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yoAi_mochii
6773文字
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お前の傷まで■■■■■
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【松日】百点満点の不摂生
アルターエゴ松田と、強制シャットダウンから目覚めたばかりの日向の話
翌日の午後。
日向は隔離区画の分厚い防音扉を開け、一歩外へ出た。
その瞬間、昨夜、端末の前で晒していた疲労のすべてを胸の奥へ押し戻す。背筋を伸ばし、仮面を張りつけるように「いつもの顔」を作った。
ここから先では、目覚めた仲間たちを不安にさせてはいけない。
未来機関への定時報告。新世界プログラムに残されたバグの修正。いまだ昏睡状態にある仲間たちの治療計画。そして、絶望の洗脳から目覚めたばかりの五人を、現実の生活へ適応させるためのリハビリ。
やるべきことは、文字通り山積みだった。
だからこそ、端末の向こうにいる口の悪い神経学者から何を言われようと、立ち止まっている暇など一秒もなかった。
「
――
おう、日向! 探したぞ。どこ行ってやがったんだ!」
隔離病棟からテラスへ続く通路で、聞き慣れた大声が響いた。
黄色いツナギの袖をまくり、スパナを片手に駆け寄ってきたのは左右田和一だった。その後ろでは、九頭龍冬彦が片目を細め、訝しげにこちらを見ている。
「ちょっと未来機関への報告をまとめてたんだよ。それより左右田、頼んでた機器はどうなった?」
「おう。人工呼吸器の制御系は、だいたい目処がついたぜ。あとは島の電力設備と噛み合わせりゃ、停電が起きても半日は稼働させられる」
「本当か? 助かるよ。九頭龍のほうは?」
「午後のリハビリは終わった。歩行訓練も、昨日よりはマシだ」
「無理はするなよ。まだ目覚めたばかりなんだからな」
日向がいつもの調子で笑いかけると、九頭龍は露骨に眉をひそめた。
「そいつはテメェにも言えることだろうが」
「俺?」
「朝からろくに姿を見せなかっただろ。どうせ飯も食わずに、あの部屋へ籠もってたんじゃねぇのか」
「食べたよ」
ほとんど反射的に、淀みのない嘘が口をついた。
九頭龍の片目が、品定めするように細くなる。
「何をだ」
「
……
栄養補給用のゼリー」
「それを飯とは呼ばねぇだろ!」
左右田の叫びが、テラス中に響いた。
「いや、ちゃんと栄養は入ってるぞ」
「そういう問題じゃねぇ! ただでさえ最近痩せてんのに、そんなんで一日中働いてたら、倒れるに決まってんだろ!」
「大丈夫だって。食欲がないだけで、体調が悪いわけじゃない」
「食欲がねぇのを体調不良って言うんじゃねぇのか?」
「左右田に正論を言われるとは思わなかったな
……
」
「どういう意味だ、コラ!」
軽口を叩きながらも、日向は無意識に右手をポケットへ差し入れていた。指先に触れたのは、いくつか錠剤の抜けた鎮痛剤のシートだ。
朝から続く頭痛は、引くどころか、時間が経つにつれてこめかみの奥へ重く沈み込んでいく。それでも日向は、痛みに歪みかけた表情を押し殺し、笑顔を崩さなかった。
「本当に平気だ。それより、二人の調子はどうなんだ? 昨日は眠れたのか?」
話題を逸らすと、左右田の表情がわずかに曇った。
「まあ
……
一応は寝たけどよ。たまに、変な夢を見るんだ」
「変な夢?」
「目が覚めても、自分がどっちにいるのか分かんなくなるっつーか
……
あっちの島で殺し合いをしてた俺と、現実でとんでもねぇことをした俺と、今ここにいる俺が、全部ばらばらになってるみてぇでさ」
スパナを握る左右田の指先へ、白くなるほどの力がこもる。
「俺、本当に正気に戻ったんだよな?」
「左右田」
日向が声をかけるより先に、九頭龍が低く口を開いた。
「そんなもん、今すぐ答えが出るわけねぇだろ」
「でもよ
……
」
「俺だって同じだ。目を閉じりゃ、思い出したくもねぇものが浮かんでくる」
九頭龍は苛立たしげに舌を鳴らした。
「だからって、今さらなかったことにはできねぇ。一つずつ確かめていくしかねぇだろ。飯を食った。昨日より長く歩けた。今日は誰も傷つけなかった。そうやって、今ここにいる自分を積み上げていくしかねぇんだ」
左右田はしばらく黙っていたが、やがて視線を落とし、小さく頷いた。
「
……
そうだな」
「ああ」
日向も、二人へ力強く頷き返した。
「焦らなくていい。昨日と同じでも、少し戻ったとしても、それで全部が駄目になるわけじゃない。俺たちはもう、ここまで戻ってこられたんだから」
――
まだ眠っている仲間たちも、必ず連れ戻す。
そう心の中で続けようとした、その瞬間。
こめかみの奥で、脳圧が一気に跳ね上がったかのような鋭い痛みが弾けた。
「
……
っ」
ほんの一瞬、視界が白く霞む。足元から地面の感覚が消え、身体が傾いた。
膝から崩れ落ちる寸前、日向は半ば執念でテラスの手すりへ片手をついた。
「おい、日向?」
「なんでもない。急に立ち眩みがしただけだ」
「やっぱり体調悪ぃんじゃねぇか!」
「大げさだって。昨夜、少し寝るのが遅かっただけだよ」
左右田が心配そうに顔を覗き込んでくる。日向はすぐに背筋を伸ばし、普段と変わらない、頼もしい笑みを作った。
「俺は大丈夫だ。お前たちを置いて、勝手に壊れたりしない」
口にしてから、自分でもそれが誰に向けた言葉なのか分からなくなった。
二人を安心させるためだったのか。
それとも、昨夜、画面の向こうの神経学者が吐き捨てた
――
『勝手に壊れるなよ、大馬鹿野郎』という傲慢な言葉に対する、遅すぎる反論だったのか。
テラスの天井に設置された未来機関の監視カメラでは、赤いランプが冷徹な光を湛えたまま、三人の姿を見下ろしていた。
◆
その日の夜。
指定された時刻より三分遅れて個人端末を起動すると、画面の向こうでは、すでに松田夜助が当然のような顔で待ち構えていた。
昨日と寸分違わぬ不機嫌そうな顔で日向を睨みつけ、片手ではすでに問診記録を開いている。
「三分遅刻だ」
「細かいな。たった三分だろ」
「お前の脳なら、三分もあれば十分悪化できる。遅刻の言い訳を聞こうか」
「人の頭を時限爆弾みたいに言うなよ。
……
ちょっと仲間と話してただけだ」
「未来機関への報告を済ませたあとは、仲間の介護か。反吐が出るほど健気なことで」
日向は小さく溜息をつきながら、椅子へ腰を下ろした。
こめかみの鈍痛は、未だしつこく居座り続けていた。追加の鎮痛剤を胃へ流し込んだものの、胃のむかつきと眩暈までは抑え込めていない。
だが、この男にそれを正直に申告する気など、さらさらなかった。
日向は痛みを押し隠すように背筋を伸ばし、努めて平然とした声を出した。
「それで、今日は何を話せばいいんだ?」
「まず、昨夜の睡眠時間を答えろ」
「記録はそっちに同期されてるんだろ。俺に聞く必要あるのか?」
「実測値と自己認識を照合する。自分の状態をどこまで正確に把握してるかも、立派な検査項目だ」
日向は一拍だけ考えるふりをした。
「
……
五時間くらいだよ」
松田は画面上の記録へ目を落とし、感情のない声で読み上げた。
「睡眠は二時間四十分。口にしたのは栄養補給用のゼリー一個で、固形物の摂取はゼロ。水分補給はコーヒーのみ。鎮痛剤は規定量の二・五倍。失神しかけたことも報告していない」
淀みなく並べた自己申告を、一息で覆された。
日向の視線が、逃げるように机の端へ落ちた。
「
……
日付を跨いだ分が、うまく記録されてないんじゃないか?」
「機械の不具合に責任を押しつける前に、自分の記憶を疑え」
「ゼリーも食事には入るだろ」
「『一応』をつけなきゃ食事と呼べねぇ時点で、自分でも分かってるだろ」
「薬だって、その範囲内だ」
「何の範囲だ。規定量の二・五倍を許容する基準があるなら、提出してみろ」
そこで松田は記録画面から目を上げた。
立て続けに並べられた嘘を責めるでもなく、氷のように冷たい声で診断を下す。
「
――
論外だ」
「
……
そこまで全部分かってるなら、最初から数値だけ見ればいいだろ」
日向が不貞腐れたように言い返すと、松田は画面の中で片眉を上げた。
「数値だけでは、理解したうえで隠してるのか、本気で問題ないと認識してるのか判別できない」
「それを確かめるために、わざわざ申告させたのか?」
「ああ。結果として、全部分かったうえで意図的に嘘をついてることが確認できた」
「問診というより尋問だろ、それ」
「お前がまともに答えりゃ、問診で済む話だ」
「
……
少しくらい誤差はあるだろ」
「睡眠時間を倍に増やし、食事回数を三倍にして、薬の量を半分以下へ減らすのも、お前の言う誤差か?」
細い指先が、冷淡に宙をなぞる。
その動きに従い、画面上へ日向の生体情報が凄まじい密度で展開された。
睡眠中の脳波の乱れ。血糖値の異常な低下。鎮痛剤を服用した時刻まで分単位で刻まれた記録。そして、新世界プログラムへの接続時間。
「端末と医療区画のログは同期済みだ。その貧弱な口で何を言おうが、数値まで一緒になって嘘をついてくれるわけじゃねぇ」
「
……
作業に戻るなとは言われたけど、絶対に寝ろとまでは」
「言った」
「覚えてないな」
「会話記録を再生してやろうか?」
「そこまでするなよ!」
ようやく日向が声を荒らげると、松田は鼻を鳴らし、表示されていた記録を閉じた。
「以上を踏まえて、今日の生活習慣は百点満点中三点だ」
「さ、三点!?」
「ゼリーを流し込んだ分だ。仲間の状態確認だけは熱心だが、そいつは採点対象外だ」
「さっき、食事には入らないって言ってなかったか?」
「栄養摂取として最低限の価値はある。喜べ。完全な零点は免れた」
「最後のは少しくらい加点しろよ!」
日向が思わず机を叩く。
その瞬間、画面の隅で「過剰なアイドリング」を示していた脳波が、穏やかな波形へと収束した。
松田の視線が、一瞬だけそこへ落ちる。
昨夜の問診と同じ領域に、同じ短い変化が現れていた。
ただし、今回も反応は数秒で消えている。
怒りによる一時的な揺らぎなのか、別の要因が作用したのかは、まだ切り分けられない。
松田は特に何も説明せず、その時刻だけを記録した。
「
……
本当に面倒くせぇな」
「お前が勝手に採点しておいて、なんで俺が呆れられるんだよ」
「別の話だ。気にするな」
「そんな言い方されたら気になるだろ」
「なら、余計な詮索をする前に頭痛の程度を答えろ。今朝から、どれだけ悪化した?」
「
……
別に。問題ない」
「その嘘は、もう聞き飽きた」
松田が画面のグラフを拡大する。
赤く強調された神経活動の記録が、時系列に沿って並べられた。
「鎮痛剤を追加で服用したあとも、異常な神経活動が続いてる。薬で痛みだけを誤魔化したところで、原因まで消えるわけじゃねぇぞ」
「
……
今は、止まれないんだよ」
日向の声から、先ほどまでの勢いがふっと消えた。
机を叩いた手をゆっくりと引き戻し、そのまま俯く。固く結ばれていた唇から、掠れた声がぽつりと零れた。
「左右田たちは目覚めたばかりで、まだ精神状態が不安定なんだ。眠ってる仲間の容体だって、いつ変わるか分からない。未来機関への報告も止められない」
「昨夜と同じ話を、もう一度する気か」
「状況は変わってない。今は優先順位をつけるしかないんだ」
「状況が同じなら、結論も同じだ。お前が倒れれば、報告も治療もプログラムの修正も、全部そこで止まる」
「それでも、今日休んだ分だけ
――
」
「今日はその話を蒸し返すために呼んだんじゃねぇ」
松田は日向の言葉を切り、先ほどの記録をもう一度、画面の中央へ並べた。
「自己管理を任せた結果が、睡眠二時間四十分、ゼリー一個、鎮痛剤二・五倍だ。次は俺が止める」
松田の指が、コンソール上を滑った。
直後、日向の端末の画面中央へ、赤い警告表示が割り込んでくる。
《新世界プログラムへの接続権限が一時停止されました》
「
……
おい! これは何だ!」
「見て分からねぇのか。今から六時間、作業領域へのアクセスを制限した」
「勝手に何してるんだ! 今すぐ解除しろ!」
「昨夜の指示を無視した結果が三点だ。今回はお前の意思に任せない」
「だからって、勝手に権限を奪っていいわけないだろ!」
日向は慌ててキーボードへ手を伸ばし、管理権限の奪還を試みた。
しかし、松田の構築した防壁が、こちらの命令をことごとく弾き返していく。
認証コードを変更しても、別の経路から接続を試しても、結果は同じだった。画面中央には、無情なアクセス拒否だけが繰り返し表示される。
「くそっ
……
なら、これでどうだ!」
数秒にわたる権限の奪い合いの末、日向は苛立ちに任せて電源ボタンを長押しし、端末そのものを強制終了させた。
画面が、ぷつりと暗転する。
ところが、安堵する間もなく。
室内の隅に置かれていた古いサブモニターが突然駆動し、平然と松田の姿を映し出した。
「何度切っても無駄だ。お前が接続できる機器なら、俺も接続できる」
「ウイルスか、お前は!」
「ウイルスよりは役に立つ。感謝しろ」
悪びれもせずに言い放ちながら、松田は医療区画の保管システムへ遠隔接続した。
室内の隅に設置された小型保管庫が、短い電子音とともに、カチリと解錠される。
「中に消化しやすい栄養食と水が入ってる。今ここで、残さず全部食え」
「作業を止めるだけじゃ飽き足らず、今度は食べ終わるところまで監視するつもりか?」
「前回の問診で、お前の自己申告には信用の『し』の字もねぇと学習したからな」
「最悪な方向に学習してる
……
」
「最善だ。無駄口を叩いてる暇があるなら、さっさと持ってこい」
文句を言いながら、日向は結局、諦めたように保管庫へ向かった。
端末から離れたことで、画面に映る松田の姿は見えなくなった。それでも背中には、冷たい視線がぴたりと張りついているように感じられる。
未来機関の監視カメラとは、明確に違っていた。
あちらが見張っているのは、日向の中から再び「カムクライズル」という化け物が現れないかどうかだ。
だけど、松田が監視しているのは、もっと身近で、もっと逃げようのないもの
――
日向創という一人の人間、その命そのものだった。
何時間眠ったのか。何を、どれだけ食べたのか。頭痛を隠していないか。薬を飲みすぎていないか。
今日一日、自分の身体をどれほど粗末に扱ったのか。そのすべてを、容赦なく暴かれる。
「
……
松田」
「あ?」
「毎日、こんなことをするつもりなのか。問診だけじゃなく、食事まで見張って」
「そうだな。お前が、自分で最低限の生体管理をできるようになるまではな」
「それ、いつになるんだよ」
「今のところ、改善の見込みはねぇ。今日の結果を見れば分かるだろ」
「せめて医者なら、少しくらい患者の回復を信じろよ」
「信じてほしけりゃ、明日は五点以上取ってみろ」
日向の抗議を聞き流しながら、松田は前夜に隔離した記録を呼び出し、今日の測定結果と重ね合わせた。
昨夜、松田が見つけたのは、生活習慣の乱れだけでは説明のつかない神経負荷だった。
そして今夜、二つの記録に刻まれた異常値は、ほとんど寸分違わぬ位置で重なっている。
いずれも、日向が新世界プログラム内の特定領域へ接続した直後。
まるで外部から強い電流でも流し込まれたかのように、神経活動が異様な跳ね上がりを見せていた。
偶然ではない。
同じ領域へ接続するたび、同じ異常が引き起こされている。
松田は該当座標を一時的な監視対象に指定した。続けて二日分の接続記録を紐づけ、以後の干渉を追跡できるよう保護をかける。
「
……
同じ場所か」
「何か言ったか?」
保管庫から戻ってきた日向が、栄養食を片手にサブモニターを覗き込む。
松田は呼び出していた解析画面を即座に閉じ、声色一つ変えずに答えた。
「お前の生活習慣の改善はゼロだ。それだけだ」
「絶対、違うこと言っただろ」
「食い終わるまで、余計なことを喋るな。口は飯を入れるために使え」
日向は不満を飲み込めないまま、手にした栄養食の封を開け、一口ずつ口へ運び始めた。
これまで一人で機械的に済ませていた食事の時間に、今は画面の向こうから、苛立たしげな衣擦れの音が響いている。
最後の一口まで飲み込んだのを確認すると、松田はひとまず今日の採点結果に一点だけ加えた。
「百点満点中、四点だ」
「ちゃんと全部食べたのに、一点だけかよ」
「水が残ってる」
「採点が終わってから条件を追加するなよ
……
」
日向は渋々ペットボトルを開け、半分ほどを一気に喉へ流し込んだ。
「五点」
「上がった!」
「百点満点中だ。喜ぶな」
正常と呼ぶには、まだ遠かった。
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