それと、それと、あとはこの包みを二つずつ。指さしで頼まれるままトングでドーナツを取りつつ、目の前のお客様を盗み見る。前髪から流すように長い髪を後ろに撫でつけた、上品な感じの黒髪で、長身。黒で揃えたスーツはうちみたいなチェーンのドーナッツショップなんか似合わないような仕立ての良さが見てとれる。
勝手に描いていたイメージより、ずいぶん《普通》だ。そんな風に思いながらも今や無意識に浮かぶ笑顔で御礼を言ったら、つられたみたいに彼は唇の端を緩めた。冷たい面差しがすこしだけ崩れる。
「ご一緒にコーヒーは……」
紙袋に詰めながらお決まりのおすすめを口にする途中で、その腕が抱えているコーヒーショップの紙袋に気づく。三軒隣のコーヒーショップだ。
「うちよりそっちのコーヒーのほうがおいしいです」
するとますます表情が崩れる。眉間に寄っていた皺はもうない。でもその唇はずいぶん皮肉っぽくなった。薄くて大きい口はニヤリとした。
「ご親切だな。まさか他店のコーヒーにもおすすめがあるか?」
「まずは『本日のコーヒー』を頼み続けて。顔を覚えたらあっちから色々オススメしてくれます」
レジを打ちながら答えれば、彼はいよいよ破顔した。
「ありがとう。感謝の印に雇用主にその裏切りがバレないことを祈っておこう」
にっこり笑う様子は明るくて、人懐っこささえ感じられて、そこにぎくりとする。まるで人好きのする笑顔だから。
それでも鍛えられたポーカーフェイスで金額を読み上げればきちんと隠れたみたい。
レジの合計金額を読み上げると、ポケットも探った様子もないのにカードが差し出された。あ、カードあるんだ。作れるんだ。というかこのひとってどういう扱いなんだろう。政府のだったりするのかな。そんなことを考えながらカードを切る。
なにしろ目の前の穏やかな長身はつい一時ニューヨークを混乱の渦に陥れたその人だから。
どれぐらいの人が気づくのかはわからない。この人は顔立ちがわかるほど大きく姿形を報道されたわけじゃないから。
でも観たのだ。この人が金のヘルメットをつけてエイリアンの乗り物でビルの前を横切るのを。
その日はピザ屋のバイトだった。配達でちょうど精算しているところだった。
現実味のない怪物たちを窓の外に観て怯えて。でもラッキーだったんだって。向かい側のビルでは窓ガラスが割られて化け物が建物の中に入ったって。たった二ブロック先ではあの大きな空飛ぶ化け物が激突してビルが半壊したって。
私たちずいぶんと運が良かったんだって。
全部が終わったらしくて警察や消防士なんかに誘導されるまま恐る恐る外に出れば、ビルの外は悲惨だった。救急車やサイレンが鳴り響いてざわめく街。
私たちほんとうにラッキーだったんだって。
その日の記憶がぐるぐると巡る。いまさら手が震える。
それでカードを返す指先が触れて「ごめんなさい」と言うと、彼は驚いたような表情を浮かべてから、すこしだけ眉尻を下げた。
「――ラッキーだったのだな」
涼しいけど、まるで心からのお慰み。お葬式で残念だったと遺族の手を握るみたいに真摯な声だった。
紙袋を差し出すのも、言葉も忘れて固まる私の代わりに、彼は紙袋を持ちあげ軽く会釈して去って行った。
他のお客さんがいなくてよかった。私はそのまま崩れ落ちるように床に座り込んで、後ろ姿なんてみれなかった。
それからすぐにS.H.I.E.L.D.って名乗るひとたちがきて、何かされたかと代わる代わる尋ねられた。こわかったでしょうと意志が強そうな赤毛の女性に問われて、ようやく違うとわかった。
だってべつに彼がこわかったわけじゃない。
だって彼はまるきり普通だった。傲慢ですらない。もっと傲慢なオーダーの仕方をする人なんかいくらだっているもの。だからあの人が何かしたんじゃないんです。違うんです。あの人がこわいわけじゃない。もうあのことをすっかり忘れてのほほんとしてた、そのことがいきなりこわくなっただけなんです。
だって二ブロック先では人が何人も死んだって。
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ドーナツというお題に「兄上のぶんもドーナツとコーヒーを買うロキちゃんとモブを書こう」と思って書きはじめたけど「これ夢小説だな…」とハッとしてからもはやカップリングのことは忘れた結果がこれだ おそまつさまでした
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