糊のきいた白いシャツにジャケットとスラックス。いまは砂に埋もれているが革靴の爪先だってきっと磨かれていたはずだ。仕立てはあまりよくなさそうだし、洒落た遊びがあるわけではないようだったが、それでも気取ったスーツ姿に見えるのはすこぶる「らしい」と言えるだろう。短く整えられ、前髪をワックスで後ろに流して固めた姿もまた、それらしくはある。サングラスまでかけて、まるきりミッドガルドの民のようだが間違いなくロキだった。
ソーが飛行機から飛び降りるロキを虹の橋で連行したのは、ここしばらく滞在しているミッドガルドのビーチだ。シーズンオフで人気はあまりなく都合がよかった。
冬も近づいているというのに今日は夏日で、サングラスをかけたくなるほどに日差しは眩い。砂も熱を帯びているのがスニーカー越しの足裏から伝わってくるほどだった。氷の巨人としては多少堪えるかもしれないが、スルトの炎に炙られるわけでなし。パラソルの下に投げ飛ばすほどの配慮は不要だろう。
ソーは身を起こすスーツ姿を見下ろして、ストームブレイカーの柄を砂浜に突き刺した。勢いよく落ちたロキのスーツは砂まみれだし、落ちた弾みで開いた鞄からは紙幣が何枚か舞い飛んでいる。
「で、何の悪巧みだって?」
「悪巧みじゃない」
ふうん?と鞄に目をやれば、視線を追ったロキは鞄を観て、それから深いため息をついた。途端に魔法を解いたのか、ダークスーツ姿から姿が変わる。サングラスは消えて、髪の毛も最後に観たときのように長い。だがふわふわと波打つ毛先は砂まみれでぐちゃぐちゃだし、いつかテレビドラマで見た囚人服を思わせる薄手の服は襟ぐりも広くていかにもロキの趣味ではなかった。そもそも半袖で珍しくも肌が出ている。
だがなにより目を引くのは首だった。どこか尊大な態度で座り込んだままのくせに、首には目立つ首輪がついている。
ソーが視線をそこで止めて眉を跳ねさせた理由を察したらしいロキの唇が歪んだ。拗ねた表情がふいに見慣れた皮肉げなものになる。
「色々事情があるんだ」
「そうらしい」
目の前のロキはまだ知らない、けれどソーにとってはかつてのサカールを思い出して、いつかビリビリと電撃の伝わってきた首元を思わずさすった。正確な位置はもうわからなくなっていたが。
「あんたにも事情がありそうだ」
一方で見上げて兄の姿を見るロキの視線は不躾で、手元から鎧のない腹、胸板、それから顔をじっと見つめて目を細めた。
わからなくはない視線だ。さらりと流されたが腰下だってハーフパンツにスニーカーで、とてもアスガルドの男には見えない格好の自覚はソーにもある。なんなら脂肪が落ちきっていないぶん、ミッドガルドに落とされた直後の姿よりだらしなくも見えるかもしれない。しかし自覚があったところで弟の鑑定するような視線はどうにもむずむずした。
いよいよ耐えかねる寸前で、ようやくロキもようやく批難めいた口を開いた。
「ムジョルニアはどうした。それにその右目――体格まで私の知るあんたとは違っているが」
「……色々と事情がある」
苦々しく先ほど向けられた言葉を繰り返すしかない事がどうにもおかしくて、言ってから笑ってしまうと、つられるようにロキも笑った。意味などない笑みを浮かべ合う事が懐かしくて、寂しくて、ソーはそのまましかめ面を浮かべようという努力を放棄した。
ロキの隣に歩み寄り、斧を脇に倒して腰を下ろす。乱雑に扱ったストームブレイカーとソーの体重で砂が舞い、ロキが迷惑げに咳き込み、恨みがましい目を向けてくるのは無視をする。
「これはまあ、ビールがうまくて」
一時期よりはへこんだがまだ脂肪を蓄えている腹を撫で、右眼については触れなかった。まだ何一つ喪っていないロキに突きつけたところで意味はないだろう出来事はあまりにも多い。それこそ何もかも失ったと思い込んでいるロキにはまるでわからないに違いない。
「そもそも会うつもりはなかった」
訝しげな弟を瞳に焼き付けるように見つめているうちに言葉は解けて、続かなかった。
会うつもりはなかった。それは本当だ。だいたいこの時代にロキがあらわれるとは思いもよらなかった。傍受した無線にロキらしい人物の情報があったわけでもない。だがすぐにわかった。いる。それがわかってしまった。それ以上の理由はない。虹の橋を架けるのにはまるでふさわしくない。だがもうソーの門番はいない。父も母も弟当人だっていない。これはソーのロキではない。わかっている。わかってはいるのだ。
「だから別におれはお前を助けてやるつもりもない」
「求めてもいない」
言い訳がましくソーが言えば二の句もなく即座に言い返された。
「だいたい、私にはあんたが事態をややこしくしている気がしならない」
「ふうん?ご主人に罰でもうけるか?」
揶揄えば、しかめ面が返ってきた。お気に召さない冗談だったらしい。
「悪かった」
素直に謝ると、ロキが目を見開いた。
「何かが起きてるらしい」
「何だと」
「あんたが私に自分の非を認めている」
「それほど珍しく――」
言い返そうとして、ふいにソーは言い返す自信を失った。ロキを失ったと思う度、思い知ることは多い。自分の傲慢も甘えも許されてきたことも、後になって思い当たってきた。この頃の弟に驚かれるような言動を取っていたことを否定しきれることはないだろう。そこで不本意ながら話題を変えた。
「お前には迎えが来るか?」
「たぶんね」
ソーが言い返すのをやめたことか、それともその質問にかはわからないが、ロキは唇の端をつまらなそうに下げながら答えた。
「そうか」
その不服げな頭をソーは笑いながらぐしゃぐしゃにかき乱してやった。兄弟として過ごしたときだって、さほどやったことはない行為だ。案の定、目を白黒させたロキは信じがたいモノを見る目を返してくる。
驚かせるのはいつもロキの役割だったぶん、そんな表情を見られたのに胸が空くようだった。ソーは思わずニヤリと笑い、立ち上がった。
「一杯飲むぐらいはできるか?おごってやろう」
売店までは少し歩く必要がある。戻ってきたとき、ロキがここにいるかはわからない。ソーはここにロキを繋ぎ止める手段も方法も持っていない。だが逃げないという確信を持って言い切ると、武器もその場に置いて背を向けた。
酒で両手を埋めて戻れば、そこにロキはいなかった。逃げたと言うよりは首輪の主に連れ去られたのかもしれない。取り残された数枚の紙幣と砂に埋もれるストームブレイカーを見下ろしたソーはため息の代わりに片方のカップを一息に煽った。
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例の飛行機の場面がD.B.クーパー事件ならソーが時代を遡る必要があるしいやどうせ違うんでしょチェーーッてなる準備は普通にできているが、しかし0が1に1が100になる妄想をするのは個人の自由ということでロキドラマの予告を観て「いまのビフレストみたいな虹はなに?こうですか?」と脳が見せた幻を書きました。あとなんでもいいからビーチの兄上が観たいという欲望と組み合わせて半端になった結果がこうだ。
おそまつさまです
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