鯖男
2024-04-14 22:28:42
1710文字
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留まる理由など知れたことよ

4/13が良グレなの知って書きました。チーフバトラー良秀と継承グレゴールの話

静まりかえった屋敷は人気がなく、寂れた印象を漂わせていた。
繊細な細工が施された電灯も辺りを照らすことない。
夜ともなれば屋敷の闇はますます深まり、数メートル先も見えないだろう。
それほどまでにこの屋敷は終わっていた。

深夜、オレンジの火が空中で灯り、周囲を照らす。煙草の火で点けられた角灯は、持ち主たるバトラーの姿を柔らかく写し出す。
屋敷に唯一残ったチーフバトラーである良秀は、屋敷の見回りを日課としていた。といっても主人が没落する前からの日課であったので、今更止められなくなっている、というのが本音だった。今更見回りなどしても、野良猫が忍び込むのが精々であり、日に日になまっていく身体を舌打ちで一蹴する。以前は腕に覚えのあるバトラーが、何人も在籍していたというのに。没落したと分かると、蜘蛛の子を散らすように姿を消したのは記憶に新しかった。
か・き・え・き。
『金の切れ目が縁の切れ目』 エドガー家の主人とバトラーを繋ぐものとしては、適切な言葉だった。
するとここに第三者がいたならば、当然の疑問が生えよう。
ならばなぜ良秀は留まることにしたのか。
自身では絶対選ばないであろうメイド服も、長い間着続ければ慣れるというもので。足に纏わり付く裾を器用にさばき、日課をこなしていく。
窓の外は激しい雷雨に見舞われていた。元々の作りが良いからか屋敷には雨漏りなどはないが、それも時間の問題だろう。雲間が見えた時にでも確認しに行くか。バトラーとしての予定を脳内で組み立てる。屋敷の維持は最低限でも行うべきだろう。
良秀はこれから立ち寄る部屋が近くなると、金属製の携帯灰皿に煙草を押しつけた。屋敷の最奥、主人の部屋であった。
下手な笛のような音がした。掠れた呼吸音と合間に挟まれる嫌な咳。最低なオーケストラだな。眉を顰め、ため息を一つ。良秀の日課が見回りならば、主人の日課は病弱なことだ。それほどまでに主人であるグレゴールの体調は常に芳しくない。没落し、医者を呼べなくなってからはそれが顕著であった。
「よお、死に損ない。今日も死にかかってるか?」
なんの用だ。グレゴールはベットから半身起こし、そんなことを言いたげな視線を寄越す。地獄の亡者に足を掴まれないように足掻いているからか、死相が浮かんでいるというのに血走った狂人の瞳だった。だが身体は正直なもので、いくら視線で凄んでも、耳障りな咳と呼吸音がグレゴールが弱者であることを示していた。
「俺はエドガー家のバトラーだからな。ご主人のために働いていたんだぞ。労いの一つでもあってもいいだろうに」
良秀は高めに括られた髪を揺らしながら、サイドテーブルに角灯を置く。そして吸引器を取り出した。──だが吸引器をグレゴールに差し出すことはしない。その間にもグレゴールの咳は激しくなり、呼吸も困難となっている。グレゴールの生殺与奪は良秀の手に委ねられていた。
「なあご主人よ」
優しげな慈愛に満ちた声だった。
そんなに苦しいなら楽にしてやろうか。
口元は穏やかに微笑んでいるというのに、瞳の剣呑さは隠せない。良秀からしたら介錯の意でもあるのだろう。酸素が足りず朦朧とする頭のグレゴールにも理解はできた。同時に怒りも湧いた。
物騒が服を着て歩いている女に同情されるほど、俺は弱って見えるというのか!
怒りは全身を駆け巡り、冷たくなっていた指先に熱を灯す。グレゴールは一際大きな咳をし、拳で自身の胸を叩いた。否、殴りつけたというのが正しいだろう。骨と皮だけの貧相な身体の軋む音が、自身の役割を思い出させる。
「俺は、あいつを……! ヒースクリフを、ぶっ殺すまで、死ねねえ、よ……!!」
狂気の双眸には憤怒と憎悪が宿っていた。煌めいていたといっても過言ではない。
それはまるで黒い星屑のようでもあり、おぞましくもあり美しくもあった。
ああ──。
良秀は顔を緩ませる。
給金などいらなかった。
いずれ終わる家に取り残された亡霊にかしづく使用人、と揶揄されても離れる気が起きなかった。
なぜならここにいれば、目眩がするような極上の芸術に出会えるからだ。
「それでこそ俺のご主人だよ」