すみだ
2026-07-15 13:31:13
2762文字
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2026/07/05 無配ペーパー

15✕22です。

「どうされたんですか?」
 道ばたでうずくまっている少女に声をかけると、切れ長の目がこちらを見上げた。
「鼻緒が切れてしまいまして……
「それはお困りですね。直しますよ」
 年の頃は十四、五だろうか。花で言えばまだ膨らみかけたつぼみだが、涼しげな目元とすっと通った鼻梁から、咲けば相当美しい花になるだろうことが窺えた。
「立てますか」
……はい」
 少女に手を差し伸べると、おずおずと手のひらをのせて立ち上がる。思いのほか背丈は高く、目線はほとんど変わらなかった。
「ここに足をのせてください」
 彼女の足元にしゃがみ膝の上を示すと、少女はためらうような素振りをした。
「でも、あなたが汚れてしまいます」
「もともと大してきれいな着物ではないですから」
「そんなこと……
 我ながらお世辞にもきれいとは言えないよれよれの小袖に視線を落とし、少女の言葉が止まる。
「そんなことあるでしょ?」
 私の言葉に少女はくすりと笑い、可憐な野菊のような笑顔を浮かべ、形の良い足を私の膝へのせた。
 俯いたまつ毛が頬に影を落としている。本当にかわいらしい娘だ。
 あの家に娘がいたら、このような子になるかもしれない。
 世話になった家を出てから、しばらく会っていない丸い頬の少年とその美しい母君の面影が脳裏に浮かぶ。あれからもう三年ほどになるだろうか。
『お兄ちゃんがいなくても、私はもう大丈夫ですから』
 私が教師になると伝えた日、彼はそう言った。その言葉通り、彼は外に師を求め家を出たという。それから何度か氷ノ山にも帰らせていただいたが、折り悪く彼には一度も会えなかった。
 手ぬぐいの端を裂き、鼻緒を結びながら、ふと膝にのっている足に目を落とす。
……あれ?」
「どうかいたしましたか?」
 首をかしげる少女をまじまじと見上げる。よく見れば、この年の娘には珍しく不自然にならない程度に薄く化粧をほどこしている。その顔は誰から見ても愛らしくかわいらしい。
「いえ、直りましたよ」
「ありがとうございます」
「このあと時間があれば、お茶でもしませんか?」
「え?」
「鼻緒の礼に少し付き合ってください」
 少し強引にそう言うと、少女は戸惑いながら頷いた。


 少女から先ほどまでの落ち着いた雰囲気は消え失せ、どこか不服そうな様子で、それでも彼女は大人しくついてきた。
「何か食べたいものはある?」
「別に……
 砕けた口調で尋ねると、拗ねた子どものような答えが返ってくる。
「じゃあ団子でいいかな」
……あなたはいつもこうやって、女に声をかけているのですか?」
「君のようなかわいい子だけだよ」
「そうですか」
 褒めているにも関わらず不満そうな顔をしているのを見て、耐えきれずに吹き出した。
「ごめんね」
「え?」
「大きくなったね、利吉くん。いや、いまは利子ちゃんかな?」
……いつからわかってたんですか、お兄ちゃん」
 利吉くんがパチパチとまばたきをする。
「記憶にあるよりずっと大きくなってたし、きれいに化粧して顔つきも少し変えていたから、最初は分からなかったんだけど」
「はい」
「人の足の指の形ってそう変わらないよね」
 足元に視線を落とす。
「昔から利吉くんの足の指ってきれいに揃ってるなぁと思ってたから」
「そうなんですか?」
「うん」
 利子ちゃんが少し悔しそうに眉を下げる。
「足の指とは迂闊でした」
「そんなの知ってる人はあまりいないだろうけど、どこでばれるか分からないから、まぁ気をつけて」
「はい」
 久しぶりに利吉くんに忍びのことを教えるのはどこかこそばゆくうれしかった。 
「これは何かの忍務なの?」
「いえ、変装の試験です。男であることを気付かれず、鼻緒を直させれば合格です」
「なら君は合格だね。私もそこまでは気づいていなかったから。それにしても」
 完全に少女に見えるすらりとした利子ちゃんの姿を上から下まで改めて見る。
「本当に立派になって」
「できたら、こんな格好ではなくお会いしたかったのですが」
「いいじゃない。とってもかわいいよ」
 にこりと笑うと、彼も改めて私の格好をまじまじと見る。
「お兄ちゃんはなんというか」
「うん?」
「よれよれですね」
「いやぁ、仕事が忙しくて服を洗う暇もなくて。このあと帰ったらさすがに洗うよ」
 久しぶりの休みだった。これから長屋に帰り、溜めに溜めた洗濯ものを片付けようと思っていたところだったのだ。
「もしかして、明日はお休みなんですか?」
「うん」
「あの、ご迷惑でなければお家に伺ってもいいですか?」
 久しぶりの再会に積もる話もある。むしろ、こちらから誘おうと思っていた。
「もちろんだよ。よかったら泊まっていって」
「本当ですか?」
「うん。布団は一組しかないけど」
「それで、本当にいいんですね?」
「うん」
 うなずくと、利子ちゃんはうれしそうににっこり笑いながら言った。
「よかったです、あなたに着物を洗ってくれるような人ができていなくて」
「え?」
 利吉くんは耳元に唇を寄せ、囁いた。
「相変わらず、かわいいままのお兄ちゃんでよかった」
 今までは高めの声色を作っていたらしい。聞いたことのない男らしく低い声でそう言われ、背筋を抜けていくような痺れが走り、思わずよろめいた。
 そんな私の腕を利子ちゃんが掴んで腕を絡める。
「本当はあなたに並び立てるくらいになるまで会わないつもりだったのですが」
 すっかり声変わりを終え、心地よく響く声に胸の中がざわめく。細められた目が一瞬だけ少女から男のものに変わった気がしたが、またくるりと表情が変わった。
「折角お会いできたのですから、よければ女のふりにもう少し付き合ってくださいませ」
 急にかわいらしい声に戻り、そんなことを言う。
「り、利吉くん」
「利子です」
「利子ちゃん」
「はい」
「なんか、雰囲気変わった?」
「あなたが去ってから急に背が伸びて、声変わりもしましたが、あなたへの想いは昔から変わりませんよ?」
 意味ありげに流し目で見つめられて、妙にそわそわと落ち着かない気持ちになる。
「へ、へぇ?」
「早くお団子食べに行きましょう、お兄ちゃん」
 そう言って、にこにこと笑いながら私に絡めた腕にきゅっと力を込めてくる。鼻緒を結んでいたときの控えめで遠慮がちだった態度より無邪気に笑う利子ちゃんには、確かに幼いころの利吉くんの面影があってかわいらしい。
「久しぶりに一緒に寝るの、楽しみです」
 だけど、聞き慣れない低い声でそうつぶやく利吉くんの言葉には今まで感じたことのないかすかな熱があって、彼がぴたりとついている身体の側の体温が少し上がった気がした。