Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
yoAi_mochii
8814文字
Public
Clear cache
第107回狛日版週ドロライ
お題「お化け屋敷」「平凡」「弱音」で書かせていただきました
一応交際中本予備です
放課後、校門を出たところで狛枝に呼び止められた。
「日向クン。今日、このあと暇?」
あまりに何気ない調子だったので、日向はかえって警戒した。
狛枝が用もなく予備学科棟まで迎えに来ること自体、珍しい。ましてや、こうして帰り際を待ち伏せてまで予定を尋ねてくるなんて、どう考えてもろくな誘いではない。
「暇じゃなかったら?」
「残念だけど諦めるよ。キミにも、予備学科なりに有意義な時間の使い方があるだろうからね」
「暇だよ。悪かったな」
反射的に言い返してから、日向はしまったと思った。
これではまるで、自分から狛枝の誘いに乗ったようなものだ。
狛枝は待っていたとばかりに満足そうな笑みを浮かべ、制服のポケットから二枚の紙切れを取り出した。
派手な赤い文字と、安っぽい血糊の跡が印刷された入場券だった。
「駅前の遊園地、お化け屋敷を新しくしたらしいよ。一緒に行かない?」
「
……
なんで俺と?」
「日向クンの情けない顔が見たくてさ」
腹が立つほど迷いのない即答だった。
「予備学科のキミが、どんなものを怖がるのか興味があるんだ。幽霊? 死体? それとも、暗いところで一人になることかな」
「お前、本当に悪趣味だな」
「褒めてくれてありがとう」
褒めていない、と吐き捨てながらも、日向は差し出された券を受け取った。
狛枝にしてみれば、珍しい生き物でも観察するようなものなのだろう。
自分を驚かせて、怯えたり狼狽えたりする反応を眺め、最後にはいつもの薄笑いで予備学科らしいとでも評するつもりなのかもしれない。
そう考えると、断るのも癪だった。
「先に言っておくけど、俺はお化け屋敷くらいで騒いだりしないからな」
「へえ。楽しみだな」
「その顔、絶対に信じてないだろ」
狛枝は答えず、ただ楽しそうに目を細めた。
駅前の遊園地は、平日の夕方ということもあって閑散としていた。
色褪せた観覧車が薄曇りの空をゆっくり回り、遠くでは古びたメリーゴーラウンドの音楽が、時折音を外しながら流れている。
その一角にあるお化け屋敷だけが不釣り合いに新しく、入口には《恐怖演出・残酷表現注意》と書かれた看板が立っていた。
列に並んでいるのは、同じ制服姿の高校生や若い男女ばかりだった。
前にいた二人組が、入口から響いてきた悲鳴に顔を見合わせる。女のほうが笑いながら男の袖を掴み、男もまんざらでもなさそうにその手を握った。
日向はなんとなく目を逸らした。隣では狛枝が、壁に貼られた注意書きを熱心に読んでいる。
「途中で気分が悪くなった場合は、壁にある非常ボタンを押してください、だって」
「俺には必要ないな」
口にしてから、少し言い切りすぎた気もした。
だが、今さら訂正するのも格好が悪い。
「まだ入ってもいないのに、ずいぶん自信があるんだね」
「お前こそ、驚いて俺にしがみつくなよ」
「安心してよ。そんな幸運、ボクにはもったいないからさ」
いつもの軽い調子で返され、日向はそれ以上言い返せなかった。
やがて係員に案内され、黒いカーテンの向こうへ足を踏み入れる。
最初に鼻を衝いたのは、湿った鉄のような臭いだった。
壁には黒ずんだ血痕がこびりつき、足元からは低い駆動音が絶えず響いている。どこかで水滴の落ちる音がするたび、暗闇の奥で何かが動いたように聞こえた。
作り物だ。全部、客を怖がらせるための仕掛けにすぎない。
そう分かっているのに、視界を塞がれると、身体は理屈どおりには動かなかった。
天井のスピーカーから突然、耳を劈くような絶叫が流れた。
「
――
っ」
日向の肩が跳ねる。
直後、横の壁が激しく揺れ、半分潰れた顔の人形が窓を突き破るように飛び出してきた。
反射的に身を引き、靴底が床を擦る。
その隣で、狛枝は驚いた様子もなく立ち止まっていた。
青白い照明に照らされた死体人形を眺め、よくできているね、とでも言いたげに首を傾けている。
「
……
お前、今の平気だったのか?」
「今のって?」
「いや、もういい」
日向は乱れかけた呼吸を悟られないよう、先に歩き出した。
奥へ進むほど、演出は悪趣味になっていった。
暗い通路を這い回る人影。耳元まで迫ってくる呻き声。足を踏み出した瞬間に沈む床。赤い照明のなか、天井から吊り下げられた無数の腕が、生き物のように二人の頭上で揺れている。
そのたびに日向の身体はわずかに強張った。
狛枝は何も言わなかった。
からかうために連れてきたくせに、こちらを見て笑うことさえしない。ただ、血塗れの人形や暗闇の奥から飛び出してくる影を、ひどく静かな目で眺めている。
怖がっているようには、とても見えなかった。
恐怖という感情そのものが、あいつには欠けているように見えた。
幽霊も、死体も、突然何かに襲われることも。狛枝にとっては、どれも自分の身に起こり得る出来事の延長でしかないのかもしれない。
そう思った途端、日向の胸の奥に、冷たいものが沈んだ。
隣を歩いている。肩が触れそうなほど近くにいる。
それなのに狛枝は、日向とはまるで違う場所に立っている。
自分が必死に押し隠している恐怖を、この男は最初から共有していない。本科に選ばれた超高校級であること以上に、その壊れた死生観そのものが、二人のあいだに横たわる越えられない境界のように思えた。
――
やっぱり、こいつは俺とは違う。
才能に選ばれた、本科の人間。
何が起きても薄く笑っていられる、化け物じみた男だ。
日向がそう自分に言い聞かせた、その直後だった。
背後で、重い扉の閉まる音がした。
日向は反射的に振り返った。
ついさっきまで開いていたはずの通路が、黒い壁によって塞がれている。壁際の赤いランプが一度だけ明滅し、そのまま消えた。
「
……
狛枝?」
返事はなかった。
わずかに前を歩いていたはずの狛枝の姿もない。
完全な暗闇のなか、低く唸っていた駆動音だけが、腹の底を震わせている。
「おい、狛枝」
もう一度呼んだが、やはり返事は来ない。
これは演出だ。途中で同行者を分断して、客を驚かせるための仕掛けに決まっている。壁の向こうには別の通路があり、少し進めば合流できるようになっているはずだ。
そう考えているのに、視界の利かない空間に一人で取り残された途端、心臓が嫌に大きな音を立て始めた。
日向は暗闇を探り、壁へ手を触れた。
ざらついた表面を伝いながら、慎重に足を進める。どこからか、女の啜り泣く声が聞こえてきた。耳元を何かが掠め、首筋に生温い風が吹きつける。
「っ
……
こんなの、ただの仕掛けだろ」
自分に言い聞かせるように呟く。
不意に、前方で白い光が弾けた。
照らし出されたのは、通路の奥に立つ人影だった。
だらりと首を垂れ、汚れた白衣を着ている。ゆっくりと顔を上げたそれが、裂けた口を開いてこちらへ走り出した。
日向は息を呑み、考えるより先に後ずさった。踵がもつれ、背中から壁へ叩きつけられる。
逃げ道を探すように片手を壁へ這わせた瞬間、再び周囲が暗闇に沈んだ。
耳障りな笑い声だけが響き、やがて遠ざかっていった。
「
……
悪趣味にもほどがあるだろ」
悪態を吐きながらも、日向の意識は別のことへ向いていた。
狛枝はどこだ。
一人でいても、どうせあいつは平然としている。こんな演出に怯えるような人間ではない。むしろ分断されたこちらを想像して、今頃楽しんでいる可能性さえある。
分かっているが、それでも返事がないことが、妙に気に障った。
「狛枝!」
先ほどより強く名を呼び、日向は暗闇の奥へ進んだ。
数歩先で、手探りしていた指が硬い取っ手に触れた。
押しても動かない。苛立って力を込めると、鈍い音を立てて扉が向こう側へ開いた。
薄紫色の光が、細い通路を照らしていた。
その中央に、狛枝が立っている。
「
……
いた」
日向が安堵の息を吐いたのと、狛枝がこちらを振り向いたのは、ほとんど同時だった。
いつもと変わらない、柔らかな笑みが浮かんでいる。
「日向クン」
声も平静だった。
次の瞬間、狛枝は大股で距離を詰め、日向の腕を掴んだ。
骨に触れるほど細い指が、制服の上から食い込む。予想していなかった強さに、日向は目を見開いた。
「痛い。なんだよ、急に」
「
……
遅いよ、日向クン」
低く掠れた声だった。
日向が顔を上げると、狛枝はもう笑っていた。
笑っているはずなのに、その笑みだけがどこか遅れて張り付いたように見えた。
日向の腕を掴んだ指だけは、いくら待っても力を緩めなかった。
「仕方ないだろ。こっちにも仕掛けがあったんだよ。お前こそ、呼んだのに返事くらいしろ」
「聞こえなかったんだ。防音されていたのかもしれないね」
「じゃあ、そんなに怒るなよ」
「怒ってなんかいないよ」
狛枝は不思議そうに首を傾けた。
本当に、自分がどんな顔をしているのか分かっていないようだった。
日向は掴まれたままの腕へ視線を落とす。
薄紫色の光の下で、狛枝の指先がわずかに震えていた。
見間違いかと思うほど小さな震えだった。それでも、日向の腕を確かめるように押し当てられた指は冷たく、その異常な力だけが、隠しきれない何かを訴えている。
「
……
お前、もしかして」
「驚いたんだよ」
日向の言葉を遮り、狛枝は軽く笑ってみせた。
「キミがあんな単純な仕掛けでいなくなるなんて、思っていなかったからさ」
「俺が、いなくなったから?」
「あはは。もちろん、観察対象を途中で見失ったら困るって意味だよ」
狛枝の声が、急にいつもの軽さを取り戻す。
「せっかく予備学科のキミが、どんな無様な顔で恐怖に耐えるのか楽しみにしていたのに。肝心なところで一人になられたら、ここまで来た意味がないじゃないか」
「
……
そうかよ」
「それに、もし本当に何かあったとしても、キミ程度の人間が希望の踏み台にすらならず消えてしまうなんて、あまりにもつまらない結末だろう?」
立て板に水のように、言葉が続いていく。
予備学科。観察対象。希望の踏み台。
いつも狛枝が好んで使う言葉を並べ、たった今自分が見せたものを、その下へ埋めようとしている。
だが、どれだけ言葉を重ねても、日向の腕を掴んだ手は離れなかった。
日向は以前、狛枝が語った過去を思い出していた。
旅行先で起きた事故も、家族を失ったことも、飼っていた犬のことも。狛枝はどれも、自分とは無関係な出来事のように笑って話した。
幸運と不運が交互に訪れただけだと、天気の移り変わりでも説明するような口調で。
あのときの日向には、その笑顔の奥に何があるのか分からなかった。
今も、分かったとは言えない。
ただ、幽霊にも死体にも眉一つ動かさなかった男が、ほんの数十秒、日向の姿を見失っただけで、こんなふうに腕を掴んでいる。
それが狛枝の言う「観察対象を失う不都合」だけではないことくらい、日向にも分かった。
「もういい。分かったから」
日向はそれ以上追及せず、再び出口へ向かって歩き出した。
狛枝の手は腕に触れたままだった。
少し歩けば離れるだろうと思っていた。
けれど、次の角を曲がっても、遠くに出口を示す白い光が見え始めても、その指が離れることはなかった。
その白い光が近づくにつれて、通路を満たしていた闇は少しずつ薄くなっていった。
壁を這う赤い照明が途切れ、代わりにカーテンの隙間から夕方の光が細く差し込んでいる。外で流れている陽気な遊園地の音楽まで、微かに聞こえ始めた。
あと少し歩けば、ここを出る。
そのはずなのに、隣を歩く狛枝の足が遅くなった。
「どうした?」
「何が?」
「さっきから歩くの遅いだろ」
「そうかな。日向クンが早くここから逃げたがっているだけじゃない?」
「誰が逃げるか」
日向は言い返しながら、狛枝のほうを見た。
薄暗い通路のなかで、狛枝はいつものように笑っている。
もう指先の震えも止まっていた。呼吸も声も、普段と変わらない。
それでも、日向の腕を掴んだ手だけは残っている。
出口へ近づくほど、その存在が不自然に思えた。
狛枝は怖がっているわけではない。足元がおぼつかないわけでも、日向に支えてもらわなければ歩けないわけでもない。
それなのに、離そうとしない。
付き合い始めてからも、狛枝はこういう触れ方をほとんどしなかった。
二人きりでいても、距離の取り方は以前と変わらない。肩が触れれば狛枝のほうから身を引き、日向が手を伸ばせば、何かしらもっともらしい冗談を口にして逃げる。
自分のような人間に触れるなんて申し訳ない。
予備学科の日向クンに相応しい行為ではない。
そんな言葉を笑顔の下へ並べて、恋人になったあとでさえ、狛枝は二人のあいだに境界線を引き続けていた。
そのくせ、暗闇のなかでは、こんなにも強く日向を掴んでいる。
「
……
狛枝」
狛枝がわずかに首を傾け、こちらを見る。
「お前、本当に俺を怖がらせるために、ここへ連れてきたのか?」
一瞬だけ、狛枝の視線が揺れた。
「ボクは最初からそう言ってるよ?」
「俺の情けない顔が見たかったんだろ」
「そうだよ。期待していたよりは地味だったけどね。せっかくなら、もう少し大声で泣き叫んでくれてもよかったのに」
「じゃあ、もう目的は果たしただろ」
日向は、自分の腕を掴んでいる手を見た。
「これは何なんだよ」
狛枝も、つられるように視線を落とした。
まるで今まで、その手が自分のものだと気づいていなかったような顔だった。
指がわずかに緩む。
しかし完全に離れる前に、日向は言葉を続けた。
「お前、俺を怖がらせたかったんじゃなくて
……
最初から、こうしたかっただけなんじゃないのか」
「
……
こう?」
「暗いところなら、変に理由をつけなくても俺に触れられる」
口にしてから、日向は少し気恥ずかしくなった。狛枝の顔を正面から見ていられず、出口のほうへ目を逸らす。
「だから、お化け屋敷なんかに誘ったんじゃないのか。俺を怖がらせたいとか、観察したいとか、そんなのは全部あとからつけた理由で」
そこまで言って、日向は思い出した。
入口で、自分たちの前に並んでいた男女。
悲鳴に笑い、互いの袖を掴み、そのまま当たり前のように手を重ねていた二人。
暗闇のなかなら、誰かに縋っても不自然ではない。
恋人同士が手を繋いで歩いていても、誰も理由を尋ねたりしない。
「
……
お前、本当は普通に手を繋ぎたかっただけなんじゃないのか」
その瞬間、日向の腕に触れていた指が止まった。
狛枝は何も言わなかった。
否定することも、いつものように笑って流すこともない。
ただ、聞いたことのない言葉を突きつけられたように、日向を見つめていた。
淡い瞳が、わずかに見開かれている。
やがて狛枝の視線は、自分の手へ落ちた。
「
……
ボクが?」
声には、驚きよりも困惑が滲んでいた。
「知らないよ。お前自身のことだろ」
「普通に、手を繋ぎたかった?」
狛枝は日向の言葉を、意味の分からない文章でも読み解くように繰り返した。
しばらく黙ったあと、ふっと口元だけが持ち上がる。
それは笑顔というより、自嘲が形になったような歪みだった。
「あはは
……
」
乾いた声が、薄暗い通路へ落ちる。
「なるほどね。そういうことだったんだ」
狛枝は、ひどく可笑しそうに目を細めた。
その淡い瞳には、何かを理解した安堵よりも、取り返しのつかないものを見つけてしまったような冷たさが滲んでいた。
「おかしいと思ったんだ。キミが何を怖がるのか知りたいだけなら、別にここじゃなくてもよかった。怖がる瞬間なんて、この先いくらでも見られたはずなのに」
「狛枝」
「それなのに、どうしてこんな馬鹿げたことを思いついたんだろうって」
自分を解剖するような口調だった。
狛枝は一つずつ理由を切り分け、その奥に隠れていたものを確かめている。けれど、答えへ近づくほど、その声から人間らしい温度が失われていった。
「ボクはね、ずっと、日向クンを観察したかったんだと思ってた。キミの情けない顔が見たいし、何に怯えてるのか興味がある。そう思っていたのは、本当だよ」
「
……
ああ」
「でも、それだけじゃなかったんだね」
狛枝の指が、今度こそ日向の腕から離れかけた。
「
……
ボクは、キミの隣にいたかっただけだったんだね」
その言葉は、狛枝自身へ下す判決のように響いた。
希望でも、才能でもない。
何かを乗り越えるための絶望ですらない。
ただ好きな相手と並んで歩き、その手に触れたい。
そんなありふれた願いが自分のなかに存在していたことを、狛枝は許せないらしい。
「
……
あはは。笑えるよね、日向クン」
青紫色の照明の下で、狛枝はわずかに視線を逸らした。
「ボクみたいな人間が、キミみたいな平凡な人間と、普通の恋人の真似事をしたかったなんて」
日向は眉を寄せた。
狛枝の口から出る「平凡」は、いつもなら日向を傷つけるための言葉だった。
だけど今は違う。
狛枝はその言葉で、日向ではなく自分自身を切り刻んでいる。
才能ある希望だけを見上げ、それを輝かせるためなら、自分などいくらでも踏み潰されて構わないと笑ってきた男が、誰かの隣で何者でもない自分のまま幸福になりたいと望んでしまった。
狛枝の顔を見ていると、それは単なる恋心の自覚などではないのだと分かった。
信じてきたものへの裏切り。
自分だけは決して望んではならなかった幸福への、醜い執着。
「
……
本当に」
狛枝は、自分の指先へ目を落とした。
「ずいぶん堕落しちゃったな」
その言葉と同時に、日向の腕を掴んでいた指がほどけていく。
冷えた指先が制服の袖を滑り、離れた。
暗闇のなかだから、間違えただけだ。
少し普通の人間の真似をしたくなっただけだ。
もう出口はすぐそこにある。
明るい場所へ出れば、狛枝はまた、希望を崇拝する本科の生徒へ戻るつもりなのだろう。
そして日向創も、才能を持たない予備学科へ戻る。
だから、ここで終わりにする。
離れていく狛枝の手が、そう告げているように見えた。
日向は唇を引き結んだ。
「
……
勝手に決めるなよ」
「え?」
狛枝が顔を上げる。
日向は離れかけたその手を、今度は自分から掴んだ。
指を絡めるような大袈裟な繋ぎ方ではない。ただ、逃がさないように手のひらを重ね、しっかりと握る。
狛枝の手は思っていたより冷たかった。触れた瞬間、その指が驚いたように強張る。
「日向クン? 何をしているの?」
本気で分からないとでも言いたげな声だった。
日向は狛枝を見なかった。
見れば、こちらまで妙に意識してしまいそうだった。だから白い光の差す出口だけを睨み、ぶっきらぼうに答える。
「普通の恋人なら、ここで離すほうが不自然だろ」
背後のスピーカーから、甲高い笑い声が流れた。
直後に何かの駆動音が鳴り、途中で引っかかったような不格好な電子音へ変わる。恐怖を煽るための演出だったのだろうが、今となってはひどくチープに聞こえた。
日向の手のなかで、冷たい指だけがかすかに動いた。
「お前が普通の真似をしたかったのか、堕落したのかなんて、俺にはどうでもいい」
「
……
どうでもいい?」
「手を繋ぎたかったんだろ」
日向は一度だけ、狛枝の手を握り直した。
「だったら、それでいいじゃないか」
あまりに簡単に言われたせいか、狛枝は返す言葉を失ったようだった。
希望に相応しいかどうか。
才能のない人間と並ぶことに意味があるのか。
自分のような人間が幸福を望んでもいいのか。
狛枝がいくつもの言葉を重ねて、触れることすら許されないものにしていた願いを、日向はただの事実として扱った。
手を繋ぎたかった。
だから繋ぐ。
それだけのことだ。
「それとも何だ。俺と手を繋ぐのが嫌になったのか?」
「まさか」
狛枝はようやく答えた。
否定だけが、驚くほど早かった。
日向は思わず鼻で笑う。
「じゃあ決まりだろ」
「
……
キミは、本当に横暴だね」
「お前にだけは言われたくない」
「ボクみたいな人間の都合も聞かずに、勝手に恋人らしいことを押しつけるなんてさ。予備学科のくせに、ずいぶん偉そうじゃないか」
いつもの調子を取り戻したような言葉だったが、声に先ほどまでの冷たさはない。
狛枝はしばらく、自分たちの重なった手を見つめていた。
やがて、確かめるようにゆっくりと指を曲げる。
日向の手のひらへ、狛枝の手が握り返された。
「でも
……
そうだね」
小さく落ちた声は、スピーカーから流れる不気味な音楽に紛れそうなほど静かだった。
それでも日向には、はっきりと聞こえた。
二人は再び歩き出した。
黒いカーテンを押し開けた瞬間、夕方の光が容赦なく目に飛び込んできた。
日向は思わず目を細めた。
錆びついたアトラクションの駆動音。遠くから聞こえる子供の笑い声。甘いポップコーンの匂い。何事もなかったように流れている、平凡で騒がしい世界。
そこでは二人はまた、本科と予備学科だった。
才能に選ばれた狛枝凪斗と、何者にもなれない日向創。
暗闇のなかで触れ合うよりも、明るい場所で並んで歩くほうが、ずっと不自然に見える二人だった。
しかし、日向は手を離さなかった。
狛枝も、もう離そうとはしなかった。
完璧な恋人にも、普通の高校生にもなりきれないまま。
二人は手を繋いで、眩しくて残酷な現実のなかへ踏み出した。
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内