鯖男
2026-07-22 23:28:13
1698文字
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手向けの煙草

師匠が亡くなって勇者サイドは葬式とか行けてないのでは、からの想像。

勇者は平均二十代後半から三十代にかけて野垂れ死ぬのが一番多い。
その点で言うと鷹宮清人という男は、平均より長生きだったのだろう。

鷹宮の死から一週間が経った。
世間は相変わらず治安が悪く、人一人死んだところで何一つ変わらない。
だが鷹宮の拠点だったバー《グーニーズ》は、目に見える変化はなかったが、どことなく暗い影を落としていた。
バーのマスターであるエド・サイラスは、じろりと時計を睥睨する。客がいたならば、良からぬ取引時間の確認か、と勘違いするほどに人相が悪い。
時刻は午後四時を回った頃。
開店までのわずかな余暇。エドはカウンターから離れた棚から、読み途中の文庫本を取り出した。
しおりを抜いてページを開く。
瞬間、バーの扉が開けられ、エドの眉間のしわが数本増えた。
タイミングの悪い招かざる客。
そんなものは、エドの中では一人しか該当しない。既に本を読む気分は霧散し、エドはしおりを再度挟み、文庫本を棚に投げ入れるよう乱暴にしまった。
「おう、ヤシロ。お前、看板見えないのか」
「一時間程度の誤差だろ。常連客にケチケチすんな」
「金を払えば客として認めてやる」
エドは「金を払えば、な」と言葉を強調した。
ヤシロは観念したように千円一枚とビールを注文する。これでヤシロは正式な客として《グーニーズ》に滞在する許可を得た。
カウンターに座ると同時に、ジョッキに注がれたビールが出される。ただ注ぐだけなのだから当然だ。
ヤシロは泡の弾ける小さな音と、金色のきらめきを纏ったビールを一口煽る。店内のオレンジ色の照明に照らされたビールは、自身の価値を誇示するように輝いていた。
「──で、なんのようだ」
「随分な挨拶だな。客商売なんだからもう少し愛想よくしろよ」
一瞬。緑の視線が外れる。
一瞬だけだ。次の瞬間には、何事もないように小生意気な笑みを浮かべている。
エドは深く息を吐き、もう一つジョッキを出してビールを注ぐ。
「不良マスターめ」
「不良小僧に言われたくない」
エドは胸ポケットから、くしゃくしゃによれた煙草の箱を取り出し、カウンターへ置いた。
ヤシロは見慣れない品に、疑問符を浮かべながら問う。
「珍しいな。あんたが煙草なんて」
「俺だってたまには吸う」
「ふーん」
興味の色は薄いのか、煙草を一瞥したのち視線を外す。
そこから三十分と少し。思い出すのも困難なほどに中身のない雑談をし、互いのジョッキにビールがなくなった頃、エドは先ほどの棚から文庫本を取り出し、しおりの代わりに指を挟む。
「なんだよ。客ほったらかして読書かよ」
「お前の中身のない話に付き合うほど暇じゃないんだ」
「はーん」
長針がじわじわと開店時刻へ迫っている。
エドは視線を文庫から離さないまま、独り言のように呟いた。
「その煙草、処分しとけ」
「は、それ、俺に言ってんのかよ」
ヤシロは煙草を辞めた。
元々なんとなくで吸って、惰性で続けていたものだ。酒やギャンブルを覚えてから、自然と吸わなくなっていった。
『剣士は呼吸が大事だ』
もはや朧気にしか覚えていない声で再生される。
小指の先程度には、その助言も理由にはあるかもしれない。
「吸い方ぐらい覚えてるだろ」
「っち……しゃーねえなあ」
ヤシロは自身のポケットをまさぐり、以前仕事で行ったよそのバーのマッチを出した。
昔取った杵柄か、スムーズに煙草に火をつけようとする。
──だがそこで待ったがかかる。
「ここで吸うんじゃねえよ」
「じゃあどこで吸うんだよ」
エドは無骨な指で示す先は、店の奥にあるトイレだった。
「ここ禁煙じゃねえだろ。わざわざ便所で吸わせんなよ」
「つべこべ言わずさっさと吸ってこい。窓は開けろよ」
納得できない面持ちのまま、ヤシロはトイレへ行き、扉が閉まるのを確認してからエドは文庫本にしおりを挟んだ。開店まであと十分もない。
エドはトイレの扉を見やり、久しぶりに吸った煙草の苦みを思い出す。
紫煙は高く上るだろう。
手向けには上等すぎるそれ。
エドはわずかに口角をあげ、扉に下げられたクローズ札をオープンへと変えに行った。