氷酒
2026-07-15 19:28:06
1882文字
Public SS
 

『掌編 処世術』

真倫過去SS。モブ視点。


 締め作業の後にスタッフルームに戻ると、随分な物音がした。この時間、俺が最後のはずなんだけど。
 ガタ、とかドサッ、とかそんな音。着替えてるだけならそんな音はでないし、そもそも一人分じゃないし、明らかに何かが倒れたような鈍い音だったから、これは穏やかなじゃないなぁと思い、入る前に声をかける。
「おーい、まだ残ってんの? 着替えたいんだけど入っていいー?」
 返事は無いが、再びガサゴソと音がする。そしてまもなくドアが開き、中から人が出てきた。
 そこにいたのは知らない侵入者……なんてことはなく、出てきたのはスタッフの一人だった。彼は何やら気まずい顔をしてこっちを見るが、さっさと挨拶をして出ていってしまう。
 なんだろうと疑問に思いつつ改めて室内に視線を戻せば、中にはもう一人残っている。
 それは、疲れた表情をしたカイ――もとい、真倫だった。
 スタッフルームの椅子ではなく机に座っている。上着は脱いで床に放られた上、シャツの襟元は不自然に乱れた跡がある。
………お邪魔だった?」
「いーや、別に。むしろ助かった」
「あ、そう。なら良かったんだけど」
 気まずさが全く無いと言えば嘘ではあるが、着替えなければ帰れない。それに、本人が助かったというのならこちらが気にする必要はないだろう。俺は遠慮なくスタッフルームに入り、着替え始めることにした。
「一応聞くけど、店長に相談とかする?」
「要らない。あの感じならもう手をださねぇか、そのうち辞めんだろ」
「辞めんのはちょーっと困るんだけど。っていうか、アイツ男イケたのかよ」
「さぁ。そういう目で見てんのは知ってたけど、ここで手出されるとは思わなかったわ」
 油断した、と真倫は淡々と言いながら自身も着替え始める。二人が上がったのは俺が締め作業をする前だったから、コトが起こる前にしばらく話し込んでいたのだろうか。
 そこまで考えて、俺は真倫があのスタッフと特に仲が良かったことに思い至った。あちらがよく世話を焼いてたというのもあるが、それでも比較的、側から見て他の人達よりも気を許しているようだったのだ。
 だから俺は、単なる確認として真倫に尋ねる。
 
「じゃあ、最初からそのつもりだったのか?」

 真倫の手がぴたりと止まった。そのまま暫く沈黙が続いた後、小さく違う、と答えが返ってきた。
 相手にその気があったのは気づいていたが、自分にその気は無かったと。それはちゃんと伝えていた、と。
「ふぅん、スタッフにまで手を出すのかと思った」
「後の影響がでかいだろ。面倒は残さない主義」
「改めて思うけどお前世間ズレしすぎなんだよ」
 なるほど、確かにそう言われてしまえば普段の真倫からは考えにくい行動である。
 それなら本当に、今回の真倫は被害者なのだろう。それとなく様子を見れば、無表情の横顔は白いように思えるし、震えた指先ではボタンを留めるのに苦労している様子が見える。
 きっと真倫は真倫なりに、上手くやろうとしていたのだろう。それが正しいものじゃなくて、今回は特に悪い結果なっただけで。
……別にさ」
 低い声で、誰にともなく真倫は言う。
「相手するだけなら良かったんだよ。店抜きで、そういう付き合いだって割りきったやつで。男相手だって構わないし」
 どこか不安そうな、言い訳をするような、真倫にしては珍しい口調だった。
「でも、あいつが本気だって言うから。助けたいとか言ってくるから。そんなんだったら要らない」
……でも、嘘じゃ無いかもしれないじゃん?」
「俺が本気に出来ない」
 その一言で、なんとなく察した。
 今まで特定の相手を作らないとは思っていた。けれどコイツは、そもそも作るコトができないんだ。
 おそらくだけど、きっとこれが真倫なりの処世術なんだろう。それもまた、正しくはないのだろうが。
 今回はそれがたまたま上手くいかなくて、たまたま痛み目を見ることになった。それだけだ。うん、納得。
「ふーん」
 納得したから、俺は何も言わない。言う必要がないと思っている。言う理由を持ってないし、真倫がそうする理由も何も知らないから。別に俺に被害が出るわけじゃないし。
 だから俺は今まで通り、俺が良いと思う付き合い方でコイツに絡みにいくのだ。
「ねね、真倫くん、明日学校休みだろ? 呑みに行かない?」
「俺未成年だし眠いんだけど」
「ジュースでいいし奢ったげるから。新作のアクセ作ったから感想聞きたいんだよ」
「うっざ」
 その方が、コイツと長い付き合いができる気がするし?