鯖男
2026-02-26 00:16:04
4072文字
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勇クズ小説4

番外編『冷たい散歩』の微妙なネタバレあり。「マルタさんに甘い」と三人娘と「甘くねーし」なヤシロくんのはなし

「教官はマルタ、さんに甘いと思う」
印堂雪音が零した一言。まさかそれが波乱を起こすとは、誰一人とて思わなかっただろう。

渋谷区の暗く湿った路地裏。夜のにおいが一層濃くなる突き当たりに、誘蛾灯がちらついていた。血のにおい染みつく荒くれ者たちは皆、その光に吸い寄せられる。
バー《グーニーズ》
普段は何の変哲もないバーだが、月曜の夜だけは勇者だけの憩いの場として存在している。《グーニーズ》の常連いわく、人殺しの代名詞とも言える勇者だ。一般客と分けられることに文句の声は上がらない。
そのうたい文句を広義的に認識したのが、バーの端のテーブルに着く女子高生三人であった。
ノンアルコールドリンクと軽食を数品。ビール一杯で何時間も粘る常連客よりも、よっぽど良い客であり、店主のエド・サイラスも「終電までには帰れよ」と一言。後は知らぬ顔である。
薄暗い照明と壁に染みついた煙草の臭い。壁に貼られた賞金首たる魔王の写真。となりの席では少女たちの顔見知りである勇者が、カードゲームを行っていた。賭け試合ではないものの、飛び交う言葉は不穏そのもの。
どれをとっても女子高生と相容れないものばかりだ。しかし彼女たちは気にすることなく、雑談を続けていた。
そのせいか、店に馴染まない少女たちが結界となって閑古鳥がうたた寝するほど人がいない。
唯一埋まっている席はとなりのみ。金を落とさない常連客の友達たちだった。
「嬢ちゃんたち、面白そうなはなししてんなあ。おれも混ぜろよ」
「ジョーさん」
カードゲームの戦況が芳しくないのか、カードを伏せたまま印堂たちのテーブルへ身体を向ける。ゲームの相手だったイシノオは無言のゲームセットを察し、同じようにカードを伏せ、少女たちの会話へ参加した。
「確かにヤシロさんはマルタさんに甘いかもしれませんね」
「それはご友人だからでは」
自称ヤシロの一番弟子である城ヶ峰亜希は、ジンジャエールで口を湿らせて反論する。
「弟子と友人ならば、若干ではありますが友人の方が距離が近いのかも知れません。いやほんと微々たる差なのですが!」
「微々たる差、ねえ」
平たい視線のままセーラ・カシワギ・ペンドラゴンは思い返す。頻繁にヤシロからスネや尻を蹴り上げられている城ヶ峰。それと微々たる差程度に甘いとはどれほどのものか。
既にくたくたになったポテトをかじり、思考を中断した。
「そもそもセンセイは、特訓以外では甘い気がするけど」
「セーラこそ甘い。それこそ蜂蜜ホイップパンケーキ並に」
「なんだよそれ」
は、と鼻で一蹴するも、印堂の野良猫のような眼光に信憑性を感じ、わずかばかり姿勢を正す。
「まあ、そこまで言うのなら証拠はあるんだよな」
セーラの問いに一瞬ではあるが、印堂の瞳が揺れた。そして先ほどのギラつきはどこへやら。すっかり落ち着きを取り戻した印堂は、目を泳がせながら言葉を探す。
「ある。……けど証拠の出所は言えない」
「なぜだ」
「約束、だから」
「そうか。ならば仕方ないな」
城ヶ峰は拍子抜けなほどに引き下がった。印堂も計算したことではなかったが、勇者を『正義の味方』と公言する彼女である。約束事を反故させるなんて天地がひっくり返ってもしない。
故に印堂からもたらされる裏付けのない情報の精度は、限りなく低いだろう。
「教官はマルタさんが汚いからって、自分の家のお風呂に入れて服まで洗ってた」
「「それはおかしいなあ!」」
少女二人の声がユニゾンし、外野の成人男性二人の笑い声が店内に響き渡る。
「そりゃマルタがホームレスだからだろうよ!」
「でも銭湯じゃなくて自宅の風呂に入れてあげるのが優しいじゃないですか」
「私は一番弟子なのに自宅すら知らないんですよ!」
「そりゃお前に自宅知られるのは怖いだろうよ」
セーラの言葉には説得力があった。なにせ城ヶ峰亜希の猪突猛進ぷりの被害者なのだから。
そのときは丸く収まったものの、あのときと同じ勢いでヤシロの自宅に突入する城ヶ峰を想像し、彼の心労に手を合わせるほかない。
「あと口の周りにカレーつけてたらナフキンくれるし、置いていかないでって言うと待っててくれる」
「それ本当にセンセイか!?」
「夢……もしくは幻覚では」
「違う。現実」
三人は食べ終わった皿を端にどかし、額を付き合わせる。六つの瞳は色やかたちは違えど、それぞれ困惑が宿っていた。
「そういえば北海道での魔王討伐時、高いところを怖がるマルタさんにつきっきりだったな」
「アキが変なこと言って、教官イラつかせたときの?」
「あー、あれな」
魔王の城へ潜入する際にヘリを使用したメンバーは、ヤシロと弟子である城ヶ峰たち、そしてマルタだった。ヘリが飛び立つ前からヤシロはマルタのとなりに座り、雑談を振っていたのだ。
まさかその雑談が、高所への恐怖を紛らわせるためとは誰も予想できなかった。
「私が怖がっていても黙れの一言だったのに」
「お前のは嘘だからなあ……
構ってほしい小さな嘘だとしても、タイミングが悪かったのだろう。なにせ近くに本気で怖がっている人間がいるのだから。
少女たちの狼狽する一方で、高みの見物する大人二人は、汗をかいたグラスに手を伸ばし、喉を潤した。苦みが走るビールだというのにどこか甘く感じる。
バーに不釣り合いな黄色い声が湧く中、階段を降りる足音が聞こえた。擦るような独特なものと、厚底の硬い音。
エドはわずかに眉をしかめ、テレビにイヤホンを差した。
現勇者であるイシノオとジョーは、その騒動すらも酒の肴にするべく、中断していたカードを急いで片付ける。
こんな楽しいこと、片手間で味わうにはもったいない。
正確には違えど、二人は似たような言葉を吐いた。
「いや~、あそこで引いておけば二万儲けたのにな~」
「何でお前は戦闘での引き際は間違えないのに、ギャンブルではそうなんだよ」
入ってきたのは、話題の人物だ。
賭け事に負けたというのに、コミカルに頭をたたいて笑い話にするずんぐりとした男と、そんな男の頭を押さえつけるようになで回すチンピラ。
一見共通点がなさそうな二人だが、スキンシップの多さから知り合い以上の関係なのがよくわかる。
スキンシップ過多。
六つの瞳が驚愕に染まり、口元がわななく。印堂の鋭い視線はまっすぐじゃれあう男二人を貫くが、気づく様子はない。それが更に印堂の刺々しさを増幅させ、両手で持った空のコップから乾いた音がした。その音のおかげで、一瞬印堂に理性が戻る。恐る恐るカウンターを見やり、エドの関心はテレビが奪っていることを知ると、ヒビの入ったコップをそっとテーブルに置き、隣の自身より狼狽えている人物を見やる。
生まれのおかげか、振る舞いに品がある西洋人形のような少女。動揺に揺れる双眸と大きく開かれた口元から覗く八重歯が、西洋人形要素を消し去っていた。微かに漏れる声はか細く、仲良く喋る二人の声で早々に霧散する。
そんな中、城ヶ峰は勢いよくその場で立ち上がり、演説よろしく、腹式呼吸で叫ぶ。
「師匠! こればどういうことでしょうか!」
「何がだよ」
師匠と呼ばれたチンピラ──ヤシロは、表情を一転させ、億劫に振り返る。後ろからひょこりと顔を出したマルタは、イシノオたちの含み笑いと、城ヶ峰たちのわなつきを交互に見て、首を傾げた。
「私たち、いやさ一番弟子の私とマルタさんへの態度! 大分違くありませんか!? はっきり言いますと甘くありませんか!?」
「こいつ、私らの存在消したぞ」
「万死に値する」
「失敬、言葉の綾だ! して師匠! なに弁解は!?」
胸が開いた大声は、グラスの中のワインに波紋を立たせた。イシノオはそれに気づき、演説の邪魔をしないよう、腹筋が引きつる疼痛に耐えた。
「弁解も何も甘くないだろ。何言ってんだ」
「甘いです! 私はお風呂貸してもらったことありません!」
「そりゃ当たり前だろ。そういうことじゃなくてさ、」
徐々に個人的な駄々へと道が逸れ始めた、とセーラが待ったを掛ける。一方でとっちらかった城ヶ峰の言葉を切れ端だけでも咀嚼し、理解の感嘆詞を漏らすヤシロ。
「だってくせーんだもん。尾行に差し支える」
「び、こう?」
「そんなに臭かった?」
「生ゴミ着てんのかと思ったわ」
和気藹々の二人を尻目に、三人の頭の上にはローディングスピナーが延々と回転している。
観客席からのイシノオとジョーは、方や口元を隠すも目元の嘲笑が隠しきれず、方や情報を遮断するようにテーブルに突っ伏すも、耐えきれずテーブルこと身体を震わせる。
「フードコートで口を拭いたのは」
「いい大人が口の周りにカレーつけてたら目立つだろうが」
とうとう耐えきれず、ジョーは腹の底から声を吐き出して笑う。イシノオも同様にジョーほどの派手さはないが、腹筋を引きつらせながら目尻を指で拭う。
実のところ、イシノオとジョーはすべてを知っていた。
悪意のないマルタを手助けする気持ちは多少あれど、それだけの献身ではない。
尾行や情報収集の腕を買っての献身も、含まれている。普段どんなに間が抜けていても、おつりが来るほどの能力だった。
「久しぶりに好物食べるとがっついちゃって」
「仕事してんだから抑えろよ」
それを勇者見習いとはいえ、少女らしい観点からの勘違いは、血腥い勇者の酒の肴とされた。
「師匠……私は信じていましたよ! 信じていましたとも!」
「うるせえ」
こめかみが震えるのを指で押さえながら、暴言で一蹴する。
突然の糾弾。友人たちの含み笑い。機嫌が急降下したヤシロは、その原因ともいえる城ヶ峰の耳をねじり上げた。少女の珍獣のような悲鳴に、多少なりヤシロの機嫌は上向きになる。
「っく……くっだらねえ」
「セーラも焦ってたけど」
「焦ってねえし!」
「やっぱり俺、《グーニーズ》好きだな。みんな楽しそうだもん」
朗らかに笑うマルタは、ジョーが飲み残したビールを飲み干した。