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2026-07-17 22:29:13
3204文字
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260717/主明ワンドロワンライ『夏』『知らない顔』

1時間+10分くらいかな。ED後同棲軸のふたりです。

 暑い。僕は少しでも涼を得ようと風通しのいいところを探す。微かな風ですら汗で湿った肌にはひんやりと感じてほっと息を吐いた。
 人込みでざわつく境内は楽しげな雰囲気に満ちている。僕たちの家からすぐ近くにある少し大きめの神社で、今日は夏祭りをやっていた。あの頃は僕が絶対に家から出ない、と拒否していたので、今日が実質初めての夏祭り訪問になる。きゃあきゃあと子供たちの楽しげな声に夏祭りらしい音楽が混じって流れていく。日が落ちてすぐの境内はまだまだ昼間の熱気が残っていた。
……ふう」
 約束をした、というか、賭けに負けて約束を押し付けられた僕は、もうすぐ来るはずの蓮を待っている。正直暑くて怠くて汗が不快でたまらないけれど、勝負に負けて逃げるなんてプライドが許さなかった。そういうところなんだよな、とモルガナになんとも言えない目で見られたことを思い出す。うるさいうるさい。意地っ張りなのはもう今更変えられない僕の性分だ。
 ぱたぱたとシャツの襟元を少し引っ張って空気を取り入れようとするが、湿気でじっとりとした空気ではあまり涼しくない。もう少し時間が経てば気温は落ち着くかもしれないが、僕がそこまで我慢できる気がしない。
 いい匂いがする。屋台の匂いだ。焼きそば、イカ焼き、焼き鳥、フライドポテトに唐揚げ、タコ焼き。ポップコーンにクレープ、フランクフルトに綿飴、ベビーカステラ、りんご飴。甘い匂いもしょっぱいものの匂いも、どちらも空腹を刺激する暴力的な匂いだった。冷やしキュウリを持っている人がいる。ちょっと美味しそうだな、と思った。
 ジーンズのポケットから携帯端末を引っ張り出す。そろそろ約束の時間だ。あいつが仕事帰りに合流したい、と我儘を言ったせいでわざわざ僕がこうして待つことになっているのだ。首筋に流れる汗が気持ち悪い。しっとりと首筋に張り付く後れ毛を指先で散らした。髪を括っていても暑い。夏は本当に苦手な季節だった。
 ぼんやりと鳥居の近くから人混みを見つめる。ラフなシャツ姿の人に浴衣を着ている人、様々な姿の人が行き来する。お祭りの高揚感からか、みんな楽しげな表情をしていた。
 誰も彼もが階段を登って鳥居をくぐり、そして境内へと入っていく。この神社は基本的にこの階段を登ってこないといけないので、ここにいれば間違いなく蓮は気付く。
 楽しげに行き来する人たちの隙間に、見慣れた黒髪が見えて僕ははっと顔を上げた。猫みたいな癖毛を持つそいつは――隣に見たことのない少女を連れていた。蓮と同じような黒髪をつやつやと風に揺らしていて、きらきらした目であたりを見渡している。可愛らしい浴衣をひらめかせて、その少女は満面の笑みで蓮を見ていた。そうして蓮は、穏やかに笑みを浮かべてその少女にひらりと手を振っている。
 ずどん、と自分の機嫌が急降下するのがわかった。こんな暑い中でわざわざ蓮を待っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。じっとりと全身に張り付くみたいな湿度も相まって、余計嫌な気持ちになった。
 わかっている。これがただの嫉妬だということは。
 わかっていても、襲い来るその感情をどうしていいのかいまだにわからないままなのだ。処理の方向がいまいちわからない。吐き出そうとしても上手に出て行かないし、飲み下そうとしても飲み込み切れない。人間の感情ってやつは本当にままならない。自分の意地っ張りさや不器用さを棚に上げて、僕は急降下した機嫌のままにむすりと唇を結んだ。
 ――蓮のあんな顔は、知らない。
 否、知ってはいる。知ってはいるけれど、あんな顔を他人に向けているのが僕は不愉快なのだ。蓮と暮らして数年、僕はようやく自分の感情を直視して分析することができるようにはなった。分析できるだけで納得できるとは言っていないけれども。
 あいつは誰にでも優しい。だからこそ、あの頃も今も周囲にはたくさんの人が集まる。悩む人、困る人、頼る人。あいつはある程度のことならば一度は聞く姿勢を持つ、そういう男だ。困っている人を放っておけない性分なのは高校生のころから何一つ変わっていない。
 だからきっと、その少女に向ける優しい瞳も、そういうことなのだろうと判っている。判っていても納得できるとは言っていないが。
 僕がぼんやりと見つめている先で、その黒髪の少女に金髪の少年が駆け寄ってくる。待ち合わせをしていたのだろう。金髪の少年は蓮に対してぺこぺこと何度も申し訳なさそうに頭を下げていて、少女はその少年の腕をがっしりと掴んであっという間に人混みの中へと連れ去って行ってしまった。……あれ彼氏なのか? そうだとすると、あの年からかなり尻に敷かれている。
 そうしてばちりと蓮と目が合った。きりっとしていたはずのその顔は、途端にへにゃりと緩んだ。あいつ、僕がここで見てたのを知ってたな。
「ごめん明智、お待たせ」
「いつまで待たせるのか、計測するところだったよ」
「ごめんって。迷子の相手をしてたんだ」
……そ」
 いそいそと鳥居の近くまでやってきた蓮は、仕事帰りのリュックを背負ったままこの暑さをものともせずににっこりと笑っていた。表情から上機嫌です、というのがわかる。ぴんと立った犬の耳と千切れんばかりに付け根からブンブン振られる尻尾が見えるみたいだ。僕もだいぶキている。暑いからかもしれない。
「さっきの子、双子なんだって」
「ふうん」
「回収しに来てくれたのが弟さんなんだってさ。帰国してる間に日本の夏を満喫するんだって言ってた」
……どっちが?」
「女の子の方。金髪の弟さんは日本在住」
「あの見た目で?」
「そう。元気いっぱいだった……
 その言葉尻に仕事帰りの疲労を滲ませた蓮は、先程から緩みっぱなしの頬で僕に笑いかける。ああ、こいつのこの表情はよく見るやつだ。僕に対して発動する、だらしないくらいへにゃへにゃの顔。嬉しくて仕方がない、と言わんばかりの顔。――僕が日常的に見ている顔。
 さっきの余所行きの顔じゃない、見慣れたそれ。その表情に、僕はほっとするのと同時にきゅうと心臓が絞られるような感覚を覚えた。……ここ数年、僕の体は不意打ちでこんなことになることが増えた。それが蓮と一緒に住むようになってからだという事実と組み合わせて考えると、おのずと答えは導き出されてしまう。僕はその答えから目を逸らして、うるさく跳ねようとする心臓に叱咤する。こんなだらしない顔に、僕は何も感じていないぞ、と。
「とりあえず、お待たせ。俺、今日が楽しみで仕方なかったんだよ」
……ただのお祭りでしょ」
「明智と行く初めての夏祭りだぞ。記念日にしよう」
「勝手に記念日を増やさないでくれる?」
 へにゃへにゃ嬉しそうに笑う蓮は、するりと僕の左手を取る。きゅっと握られた手が熱い。夏の暑さに負けないくらいの体温に、僕は仕方ないなと小さく溜息を吐いた。それがただの照れ隠しだということは蓮にはとっくにバレていることを知っているけれど、こいつはそれを見越して何も言わずに笑うだけだ。微かに握られた手に力を籠めると、蓮は一際嬉しそうに笑う。
 俺すっごいお腹空いてさ、と続ける蓮に、僕はまるで子供みたいだなと笑った。夏という季節の中の一日。まあ、こんな日も悪くないんじゃないかと思ってしまう。多分僕も、夏祭りの熱にあてられているのだ。お祭りごとをこうして享受して純粋に楽しむだなんて、いつぶりだろうか。たまにはそういうのも、いいのかもしれない。
 蓮は楽しそうに、嬉しそうに僕の手を引く。お祭り特有の屋台の電気で、人混みの中はよく見えない。日が沈んだ後でよかった、と僕は思う。吹き抜けていく風はやはりまだべたついてはいたけれど、あまり気にならなかった。
「さ、明智。どれから食べる?」
「そうだね……じゃあ――