あけみ
2019-09-11 23:36:19
11849文字
Public SPN(小説)
 

【C/D】君から受け取ったものは今でも僕の生きる術だ①

S9人間キャスと2014キャスがそれぞれの世界線に入れ替わりに来た話。

 ノーラの自宅を出てからカスティエルは口を閉ざしたままインパラの助手席に座った。出血を押えた左手を握り、目を伏せる彼に小さく溜息をついたディーンは押し黙った後、運転席に乗り込みハンドルに手をかける。
 つい先程のことだ。痛みに導かれリトジアンがカスティエルの元へと訪れたのだと気付いたディーンはノーラの自宅に押し掛けた。天使を安楽死させるリトジアンを倒してからカスティエルとディーンはお互いを見つめホッと息をつく。ディーンは人間の痛みと嘆きに導かれたリトジアンが何故カスティエルの元へ訪れたのか眉を寄せ思考を巡らせたが、ベビーベッドに寝かされた赤ん坊が泣きだしたのを聞きすぐに顔を上げた。赤ん坊がいることに今更ながらに気付き、カスティエルに視線を向ける。彼は居心地が悪そうに顔を背けた。その仕草にディーンは納得する。ノーラとデートだと思っていたがどうやら子守りを頼まれただけだったようだ。左の掌から出血する手を持て余し、泣きぐずる赤ん坊を抱こうにも抱けないカスティエルにディーンは「俺が」と促した。
 ベビーベッドを覗くと、ぐずる赤ん坊に自然と笑みが零れる。ディーンは慣れた手つきで抱き寄せ「よしよし」と宥める。だが、腕の中の子は機嫌が悪いのかグズグズと泣き続けた。優しく背中をさすってやれば大抵は落ち着くはずなのだが。怪訝に眉を寄せると、カスティエルは出血した掌をタオルで止血しながら心底困ったふうに言う。
「熱があるんだ。どうすれば良い?」
 赤ん坊の額に手をやると、確かに少し熱い。だが、これくらいなら病院に行くより解熱剤を呑ませるだけで大丈夫だろう。赤ん坊を抱えたままリビングにある棚や引き出しを探った。すると見知った小瓶が出てきた。思った通り、以前この子が飲んでいただろうシロップ薬だ。サムも2歳までよく熱を出していたのだ。ディーンは解熱剤のシロップをカスティエルに渡した。
「それをぬるいお湯に溶かしてスプーンですくってからこの子に飲ませるんだ」
「わかった」
 ディーンが赤ん坊を抱いている傍ら、カスティエルは片手で器用にコップとスプーンを取り出した。ディーンの元へ運んでから解熱剤をゆっくりと赤ん坊へ飲ませる。ディーンは優しく抱えてから「もう大丈夫だぞ」と声をかけ少し落ち着いた赤ん坊をベビーベッドへと寝かした。
 そうして、慌ただしく散らばった家具や血が付いた床を綺麗にしてからデートから戻ったノーラが帰ってきた。
 ディーンは外に停めてあるインパラのそばで待つ。玄関先で話をするノーラとカスティエルの二人を見つめながら、少しずつカスティエルに向ける心情が穏やかになるのに気付いた。彼は自分なんかよりずっと偉い。天使から人間になった現実はきっとディーンが想像するよりずっと重くカスティエルに苦痛を与えていただろう。だが彼は仕事をみつけ真摯に働き、コミュニティを得ている。今のままカスティエルを置いておく方が良いのかもしれない。天界から落ち地上にいる天使たちはもう天界には戻せない。それを伝えれば再び責任を感じ、やっと前に進もうとしていた生活を手放すだろうことは容易に想像できる。

 カスティエルを狩りに巻き込んでしまったことをディーンは悔やんだ。
 ふと、隣のカスティエルから苦痛を誤魔化す声が漏れた。巡らせていた思考を止め、ハンドルを握りしめていた手を緩める。
 カスティエルの左手は身近にあったタオルの切れ端で巻いただけで手当てとは言えない。ディーンは前を見据えながらインパラを発進させる。
……どこへ行く?」
 行き先を言っていないカスティエルはこちらをチラリと見てからポツリと呟いた。
「どこかモーテルを取る。今日はいろいろあったし休もう。お前もちゃんと手当てしないと」
 恩寵はもうないのだ。捻った手首は一瞬では治らない。人間は疲れたら休まなければ次の日は万全に動けない。このまま店に寝泊まりしているだろうカスティエルを店内の倉庫にある寝袋で寝かせるのも憚られた。
 モーテルの看板が見え、車を停めるとディーンは受付で一瞬迷ったがツインを取る。サムには電話でモーテルで休んでから帰ると伝えた。後ろにいるカスティエルに視線を配りディーンはモーテルの受付係から鍵を受け取る。
「ごゆっくり」
 受付の男は意味深にこちらを見やってニンマリ微笑んだ。眉を寄せたディーンは口を開きかけたが止める。サムと二人で泊まる時もだが、カスティエルといてもゲイと思われることに納得がいかないが、へたに訂正すれば余計に勘ぐられるのは分かっている。側にいるカスティエルに気付かれないよう小さく溜息をついた。
 一室に入り、二つあるベッドの内側の方に荷物を置いた。ディーンは振り返り背後にいるカスティエルを見る。
「手当てするから左手を見せろ」
……君も泊まるのか?」
 鞄の中から消毒液と包帯を取り出す腕がピタリと止まる。本当ならシングルを取りカスティエルを置いて帰っても良かった。エゼキエルのことをサムに隠している上にカスティエルにも詳しく話をせずバンカーから追い出した罪悪感もあり、ディーンは車内で黙ったきりのカスティエルを置いて帰れなかった。だから「君も泊まるのか?」と聞かれ少しムッとする。表情に出ていたのだろう、顔を上げたディーンにカスティエルが慌てて言い直した。
「そばにいてくれるのは嬉しい。だが、時々、君の行動には少し理解が追い付かない」
「どういう意味だよ」
 無愛想に聞いてしまったが、項垂れたカスティエルの左腕を取り掌に巻いてある布を解きながら改めて傷痕を見る。出血のわりには傷は浅く、ホッとした。顔を俯かせながらカスティエルの掌に清潔な包帯を巻いていく。そんなディーンの様子をジッと見つめていたカスティエルの視線はしばらく気付かなかったが、ふと顔を上げた瞬間、間近にあった顔にビクリと肩を揺らした。
 パーソナルスペース!と以前なら叫んでいたところだろう。だが、どういうわけかディーンは押し黙ってしまった。カスティエルの目が細められる。
「君は、私を追い出したのに今はこうしてそばにいてくれる。不可解だ」
……キャス、」
「私をバンカーに置いておけないのはサムのためだと分かるが、何故だ?」
 カスティエルが抱く疑惑にディーンは答えることができない。自身でも狡いと思う。自分勝手で、問い詰められたら押し黙る。そんなのは卑怯だ。澄んだ青い瞳がディーンを捕える。エゼキエルのことをカスティエルに伝えれば、彼はサムの治療を止め出ていくと言っていた。そんな脅しのような条件に納得できるはずもないが、今サムの体から出ていかれるのは困る。エゼキエルもこちら側に協力したことで他の天使から狙われるはめになり、隠れみのに利用しているのも承知だ。こちらもサムの治療を条件に利用しているようなものだから。けど、これではサムとカスティエル、二人に嘘を突き通さなければならない。
 これは、二人に対しての裏切り行為ではないか?
 嘘と裏切りを最も嫌う自分がこんな――
「ディーン……
「ほら、手当てしたぞ。掌の傷の方より捻った手首の方が心配だが」
「ディーン!」
 カスティエルの手を離した自身の手首が掴まれる。
……キャス」
 ジッと見つめられる瞳には「なぜ」という疑問があった。背けていた視線をゆっくり合わさるとカスティエルの焦燥が伝わるようだった。だが、それ以外にも別の感情が滲み出ていた。カスティエルに掴まれたままの手首。お互いの視線が絡み合う。少しずつ距離が縮まるのをディーンは気付いていた。この仄かに漂い始めた甘い空気にマズイと思いながらも受け入れ始めている自分がいる。
 カスティエルとは今まで微妙な距離感を保っていた。最初のころはディーンも友情を感じていたし、家族のようだとも思い始めている。カスティエルが脳内お花畑だった時期に、唐突に口を寄せてきた事故のようなキスを交わし、共に堕ちた煉獄では明確な意思を持った深い口付けも交わした。時々だが、今のような視線の交わり方をすれば友情とは違う別の情が溢れ互いを衝動的に感情を高ぶらせることがある。しかし、煉獄を出てからはふざけたキスもしなくなった。だから、あれは勘違いで何かの気の迷いだったのだと自身を納得させていたのに。
「ディーン……
 囁くカスティエルの声はディーンの口元にまで吐息がかかり、己は自然と首を傾け目を閉じてしまった。
 唇が合わさり最初は啄ばむだけのキスもディーンが素直にカスティエルを迎え入れる仕草に、興奮を覚えたカスティエルは行動も情緒的になる。もうそこには先程抱いていた疑惑は消え失せ欲情がふつふつと育っていく。交わされるキスもお互いの唾液が交じり合うまでになり、カスティエルの手はディーンの腰を引き寄せさらに体を密着させようと力が籠る。
(まずい)
 すぐ後ろにはベッドがあるのをディーンは思い出す。カスティエルの動きを読めばベッドに押し倒されるのは己だと察知する。彼がこういった行為をディーン相手に行う理由が分からない。殺しにきた天使の殺し屋エイプリルとセックスをしたと聞いた時、やはりカスティエルの性欲の対象は女性なのだと思った。ポルノを見て勃起させていたこともあるのだ。女性の柔らかい身体の方に欲情を煽られるのだろうと。
 だから、これはどういうことなのだろう。ディーンはカスティエルに引き寄せられ体を密着させそのまま後ろへと押されるように後退する。ディープキスをしながらだ。カスティエルの股間が固く変化しているのを衣服越しでも密着すれば伝わった。だからますます困惑した。ディーンはこのまま有耶無耶にしたまま流れに添うことを拒んだ。
「キャス、」
 唇を離し、間を取る。一度、互いにクールダウンしなければ。
 ディープキスから解放された唇はお互いの息がかかる。
「お前、何をしようとしてる?」
 震える身体に舌打ちしようとして押し留める。カスティエルは一旦、身体を離れたがそれでもパーソナルスペースを無視した距離感だった。
……君とセックスがしたい」
 欲情に濡れた青い瞳がディーンを捕えて離さなかった。ハッと息を呑んだ。こんなふうに直球に欲望を伝えてくるとは思っていなかった。困ったのはディーンだ。そんなつもりで一緒に泊まったわけではない。恩寵もなく人間になりたての傷ついた友人のそばにいるべきだと思ったからだ。カスティエルと寝たいと思ったことなんて。
「キスはこれが初めてではない」
……ああ、けど、こういうのは違うだろ」
 君が好きだと、小さな声が耳に届いたがディーンは視線を伏せたまま顔を上げることができない。
「君は違うのか?」
 腰に触れていたカスティエルの手が離れ、不安そうにこちらの顔を覗きこむように言葉が降る。
……分からねぇよ。お前のことは好きだけど、それは兄弟で家族みたいな感じで」
「兄弟で家族のように思っていながらキスを受け入れたのか?」
「お前! それは……ッなんか言い方が意地悪いな!」
 ムッとした途端、顔を上げカスティエルを睨んだ。先程のキスにしても確かに己は拒む素振りすらみせずカスティエルからの好意を受け入れるように交わした。家族がするようなキスじゃない。ディーンも同じ意味合いでカスティエルのことが好きなのは隠しようがない。ただ、一線は超えたくなかった。これまでの関係が壊れてしまう気がした。押し黙ったディーンにカスティエルはフイッと視線を外す。
……君は隠し事が多い」
 もういい。と、小さく呟いたカスティエルは先にシャワーを浴びると言いバスルームに入った。
 ディーンはベッドの上に腰を下す。溜息をついてから両手で顔を覆い隠した。この関係を有耶無耶にしたのは結局のところ自分ではないか。隠し事が多いと言われいつものように言い返せなかった己に心底腹が立つ。そこは、はぐらかして茶化せば良かったのだ。「お前が言うのか」とか。いや、だめだ。きっと言えば彼はまた傷ついてこちらを見ようとしないだろう。もうカスティエルを追い返したくないのに嫌な奴みたいな言い方しかできない自分が嫌いだった。
 せめて、サムの状況だけはカスティエルと共有したかった。そろそろ嘘にもボロが出てサムも異変に勘付き始めている。サムの中に天使が一匹いるのだから誤魔化すのもそろそろ限界だ。
(いっそのことキャスに事情を話せば。ジークには内緒でキャスと俺でうまく立ち回ればいい)
 そんな考えが過る。自分一人では収拾つかないところまできている。押し隠していた顔から手を離し、ディーンはふいにバスルームの方を見る。シャワーを浴びると言いながら先程から水が滴る音すら聞こえない。バスルームに籠ってから10分はたっていた。
「おい、キャス?」
 ノックをしたが返事がない。ドアノブに手をかけようとして少し迷ってから留まった。口付けの最中にカスティエルの下部が反応しだしていたことを思い出したからだ。
 抜いてる最中だったら……
(気まずい)
 ディーンはバスルームから一歩後ずさる。しかし、扉が開くのと同時だったため、後ろに下がった足は絡まり勢いよく開いた扉に体が当たったので床に尻が付いた形に転んだ。
「痛ッ、急に出てくるな!」
「あー……、ごめん、リーダー……?」
(リーダー?)
 バスルームから顔を覗かせたカスティエルの言葉に違和感を覚える。そんなふうに己を呼ぶ奴は一人しか脳裏に浮かばなかったがそんなはずはない。ディーンは床に手をついたままゆっくり顔を上げる。
 一見にして見覚えがあるカスティエルの姿と変わらなかったが、良く見れば髪はぼさぼさで、シャツもだらしなくズボンからはみ出ている。さらに、肩にはライフル銃をかけ、ベルトにはナイフも仕込んでいるのも見える。怪我した左手の包帯はなく傷痕もなかった。
「お前……
 立ち上がったディーンは奇妙な目でしげしげと目の前のカスティエルを見つめる。
「なになに? そんなに見つめられると照れるなぁ。誘ってるの?」
 ヘラッと笑ったカスティエルの顔に記憶がよみがえる。以前、ザカリアに見せられた2014年の世界のカスティエルだ。皮肉なことにここも2014年だったが、今ディーンを困惑させたのはそんなことではない。
「あれ? リーダー、雰囲気がいつもと違うね?」
 2014年のルシファーが支配する最終戦争から来たであろうカスティエルはのんびりとした声で首を傾げた。ジッとディーンを見つめる瞳は先程見たカスティエルと変わらない。だが。
「キャス! キャスはどこだ!?」
 目の前のカスティエルを押し退け、バスルームへ駆けこんだ。そこは、もぬけの殻だった。
「僕ならここだよ?」
 乱暴に押し退けられたカスティエルは背後から声をかけたがディーンは無視した。
「お前じゃない! こっちの世界のキャスだ!」
「こっちの世界? ……あー……どうりで」
「おい、なんでお前がここにいるんだ!」
 カスティエルの胸倉を掴み上げディーンが睨んだ。だが、こちらの怒気など慣れたようにカスティエルはジッとディーンを観察しているだけで何も答えない。彼の探るように這う視線は苦手だ。ディーンは眉を寄せた。あの世界に行ったときもカスティエルにそんな顔をさせている自分自身に腹が立ったのだ。顔を歪めたディーンに、カスティエルはふっと微笑んでからゆったりと目を細める。
「なんか、僕を知ってるような素振りだね」
「知ってるさ。お前は2014年の最終戦争を迎えた世界のカスティエルだろ」
「うん。でも、僕は君とは初対面だ」
 ディーンは掴んだままだった彼のシャツを離した。
「君の口振りだと、ここは別の世界の何年だ?」
「2014年」
「へぇ……興味深い」
 カスティエルは周囲を見やり、一室を歩き出した。モーテルだとすぐに理解したようだが「ベッドが二つ? ツインを取ったの? もしかして、僕とお泊り?」などと説明するのも面倒な質問を次々としてくるのでディーンはムスッと口を結んだまま答えなかった。
「あ、そっか、ここは最終戦争を回避したんだよね。サムがいるのか?」
「ここにはいない」
「あれ? じゃあ、本当に僕と二人きりで泊まってたの?」
 カスティエルは心底驚いたように目を丸めたが、口元が笑んでいるのでディーンは苛ついた。
「こっちはこっちでいろいろ大変なんだ」
 それだけ乱暴に言ってやれば、カスティエルは空返事をしながらベッドに横たわる。
「ふかふかのベッドだぁ、いいなぁ」
「おい、勝手に」
「なんで? さっきまで僕と一緒にいたんだし、泊まるつもりだったんだろう?」
「そのキャスが消えてお前が来たことに俺はまだ混乱しているのに、何でお前は」
 そんな落ち着いていられるんだ。自分だけが慌てふためき動揺して滑稽だった。ベッドに寝転がったカスティエルは腕を立て、頬杖をつきながらディーンを見上げる。
「現状に慌てるより冷静に状況を見ないとね。ここの僕がいなくなったということは入れ替わりにそれぞれの世界に来たと考えるのが筋だ」
……キャスは最終戦争の世界にいるのか」
「そうだろうね。僕はさっきまでリーダーと一緒に物資の調達に来ていた。荒らされたモーテルを隅々まで調べてたんだ。クローツもいたから装備もしてたけど」
 そう言ってカスティエルは肩にかけているライフル銃を指した。
 ディーンの表情はますます曇る。入れ替わりに向こうに行ったなら丸腰のカスティエルが心配だ。そんなディーンの不安を察知したのかベッドに腰かけているカスティエルは起き上がると薄く微笑んだ。
「随分と心配性だな。すぐそばにはリーダーもいたし、こっちの僕は恩寵もあるんだろ?」
 最終戦争を回避した世界だと瞬時に判断できる観察力があれば、この世界のカスティエルに恩寵があると思うのは当然だった。だが、そんなふうに軽々しく言ってのける彼を思わず睨む。
「こっちのキャスも恩寵をなくして今は人間だ」
 はっきりと言ってやる。どういう因果か、時期同じくしてカスティエルの恩寵は消え状況は違うも人間になった事実は当のカスティエルも予想していなかった。ディーンの言葉にカスティエルは息を飲む。
……そう、か」
 ぼんやりとしながら掠れた声で呟かれる。最終戦争を回避した世界であっても人間になるのは定めだったのだと突きつけられたのも同然だ。ディーンは彼の小さな動揺を見つめ、きつく当たりすぎたことを悔やむ。以前、ディーンがザカリアによって最終戦争の世界に放り込まれた時は居場所の悪さに焦燥と困惑、そして心細さに苛まれたのだ。ここにいるカスティエルも同じなはずだ。ディーンはカスティエルと向かい合うようにもう一つのベッドへ腰を下す。
「戻る方法は知ってるのか?」
……さぁ、どうだろう。こんなことができるのは、神か大天使か……
 顎に手を寄せ考える素振りを見せるカスティエルは、先程までのへらへらした笑いを引っ込める。やっと真剣に状況を思案する姿勢にディーンは少し安心した。そういう顔もできるのなら、ディーンもはじめから苛立ったりしないのに彼はワザと癪に障るようなことを言ったり、嫌な笑いを浮かべては相手を不快にさせているようだ。あの世界で出会った彼はジャンキーだったが、今は幾分素面に見える。だとしても、彼をこのまま置いておくわけにはいかないと瞬時に過る。本当なら朝になれば職場まで送っていくつもりだったのだ。入れ替わりに来たカスティエルにコンビニの仕事をさせるわけにもいかない。
 ディーンはチラッとカスティエルを見つめた。瞬間、目が合う。ギクリとしたのは、ほんの少し前同じように青い瞳にじっとり見つめられていたのだ。ベッドに押し倒されそうになった記憶がよみがえり、ディーンは眉を寄せ舌打ちしそうになる。そんなディーンを見やったカスティエルは首を傾げつつもニンマリと笑む。
「なに?」
……モーテルから出るぞ」
「え? せっかくのお泊まりなのに?」
「こっちにも事情がある。今からバンカーにこっそり戻れば……
「こっそり戻らなきゃいけない理由があるのか?」
 ディーンは言葉につまる。
 カスティエルをバンカーから追い出したのはディーン自身だったが、別の世界のカスティエルが相手では状況が違う。エゼキエルはカスティエルがいることで他の天使たちから狙われると言ったが、別の世界からきたカスティエルならそのルールから外れるのではないかとも思った。どちらにせよ、彼をモーテルに置いておくこともできない。バンカーにある膨大な資料の中に元の世界に戻れるまじないがあるかもしれないのだから、さっさと戻るべきだ。エゼキエルの言い分はこちらの屁理屈で無理矢理にでも納得させれば良い。ディーンは取ったばかりの一室をあとにした。

 インパラの助手席に乗ったカスティエルは妙に静かだった。そのくせ口元は緩んでいたのでディーンは眉を寄せる。チラリと見やった視線が合ったので、カスティエルが気付いたように言った。
「本当に最終戦争を回避した世界なんだなぁ。クローツはいないし、町は明るいし、風も気持ち良い」
 窓の外から見える流れる景色を見つめる。夜風が冷たかったが、カスティエルは気にせず頬を撫でる風に心地よさそうに目を閉じた。ディーンは何も言えず黙って運転する。数時間、走ってから真夜中に帰ってきたバンカーに入り口の扉の前にカスティエルを待たせる。カスティエルは「何故だ?」と首をかしげるがディーンは有無を言わせず黙らせる。サムは眠っているだろうと思い、扉を開け中に入った後中心部にある部屋に続く階段を下りる。電気が付いていると気付いた途端、ビクリと肩を揺らした。椅子に座ったまま、まるでこちらの帰りを待ち構えていたサムがいるのを見た。
「お……、起きてたのか」
……サムは眠っている」
 無感情な声で淡々と言ったそれにエゼキエルだと察したが、カスティエルを扉の外に待たせているので一瞬顔を歪ませる。
「丁度いい、お前に話がある」
……カスティエルのところに行っていたのか?」
 こちらが話す前にエゼキエルが畳み掛けるように言葉を漏らす。唐突に思えたそれは、ディーンに奇妙な感覚を植え付けた。なぜ、エゼキエルが己とカスティエルが一緒にいることを気にするのか。返事に迷いながらもディーンは「そうだ」とぶっきらぼうに答える。エゼキエルは眉を寄せた。
「カスティエルに会えば他の天使たちの追跡にあう」
「そうはならない。それに、状況が変わった」
……約束を違えるのか」
「そっちこそ、約束は守れよ。サムの体を治せばキャスがここにいたって不都合はないはずだ」
 ディーンの言い分に、エゼキエルの顔が歪んだ。
「ここに連れて来たのか? なら、私はサムの体から出ていく」
「おい! やめろ! さっきも言っただろう、状況が変わったんだ。説明するのが面倒で」
 ディーンが苛つき放った言葉が途中で途切れたのは、二人の言い争いに割って入るような声が聞こえたからだ。
「へぇー、このバンカーすごいね。キャンプ・チタクワより良いなぁ。僕の世界にもあるかな」
 外で待たせていたはずのカスティエルが勝手に入ってきたため、ディーンはハッとするようにエゼキエルを見やった。彼は、一瞬目を丸めカスティエルを見たがすぐにディーンに視線を移してから眉を寄せる。咄嗟にディーンはサムの腕を掴んだ。「出ていくな」と視線で訴えながら。
 カスティエルの声がするまで気配に全く気付かなかったことを含め、エゼキエルは状況を把握したようだった。それでもまだ納得できない苦渋に歪めた表情だったが観念したのかゆっくり頷くと目を閉じる。
「あ! おい、ここで入れ替わるな!」
 サムの中にいるエゼキエルが意識を潜めさせると、先ほどまで立っていたサムの体は力が抜けたように倒れる。寸でのところでディーンは支えたが重みでよろけた。サムは寝入っているため、ディーン一人では支えきれそうにない。
「おい! 見てないで手伝え!」
 カスティエルにそう言って、ディーンは顔を上げた。駆け寄ったカスティエルは起きる気配のないサムを見つめると目を細める。
……これ、どういうことか説明してくれるよね?」
……分かった。けど、サムを部屋に戻してからだ」

 ×   ×   ×

「つまり、最終戦争は回避したけど、煉獄の扉を僕があけてリヴァイアサンとドンパチやって、それから君と煉獄に堕ちて、石版に試練に……えーと、極めつけはサムの中に天使を入れた」
 サムを部屋のベッドに運んでから、キッチンへと移動し何年ぶりかの上等なコーヒーに感動しながらカスティエルは少し混乱しながらも感嘆と答えた。
「なんか、売れない小説みたいなチープな展開になったなぁ」
「他人事のように言うな。今はお前も関わってるんだ」
 今までのことを簡単に説明してからディーンは腕を組み、深いため息をつく。もうチャックはいないので文句も言えないが、改めて自分たちが辿ってきた道筋を振り返るとカスティエルのような言い分になるのは間違いではなく、極め付けと言われたようにサムの中に天使を入れた選択は、相当自身も切羽詰まっていると言える。昔なら絶対承諾しないものだった。
「だいたいの事情は分かったよ。やはり君は、弟のためならどんなことでもするんだな……
 最後は語尾を小さくさせたカスティエルはクスリと笑んだように呟いた。意味深に微笑んだカスティエルに眉を寄せたが、ディーンはこれだけは言い聞かせた。サムの体に天使を憑依させたことは別世界から来たカスティエルにだけ伝えたことだ。
「サムには本当のことを言うな」
 カスティエルは顔を上げる。
「それは、余計に拗れると思うけど……
「今はまだ言えない。いずれ本当のことを伝えるつもりだ」
「ディーン」
 終末の世界のカスティエルに名を呼ばれるのは奇妙な感じだった。気だるそうにする笑みも潜め、真面目な眼差しでこちらを見つめる彼の視線にドキリとてディーンはギュッと唇を結んだ。
「サムのことを大事に思うなら、事情を全て彼に打ち明けるべきだ」
 状況も全て今しがた知ったばかりの相手に正論を言われ余計に苛立った。だから思わず、「お前には関係ないことだ」とディーンは言い放つ。
「これは俺とサムの問題だ。口出しするな」
 口からこぼれた言葉は取り消せず、目の前のカスティエルの表情がまるでこの世の終りかのように愕然と一瞬静止したのを見て声を詰まらせた。
「すまん、……言いすぎた……
「いや、良いよ。その通りだ。ここでは僕は部外者だ」
 そう言ったカスティエルは、再びいつもの緩んだ笑みを浮かべたが一瞬見えた絶望したような表情はまだディーンの目に焼き付いている。
 世界が反転したところで何の因果かお互いが巡り会う状況に、奇妙な事実に突き当たる。目の前にいるカスティエルは、サムがいないその穴を埋めるようにディーンの傍にいたカスティエルだった。対して、サムがいるここでは、そのカスティエルはディーンの傍にいないどころか己が追い出してしまった。
思わず顔を歪める。頭が痛いと、ディーンは顔を俯かせ組んだ腕を緩めてから額に手を添える。以前、チャックが言っていたのを思い出す。
 物事のバランスだと。
 ストーリーにはバランスが重要だ。どちらかが一方が欠けていれば釣り合わせるように余所から設定を継ぎ足す、と。運命とは奇妙の連続だ。ディーンは固く目を閉じた。最終戦争真っただ中のカスティエルが入れ替わりにこっちに来るなんて、冗談みたいな展開だ。サムを選べばカスティエルを失うなんて皮肉でもなんでもない。結局、己は弟だけが大事なのか。カスティエルに向ける情も本物なのに、余所からきたカスティエルにも強く当たることで誤魔化している最低な奴だ。
「ディーン、大丈夫か?」
 顔色が悪いと、カスティエルは椅子から腰を上げディーンに近寄る。労わるように伸ばされた腕をやんわりと押し留めたディーンは「平気だ」と返事する。
「空いてる部屋に案内する。お前も少し休んだ方が良い」
「なら、君の部屋の近くが良いなぁ」
 間延びした声に腐りかけてた思考が正常に機能し浮上する。ディーンが顔を上げると、カスティエルはウィンクした。ここの世界の彼が絶対にしない表情だ。それが妙に可笑しくて、呆気にとられたがすぐにこちらも口元を上げる。
「好きにしろ。向かい側の部屋が空いてる」
 夜明けまであと少しだが、疲れているのはディーンの方だった。カスティエルに部屋を案内し、自身の部屋に戻った途端ベッドに倒れ沈む体をそのままに目を閉じる。先程のカスティエルの言動はディーンの疲労を察し、気を遣ったものかもしれない。
(あいつ、いつもヘラヘラしてるくせに……
 そこまで思考を巡らせてからディーンは静かに寝息をたてた。


君から受け取ったものは今でも僕の生きる術だ②



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