鯖男
2026-03-20 22:59:31
1576文字
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不毛ですね

イシヤシ。えっしてるけど挿入してないからセーフ。
イシノオの指の噛み跡のはなし。

月曜日の夜。バー《グーニーズ》が勇者専用となる時間。
イシノオは仕事を終えた足で、店へと向かった。
いつもと変わらない煤けたドアを開ければ、シーリングファンの回る音が出迎える。
「こんばんは、マスター。赤ワインとチーズを」
マスターのエドは返事などせず、冷蔵庫から取り出したワインをグラスに、小皿にチーズキューブを数個乗せ、提供した。通常の客商売ならば、苦情ものの雑さ。
しかしイシノオ含め、ここに来るような客は彼のサービスに期待などしていない。料金と引き換えにワインとチーズを受け取り、顔見知りの席へと向かう。
「こんばんわ、ジョーさん」
「遅えよ。約束の時間過ぎてんじゃねえか」
結露で濡れたビールジョッキを煽りながら、ジョーは噛みついた。しかしイシノオは人好きがする笑みでさらりと躱す。
コートとマフラーを外し、やっと一息。熱が籠もっていた首筋の開放感が心地よい。
そのまま席に着き、ワインを一口含む。芳醇さとはほど遠い安物の味。決して好んで飲むものではない。
だというのに、張っていた気が解れていくのを感じ、ようやく肩の力を抜いた。
「仕事ですよ」
「俺だって仕事だったよ」
いつの間にかつけた煙草から紫煙が上る。ため息と一緒に吐かれた煙は、眼前を覆うほどに多い。
ジョーは灰皿に煙草を置き、胸ポケットから何かを取り出した。テーブルに叩きつけたのはカードデッキ。
「なあ、メダリオンやろうぜ。デッキ組み直したんだよ」
「ええ? またキング・ロブの人真似デッキじゃないんですか」
「言ってろボケ」
イシノオは歯茎を向くジョーを、笑顔混じりにあしらう。だが一時撤退はあれど、敵前逃亡と言う言葉はイシノオの辞書には存在しない。
テーブルに出されたのは、もう一つのカードデッキ。添えられるは、狐の嘲り。
「借金かさんじゃいますよ?」
「ざっけんな。吠え面かかせてやる」
イシノオは黒手袋を外し、カードデッキをシャッフルする。ジョーも同様だ。
その瞬間、テーブルはコロシアムへと変わり、バーのくすんだ橙色の灯りはスポットライトへと変貌する。
「──お?」
だというのに、突如ジョーから気の抜けた声がこぼれた。そして口元をつり上げ、喜色を滲ませた視線を一点へ向ける。イシノオの指先だ。
日に焼けていない骨張った指。右手にはシルバーのリングと、痛々しい噛み痕が残されていた。
「飼ってる猫は、随分とやんちゃみてえだな」
猫。
イシノオはペットなど飼っていない。
ふふ、と声を漏らす。上擦った機嫌の良いそれ。
「かわいいでしょう」
左手の指先で、噛み痕をそっと撫でる。歯形の凸凹を指先に覚え込ませるように這わせていく。
そうすると、数日前の情事を鮮明に思い出した。

縋り付くなんて微塵もなく、シーツに爪を立てて耐える背中。薄明かりの中、筋肉の凹凸が影をつくる。
イシノオが相手の肩口と首を押さえる姿から、とても情事とは思えない。だが二人にとって、まごうことなき営みだった。
汗が滲む首筋は、押さえ込んだ手のひらを吸い付ける。火照った身体も同様だ。
無駄にプライドが高い男は、声を出すのは極刑にも等しいのか、枕に声を吸わせる。だがそれによってもたらされるのは酸欠だ。喉を反らせ、必死に息継ぎをする様は、イシノオに背筋に熱と興奮を注ぎ込む。それらは重力に逆らうことなく腰へと下り、じわりと熱くする。
──だからほんの気の迷いだった。
指の腹で男の唇をなぞる。普段はしたことのない行為だった。
瞬間、奔る疼痛に反射的に手を引く。そして薄闇で目をこらし、うっすらを歯形が刻まれているのをみつけた。
目線を下ろせば、かろうじて首を向けた男の目が炯々と輝き、イシノオを突き刺す。
…………なに?」
「別に。何も?」
不毛な行為に名前はない。
今までもこれからも。