kanaco
2026-07-18 10:19:24
5075文字
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【龍信】ふわふわと、ぎゅっと。

《龍信》成立済の龍信。疲れて帰ってきた龍兄貴を、ウサギの信一が今日も全力で癒やします。もふもふ、そして「ぎゅっ」。穏やかな夜のおはなしです。

 龍捲風はとても疲れていた。
 今日はとにかく、予定が詰まっていたのだ。

 午後の明るい時間までは、九龍城砦にて日頃のルーティンを行っていた。ただしいつものよりも理髪店の客足が多く、悩める住民たちの相談数も多かった。接客業というのは、相手からポジティブなエネルギーを貰えることもよくある話だが、その逆もまた然り。疲労が蓄積したり、気を吸われたような気分になることも少なくない。いくら黒社会の伝説である龍捲風と言えども、黒社会を相手にするのと一般住民を相手にするのでは勝手が全く違ってくる。

 そして夕方からは、その黒社会ごとに関わる会合へ出席していた。正直なところ、退屈で時間を浪費したような有り様だった。こちらの姿勢は一貫しており、失うものも得るものもない。その上でさらに龍捲風を不愉快な気分にさせたのは、出席者のうち何人かが、彼の大切な養い子のことを話題に出してきたからだ。親しくもないような相手からの、信一が関係のない場での媚びるような話題作りに、龍捲風は神経質であった。ともあれ、怒りはエネルギーを消費する。

 早々に会合を解散させた龍捲風は、部下が運転する車窓からぼんやりと外を眺めた。少しくたびれたような表情をして、九龍城砦への道を進む。

 今日は信一も別件で外へ出ており、帰りが遅くなる予定であった。龍捲風が腕時計を確かめると、短い針は8を指していた。この時間であれば、信一はもう家に戻っているかもしれない。昨日に作っておいた冷製デザートがまだ冷蔵庫に残っていたはず。それを夜食として一緒に食べるのもいいだろう。

 デザートを前にした信一がふにゃんと嬉しそうに笑う姿を想像して、龍捲風は気持ちをほぐした。そんな自分の単純さに思わず笑いそうになったが、それと同時に数十分前の会合のことも思い出し、途端に顔を顰める。

 早く、可愛いあの子の顔がみたい。

 そう逸る気持ちで我が家に戻り、リビングのドアを開けた龍捲風は、奥のソファにてうたた寝をしている信一の姿を見つけてそっと息をついた。それと同時に、龍捲風の気配を察知したのか、信一がゆっくりと目を開く。龍捲風を目に入れると大きな瞳がよりパチッと開き、続けて縦に長い黒い耳を二つ、頭からピョン!と立たせた。

「お疲れさまでした、大佬。おかえり、哥哥」

 笑顔の信一が、飛び跳ねるように駆けよってくる。龍捲風は先ほどまでの不機嫌はどこへやったのか、穏やかな表情で「ただいま」と応えた。信一の表情はもちろんのこと、自分が帰ってきただけで嬉しくなり、飛び出してしまったウサギの耳が愛らしい。

 小さな動物の獣人や子供の獣人は、大きな動物よりも感情の直結が強い。信一はもう子供ではないがまだ若く、また龍捲風の前では素直な感情を隠さなかった。今もそうだ。さっきまで喜んでピクピク動かしていたのに、次には立っていた耳を心配そうにヘニョリと垂らす。

「疲れてるね、大変だった?」

 龍捲風の背後に回り、ジャケットを脱ぐのを手伝いながら信一が聞く。

「それなりに忙しい日だった。お前の方は大丈夫だったか?」
「特に問題はないよ。心配しなくて大丈夫」
「そうか」
「それよりも哥哥だよ。ね、早くゆっくりしよう」

 リラックスした方が良い、と信一が龍捲風の背中を擦る。龍捲風が振り向くと腕に上着を抱えた信一が、フワリと優しく笑っていた。

「どうする兄貴?お風呂に先に入る?それともお夜食デザートにする?」

 信一が一拍置いた。コトン、と首を傾げてから、目を柔らかくもスッと細める。
 
「それとも、俺にする?」

 まるで最初から答えを知っているかのような表情と、声色。龍捲風もフッと息を抜くようにして小さく笑うと。

「信一にしよう」

 そう言った。信一はパァと表情を明るくすると「兄貴、スーツ皺になっちゃうから脱いできてよ。俺は先に準備してるからさ」とウキウキした表情を見せる。またピョンと立ったウサギ耳の間を優しく撫でて、龍捲風は自室へと向かった。

 しばらくして……

 龍捲風がリビングに戻ると、信一はやはり奥のソファに座っていた。龍捲風が来たことに気がつくと、数分前と同様に、引っ込めていた耳を元気よくピョコンと出す。先ほどと違うのは、机の上に大きめのタオルと、小ぶりなブラシが置かれていたことと。信一がソファの端に座っていることだった。

 龍捲風はテーブルのタオルを手に取ると、ソファの真ん中に座った。ソファが龍捲風の重みで少しだけ沈むと、信一が膝立ちの態勢でソファによじ登る。

 そうして──。

 ぽすん。

 ふわふわとした黒い毛並みの、小柄なウサギの姿。

 龍捲風が膝の上に敷いたタオルの上へ、信一はちょこん、と移動した。それから鼻をヒクヒクさせて、龍捲風の方に顔を向ける。龍捲風が信一の小さな二つの頬を優しく両手で触れて撫でると、きゅうと目を細めてウサギはシッポを振った。耳の付け根を指先でクルクルと触ってやれば、ぷす、と可愛く鼻を鳴らして、信一は目をとろけさせる。

「気持ちがいいか?」
「きもちぃ」

 目のトロみに呼応するように、耳も気持ち良さげに垂れていく。体から力が抜けてくにゃりとしたウサギが、もっとやってと甘えるように、頭をスリスリと龍捲風の手に擦りつけた。しかし3回ほどして、ハッとしたようにして体を起こす。

「違う、違う。俺が寝てどうするの!」

 前足だけをパタパタとするウサギが、もう一度ちゃんと座り直した。
 
 「ブラッシングだよ、哥哥」

 そう言って、鼻でテーブルにあるブラシを主張する。龍捲風は「そうだったな」と優しく言って、ブラシを手に取った。

 龍捲風が疲れていたり落ち込んでいたりすると、信一はブラッシングをねだってくる。それは信一がまだ子ウサギの頃に、龍捲風が「お前の毛並を整えていると、癒されて気持ちが落ちつく」と褒めた言葉を、ずっと誇りに思っているからだった。

 本音を言えば、龍捲風はどんな姿の信一でも愛しく思う気持ちは変わらない。触るだけでも、元気な姿を見ているだけでも、癒されている。しかし、信一が得意げな顔をしてブラッシングをねだるのが愛らしいので、そのままにしているのだ。

「はい、哥哥。いつでもはじめていいよ!」

 ブラシを持つ龍捲風の手に、ウサギがツンツンと鼻を圧しつけてくる。龍捲風が笑って「焦らなくていい」と言うと、ウサギは子供のように鼻をぷぅと鳴らす。

 そして、龍捲風の持つブラシが優しく自分の体を撫ではじめると、嬉しそうに耳を揺らして力を抜いた。

「今日さ、帰りがけに架勢堂へ寄ったんだ」
「届け物があったな」
「うん。でも虎兄貴も十二も事務フロアの方にいなくてさ。奥の応接室で休憩しているから、行っていいよって通されたんだけど」
「虎には会えたか」
「会えたけど、応接室に行ったら哥哥みたいに、虎兄貴も十二のブラッシングしててさ」
「ほぅ」

 お喋りをしながら、信一はコロンと体をひっくり返した。前足をちょこん、と出し、後ろ足もだらんと投げ出して、龍捲風にお腹を見せる。ウサギは仰向けの状態を怖がるというが、信一は幼い頃より自分から転がって、お腹を見せることを厭わなかった。信一は「哥哥だからだよ」と言った。確かに龍捲風も、信一が余所で無防備な姿を晒しているのを見たことはない。龍捲風がブラシをそちらにも丁寧にかけてやると、信一は大人しく、そして気持ちよさそうにしてお喋りを続ける。

「そんでトラの姿の十二が、虎兄貴の膝の上でこう、ひっくり返ってたの」
「若虎とはいえ、少しデカいだろう」
「でもまぁ、あいつもともと小柄だし、まだ中型犬くらいだから。いつか虎兄貴みたいにデカくなるの、まだ想像できない。それでさぁ、十二も虎兄貴のブラッシングでもうトロトロになっちゃってるわけ。甘えて虎兄貴の反対の指を甘噛みしてたし。あんなのもう、トラじゃなくてイヌだよ。俺、トラがへそ天してるとこ初めて見たもん」

 龍捲風が軽快に笑うと、信一も同じように笑い返した。

「でも俺が来たことに気がついて、ショック受けちゃってさ」
「まぁ、無防備な状態だからな。誰かに見られることを想定してないだろう」
「っていうかたぶん、自分があんなに溶けちゃってるの、虎兄貴にも見せてる自覚がなかったんだと思うんだよね。十二ってほら、カッコ良い男でいたいってタイプでしょ?」
「なるほど」
「悲壮な顔した十二に見た?って聞かれたから、正直に見たよって答えたら固まっちゃって」

 信一はまたケラケラと笑った。龍捲風が穏やかに「十二は大丈夫だったのか」と聞くと「大丈夫だと思うよ」と信一は答えた。

「固まった十二が面白かったのか、虎兄貴がそのまま抱っこしたら、顔にしがみついてたし、虎兄貴はそのまま十二のお腹を吸ってたし。それで十二のシッポが嬉しそうにユラユラゆれてた」

 信一は面白かったと言うと、龍捲風がお腹のブラッシングを終えたのを感じ取って、また体勢を変えた。龍捲風は敷かれていたタオルごと抜け毛を脇へ押しやると、信一をもう一度膝へ乗せた。龍捲風と向かい合うようにお行儀よく座った信一は、顔を真っすぐ見上げた。

「しょうがないなぁって思って、後ろ向いて、荷物を勝手に出して整理して机に並べて振り返ったら、片目のすごく大きくて立派な大トラがさ、十二を口に咥えて出てったよ。虎兄貴のトラ姿、久しぶりに見たなぁ。十二ったら、ああなったらもう、子ネコみたいだった」
「可愛いが、子トラがまたショックを受けそうなことだ」
「でも、なんか、すごく良かった」

 信一がうっとりと目を細めるので、龍捲風は笑ってそっと指をのばした。龍捲風の指が、青く細く煌く。人の物ではない、その固い鱗の先から淡色の爪がスッとのびる。龍捲風がウサギを傷つけないように、指の甲の方を寄せると、いっさい怖がらないウサギが柔らかい毛で頬ずりした。

 獣人が完全な獣姿を晒すのは、限られた者の前だけだ。なかでも変化の瞬間は、本当に特別な相手にしか明かさない。例えば、龍捲風は虎の獣姿も、十二の獣姿も見たことがある。しかし、変化をする様子は見たことがない。それは自然なことだった。同じように、信一が龍捲風の前だけでウサギの姿に変わるのは、信頼と愛情の証しだ。龍捲風もその愛を返してやりたかったが、さすがに龍の姿を現すには場所が狭すぎる。

 分かっているよ、と言わんばかりに信一が龍捲風の指を小さな舌で舐めた。爪や鱗では、その可愛らしく幼気な感触を受け取ることはできなかった。指を人型に戻せば、温かい舌がまるで慰めるように、そして毛づくろい返すかのように動く。愛しさが溢れて、龍捲風は膝のウサギを抱き上げた。そうすると今度は、顔へとその柔らかな頬を擦りつけてくる。

「ねぇ、哥哥も俺のこと吸いたい?」

 イタズラっぽい目をして、信一が聞いた。

「それは、お前がいいならば」
「俺は兄貴が元気になるならなんだってするし、ダメなことなんてないよ」

 そうして。

 信一はポスン!とまた姿を変えた。どちらかというと見慣れている人姿の信一が、頭の上にある長い耳だけを残したままで、龍捲風の膝の上に座っていた。龍捲風の膝をまたぐようにして、引き続き向かい合った体勢のまま、信一の端麗な表情がキラキラと輝く。

 龍捲風は「あれ?」と不思議そうな顔をした。そうすると信一も同じように、不思議そうな顔をして首を横に傾げた。

「なぁに?」
「吸わせてくれるんじゃなかったのか?」
「え?もちろん、吸っていいけど。でも、だってその時」
 

 俺のことぎゅってしたいでしょ?


「違うの?」と信一は笑った。

 「俺のことを抱きしめたら、兄貴は癒されて元気になるでしょ?でもそれなら人型の方が、いっぱいギュってできるよ?」

 ああ、なるほど。

 龍捲風は納得すると、信一の耳元へ鼻を寄せ、柔らかな髪と肌の匂いをゆっくり吸い込んだ。信一がくすぐったそうに首を竦めて、ふふふ、と嬉しそうに笑った。

「お前は本当に可愛くて、賢い」

 龍捲風がそう褒めてから遠慮なく抱きしめると、丸いシッポをブンブンと嬉しそうに振る信一が、きゃぁと歓声を上げる。

 そうして、自分も龍捲風をぎゅうと抱きしめ返したのだった。