望月 鏡翠
2022-11-01 00:07:01
1897文字
Public リアタイ
 

4、ただいまを言うために

Rauiri Tadhg Cian/獣性イデア/ #獣性_B_彼は言葉を残さなかった


 片側が欠けた視界にも、今はもう慣れた。ぶつかっても怪我をすることがないから、リハビリにはちょうどよかったのかもしれない。
 遠近感がわからなくても、足が満足に動かなくても、怪我をすることはなかった。
「君が真っ先に俺のところに来てたら、絶対止めてたのに」
「殺してでも、止めてくれました?」
 例えば誰かの命を奪ってくれる前に、終わらせてくれただろか。ローリーの口にした冗談は、全く面白くなかったらしく最上は眉間のしわを深くした。
「そんな怪我をさせなかったよ」
 髪の毛を短く刈られてしまっているから、傷痕を隠すことができない。右足の動きにも異常があることは現役警官にはお見通しだろう。
 この怪我は生涯治ることはない。
『ローリーさんの衝動は、それでお腹いっぱいになったんですか?』
 ニコの疑問は七年間一度も尽きることはなかった。好奇心の概念は、今だに世界と人の興味を持っている。外と縁がある分、施設から出ることができなかったローリーよりも少しだけ世情に詳しい。
「どうでしょう。満足したとしてきっとまたすぐにお腹を空かせていると思いますよ」
 好奇心とはそう言うものだ。満足したと思ってもそれは束の間のもの。すぐに次が欲しくなる。動き続けることこそが、その衝動を満足させる唯一の方法だ。ジャーナリストをしていたころのローリーはそう考えると、獣に餌をやりながらうまく付き合っていたのかもしれない。
 だが、今は枷をかけて制御する術を学んでいる。
 ローリーが見えない友人と会話をする様をみて、最上が面会室を見回した。カメラや録音装置の類を気にしているのだろう。
「退院が先延ばしになるぞ」
「大丈夫ですよ。面会が許可されるくらいですから」
「今も見られているんじゃないのか」
「入る前に同意書にサインしました? 警察関係者に盗聴は仕掛けないと思いますよ。アヤトさんが黙っていて下されば、私は恙無く外に出られます」
 だから黙っていてくださいますよね。そういう意図を込めて微笑みかける。分厚いアクリル板越しに、最上は深いため息が聞こえた。
「ローリー、前からそんな性格だった?」
「監禁生活が長引いて、少しひねくれたのかもしれませんね」
「まあ、元気そうでよかったよ」
「元気……に見えますか」
「いや、ごめん。元気なわけないよな」
「ああ、そういう意味ではないんです。……なんと言えばいいのかな。そうありたい、と言うか。私が今元気に見えているのなら嬉しいなと、そう思ったので」
 一度は命を捨てようと思った。死んだほうがマシだとすら思って、それを実行した。衝動発露の大半を白いベッドと拘束具で押さえ込まれることになったが、腕の痣が消えなくなるほどの衝動は、半分はローリーの望みでもあった。
 それでも生きている。
 それは罪を許されたからではない。
 薬害の影響から抜けられることが、明らかになったからでも、社会保障があるからでもない。
 生きて欲しいと望んでくれた人がいるからだ。
 減刑されるように手を尽くしてくれた警察官がいて、製薬会社で人々が助かるように尽力してくれた友人がして、人々の偏見と避難の目を跳ね除けようと声を上げた少女がいて、そしてまた外の世界にローリーが戻ることを待ってくれている大切な人がいる。
……そっか。迎えはいる?」
「いえ、大丈夫です」
 いい加減、彼の隣に帰らなければいけない。
 もう、七年も待たせてしまった。