シャリアが繁華街に足を運んだのは人混みに紛れるためだった。ニュータイプの感応を研ぎ澄ませたあとは、一人になるほうが余計に神経が参る。一人きりだというのに誰かの思考を拾ってしまった時などはいよいよ妄想と直感の区別がついているか自信がなくなる。だから人混みに紛れる。ラジオを聞き流すようなものだ。誰かの声がする場所で時間を潰せば、神経の昂りはやがて落ち着いてくれるということを、長年の経験でよく知っていた。
すれ違う人と肩が触れあっておかしくないほどの混雑だった。シャリアは若者たちが食べ歩く品の一つを興味本位で買い、歩きながらかじりつこうとしていた。
ふいに背後から来た誰かと肩が触れそうになり、彼は反射的に距離を取った。しかし相手はそれを先回るようにして、わざと肩をぶつけてきた。それで静電気のように相手の胸の内が飛び込んでくる。
「意外だな」と相手が何かおもしろがっているのも、その接触が故意によるものだったということまでも。
「揚げ物が好きだったのか、君は」
まず幻聴を疑いたかった。
しかし隣り合うその青年を見て、シャリアは思わず息を呑んだ。長い前髪を下ろした金髪の青年は現実に隣にいて、間抜けにも揚げ物にかじりつこうと口を半開きにしたまま固まるシャリアを見つめ返してきたからだ。
思わず立ち止まりかけると、さりげなくも自然に、青年の腕が背中にまわった。「止まるな」と背を押されるはずみでどうにか歩きつづける。
それは間違いなくシャリアの元上司であり、殺し合いの末に最後に拗ねた言葉を残して去っていったその人に違いなかった。いまはシロウズと名乗っているはずの彼は、くすんだダークグリーンのスーツを着ていた。下ろした前髪の下にサングラスをかけてその秀麗な相貌を隠していたが、間違えることなどありえない。だいたいニュータイプ同士だ。そんな姿形など些細なことだった。
それでも今、鉢合わせるのは気まずかった。なにしろシャリアは、かつて彼がつけていたヘッドギアに似せた仮面をつけている。これは見間違いようもないだろう。
それに本来ならシロウズは、地球で養護院と地域復興に励んでいるはずだ。なぜここにいるのか。
さすがに大気圏を出るような状況が起きたなら、報告が届いてほしいものだな、とシャリアは監視要員への連絡事項の起票を頭の中のタスク一覧に書き足した。
間の悪いことに、今人波に半ば流されるように歩く一本道は、折り返し地点を過ぎたばかりだ。脇道に逃げようにも両端はただ店が並ぶばかりで、店に入ればどうせ隣の男もついてくるに決まっている。ひとまずはこのまま人波に混ざって歩き続けるのが一番穏便な選択肢になるだろう。シャリアはそう判断して、促されるまま、歩き続けることにした。
写真だけではわからなかったが、並べば今や肩の高さは同じだった。そして少しだけ体の線は細くなったかもしれない。これは軍人ではないからか。
「着膨れしてくれるからな、あの軍服は」
「人の心を覗きすぎるのはよくない、でしょう?」
思考に返事をされることで、シャリアは自分の知る姿を照らし合わせながら彼の現在の姿を確認していたことを自覚した。その気恥ずかしさを隠すように、いつか言われた言葉を返してやった。しかし集中しないようにしていたとはいえ、ここまで彼が近づいても気づけなかった自分の間抜けさに腹が立った。こみ上げてくる怒りを薄いため息に込めてから、何をしているのだと暗に聞く。
「地球にいらっしゃると聞いていましたが」
「少しこちらに用ができたのだ。熱心な支援者がいるので、一度ぐらいは挨拶を、と思ってな」
背中に添えられた手はもう不要だが、シロウズのほうは離れる気がなさそうだった。見れば右手には虹色のソフトクリームを持っている。いや、観光なのか? 同じく道行く若者に混じって揚げ物を買っている自分を棚に上げ、シャリアは呆れた。
「なるほど。それはいい心がけですね。ですがあなた、目立つんですよ。ついでの観光なんかしていないで、さっさと地球に帰ってください」
「来たばかりだぞ。君とまだ会話らしい会話もできていない」
「結構です。この道が終わったら、そのまま解散しましょう。お元気で」
「そう言わず、すこしぐらい付き合ってくれ」
引き続きシャリアが可能な限りの冷淡さで言い捨てたところで、シロウズのほうはすこしも堪えた様子がなかった。それどころかシャリアの背中を支えていた彼の手のひらはふいに腰を掴み直し、そのまま体を引き寄せさえした。
「ちょっと」
「あなたのそれはなんだ、ああ、チーズが入っているやつだろう。早く食べないと冷めるな」
「あなたに関係ないでしょう。離してください」
「うん。たしかそこの公園にベンチがあったはずだ。そこで少し話をしよう」
「少しぐらいは人の話を聞くことを覚えたらどうなのですか」
「聞いている。だが、今は聞くタイミングではない。それに、こうしてもめていると目立つだろう。いまの君は諜報部員だと聞いているが、いいのかな」
サングラス越しにシロウズが冷ややかな視線を送ってくるのがわかった。ムッとしてシャリアも同じだけ冷ややかに言い返す。
「では、離れていただけますか? さっきも言いましたが、あなたの近くは目を引きすぎますので」
「目を引くのはその格好のせいだろう? なんだその仮面は」
「死んだ人間がそこらへんを歩いているのは都合が悪いのです」
あなたも仮面の利点はご存じでは、と言い添えるシャリアにシロウズは「多少はな」と頷いた。
「しかし軍の外でそれはなかなか目立つぞ。サングラスにしたらどうだ。街中でそうそう外れるような目にあうとも思えない」
この私みたいに、とシロウズは言った。たしかに、顔を隠したいだけならば、それでも事足りるだろう。とくに彼の場合は下ろされた前髪とサングラスで目元は完全に隠れており、わかる表情といえば口元だけだ。
だが、シャリアは別に顔を隠したいだけで仮面をつけているわけではない。欲しいのは象徴だ。それこそ誰かさんに似た仮面でなければ意味がない。
それだって見透かしているだろうに、といよいよシャリアには気恥ずかしさが自分の唇を歪ませている自覚があった。
「うるさいですね。人の趣味にケチをつけないでください」
「趣味ときたか!」
何が嬉しいのだかあからさまに機嫌をよくしたシロウズは弾んだ声でそう言うと、交差点に差し掛かる道の先で点滅を始める信号に目をやった。
「走るぞ」と言ったのが彼の口だか思考だか、シャリアには区別がつかなかった。腰を掴んでいた手が離れたかと思えば、代わりに手を引かれるものだから、走りについていかないわけにもいかず、意識をとられたせいだ。結局それで手を引かれるまま不恰好な小走りで横断歩道を渡った。
それから樹々に囲まれた小道を少しいったところに、たしかにベンチはあった。
引いていた手を離すのを一瞬躊躇うシロウズに「ここまで来て逃げませんよ」とシャリアは降参を示した。
ここまでの道中で片手に持ったままの揚げ物にかけられたケチャップとマヨネーズがシャリアの服に被害を生まなかったのはちょっとした奇跡といえた。それでも手袋をしたまま食べるのは危険そうな混じり合いをしている。
しかし手袋を脱ぐには手が足りない。さて行儀は悪いが串をくわえて手を空けようかと考えたところで、隣に座ったシロウズの行動の方が早かった。
「手袋か」とシロウズのシャリアから揚げ物の串を手早く取り上げた。思わず瞬いて返すが、彼はシャリアの手元をじっと見つめるだけだった。
「よく鞣されて、綺麗な艶だ」
今シャリアが身につけている黒革の手袋は誂えたものだ。身分が変わるのに併せて、せめて印象の違うものを身につけるかと考えて選んだ革だ。これまではずっと白を基調とした手袋を使っていたので、まだ見るたびに違和感がある。だが、褒められたように艶の具合がよく、心地がいい。薄手でしっとりと肌に張り付いてくれて使い勝手も問題ない。ただ、脱ぐのは多少手間だった。
履き口からもう片手の指を入れてめくる。ひっくり返すようにして脱いだそれを整えて、ジャケットの外ポケットに差し込むまでをじっくりと見守られるのは妙な気恥ずかしさがあった。シロウズの視線は不躾なぐらいで、それから素手になった手を見つめる視線にはなぜか居心地の悪さがあった。
「私がいない間にあなたはずいぶん着飾るのが得意になったらしい。仮面はいただけないが、スカーフも洒落ている」
「――軍服の延長ですよ、こんなものは」
見栄を張っているだけだ、とシャリアは答えた。手入れ自体はもともと嫌いではなかった。身なりとして清潔感を保てていれば、少なくともまともには見える。
だが、上に行こうとすればそれだけでは足りない。備えていない自信を身につけることは難しくても身につけている人間の模倣はできる。それであれこれとそれらしく整えているうちに、こうなった。だからシャリアにとっての衣服は自分をよく見せ、人に気に入られるための道具のようなところがある。褒められればうれしいが、それだけだ。
それでも彼に褒められるのは、それだけでなく妙にくすぐったいものがあった。
シャリアは内心を誤魔化すように礼を言い、取り上げられた串を引き取った。
まだ湯気をたてているそれは甘みのある生地でチーズを包み、揚げたものだ。齧ればまだ中は熱く、虹色のチーズが思いのほか滑らかに長く伸びていく。垂れ落ちるように伸びるチーズに慌てていると「おお」となぜか隣から感嘆の声があがった。チーズが垂れないように慌てて串を調整しながら噛み切る。生地の甘みとチーズの塩気のバランスがいかにも若者向けでジャンクな味だ。カロリーが高そうな味に仕上がっているところが良い。しかし一口目こそ綺麗に色が分かれていたが、虹色はいまの調整で溶け合っておそらく次からはどんどん溶けた色味になっていくだろうと予想できた。
「色をつける意味はあるのですかね」
「そこは映えというやつだろう」
私もよくは知らないが、と言いながらシロウズもソフトクリームに刺さった匙を取り上げる。言葉にするのが億劫なのか、味の感想が伝わってくる。ああなるほど、上に載っているカラフルな段は生クリームだったのですか。だからたいして溶けていないと。それで一番下だけがイチゴのアイスで。若者との話題になりそうな知識をどうも――などと、シャリアも思わず口に出すのを忘れて返事をしてしまう。自分の方も食べる途中だったからだ。
あっさりと食べ終えてからようやく、シャリアは我に返った。
「それで、何しに来たんですか本当に」
「なんだ、まだわからないのか」
「わかりませんよ。あなたは大事なことを私に隠す癖がついておいでですから」
「君の顔を見に来たに決まっている」
覗き込んで欲しい時ばかり君は心を覗いてくれないな、と勝手な非難が続くのをシャリアはどこか他人事のように聞き流した。それでも、半ば意味が頭に入らないまま尋ね返す。
「……私、ですか?」
シロウズは頷き、ジャケットの内ポケットから三つ折りにした紙を取り出した。篤志家のリストなのだろう。何人かの名前が並ぶそのリストのうちの一人の名前を指差した指に、ぎくりとした。覚えのある名前――シャリアが人に借りた名義だった。シロウズの養護施設へは匿名での支援ができないので、人の名義を借りて支援をしたのだ。ああ、バレていたのかと思わずシャリアは沈黙で肯定した。うん、と胸の内で返事が返ってくるのがわかった。
「言っただろう。熱心な支援者がいるので挨拶に来た、と」
意地の悪い方だ、とシャリアは思わず額を押さえ、ベンチの背もたれに体を預けた。
「そんなことのためにこちらへ上がってこないでください」
「うん、すまない。本当は……遠くから顔を見るだけにするつもりだった。表立って支援するつもりがない君に会うのは無粋だろうと思っていたからな。だが、なんだその仮面は。まるで私みたいではないか」
「ですから――」
ベンチから体を起こし、シャリアは先ほどと同じ話を繰り返そうとした。しかしニュータイプの感応が、シロウズの胸の内をしっかりと拾い上げてしまい、言葉を失った。
なにしろ彼からこみ上げてくる喜びの渦ときたら、強烈だった。
シャリアとしては、別れたときには裏切られたと拗ねていただろうに、なぜこうなっているのか理解できなかった。自分への関心を拾ったことへの喜び、興奮。そしてむせそうなほどの強い好意。どれも心当たりがない。殺されないような生き方を探すと言った声のカラッとした響きからはとても繋がらない。
それなのにとても聞かずには帰れない、とシロウズはシャリアに身を乗り出して尋ねる。
「そんなにも私を好きなのか、シャリア・ブル」
いくらなんでも顔が近すぎるようにシャリアは思った。
サングラスの下の青い瞳が自分を見つめているのを直視して、思わず言葉を飲み込む。仮面越しにこれなのだから困ったものだ。それに逃れるように瞼を下ろしても、ニュータイプ同士なのが運の尽きだ。視覚や聴覚を経由して届くそれよりよほど鮮烈に突きつけられる感情に、たまらず歯噛みさえする。
こんなことなら、いっそ誰かに奉りあげられた彼に再会したかった。そうしたら義務感と殺意ですべてを覆えたはずだったのに。
しかし現実にはそうならなかった。それでこんなことになっている。
それこそ目の前の青年を模倣して、自信家で弁の立つ人間として振る舞って、シャリアはさまざまな窮地を乗り越えてきたつもりだった。けれども、メッキの舌ではとても本物の銀の舌には敵いそうになかった。
おしまい
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今回はもうここにいいわけを書く
前回書いたやつで十五年ぶりに再会するなら手袋ごしでなく素手で握手しろと思っていたため手袋を書けず、でもおシャリの手袋をなぞり書きしたいんだよという欲望によって書き始めた。革じゃないかもしれないがおれは革であってほしかったのでそうした。そして飲食時に手袋外されても困るから屋外にした。なのに脱ぐところでしか手袋を書けなかったのだった!本末転倒
もともとはフードコートで背中合わせに喋るのを考えていて大佐は最初は31のアイス食べてたんですけどなんかこうなった。おそまつさまです…
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