takisaka
2017-02-19 19:27:51
2595文字
Public コンレボ
 

桜坂のむこう

コンレボ習作

 大気は水のように温んでいた。
 うっすらと光を透かす花曇りの曇天は歪曲した鉛色のレンズめく。
 うす紅色のやわらかな花弁をどっと巻き上げる風に、ふと息を詰めた――そのちらめく視界のむこう、手持ち無沙汰にたばこをもてあそんでいた指先、そしてその背中。残像ばかりが、網膜に焼きついて消えない。

◇◇◇

 四月――秋田課長を含めて当時の総員わずか四人とともにささやかな入所式を終え、人吉爾朗は今年からいよいよ超過人口審議研究所、通称超人課の正式な人員だ。学生服から衣替えし、おろしたてのモッズスーツ。それは爾朗のいまだ少年めいた生硬さを残した顔立ちと体つきにすこし馴染みなく、どこか服を着ているというより服に着られているといった塩梅。だいたい酸いも甘いも噛み分けて人と超人のあいだを飄々と巡る先達の、芳村兵馬のあとを追いかけるのがこのころの彼のもっぱらの役回りだった。仕事の流れを頭に叩き込み自分なりに噛み砕いてゆく時期。胸のうちにはつねに空転する炎にも似た不安があり、日常ではときには奔放な年長者たちにきりきりと振り回されてはいるものの、夢にも理想にも傷ひとつない――彼はいまだ、若木のような青年期にいる。

◇◇◇

 事件だ、と聞いてはいた。勿論自分たちが関わるからには超人がらみの、ときには綺能秘密法による報道規制が必要になるたぐいの。
 空の底が白く見えるほどに並木に花の咲きみちた坂道――そしてその先の高台にある公園は同時に、花見どきに似合わぬやや不穏な静寂と、その底の不安げなささやきとに満ちていた。春の時期で、花見の名所である。現場に先行しているはずの芳村兵馬の癖っ毛の頭は周辺に見あたらず、かわりに幾人かの警察官によって花見客の誘導が行われている様子だ――立ち入り禁止を示す黄色と黒のトラテープが春風に翻り、風のなかにふとなまぐさい、酸鼻なにおいがにおう。

(警察、)

 そうやってひとけの絶えた公園内をぐるりと見回し、彼はふと目を見開いたのだ。そうすると、爾郎の虹彩はよく見れば光を透かして金色がかっていることがわかる。その色うすい瞳で何度か瞬きし、ついでしげしげと目を凝らした。おぼろに霞む桜ふる中に、ぼんやりと佇む人影。
 まだ若い、男のように見えた。
 彼はのち長らく、その背中をこの男の第一印象として思い出すことになる――たのもしい肩幅をして、同時にどこかかたくなであやうい。まるで刃のようにまっすぐなその背中。
 こざっぱりとしたスーツを着た男は降りしきる桜のたもと、端のつぶれた煙草の箱を胸ポケットから取り出している。ライターの火を点けようとてのひらで手を庇いながら背をすこしまるめ、そうすると神経を張り詰めたような印象がすこしうすれ、ついでなんとなく違和感を覚えた。

(何だ?)

 瞬間的にどことなくぞっとしたのだ、その一瞬で。ふつうの人間に比べ、ずっとずっとなめらかで無駄というものを削減された動作が生む違和感だとはそのときにはまだ、気づくことはなかった。
 男のくちびるがその隙間から煙とともに白くなった吐息を吐き、ついで視線を上げて彼を捉える――相手はちょっと瞬きし、

「ここはいま通り抜け禁止だ。悪いが、公園の南口へは道路から迂回して――
「いえ、超過人口審議研究所の者です。芳村さんは来ていませんか?……

 おしきせの警察仕事の定型文に押しかぶせるように、人吉爾朗は大きく声を張る。男のほうに歩み寄った瞬間にちょうど、どっと背を押すようにして強い風が吹き、二、三歩たたらを踏んだ。桜の、強い風に今しも枝から離れた無数に淡い花弁が束の間視界を奪った。そのさなかに垣間見えた眼前のスーツの腕を、とっさに掴む――

……あ。し、失礼、」
「いや。……ああ、超人課、か。二神さんに聞いてくるから、すこし待っていて貰えるか」

 はずみでその腕に触れたのは、ほんの二秒か三秒だ。
 スーツに押し隠されたそこには人間のようなやわらかさも、人間らしい熱も、なにもなかった。人のように人を模した、硬質で無機的な義手の感触――思わずしらず、思いのほかの近さから上目遣いに見上げる爾朗の顔から、男は目をぱっとそらしてその腕をかばうようにした。とっさに、視線そのものに傷ついたように。顔をそむけるとともに眼鏡を押し上げ、そしてさもなにもなかったふりで背を向けて歩み出す――その様に、ひどくばつの悪い気分になった。
 人吉爾朗はしばし立ちつくし、己の指がいま掴んだ感触をなぞるようにもう片手で触れ、同時にいま間近く垣間見たものを思い出している。どこか朴訥とした目尻、まなざしは穏和だが、高い身長から見下ろしひとみを覆いかくす眼鏡の硝子越しにはその印象はどこか威圧的で、冷徹にも映る。ごく近くで見なければそれは、ひとと殆ど変わらない――瞳孔のうちに走る照準の、オレンジ色の輝線。内側にスコープを内蔵した、ごく精巧で精緻な義眼の目。
 そう、もしもたとえば、うまれながらの生きている体がある出来事で、すべて偽物に置換されているとしたら、その意味するところは。――

 それは死だ。

 それは死だ。

 強い不吉の感覚に背筋を掴まれ、彼は電流に弾かれたように、今しも背を向けた男の去った方向を凝視する。 
 見えるものと見えないものの違い。にせものとほんものの違い。人間と機械の境界。生と死の境界。うす紅いろの桜ふる大気。あ、と半端に口を開けたまま、人吉爾郎は慄然と背筋を震わせた。
 春だった。
 人のいない公園、とっさに振り向いたそのとき、激しくなった風に舞う桜にその背はかき消されるようだ。しらず指を伸ばし、その手の先でゆるゆるとした上り坂を男はひとり歩いていく。振り向きもしない、振り向きもしない。
 春だった。
 なまあたたかい空気に花咲きみちた季節が白昼に垣間見た夢のような感覚を呼ぶ日。人吉爾朗はモッズスーツのタイの襟元を掴む。瞼の裏のめまいのような、喉の奥の渇きのような、この名付けようもない感覚が、気持ち悪いのか気持ちいいのかわからない。
 おぼろに桜ふる坂のむこうには、かすかに残る血の酸鼻さがにおう。そしてさなかにまぼろしのように佇んでいた、あの刃のような背中。

 ――まるで幽霊のようだと思ったなんて、口が裂けても言わない。