摩天楼が惑星を覆うコルサントに海はない。湖もない。それこそ上澄みに暮らす人々には、水の惑星はいつだって憧れの観光地として人気がある。もちろんプールも。
クラブミュージックの中に響く涼しげな水音と、はしゃぐ声にアナキンは目を向けた。オレンジと紫の照明でムーディーに照らされたプールでは、いかにも裕福そうな若者たちがフロートと戯れている。屋内ではないので塩素の匂いは篭っておらず、鼻を掠めてはすぐに消えていく。あちこちで焚かれているインセンスの香りのほうがよほど強く、利用層を思えばいくらかのスパイス混じりだと言われても意外ではない。
アナキンとしてはこの銀河の中心が水の惑星だったなら少しは違ったかもしれないが、銀河の果てから遠く離れても、水が貴重だという感覚は変わらない。溜め息が出るのを堪えて、カウンターテーブルの向かい側でさりげなく周囲に視線を流しているオビ=ワンに視線を戻した。淡い緑のレンズごしに見ると、カクテルの到着もまだだというのに彼はどこか楽しんでいるように見えた。
お互いに見慣れたジェダイ装束ではなく、膝丈の薄いズボンの上に周囲に馴染むような華やかな柄シャツをラフに羽織っている。オビ=ワンのほうはオレンジのサングラスをシャツの胸ポケットに差し込んだままだが、ほとんど同じ格好だ。アナキンのほうが華やかな暖色の配色を好み、オビ=ワンが落ち着いた寒色のシャツを選んでいるぐらいの違いで、いずれにしろ二人して肌を露出しているのは奇妙な気がした。オビ=ワンはシャツのボタンを留めているが、アナキンのほうはひとつだって留めていないせいもあるかもしれない。プールサイドに馴染むための装いとして選んだが、普段は襟元まできっちりと着込んでいるだけに心許ない感覚があった。今からでもオビ=ワンに倣うべきか躊躇い、アナキンは義手の指先で襟元をなぞった。
「なんだ」
「いえ、見慣れないなと思って」
オビ=ワンは皮肉っぽく唇を歪めた。
「富裕層に見えるか?」
「そうですね、お忍びをやろうとしている感じがします」
「それはよかった。お前もずいぶん、似合っているよ。馴染んで見える」
「ナイトプールで遊ぶのに?」
「ああ」とオビ=ワンは頷いた。シャツをはだけているせいかな、とアナキンの内心を透かしたように言ってから「ああいうグループとつるんでいそうだ」と視線で対象を示す。アナキンは誘導に従って視線を素早くその先に送り、プールのなかで動物を模したフロートに身体をあずけて写真を撮り合う青年たちを盗み見た――なるほど。否定する要素はなかった。
プールの水面は、音楽と人の動きで絶えず揺れている。プールといっても、上半身が露になる程度の深さしかない。浮輪のたぐいを持っているような利用者は皆ドリンクかカメラ端末を持っていたが、ぷかぷかと水面に浮いていない人たちはビーチサイドから足を下ろしている人もいれば、水中を歩く人もいる。色とりどりのライトが落とす光で水面は緑のレンズごしでもまぶしく見えるが、それこそ水泳帽を被っているような人物は一人もいない。
「泳いでる奴がひとりもいないですね」
「ああ、水深も浅い。お前でも安心だな」
オビ=ワンが意地悪く言うのにアナキンは額を抑えた。悪い記憶ではないが、からかう視線から逃れるためだ。
「意地が悪いな。もう泳げますよ――おかげさまで!」
まだアナキンがパダワンを迎える前のことだ。
深夜だからか他に客はなく、広いプールは貸切状態だった。水中の明かりで水面は静かに輝いて見えた。
「泳いだことがない?」
もったいぶった言い回しで弁明したアナキンに、オビ=ワンは目を丸くしていた。無理もない。ジェダイの訓練は多岐にわたる。ダンスの授業さえあるのだ。水泳の授業がないわけもない。とくにアナキンは候補生として過ごすこともなくパダワンになったのだ。取り組んでいないものがあるとは想像しにくいことだろう。やっかみをはねのけてやるという意地もあり、血の滲む努力で様々な経験不足をカバーしてきた。しかし水泳ばかりはことごとくレッスン自体に参加できなかったのだ。
教師の急病にプールの故障、飛び込んでくるオビ=ワンの看病に自分の骨折など、機会のたびにありとあらゆるトラブルが起こった。時にはオビ=ワンの任務についていき、気づけば振り替え授業を受ける間もないままクローン大戦が勃発し――結果として授業を受け損ねた。
度重なる偶然によるその結果を、アナキンは運命であろうと思っていた。そしてまあ、別に泳げる必要もないだろうと高をくくっていたところもあった。
だから待機命令に肩をすくめたオビ=ワンにホテルのプールへ誘われ、水着を買っている最中も、プールサイドに並んで繰り出している最中にも、アナキンは何も言わなかった。べつに水が怖いわけでもなかった。ただ、ふいにオビ=ワンが「そういえばお前が泳ぐのを見たことがないな」と逃れようのない言及をしてくるものだから、白状するより他になかっただけだ。
しかし改めて頭の上からつま先まで、オビ=ワンがしげしげと見回して「泳げない…」と訝しまれるのには羞恥心が呼び起こされた。眉をひそめて返すより他になかった。
「仕方ないでしょう。機会なんかないですよ。あなたはコルサントで泳いだことが?」
「ジムにプールぐらいあるだろう」
「つまり、わざわざ泳ぎに?」
「手軽な全身運動だぞ」
「縄跳びでもすればいいじゃないですか」
「義手だって生活防水どころではないだろう」
「そりゃ、腕時計じゃないんですよ、何かあったら困るでしょう」
「では水の惑星で何かあったらどうするつもりなんだ」
「ありませんよ、なにかなんて」
それにいざとなればフォースの助けを借りられるという自惚れがある、とは言わなかった。言わずとも伝わっているのがオビ=ワンの視線からありありとうかがえたからだ。彼は「ナブーには海も湖もあるだろうに」と呆れたようにため息をついた。
「基本ぐらいは教えてやれる。おいで、パダワン」
そう言ってオビ=ワンは返事も待たずにプールに爪先を浸してしまうので、後を追わないわけにもいかなかった。それに悔し紛れに「教えることが残っていて嬉しいですか?」とからかえば「そうだな」とあっさりと認める言葉さえ返ってくるのだからたまらなかった。
オビ=ワンは泳ぎ方さえ教えるのがうまかった。しかし手を引いてクロールのフォームを身につけさせ、少しずつ泳ぐ距離を作っていく頃には「ほとんど教えることもないな」と笑っていた。
水に体が浮かぶ感覚は重力制御を切った宇宙空間に似ているが、水の中で体は思うほど軽くは動かない。それでも水をかく腕の動きを掴むと、一度腕をかくだけで体はすんなり水の中を進んでくれるようになった。フォースの助力を借りるまでもない。
なるほど、悪くないと思う頃には、補助輪のように前を歩いていたオビ=ワンが滑らかに横にずれていた。何度か腕で水をかいた後に気づいて泳ぐのをやめ、振り返れば、彼はクロールもせずにすんなりと追いついてきた。向けられた微笑みに、自分の態度はまるで親に賞賛を求めるようではなかったかとアナキンは顔に熱が溜まるのがわかった。だがオビ=ワンは少しもからかわなかった。それどころか、どこかほこらしげに「うまいな。綺麗なフォームだ」と濡れた前髪をかきあげるだけだった。
まだうなじを覆う程度に伸ばされていたオビ=ワンの金の髪が水に濡れて束になり、うなじに張り付いていた。その毛先が肌に貼り付き、鎖骨に水の滴を落とすさまをアナキンは覚えている。
おまたせしました、とドロイドが二杯のカクテルを持ってきた。「繁盛してるらしいね」とアナキンが時間のかかった給仕をからかえば、ドロイドは予定外の団体客が入ってしまって、とフレームを揺らした。
「ああ、だから特別なものを焚いてる?」
「――実にするどい感覚器官をお持ちでいらっしゃる」
センサーカメラの頭部に人間のような顔があったなら、きっと微笑んだのだろう。返事を返しながら、彼はトレイからグラスを二脚、滑らかに机へ降ろした。そしてアナキンがその関節部の滑らかさを追求する暇も与えずに、手早くテーブルを離れていった。
どちらも氷がたっぷりの背の高いグラスで、冷気が登りたつのが見えるほどだが、共通項はそれだけだ。かたやたっぷりの色水にフルーツの飾り切りが盛られたグラスと、透き通ったグラスの縁に塩が塗られたシンプルなものは、同じテーブルに並んでいるのが不思議なぐらいに違っている。
オビ=ワンは当然のようにシンプルなほうを取り上げて、すでに口をつけていた。今の彼にキスでもしたら塩っぱいだろうなと思いながら、アナキンは鮮やかなグラスを手元に引き寄せる。そして差し込まれたストローを啜りながら、嬉しそうに唇についた塩を舐めるオビ=ワンを見つめる。あの時、彼の首筋に伝った雫に触れてしまえたら、こんな風に拗らせることもなかった。それだけはたしかだなとこみ上げるため息を飲み込む。少なくとも今、氷が溶けるまではこうしていられるだろうが、偵察どころでない事件が起きればいいのにとさえ思った。
(了)
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お手にとっていただいた皆様、ありがとうございました。
これはペーパーには書かなかった言い訳なんですが…オビ=ワンって豊かな胸毛があるよなと思っていて…でもプールで泳ぎを教わる場面で一文字も言及(描写)しなかったのは、なんかわざわざ書くと性的な雰囲気が強まってしまう気がするな…と…そういう理由でした
おそまつさまです…
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