takisaka
2017-01-25 22:40:44
1588文字
Public 企画文
 

心中デイズム

ぱらお断片

をさなごはわたしを抱き
わたしを擁して のぼる
をさなごはわたしをつつむで大きい
いつしか わたしこそをさなごである

はるかな海光のうねり
いたむ塩
つながり落ちるとき虹いろにふるへる涙の珠


――高みへ

(「CHRISTOPHER」)

◇◇◇

 鼓動のように海鳴りがする。
 少女の靴にこすれて砂の鳴る音が、鼓膜にやさしい。

 ――本土に帰りたいって、思いますか?

 その問いに、彼は睫を潮風に吹かせながら瞑目した。一年前に捨てられてからもたびたび、ふと――そう、しおからい風、波のきらめき、あしもとから拾い上げた海硝子の擦れたざらつきを指の先に感じる都度、その向こうをなつかしい、と感じることはある。けれどこの離島は彼にとっては既にエデンの東、見捨てられた土地にあまた異形の神々がうごめく場所だ――己の病んでいびつな魂にここよりほかにふさわしい場所は、きっとない。
 だからベアートは海鳴りとともに、ただ聞いた。離島のはげしい太陽は白熱から黄金色に傾きかけた日差し、眼下ではストロベリーブロンドの幾筋かが絶えず風に吹かれて複雑に乱反射した。

……アリーチェは思うのか?」
「わかりません。ほしいものはずっとあそこにあったはずなのに、いまは、そうじゃない気がして」

 こがらな少女が背伸びをしていっしんに目を凝らすのは午後の光のむこう、水平線のむこう、彼は麦わら帽子をおさえる少女のしろい手にそっと自分の無骨な手を添える。風に浚われて飛んでいかないように。ひとつため息を吐くように、ベアートはその感慨を言葉とともに吐き出した。

「俺はいま、ここにいる。それがすべてだ。俺はここにいたいと思う」

 ここに。出来得るなら、彼女のそばに。
 かつて在りいま在り永遠に在り続けるもののように、もしくはみじめで青ざめた野良犬のように、ここにいたい。
 そっとぬすみ見ると、淡いくちびるがためらいがちに動いた。

……あの」
「うん?」
「わたしは人工人間だからあんまり長生きできないと思うんです。でも、できるだけ長く生きられるようにたくさんがんばります。それで、」

 なにか思い切って、断崖をとびこえるように、それでいて遠回りに彼女が口にするのはほんとうにささやかな願いごとばかりだ。アリーチェはだいたい、いつもそうだ――仕事のあいまに交わす他愛ない雑談、街の散策、時折ともにする食事。そういうものの合間から、ベアートはそういうことを少しずつ知る。その都度、彼の心臓の辺りをきゅっと絹のリボンで握りしめられるような痛みが走るが、その甘やかさが何という名前なのか、彼は知らない。

「ずっとベアートさんのそばにいます。だから、最期にわたしの名前を呼んでほしいんです」

 ベアートはその焼け爛れた瞼をふせ、ひとつ深呼吸をした。

……つらいつとめだ」

 だが、辛苦は喜びでもあるだろう。苦悩が深ければ深いほど、たどり着いたときの悦楽は深い陶酔であるだろう。それを知っているベアートは少女の手指の合間に、そっと指をからめ直す。新品のレインコートのフードを外すと、その弾みに彼の砂色の髪が潮風に吹きさらされて靡いた。怪物めいた焼けた半顔を晒し、むかいあって背をかがめる。

「約束する。ずっとアリーチェのそばにいる――そうして、きみの最期にはきみの名前を呼ぶ。だから、きみを連れていってもかまわないか?」

 とろけるような緑の瞳がぱちぱちと瞬き、「どこに?」とふしぎそうに問う表情に、彼はその貌に不釣り合いなまでに浄福な微笑を浮かべた。それはさながら今しも、雲間から海のおもてまで梯子のように射す陽光にも似た。

「もちろん、俺と、天国へだ」

 なぜならば彼にとっての神というものは、きっと最後にはその御手に魂を掬うものであるからして。

◇◇◇