長月ユウ
2026-07-18 19:32:00
3381文字
Public 庶莉
 

【庶→莉】軍師と小鳥

別名「鳥籠の娘・エピソード0」。徐庶(単福)と莉杏の、西涼での最後の会話。
※連帽:フードの中国語(連は簡体字)

その人は、西涼の地には似つかわしくない人だった。

戦の時も、平時でも連帽を被る事が多く、その下の表情をうかがい知ることは、あまりできなかった。
けれど、戦場に立てば戦況や、敵の次の一手を読み、部下たちに的確な指示を送る。単福と名乗る彼自身もまた、撃剣という常人では扱いづらい武器を片手に、戦場で鮮やかな武勇を奮っているのを、莉杏は両親に護られながらも目にしていた。


(あの人は……
西涼軍閥に助力する最後の戦が終わった後、莉杏は単福が父親と会話しているのを見かけた。
父親と話す彼は連帽を脱ぎ、その素顔を見せている。
ボサボサとはまた違った、無造作な黒い短髪と不精髭、西涼よりも漢中で見るような、整った顔立ち。
歳は己より少し離れているだろうか、彼は戦場で果敢に撃剣を振るっているとは思えないほど、優しげな雰囲気をまとっていた。
……なんだか、元気なさそう)
戦には勝ったのに、何故か男の表情は浮かない。そんな彼を励ますかのように、父親が元気づけるように彼の肩をポンと叩く。
二人のもとに向かい、彼に声をかけるべきか考える。と、想い人の馬岱に呼ばれ、莉杏はぱっと顔を輝かせつつも、名残惜しそうにその場を後にした。


「彼は、旅の軍師らしいんだ」
西涼に来てからしばらく後。
何度か戦をしている中で、同じ客将である彼を何かと気にかけ、言葉を交わした父親が言っていたことを思い出す。
「仕えるべき主を求めて、水鏡庵で学んだ知と武を頼りに各地を放浪していると言っていたが……この地にはどうにも馴染めないようでね、「力を満足に振るえなかった」と落ち込んでいるようなんだ」
知も武も申し分ない実力なのだけどね……と、続ける父の声も、心なしか沈んでいた。
「馬騰殿たちは、おそらく軍師を必要としていないのだろう。彼もその事に気づいているのか、次の戦が終わったら、私たちよりも先に西涼を発つと言っていたよ」

父の言う通り、西涼は莉杏が幼い頃……いや、生まれるよりも前から、異民族の侵略や漢王朝への反乱で戦が絶えない。
圧倒的な権力と、鬼神と恐れられていた呂布を従えていた逆臣・董卓も、涼州の出である。同じく涼州出身の軍師もいたようだが、今は別の地で新たな主君に仕えているという。
この地も、そこに生きる人々も、「力がなければただ食われるのみ」という、わかりやすくも殺伐とした気風が漂っているのだ。
考えなしで敵陣に突っ込むということはしていないが、かと言って軍師が必要なほど困難な戦もしていないのだろう。
莉杏はそんな地にたった一人で来てしまった彼を、少し可哀想だと感じてしまった。
「父様は、あの人が一緒に来てくれたらいいなーって思ってるの?」
莉杏の問いに、父親は僅かな沈黙の後、
「彼は……単福殿は、ここよりもっと活躍できる場所があるはずだ。私も、お前が言うように「共に漢中に来ないか」と勧誘したが、断られてしまった」
苦笑混じりに言う。
「中原にいるという、ある仁君の事が気にかかるらしい。私は、その御仁に負けてしまったようだ」


単福が西涼を発つ前日。
父親が彼への餞別として用意した道中食を入れた籠を持ち、莉杏は単福が滞在している部屋へ向かう。
が、父に代わって渡しに行くと言ったものの、いざ単福の部屋に訪れたら荷物が整然と整えられていただけで、彼はいなかった。
仕方なく一度自室に戻り、父と、同じく単福と親しくしていた配下に彼が居そうな場所を聞いたところ、「書庫にいるのではないか」と返ってきたのだ。

書庫にたどり着いた莉杏は、静けさに気圧されながらも、一歩足を踏み入れ足音をあまり立てないよう、静かに歩を進める。
戦場や、邸ではあまり馴染みのない紙や墨の匂いを感じながら、莉杏は小ぢんまりとした書庫をぐるりと見回すと、窓辺に座っている男の姿が目に入った。
(父様が言う通り、この人は……
柔らかな陽光が差し込む中、真剣な眼差しで書物を読み耽る男――単福を見ていると、ここが西涼ではなく、莉杏の故郷である漢中や、更に東の中原ではないかと錯覚してしまう。
窓から吹き込む西涼の突き刺すような風も、この時は心なしか温かく感じた。

……やはり、彼はここにいるべき人ではないと思いながら近づくと、
……莉杏?」
単福がこちらの気配に気づいたのか、顔を上げる。
「あ……、単福殿ごめんなさい。読書の邪魔をしてしまって」
「構わないよ。御父上は?」
「父様が来るつもりだったんだけど、代わってもらったの。もしかして、私じゃない方がよかった?」
莉杏が言うと、単福は戸惑いの表情を浮かべ、
「いや、そうじゃなくて……むしろ、俺は君が来てくれて嬉しい。けど、二人だけで会ってるのを誰かに見られたら、変な噂が立たないかと心配なんだ」
莉杏から目をそらす。
……君は、慕ってる男性がいるんだろう?」
その問いかけで莉杏は馬岱の顔が瞬時に浮かび、頬が熱くなるのを感じた。
「それは、その……っ、軍師って呼ばれる人たちは、そんなことまでお見通しなの!?」
「ええと、人によるかな……俺の学友の「臥龍」や「鳳雛」は、一瞬で見抜くかもしれないけど」
「すごいなあ……。あ、でも気にしないで。まだ恋仲じゃないし、やましい気持ちなんて全然ないもの」
そう弁明しても、単福の表情が悲しげなのは変わらない。
しかし、彼が莉杏に向ける眼差しがほんの一瞬だけ、ただの仲間としてのそれよりも深いものに変わった気がした。

「そんなことより、明日西涼を発つって聞いた父様が、単福殿にってこれを。旅をしてる時に、お腹が空いたら食べてね」
手にしていた籠を渡すと、単福が目を見開き、その瞳を僅かに潤ませた。
「俺なんかのために、こんなに……! すまない、なんてお礼を言えばいいか……
その言葉に、莉杏は少しムッとして、
「俺なんか、なんて言わないでよ。父様は、単福殿を漢中に連れていけないのを残念がってたんだから。そんな言い方されたら、父様に人を見る目がないみたいじゃない」
父が本心から単福の能力をかっているのだと伝える。
「それに私も、常に戦況を見てみんなに的確な指示をしたり、扱いづらい撃剣を軽々と使って敵を倒していくあなたを戦場で何度も見たんだ」
「莉杏……
「あと、今みたいに戦がない時は、鍛錬と勉学を同じくらいやってて……ここにいる誰よりも頑張っててすごいなって思ったんだよ? だから、無力だなんて落ち込まないで、自信を持って」
莉杏から見ても、彼が暗に「自分よりももっと優れている」と言っている見知らぬ学友たちよりも、自分の目で直接見ていた努力家の単福の方が良いと感じたのだ。
「父様の誘いを断ったんだから、単福殿が憧れる人の軍師になって、ちゃんと活躍して。そうじゃなきゃ、怒るからね?」
莉杏の精一杯の励ましに、単福が眩しそうに目を細めた後、ゆっくりまばたきをし、真っ直ぐに莉杏を見た。
「ああ。君の期待に応えられるよう、努力するよ」
「うん。信じてるから」
「ありがとう、莉杏……西涼の風は、俺には少し冷たすぎたようだ。けど、君や、君のご両親たちに出会えたことはとても幸運だったし、俺がしてきたことも無駄ではなかったと思う」
単福の笑顔を見れた莉杏も嬉しくなり、自然と笑みを零す。
「よかった。単福殿の笑顔が見れて。また、どこかで……出来れば、味方として会うことが出来たらいいな。父様と母様もだけど……私も嬉しい」
「俺も……君が誰よりも眩しく、幸せに笑って生きていけることを祈っているし、そういう世にできるよう頑張るよ」


……その会話を最後に、単福が莉杏の前に姿を見せることはなかった。
​莉杏が眠りに落ちた深夜、単福が両親の元へ別れの挨拶に訪れたというのを、翌朝彼が旅立った後で両親から聞かされた。
父親が、「今まで気にかけてくれたこと、餞別への礼を言っていたよ。まったく、律儀な人だ……彼が、良き主君に仕えられるといいな」と、寂しそうに呟いていた。


​莉杏は、今まで単福がどんな表情で自分たちのいる西涼の街並みや、自分を見ていたのかを知る由もない。
――けれど、あの日の書庫の一時は、いつまでも彼女の心の奥に残り続けていた。



end.