包帯に染みた血膿とワセリンの翳り、安いアルコールの舌と脳を刺す味わい、煙草と魔酔の煙に霞む天井。島の外では怪物さながらに人の目に触れる己の肌が、ここではときに誰かの性癖と情欲を擽ることもできるのだとベアートに教えたのはだいたい、ダストボックスのこういう雑然とした吹き溜まりだった。先導していく男もまた、当時の無惨な火傷に臆さなかったひとりだ。

「どうだ、最近は」
「ああ?――景気はよくねえな。ぼちぼちってところだ、河岸を変えながらやらねえとうるせえやつらが邪魔しに来る。お前は? ぱったり姿を見せなくなっちまって。そのおっかねえ見た目でできる仕事とかどうよ」
「体をつかう仕事だが、よくしてもらっている。金離れもいい。」

 音楽が耳に弾け、ステージには肢体が絡み合うさなかを器用に歩き、カウンター越しに銀貨と引き換えに一瓶の飲み物をあがない、蓋に白い歯を立てる。舌に触れる炭酸の刺激に、彼はいつまでも馴れない。ケージの中の小動物がするようにちびちびと飲むさまは最初の物馴れない頃のしぐさと同じで、男は肩を揺らした。
 しばし飲み物を飲んでいると、箱の音楽にあわせて体を揺らす人びとの合間を肌もあらわに歩く女が近づいてくる。しどけなく胸を揺らし、或いは卑猥な冗談を掛け合いながら、籠からしきりになにかを配っている。かたわらの男が声をかけ、応えて女が寄越すものはキャンディのようにとりどりの薄紙にくるまれたカプセルや錠剤だ。

「そう――そういえば今年は仕事仲間に新入りが増えたんだが、それで教えてもらったんだ。とびきりの甘い菓子がこっそり流行っていると。すぐにぴんと来た」
「EL-119。こいつを決めてヤれば頭の中身が月までブッ飛ぶ爽快感ってのが売りでね。いや顔なしにはSRFの方が好みかね、涅槃の蓮の味がする。とろとろになってゆっくり楽しめる方――
「それだ」

 カウンターの背の高い椅子に腰掛け、彼我の距離は腕を半分伸ばせば届くほど。狭い卓の下できゅうくつに折り曲げた膝から指を滑らせば、彼のブーツのスリットはもうすぐそこ。
 それは靴紐を直しに背をかがめるしぐさにも見えたろう。ベアートは、そこから腕を急速に跳ねあげる――仕込みから滑り出したナイフの銀光は地下で赤や緑に色を変えながら回転するライトに照らされ、さながら水銀のような妖しさで艶めいた。
 自分にむけて差し出されたてのひら、そこから切り離された親指が奇形の魚のように跳ね、宙に舞うのをベアートは奇妙にゆっくりとした感覚で見る。左手は宙に投げ出されたカプセルの幾粒かを床に落ちるまでを手品めいて器用に掬い取り、またそれとは別の生き物のように右腕はさらにジグザグに軌道を変える。よく手入れされたナイフの刃は、バターを切るようにたやすく鼻骨と頭蓋骨の隙間に滑り込み、切り飛ばした。顔の中心から間欠泉のように噴き出す血を手で押さえながら悲鳴とともに転がり回る男をまるで他人事のようにして、ベアートは手にした薬の仔細を丁寧に検分している。

「間違いない、五日前に急死した戦闘セクションの兵士が持っていたものと同じだ。俺は同僚として彼の死に責任がある」

 嬌声を切り裂くように挙がった醜い悲鳴――それに反応して、乱倫と酩酊のはざまにそれでも残った理性、もしくは闇雲な恐怖を刺激され、幾人かが立ち上がった。或いは投げ出された衣服からナイフを掴み取り、或いははだか身に黒光りする機銃を引き寄せる――もっとも近くにいたひとりが呂律の回らない舌で咆哮をあげて掴みかかってくる。それでようやく顔をあげた彼は、それでもなにごとか考える表情のまま、流れるようにその腕を片手でいなし、あやすように指の関節を逆に曲げた。

……ああ、これはグリモワール及びドン・ヴェレーノには一切関わりない個人的な私事であり報復なんだ。ここにいるきみらが戦うというのなら存分にそれに応えよう、最後の一人になるまで、或いは最後の一人さえ死ぬまで、終わりなく限りなく殺しあうとしよう。これから俺が行うのは」

 淡々と、誰に言うでもなく、ただそれはこの空間にある一切の生あるものへの宣告だ。機械的に、ぜんまいに動かされた先の歯車が回るように、彼はそれをする。腰のうしろにたばさんでいたベレッタは取り出した手の中で器用にくるくると回転し、そうして斯く在れかしと定められたがごとくその銃口をもっとも近い標的に据えた。

――ヴェンデッダだ」

 容赦ない虐殺がはじまった。

◇◇◇

 血塗られた階段を一歩ずつ上がる彼は、さながら地下の洞窟から這い出す、飽食した猛獣だ。
 路地から見上げる空は細長く切り取られ、夜は既に明けていた。そのいびつな火傷に彩られた片目を細め、彼は金とばら色に彩られたその色を目で味わう。熱と重怠い湿度を孕んだ夏の大気はそれでも夜明けのこのひとときに爽やかだ。地下に降りるときに脱いでいたレインコートを着る前に、ずぶ濡れたジーンズのポケットから赤く染まった煙草の箱を取り出し、かろうじて無事な一本を選り分け、慎重に吸いつける。壁に寄りかかって、苦い煙の味を深呼吸とともに吸い込み、そうしてだいたい息をするのと同じ感覚で隣室の少女のことを考えた。

 ――アリーチェはもう起きているだろうか。