鯖男
2026-02-04 02:22:07
2769文字
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勇クズ小説

まだエーテル知覚に慣れてなくて攻撃衝動に振り回されるヤシロに師匠からの教え。昔はビールじゃなくてジンジャエールだといいなあって妄想。

映画や漫画では、イカした剣士がバッタバッタと敵を斬っていたが、いざ自身がやるとなるとあんなに小気味よくいかなかった。
人間の筋肉や繊維が邪魔なんだ。これから剣をつかうのだから、最低限の肉体構造を知るべきだ、と師匠が言っていた。そのときの俺は面倒くさそうな用語に、生返事をしていた気がする。よく覚えていない。
借り物の剣を振る。鉄の重さに身体が持って行かれ、腰が入らない。相手にも余裕を持って避けられる。
もう一度振る。今度はしっかり振れたが、振り方がバットと同じで、剣の強みが生かせない。
黒服の男たちは、相手がザコであると認識し、俺を取り囲むように三方向から拳銃を向けた。このままでは死ぬ。心臓は痛いほどに脈打って頭がクラクラする。それに反して背筋の悪寒がとまらない。
俺は袖口に隠していた、空気圧で体内に薬品を打ち込むジェットインジェクターを取り出す。
切り札は最後まで取っておく、ではない。死ぬ寸前なのだから後先考えず切り札を使うだけだ。
首筋に薬品を打ち込んだ。激しく流れる血管に、起死回生が到着した。
瞬間、眩暈とともに世界が一変する。

大通りからの明かりが差し込む路地裏。両肩を擦るほどに狭い通りを抜けると、ビルに囲まれたスペースがある。大人四人もいれば狭苦しいそこは三人の死体と生存者である俺がいた。
地面やビルの壁には、誤魔化しきれない血しぶきが染みついてしまった。一撃で仕留められなかったからだ。
何度も何度も斬りつけたせいで、死体の損傷は激しく、かろうじて人のかたちを保っている。生温かった返り血も今はもう冷たく、ただ気持ち悪さだけが残っている。
最低の仕事だった。スマートさのかけらもない。
自己嫌悪の最中、かくんと膝が折れる。とっさに壁に寄りかかりながら尻餅をつき、そのまま力なくうなだれた。
自身の呼吸音がいやにうるさい。心臓の鼓動も関節の軋む音も。耳を覆えば、体内の音は更に大きく俺を苛む。うっとうしいにもほどがあった。
あ、と声が漏れる。
心から湧き上がる炎だ。黒炎は俺のちっぽけな心を燃やしても飽き足らず、身体の中を駆け巡る。骨も肉も臓腑でさえ、残らず舐めとり燃やしていく。
湧き上がった衝動を、力任せに振り上げた拳は壁にぶつける。繰り返し自身の中に渦巻く攻撃性の発散に務めた。
これは首筋から浸透させた薬物《E3》がもたらす呪いだ。
身体強化とエーテル知覚という特殊能力の発現。勇者という賞金稼ぎには必須の薬物だが、使用後の攻撃性の増幅と薬物の依存性により、摂取は厳しく取り締まわれていた。二回、三回と連続すれば、中毒者の仲間入りだ。
今日はまだ一回しか使っていない。大丈夫だ。何度も身体に言い聞かせる。
だというのに、炎はその勢いを増していき、燃え上がらせていく。
すでに息絶えた死体の頭がひどく目障りだった。俺は剣を杖にして立ち上がり、近くの死体に近づく。ボールのような頭。まだ《E3》が効いている状態で蹴れば、ねじ切れ吹き飛ぶ。
そうなれば行き所のない攻撃性も収まるだろうか。視界が狭くなる。死体しか見えない。目障りだった。死体の破損は、沸き立つ加虐を抑えられるか。
「ヤシロ」
大通りからの声に、振り上げた足を寸で止める。本名ではない勇者名。振り向けばそこには誰かがいた。大通りの賑やかな街頭が逆光となり、判別できない。
「ヤシロ」
再び呼ばれる。気だるげで警戒心のトゲが生えた聞き慣れた声。
「ししょう」
「死体は残しておけ。他の眷属に見つけさせる」
緩慢な歩みで路地裏へ入ってくる。そして血腥さで充満した現場まで入り、俺を見やる。俺はその目を見返すことができず、肩口に視線をずらした。
「ヤシロ」
「ししょう」
師匠は俺の名を呼ぶ。
俺は師匠と呼ぶ。
指先が冷たい。呼吸が浅くて苦しい。打ち上げられた魚みたいに口をパクパクさせ、それでも酸素が足りずに口を開ける。口端から垂れる涎など構っていられない。酸素が足りない。
何でもいいから壊したい。普段の仕返しに《E3》を使っていない師匠でも殴ろうか。
思考が散らかって指一本すら動かす指示が出せない。
あたまが、まっかに、そめられる。
「ヤシロ」
師匠は俺の頭をグーで殴って、壁際の室外機に座らせた。夜闇の中、師匠を見上げる。点滅を繰り返す街灯に照らされた師匠は、いつものように薄く笑っていた。
「繰り返せ。ジンジャエール」
……じんじゃ、えーる」
辿々しく言葉をたどる。
だが師匠は急かすことなく、待ってくれた。
「ピザ」
……ぴざ」
「カードゲーム」
……かーど、げーむ」
ジンジャエール。
ピサ。
カードゲーム。
それは俺が好きなものだ。
勇者たちの掃き溜めであるバーの一角で、ジンジャエールを飲みながらピザを食べてカードゲームをする。
取るに足らない日常だ。
だというのに、無性に恋しくて視界が歪む。
「覚えておけ。それがお前の善の世界だ」
「善の、世界……
「戻るべき日常と言い換えてもいい」
血腥さも、手に残る人を斬った感触も、頬を濡らす返り血も夜の世界に捨て置いて。
「戻るべき場所を忘れるな」
ジンジャエール。
ピサ。
カードゲーム。
それから破壊衝動に飲み込まれそうになったとき、これらを唱えるようになった。俺にとっての善の世界を思い出すために。
──師匠が死ぬまで。

ビール。
ピザ。
カードゲーム。
歳を重ね、善の世界はかたちを変えた。

渋谷区のとある路地裏。街灯なんて気の利いたものはなく、明かりは月かならず者のスマホの明かりのみ。行き止まりでは澱んだ空気が溜まって、一般人が安易に立ち入らない不穏があった。その認識は正しい。
渋谷区を始め、東京の至る所に魔王の眷属は潜伏している。そして勇者も同じだ。
鋭い冷たさを宿した風が首筋を撫で、俺はトレンチコートの前を握りながら閉じた。
落ちているハンカチはブランドものらしいが、あいにく俺には価値がわからない。つまりぼろ布同様の価値として、愛剣のバスタードソードについた血を拭き取った。
そしてハンカチと同じように落ちている魔王の眷属を見下ろす。ちょうど雲から顔を出した月からの明かりに照らされたそれは、指を数本失い、袈裟斬りによって絶命していた。弱いくせに絡んでくるからだ。
《E3》使用によって現れたアザに指を滑らせ、ため息をつく。そのままの流れで深呼吸を繰り返し、ふつふつと湧いた破壊衝動をなだめていく。
「ビール……ピザ……カードゲーム」
俺にとっての善の世界を思い浮かべながら唱えていく。
ビールで喉を潤し、ジャンクなピザを食べながら、くそな友達をカードゲームをする。
──そこにはあの人はいないけど。
あの人が教えてくれた呪文を俺は唱え続けた。