しゅう as 猫田しゅうぞう
2021-05-01 21:32:35
1864文字
Public ソーロキ
 

ソーロキのようなもの

断続的に差し込む光で、青白い背が照らされる。
窓辺に背を向けて眠っている弟を、ソーはベッドのふちに腰掛けて見つめていた。起きたのはずいぶん前だったようにも思えるが、数分も経っていないかもしれない。よく覚えていなかった。それこそいつ眠りに落ちたのかを思い出そうとするようにおぼろげだった。
薄暗い船室を照らすのは朝日ではなく雷だ。船室に対して大きくとられた窓のおかげで日中であれば明かりいらずのはずだが、天候のせいでずいぶん暗い。音や窓を叩く雨を観るに外は嵐である。デッキに出ることもできないし、かといって目覚めたからと朝食をとろうという気にもならない。なにより今、深く眠っているらしい弟を起こしたくなかった。それでソーは弟の背中を見つめているというわけだった。
今は明かりをつける気も、カーテンを閉める気にもならなかった。どちらも眠り込んでいる弟を起こすだろうと想像がつくからだ。ロキは気配に聡い。だから今は身動き一つとり辛い。目覚めたばかりなら気にならなかったはずだが、なにしろいまはすっかり目が冴えてきたところだ。気が引ける、ということはソーにだってあるのだ。ロキに言えば殊勝だなと笑われるかもしれないが。
ベッドの奥でシーツに包まる弟の背は気づけば大人の体格になっていて、ひょろ長い肉体にもそれなりの肉がついている。しかし戦士としてはたよりない体つきには違いがないし、その肉体を構成する血筋のせいもあってか、いっそう青ざめて見えるその肌は陶器のように滑らかで冷たそうだった。まあ実際に触れればいつも冷たいから、記憶がそのように感じさせているのかもしれない。あるいは薄ら寒いのは弾けるような雨が船外に激しく降っているせいかもしれなかった。
船は嵐に揺れている。それなりの造りの船で船室も余っているが、大きな船でもない。波間は高く、ここが船であることをよく思い出させるような揺れだった。
ソーが呼び寄せた覚えのある雷雲ではないし、船には落ちないことだろう。なにしろソーは雷の神だ。落ちても構わないが、呼び寄せなければ近くではしゃくだけだ。それにしてもずいぶんと荒れた空だが。
またひとつ轟音と光が空を走った。これ以上荒れるのなら雷雲を遠ざけるべきかもしれないと頭によぎり、それからふいに弟が起きないのか気になりはじめた。
考えたこともなかったが、ミッドガルドで捕まえたときなどは雷の音に怯えた様子を見せていたと報告を受けた気がする。だがそれは単にソーを恐れていたというだけのはずだ。思い返せばロキが雷を怖がるところなど観たことがないのだから。昔から雷の音にも光にも平然としているのが常だった。考えてみれば雷の神が兄なのだから慣れているのだろう。もっとも、だからこそ鈍くもあるかもしれない、と思うのはこのところの気づきではある。繊細なところがあると思っていたが、案外に図太い弟であった。これは。
死んだように眠り続ける弟はまだ寝返り一つ打たないので、うなじから寝台に流れる黒髪の長さをぼんやりと見つめる。
弟の髪がこのように伸ばされている姿に慣れつつあるが、ソーは1000年の間観たことがなかった。なにしろ弟は、ロキは、いつも髪を短くしていた。髪が覆わぬうなじにどれほど手のひらを寄せ、耳元に囁き、額どころか鼻先を寄せ合ったのだか数えることなどできやしないほどだった。
それでも繰り返したその距離が、いまは途方もなく遠く思えた。見慣れつつある弟の長い黒髪を、波間のようなその毛先の手触りを知らないわけでもないのに。
だいたい今もロキは、そのように兄が距離をつめることを許すだろう。拒みはしない。その自信はある。違和感など生じない、二人の距離だ。
それでもたしかに、昔と違う。すべてが。なにもかもが。こうして二人、側にいることさえも――そんな風にソーは胸の中でごちて目を細めた。
寝返り一つでも打ってくれればいいのに、ロキは身じろぎ一つしない。
目の前の弟が自然に目を覚まし、寝ぼけた緑の瞳で自分を認識するその瞬間が早く来てほしかった。あるいは二度と来ないで欲しかった。
どこかで目覚めるなと半ば祈るように思っているのを自覚する。焦れるぐらいなら、瞼を閉ざす方がよいだろう。理性がそう囁いてくるようにも思えた。
外の嵐がますます激しくなるのがわかる。それでもロキは目覚めない。雷はまた光る。
==
乗ってる船など違いますが以前書いた「夜」と連作になるはずなんだ
https://privatter.net/p/6940106