しゅう as 猫田しゅうぞう
2020-08-16 00:55:08
3359文字
Public ソーロキ
 

烏の声は聞こえるか

生き返ったロキのステイホーム(ちょっと違う)

ロキは自分がどのようにして再び命の灯火を燃やすことになったのか知らない。
目覚めはふいに訪れて、夜が明けて陽が昇るのと同じように自然だった。喉に声が張り付くこともなく、腕は動くし、体は起こせる。足に力だって入る。
ただ目覚めてみれば肉体は確かに存在しており、痩せ衰えていたりせずに思い通りに動くし、ざっと確認したかぎりでは覚えのある肉体そっくりではあった。ただ、握り折られたはずだと思い当たった首に違和感はなく、触ったところで奇妙なところもない。鏡がないので皮膚の色こそわからないが、問題はなさそうだった。
そして身につけている服に覚えはなかった。いや、服と言うのは間違いで、目覚めたロキの肉体はたっぷりとしたベルベッドの赤い布地に包まれているだけだった。
寝台の真っ白なシーツの上にはロキとその赤い布地だけだった。毛布も、そして靴もない。
ベッドから立ち上がり、体を包む毛足の短い滑らかな布地を検分してみれば、端は丁寧に縫い目を隠して始末されており、裾には擦れた跡があり、床を擦るほど長く下ろされるマントだということはわかった。そして唯一の手がかりであるその布地はとても懐かしく、見覚えのあるもののように思えたが、確かな答え合わせの手段もない。そうなるともう、その他にわかることは自分の体温の名残だけしか残っていないというだけだった。寒さも暑さも感じなかったが、ロキは文字通り身一つであるよりは望ましいかとその赤いマントを体に巻きつけることにした。留め具の一つもないので肩口で結んで留める。もはや古典劇でしか見ぬ古代の装いではないかと馬鹿げた感想が頭に浮かんだが、誰も聞くものはいないので口の中に押し込んだ。
それからロキは素足のまま薄く埃の積もる部屋の中を歩き回り、なんの手がかりもないことを確認してから、ようやく部屋を出た。そう、部屋だった。明かりは魔術によるもののようだった。天井から吊り下がるランプと、部屋の四隅にかけられた松明は燃え尽きることのない魔術の炎で、ロキの目覚めとも眠りとも無関係にも明かりを灯し続けていたらしい。
古めかしくも大きな木製の寝台と机と椅子。細工こそあれど簡素な家具と、一つの窓もないその部屋の外、扉に一番近い松明で照らせば、扉の向こうには短い廊下と、上へ伸びる階段だけがあった。部屋の家具は皆解体しなければ持ち込めやしないであろうその細い廊下にも、やはり埃がつもっており、新たに降り積もった雪原のように足跡はひとつもない。だが他に行先もない。ロキは階段を登った。幸いにも階段は壁と同じく塗り固められた堅牢なつくりであり、また、登った先の扉にも鍵はかかっていなかった。ただ、ロキの体重に悲鳴をあげることもない階段はその肌にすら冷たさを感じさせるほど冷えていた。

扉をあけると、まるで違う空間に出たかのようだった。扉にぐんと引かれるようにたたらを踏めば、目に痛いほど明るさと、吹き込む風音、頬を濡らす水しぶき。とっさに目をつぶった顔に、濡れて冷たい風が吹き付ける。
思わず顔の前に手のひらを出して風を避けながら目を開けば、荒れた家の中だった。出てきたばかりの地下室とは雲泥の差があった。
窓があったが、その向こうは暗く、しかしそれが雨雲のせいか夜の帳ゆえかの判断はつかなかった。
ただ、荒れているのは吹き込んでいる雨風のせいらしい。こじんまりとした家の床は石で、雨に濡れてつるつると足をとられそうになったが、意識して皮膚の先に冷気を送ってしまえばいとも簡単に凍りついた。
ぱきぱきと足裏の触れるそばから床を凍らせて風の吹き込む窓辺に寄れば、窓の一つが割れている。そこでロキが喉奥で呪いの言葉を唱えてから凍った息を吐きかけて分厚い氷の硝子を作って埋めてやれば、風は止んだ。

家の中は静まりかえり、消えぬ魔術の松明の火をランプに移せば、痛んだ家具ばかりだが、かつて誰かが暮らしたことは確かだとわかる家だった。まばらに本の刺さる本棚、床に敷かれた毛足の長いラグたち、スポンジの腐ったソファ、使い込まれた重い木のダイニングテーブルには揃いの椅子が四脚。凍りついた暖炉の前には、足の折れたロッキングチェア。誰かの手で荒らされたのとは違う、ただ傷んでいるばかりの家だ。それもずいぶん長く、誰もいないようだった。
そして先ほどの部屋よりは調べ甲斐があるのも確かだった。
ロキは家の中を一つ一つ改めていった。本棚に並ぶのは娯楽小説か海についての本で、しかも地球の言葉で書いてあるものだけだった。それにずいぶん開いていないらしい本のページは濡れてくっついてろくにめくれはしなかった。かといって他にめぼしいものの一つもない。ロッキングチェアにはつぶれたクッションが残っていたが、使い古された以上のことはわからない。台所も、扉なく繋がる他の部屋も、家具などの生活の痕跡はあるが、まるで手がかりと感じるものはなかった。動いていない冷蔵庫のなかには酒の瓶だけ。もっとも、この様子では食べ物など入れられていても腐っていただろうから、瓶だけで幸いと言えたかもしれない。
そうして家の中をロキが調べ尽くす頃には、いくつかの窓すべてから、光が差しこんでいた。夜明けだった。
ようやく外に出ると、朝焼けに照らされた空はまだ暗さを残していた。屋根のない玄関先は家の中と同じ石を切り出して小道が作られていた。石の隙間から雑草が伸びているが、それでもしっかりと道は残っている。
ロキは家の中で見つけた靴に足を差し込み、クローゼットの奥から腐っていない古めかしいスーツに袖を通し、家を出た。それぞれ少しばかりサイズは違ったが、ぴたりと合うものが出てきても気味が悪かっただろう。慣れない靴に慎重な足運びになりながら小道を辿って丘を降り、家の全景を振り返れば、それは崖の側にぽつんと建っている平家だった。周囲にはなにもない。焼き付けるように家を見つめると、ロキはもう振り返らなかった。やがて石の小道は途切れたが、その頃には小さな町が見えていた。

それからわかったことは、それほど多くはない。
まず、あの家はずいぶん長い間放置された家らしいこと。
人がいたのかと驚かれたし、スーツのジャケットにかろうじて残っていた紙幣には「骨董品じゃないか」と言われた。それに西暦というのも、カレンダーを見る限りでは以前にロキが地球に来たときよりも、一つばかり桁が繰り上がっていた。
たいして変わらないように見えた街並みも、地球というより他の惑星に似てきていたわけだと感心しながら、一件目の店に紹介されたアンティークショップで古い紙幣と、ネクタイピンを換金した。どちらの店にしろ現金では不便そうだったので、ロキは頭の中に残っていた口座番号のひとつを賭けとばかりに照会させてみたが、驚くべきことに地球でも利用ができるうえ、凍結されずに使えた。
「タイムスリップでもしたのか」
服までクラシカルじゃないかと揶揄されて「どうも眠り過ぎたらしいね」と軽口で返してさりげなさを装うも、頭の中は目まぐるしいほど飛び込んでくる情報の整理でいっぱいだった。

そうして地球がずいぶん様変わりしていることがわかっても、ロキは家に住み続けた。
奇妙なことにそこを離れる気になれず、自分が目覚めたその場所の特別をたった一人で探すためだった。
世界に馴染むまでにも朝と晩は幾度も訪れて、カレンダーの年は加算されていったが、わかることはほとんどなかった。

結局わかったのは、家のあたり一帯がやけに雷が落ち、あの家だけが残ったと記録があるということだけだった。たったそれだけ。

それでもロキが目覚め、暮らし始めてからというものの、望む雷はまだ一度だって落ちていない。
ぴかぴかとひかる稲光はいつも遠く、ロキはまだ懐かしい音の一つも聞いていない。

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去年書いた「逃げる男と落雷」の逆みたいな話として書こうと書いていたのですがなぜかだいぶ遠くなってしまいとうとう兄上が出なかった
でも書いてる間ずっと念頭にあったので縁としてリンク置いておきます
おそまつさまでした