一枚ずつ丁寧に机の上に並べられた盗撮写真はほとんどが望遠レンズによるものだ。しかしファインダーのほうに視線を向け、微笑んでやったことさえあった。だから覚えのある一枚を拾い上げて「ああ、こんな風に映るんですね」とシャリアはしげしげとわざわざ印画された自分の姿を眺めた。近頃ではめずらしい写真印画紙にわざわざ印刷されたそれは、ずいぶんな値がついているものだという。これがジオンの懐に入ってくれるならよかったんですがねえと笑ってみれば、部下たちが目を眇めた。
コモリが摘発してきたのは盗撮写真を売買する写真家の一人だ。軍の秘密作戦の写真をあちこちにばらまく傍らで、近年あちこちに姿を見せる仮面の男の写真が売れることに気がつき、ずいぶん荒稼ぎしたらしい。
シャリアとしては本当に困る場所までついてこられたこともなかったので、パパラッチのなかでも取るに足らない相手だと考えていた。アルテイシアの安全を確保するなかで、むしろ隠れるのが下手な部類に入るカメラマンだ。だから自分を撮るのも許した。しかし自分などを撮ってなにがおもしろいのかと不思議に思い、たびたび気づいている事をアピールすべく、ファインダーを覗き返すように視線を合わせてやったり、それこそピースサインを向けたりしてきたのだが。幸いにもピースサインを向けた写真は卓上に並んでいないが、見つかればなにを考えているのかと無駄な叱責を飛ばさせたかもしれない。
「迂闊に撮らせるぐらいなら、そんな仮面やめたらどうですか。顔を見られないようにと、緊張感が増すんじゃありませんか?」
呆れているコモリから目線を逸らして、シャリアは「まあまあ」と誤魔化しの言葉を吐いた。「なにを呑気なことをおっしゃってるんですか」
「まあ、見られているのには慣れていますから」
それが失言だったという自覚は、あとからやってきた。コモリの表情のおかげだ。
だが、本当に慣れてしまったのだ。仮面をつけるようになってからは、なおさらだった。
視線を感じるのは、駅のホームであり、カフェのテラス席であり、町中を歩いているときである。ミルクの多いカフェオレを啜りながら、時折シャリアは視線を感じる事について考えていた。先日のカメラマンのような、パパラッチではないことだけはわかっていた。あの被写体に向けられる特有の気配ではなく、ただこちらを見ているのだとふと気配を感じるだけのことであるからだ。
気のせいかと周囲に気を払い様子をうかがったところで、パパラッチたちに感じるような気配はまるでない。
気をはりつめすぎたか、被害妄想めいたものが起きているのかもと最初の頃は思いもしたものだが、近頃はそうではないなとわかってきた。
わかっているのは時折起こるということだけだ。場所も時間帯もバラバラで、ただ、視線に気づいてしまうのだ。その理由は定かではない。だが、たしかに見られていると思った。
試しにカフェに寄るのをやめた。それでもそれは続いた。どこかへ立ち寄れば感じた。地下鉄のホームで、改札口で、駅ナカの施設のなかで、それは気づくものだった。見られている。けれど、その思惟を受け取れるほど近くはない。
口を滑らせたついでにその話をすれば、コモリは卓上に並べた写真のことを忘れたように力強く机を叩いた。
「ストーカーを飼わないでください!!」
「飼ってなどいませんよ?」
「飼ってるようなものじゃないですか! 私やマチュが同じ目に合っていたとしてもそんなこと仰いますか?」
コモリの言葉にシャリアは想像をしてみたが、一秒でも早く相手を見つけ出してやろうとしか思えない。
「……なるほど」
しかし自分は『木星帰り』に『一年戦争の英雄』だのと二つ名を冠する男であるので。頭の中で言い訳をするとコモリはシャリアを睨んだ。
「だとしても! 危ないに決まってるじゃないですか。もっと警戒してください。私、上司が痴情のもつれで刺されたなんて連絡を受け取りたくありません」
「はあ。しかし敵意、とは思いませんでしたから」
そういうものなら対応していますとも、と微笑んでみたがコモリには通用しなかった。その日からシャリアの行動にはずいぶんな制限がかかった。端的に言えば護衛にエグザベがつくことになったのだ。
なににおいても隠し事が下手であり、つまりは大変素直な男を連れまわすというのは人を煙に巻くやり口の多くに影響することは明らかなことだ。エグザベ本人は本当に真面目にシャリアを心配してくれているようだったが、そのような采配をふるったコモリの狙いは明確で、『これが嫌なら解決しろ』というメッセージに他ならない。
上官に対してさえ平然と冷ややかな態度を隠さない彼女を改めて好ましく思いながら、シャリアはさて困ったぞと顎髭を撫でるよりほかになかった。
しかし解決にはさほど時間を要さなかった。
なににつけてもエグザベがついてくるものだから、いっそ懐柔を試みようかと帰路の途中のカフェに立ち寄った時のことだ。
カフェのテラス席で彼にエスプレッソを飲ませながら自分はチョコレートを齧り――シャリアは天啓のごとく、カメラだと悟った。その直感は突然で、しかしそれとわかる閃きだった。
街角のあちこちにある監視カメラだ。いたるところにあるそれはけっして統一の規格ではない。様々な店や自治体が個別に設置し、管理しているものばかりだ。接続しているネットワークだってバラバラだろうと容易に想像できる。しかし、それがなんだというのだろう。それを『目』とすることがどれほどの技術を要するものかをシャリアは知らないが、知らなくても不可能ではないことはわかる。
「――大丈夫ですよ」
シャリアはエグザベに一瞥もせず、軒先のカメラをじっと見つめた。いつかのファインダーを覗き返した時のような笑顔を浮かべることはできなかった。どんな顔をしていいのかわからず、じっと仮面越しにオンライン状態の監視カメラを見つめ、はっきりと言った。
「殺すほどとは思いませんが、良い子とも思いませんね」
たとえ音声が含まれなかったとしても、その一言一句がカメラ越しに読めるように。
ただでさえ目立つ男が、物騒なことをそれなりの声量で言ったものだから、当然ながら周囲は静まりかえった。遠巻きに視線を集めたことを無視して、シャリアはエグザベに向き直る。当然ながら彼も困惑している。どういうつもりなんだと混乱する彼の胸の内は覗くまでもなく響いてくる。
「たぶんもう、起こりませんよ。ああ、追跡もしなくていいです」
「ですが」エグザベは気遣うように言葉を続けかけて、眉をひそめた。「――なんで笑っているんですか」
指摘にシャリアは自分の口元へ手を添えた。たしかに髭に囲まれた自分の唇がはっきりとした笑みを浮かべているのがわかった。
「ああ、ほんとうだ……」
思わず言葉を溢せば、カッと全身が熱くなる感覚があった。なにしろ笑みの自覚はその意味の自覚でもあった。
「浅ましいですよね」
思わず吐き捨てた言葉を聞き返すエグザベに手早く詫びを入れ、シャリアはもう家に帰りますとぱっと店を離れた。
店を離れるにつれ、足は飛び足になり、駆け足になった。
フルフェイスの仮面を被っていればよかったと人生ではじめて浮かぶ考えに支配されながら、シャリアは自分の頬が熱いことに恥じ入った。それから、息が乱れるほどのそれは興奮のせいか、あるいは急に走りだしたせいか判断がつかないままに家の前まで辿り着き――ようやく呼吸を整えた。
結果的にエグザベは撒いてきてしまったが、彼に緩んだ顔を見られたことは殊更に恥を覚えることだった。なにしろどうして笑っているのかと問われたぐらいだ。彼が読心に長けていなくてよかったと心底安堵するより他にない。思い出してさえ、鼓動が一つ飛ばしになり、早くなる自覚があるぐらいだ。
カメラの向こうにいる誰か。彼が自分を観ていることが、これほど胸を満たすとはまるで想像もしていなかった。
シャリアはエントランスからエレベーターのなかでどうにか呼吸を整えきり、仮面を外した。エレベーターのなかの小さなミラーに映りこむ自分の頬がまだ微かに赤いことからは目をそらした。
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新刊から抜いた場面を再構成したやつです
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