誰かが立ち上げたウェブ辞典の人名項目には時折編集の手が入り、ゴシップニュースでは馬鹿げた噂も流れる。赤い彗星がそうなら、その関連項目に紐付けられたシャリア・ブルも変わらなかった。
しかし嘘もつき通せばもっともらしい真実になるはずだ。馬鹿げた噂は飛び交っても、いつかは風化するに違いない。そうでなくてはキャスバル・レム・ダイクンはいつまでも死ねず、シャア・アズナブルを探す者は後を絶たない。
しかしシャリアがシャアを探した五年間の間も、かえって都合が良いと放っておいた事も相まって、二人の噂は広がっていた。
噂のなかに紛れる情報を探すのは五年間の間も、その後になってもシャリアの仕事のうちの一つだった。
ただ、シャリアにとって意外であったのは、二人の間にロマンスがあったと含められる噂が多いことだ。
「どうしてこんなに、共通認識のように扱われているんでしょうね? 長年連れ合っていたのなら、わからなくもありませんが――」
流布する噂をまとめた資料に目を通しながら、シャリアは思わず零したことがあった。側のデスクで新たな情報整理を進めていたコモリはそれを耳聡く拾った。
「驚くことですか? お二人はMAVだったんですよ」
だから、ロマンスが含まれるのはやむを得ないと彼女は言う。ニュータイプの直感で、シャリアの言外の意味合いも拾い上げた指摘である。
しかし、もともとはただの戦術なのだ。二機一組で連携し、互いの死角を補完すべく動くというシンプルなそれ。いつしかそれは戦術を行うパートナー関係そのものを示すようになり、民間に言葉が広がるうちに、親友、恋人、半身――二人組のありとあらゆる意味を付加されているだけで。
コモリが言うにはその結果、当然ながら元祖MAVにも意味は還元されるものだろうという。
「当時の感覚とは違うかもしれませんが、私たちの世代でも、マヴって聞けば、そういう可能性も含まれるとは考えますよ。それに――軍の中でも有名です。失礼ながら、私が配属された時には既にシャリア・ブル中佐のあだ名は未亡人でしたし」
「ああ、それ。今も昔も、こんな髭面の男なんですけどね」
誰が言い出したのやら、とシャリアが首を傾げれば、コモリは「いや、それ自体は納得してしまったんですが……」と言葉を続けた。
「というか、ご自覚ないんですか? シャア大佐の話をされるとき、中佐はいつもと表情が違うんですよ」
表情、と瞬いて彼女の顔を見つめ返すと、コモリは真面目な顔で言った。
「初めてシャア大佐の話をしてくださった時に、中佐は本当に慕っていらっしゃるんだなとわかりました。だから私、シャア大佐を語る馬鹿が出てくるのがもう、許せなくって」
苦々しい表情になる彼女にシャリアは「ああ」と表情を崩した。たしかに、赤い彗星の噂に駆けつけ、別人だとわかる度にコモリは苛立ちを隠さない。肩を落とすでも安堵するでもなく「大佐ではない」と事実を確認して終わらせるシャリアの代わりとばかりに、感情豊かに「馬鹿ばっかり!」と文句を言うのだ。てっきりそれは、彼女自身の倫理観や良識からくる怒りであろうと思っていたのだが。
シャリアは瞼を伏せた。思わず口髭に指先を添え、零れてしまう笑みを少しだけ隠す。しかし隠せなかった笑みにコモリが片目を眇める気配があったので、真摯な眼差しから目線を隠したまま、小さく首を振った。
「いえ――あなたを副官にスカウトできてよかったと、こんな時は改めて思いますね」
「そうですか? もっと仕事で褒めていただきたいところですが」
「もちろん、仕事の出来でスカウトしたんですよ」
資料、とてもよくまとまっていて助かります。シャリアは言い添えながら、地図を取り出した。
「そこで優秀な副官のコモリ少尉にお願いなんですが、できれば――地域と重ね合わせたデータを作ってもらえませんか?」
後にイオマグヌッソ事件と呼ばれたクーデターの後、シャリア・ブルは大破したモビルアーマーを残して公的には行方不明扱いとなった。
クーデターを起こし、ザビ家の独裁を終わらせたのは一年戦争の英雄。しかし激しい戦闘の末に、当人の行方は知れなくなった――実際には自分が生きのびたという一点を除けば、シャリアが描いていた筋書きに一番近しい結果で、当人としては不満を言える立場にもない。
ただ、生き延びてしまったのだからと新しい名前をつくった。アルテイシアに振り掛かる火の粉を払うのに、新しい身分が必要でもあったのだ。そうして目元だけを隠す仮面のみで経歴を伏せて公王に即位したアルテイシア直属の個人的な護衛官に籍を移した。
護衛官といっても、実態としては諜報作戦が多い。引き続き副官として務めてくれるコモリとエグザベを率いて、不穏分子の炙り出しや対処に追われている。
もともと二つ名なども冠していたせいか、名前を増やすのに抵抗はなかった。それこそ身を隠し、繰り返し名を変えて生きてきたあの人もそうだったのだろうかと、頭をよぎった程度の感傷はシャリア・ブルにも存在したが、それ以上のことはない。
そしてシャアがシロウズと身分を偽り、レオ・レオーニ博士の助手として活動していた痕跡こそ見つかれど、コアファイターで行方をくらましたその後の足取りは掴めていない。いや、探していないというのが正確なところだ。
一度は殺してまで排除しようとした相手だ。消息を追うかを仲間内で問われ、シャリアはアルテイシアに視線を向けた。貴様に殺されずにすむような人生を探してみるか――と最後に言い捨てられたことは、当然ながら既に共有している。シャリアの眼差しに、アルテイシアは微笑んで「あなたと同じ考えよ」と彼女は頷いてくれた。だからシャリアは彼が今、どこにいるのかすら知らずにいる。
ただ――彼の言葉が、見てもいないその表情を伴って時折頭をよぎるだけだ。
それから、かつての名前を口に出しかけ、コモリがたびたび咳払いをしていたのも、もはやすっかり遠い昔の話になった。
しかしシャア・アズナブルが生きているという噂は根強い。
イオマグヌッソで起きた事件も、行方をくらました彼とシャリア・ブルが共謀した事件であったという噂が、強く支持されている説の一つだ。
これはシャアが生き延びたダイクンの遺児であるという噂の尾ひれのなかでも一番有名なものになってしまった。なにしろザビ家排除に対する正当で明確な動機があり、なによりドラマチックであるからだろう。その後の二人は身分を偽り、いまもジオンの上層部にいるという噂さえあるのだ。これはアルテイシア・ソム・ダイクンが兄の代わりに潜めていた身分から担ぎ出されたせいでもあるだろう。なにしろ公王として即位し、父の臨んだ共和制に向けて国を再編していきたいと名乗りを上げた彼女の傍で、仮面の男が目撃されるようになる。そうすれば人は不足する情報に耐えられないものだ――自然と、シャアとして身分を偽るキャスバルではと憶測がおよぶ。しかし目される仮面の男はアルテイシアと同じまばゆい金の髪ではなく、淡い緑の髪に髭の男なのである。そうなれば今度は、行方知れずのシャリア・ブルではないかと皆が噂する。
それは兄の代わりか、それとも兄の手足としての行動かと想像は広がって、それらしい噂ができあがる。
しかしシャリアが一番好きな説は、元祖マヴの二人が手と手を取り合って地球に逃れ、政治とは縁を切って穏やかに暮らしているという説だ。人の想像の中で、キャスバル・レム・ダイクンは背負ったものから開放され、穏やかに暮らすことになるのだ。それはシャリアが与えたかった自由とは少し違った形だが、しかし物語にはハッピーエンドがふさわしい。
「早速ですがこちらと、こちらと、こちらをご確認ください。あとついでにうかがいますが、先日の承認引き上げはなんですか? お急ぎだったのはわかりますが、ああして頭上でやられると不愉快です。一度ちゃんと説明してくださいね」
シャリアが名前を捨て、大佐という身分に収まってしまってからずいぶん経っていた。しかし自分を見つめるコモリの怪訝な眼差しの強さときたら、彼女の少尉時代よりもむしろ今の方が強いかもしれなかった。それこそヒゲマンと愛称を与えてくれた少女の眼差しが、会話を重ねる日々のなかで軟化していったのとは正反対だなとシャリアは目の前の資料のページに目を通す一方で、唇の端が緩みそうになるのを堪える。
「ああ、あの件は――また、おいおい」
「そうやってすぐに誤魔化す癖、やめた方がいいですよ」
「誤魔化す? 私が?」
「大佐」
「ああ、この件ですか。なるほど。さすが中尉は目の付け所もいい」
「いいかげん怒りますよ、シャリア・ブル大佐」
「貴女らしからぬ言い間違いですね、コモリ中尉」
ふふ、と零れる笑みを隠しもせず、白々しくも言葉を続ける。かつてシャリア・ブルであった男は仮面の下で瞼を伏せた。
「シャリア・ブル中佐は大佐にはなれませんでしたよ。でも、実は似てるって未だに言われるんです。まったく光栄ですよね、一年戦争の英雄と間違われるだなんて。この仮面のせいでしょうか?」
瞳の色さえ隠す目元の仮面に指を添え、にっこりと口元に笑みを浮かべて返せば、コモリはタブレットを握る手を震わせた。激情に身を任せてそれを机に叩きつけないだけ穏やかだ。
「もうわかりましたッ! 私は上司にすぐ秘密を作られる情けない部下で結構です!!」
そこへ戻ってきたのはエグザベ少尉だった。キシリア派閥だったことが響いて、今ではコモリと階級差がついてしまったが、なにも優秀さに変化があるわけでもない。もちろん人格だってそうだ。彼はコモリと上司の顔を見て、呆れたと顔に出して上司に向ける眼差しを眇める。
「また怒らせてるんですか?」
「はい。おかえりなさい、エグザベ少尉。買えました?」
「無事に確保できました」
隣で手提げの紙袋から包みを取りだすエグザベに、コモリは噛みつくように訴える。
「だって聞いてよ、エグザベくん!」
「また秘密? 大佐の秘密主義は今に始まったことじゃないだろ」
「おや、ひどい言われようですねえ」
「あんたを尊敬していますが、信用はできませんから」
甘えたことを言えば、すぐに手厳しい言葉が返ってくる。それでエグザベからコモリに向き直り、受け取ったばかりの紙袋に書かれた店名を彼女に見せる。
「まあまあ、コモリ中尉。エグザベ少尉がおやつを買ってきてくれましたから、一時休戦としてお茶にしませんか」
「あれ。それ、ただのおやつだったんですか?」
「そうですよ? 少尉は近所に用事があったでしょう。ですから、ついでにお願いしたんです。助かりました。そろそろ時期が終わってしまうなと思っていたんですが、なかなか足を運べずにいたんです」
言いながら、受け取った箱を開封する。老舗の和菓子らしい心遣いを感じる丁寧な梱包から解説の紙を取り出し、読み上げて「期待できますね」と部下たちに微笑んだ。
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いやあの…ほんとにこの…「いないけどずっと影がある」感じで進む話です。そういうのがヘキなので許してほしいし、できたら無事に出せるよう祈ったり応援してほしい…。
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