鯖男
2026-06-10 23:06:07
1909文字
Public
 

四つ辻の怪人

副組長🪲が怪異着影揮刀に出会うはなし

四つ辻の怪人。
最近黒雲会で囁かれている怪談話だ。
当然、副組長であるグレゴールの耳にも入り、白んだ息と共に紫煙を燻らせる。
切った張ったの極道筋が、ただの噂話に浮き足立つなんて怒りを通り越して泣けてきた。
「つーかなんで噂が流れてんだよ。取り逃がすなんてたいした腕じゃねえな」
「襲われた奴の中に義体がいたんですよ。袈裟斬り一発で殺されてましたけど、内蔵されてた録音機能と映像が無事だったみたいで」
鼻息荒く若衆は言う。大げさに身振り手振りを加え、その興奮した様子にグレゴールはそっと距離を空けた。
しかし、とまだ酒にふやけていない部分で思案する。
一太刀で切り払うのは見事だが、追撃はなかったのか。
義体など身体であって身体でない。
録音録画、下手すれば通信もあっただろう。情報漏洩の危険人物に他ならない。
機械に疎いグレゴールですら、義体が相手ならば細切れにする。
「その怪人殿は、機械に疎いんかねえ」
自身を棚上げしながら、グレゴールは嘯く。
「どうなんでしょうか。相手を殺せればそれでいい、とか?」
「はは! いいなそれ。俺もそんな感じで剣を振るいてえもんだ」
縄張り争いだ序列だ、指の機嫌を取りながらみかじめ料の徴収に若衆の面倒云々。
しがらみが増えたグレゴールは、いつしか身軽に剣を振るえる場面が限られていった。
そんな中に現れた四つ辻の怪人という怪談。
最近とんと感じなくなった首筋の好奇心が、ぞわぞわとざわめき出すのがわかった。
「その四つ辻ってよお──」
いつしか漂う剣呑に、あれほど騒ぎ立てていた若衆は佇まいを直し、呼吸を向けることすらおこがましいと、額を床につけながら答えた。

青い夜だった。
月明かりが届かない奥に向かうにつれ、青は徐々に深まり、黒となる。それでもわずかな青が、暗黒ではなく夜であることを示唆していた。
それは巣だろうが、裏路地だろうが変わらない。
長屋の通りをグレゴールは歩く。腰には慣れた鋼の重みを。口元には馴染みの煙草を。そして半分しか見通せない隻眼は正面を見やる。
通りを抜けると、舗装された細い車道があった。それは今し方グレゴールが歩いてきた道と交わるように真っ直ぐ存在している。
いわゆる四つ辻。
四つ辻の対象角二カ所に、街灯があった。そのうちのひとつは既に息絶えており、置物となっている。生き残っているのも時間の問題だ。
不規則に点滅を繰り返すオレンジ色の街灯。焼けすぎた電球の明かりは、小さな不安を増幅させる。
グレゴールは四つ辻から数歩離れた場所にいた。
街灯のせいとは言わないが、肌の粟立ちから歩を進めるのを止めたのだ。
そして自身の右手から慣れた音が鼓膜を揺らし、視線だけ落とす。義手である右手は、腰の刀へと伸びていた。柄に指を這わせ、咆哮する瞬間を待っている。
緊張が這うように、身体全体に広がっていく。浸食といっても支障はない。同時に神経が鋭くなり、空気の微細な動きすらも、捉えられるほどに過敏になる。
街灯が点滅する。
周囲の闇が青へ戻る。
点滅する。
一瞬の灯りに誘き寄せられた虫がいた。
点滅。
刹那の暗転。
点。
街灯の下には、黒衣の異形がいた。
瞬間、理解よりも先にグレゴールは鯉口を切る。
踏みしめた一歩は、強化刺青により爆発的な跳躍を生み出し、瞬きの内に距離を詰めた。
刀の射程圏内。命を刈り取る距離。
鞘を後ろへ引きながらの抜刀は、速度を最大へと引き上げる。
闇に溶ける漆黒の刃による一線は、真っ直ぐ異形の胴体へ振り抜かれる。
だが刀を通して肉の感触は伝わってこない。
代わりに、慣れ親しんだ鋼の拮抗を感じた。
異形の手には、刀がある。それを中程まで抜刀して防ぐ小規模な労力での防御だ。
最初に湧き上がったのは怒りだった。しかし次の瞬間には首筋の好奇心が疼く。
体中の血液が速度を上げて巡る。呼吸が浅く、興奮した犬を彷彿とさせた。
爛々と輝く隻眼は狂気を孕み、奥歯を噛みしめ緩む口元を引き締める。
一方で異形はグレゴールが認識したからか、かたちが変化していく。
それは黒衣の剣士だった。
禍々しい気を纏った刀は黒く濁り、元々の白刃は気の薄れた一瞬しか目視できない。
「──ふは。なあにが四つ辻の怪人だ。節穴どもめ」
今までの目撃者は、異形の姿しか見ていなかったのだろう。
だが異形という外郭が剥がれ、中身が出れば『怪人』などと馬鹿げた噂も流れなかったのだ。
「こんな剣士にお目にかかれるたあなあ……!!」
『四つ辻の怪人』は雑魚が名付けた出鱈目だ。
四つ辻の剣士。
グレゴールは乾いた唇を舌で濡らし、眼前の剣士を睨めしつけた。