鯖男
2023-08-28 17:38:19
2874文字
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完全なる忠誠、不完全なる愛

「Nグ、めちょめちょになれ〜〜」って思いで書いたNムルグレ。『籠の中の虫』の前日譚的な。

大槌は完全なものを好んでいた。
その最たるものとして、『握る者』がいた。
純粋な忠誠心は小槌の頃から変わらず、狂気じみた忠誠心は大槌になっても変わらない。
不変の心がそこにあった。

とある街の地主の館。
上流階級の家には地下室が整備されていた。ここもそうだ。ワインセラーや災害時の避難経路、食料に備蓄。
だが、地主は既に死去していた。ここを制圧した異端尋問官の手によって。
地下室は異端尋問官たちの手により拡げられ、蟻の巣のように入り組んだ作りとなった。あちらこちらから聞こえる悲鳴は異端者である。悲鳴は反響し、地獄から湧き上がる亡者の声のようだった。
そこが『釘と金槌』──N社の本拠地だ。
簡素な部屋だった。
壁に染みついた赤黒い汚れに目を瞑れば、ただの空き部屋と思っても不思議ではない。電球の明かりはささやかで、辛うじて部屋にいる者が誰なのか認識できるほどでしかなかった。
「急だったのでこんな部屋しか用意できず申し訳ありません」
銀髪の女性が薄ら笑みを浮かべ、謝罪する。小馬鹿にしている、とはまた違う、異様さが滲む笑みだ。
「いや、私は彼の紹介に来ただけだから気にしないでほしい」
銀髪の女性より幾分歳を重ねた女性は、片手で制する。
銀髪の女性の名はあるが、ここでは必要ない。『握る者』という役職があるのだから。
相手の女性はヘルマン。新しくN社の理事を受け持つことになった才女である。
そして二人の女性の傍には、同じく男が一人ずつ寄り添っていた。
一人は握る者の斜め後ろに位置する巨体。役職名は『大槌』
仮面で覆われた顔から唯一覗く瞳は、固くただ一点を見つめていた。
見つめた先はヘルマンの隣に立つ男だ。
乱れた長髪は後ろで括られ、最低限の清潔感を出そうとしているのがわかる。だが無精髭と薄汚れたパーカーとジャージで最低値を超えてしまった。そのせいで皺一つ無く軍服を着こなしている隣の才女との差が、恐ろしいまでに懸け離れて見える。
「彼は私の息子でね。──正確には彼の腕が、だけど」
「なるほど。良い趣味です」
こくりと握る者は頷く。
男の右腕は人の腕ではなく。
そこには蟷螂を連想させる鎌があった。
大槌の視線の先にあるものだ。
男には眼中がなく。
大槌の脳内には、異端排除の警告が鳴り響いていたのだ。
「私と同じ部署に入れようと思ったのだけどね」
ヘルマンは悩ましげに息を吐く。まるで子どもの我が儘に困る母親のようだった。
「男の子は親と離れてから成長するものですよ」
「そうかい?」
「大槌、彼を案内してあげてください」
「御意に」
大槌は恭しく頭を上げた。
そして。
大槌の大剣と見紛うばかりの釘が、男の虫の腕を貫いた。
「その前に異端の芽は摘んでおかなければ」
「おや」
「まあ」
おどけるような女性二人の声。
「──ぁ、」
それを掻き消すが如く、男の叫び声があった。
「うわ、あああ、あああああああああ!!!!」
昆虫採集の虫ピンを連想させるその姿は、酷く憐れで滑稽だ。
だからではないだろうが、握る者はくふくふと笑みを抑えながら、理事に頭を下げる。
「おやおや、仕事熱心だ。申し訳ありません、理事」
「いやいいさ。再生するからね」
ヘルマンの言うとおり、男の腕は盛大に出血をしながらも、次第に出血が収まっていき、傷口が塞がっていく。まるで録画の逆再生のように滑らかな再生。
だが与えられた痛みは消えることはなく。男は陸上で喘ぎ、身体を身悶えさせていた。周囲に残った鮮血の痕は、じわじわと床や壁に染み、部屋を彩る模様となる。
大槌の瞳には淀みはない。
振りかざされた釘は再度、男の腕を貫いた。
貫いて、抉り、捻る。右腕だけを執拗に。
男は貫けば悲鳴をあげる玩具のように、叫び、吼え、喘ぎ、泣いた。
部屋の模様は増えていく。華やかな花びらのような血しぶき模様。
「ではここは大槌に任せ、社内の案内でもしましょうか」
「「ではあとは若い者に任せて」というやつだね?」
扉の閉じる音を聞くやいなや、男からすすり泣く声が聞こえた。
「いたい……いたい、です。やめて……ください……
「異端は『浄化』しなくてはならない」
男の腕の再生速度が落ちていた。大槌もそれに気づき、『浄化』のスピードを速めることにする。再生する相手など、今まで体験したことのない相手だったが、この経験が握る者の忠誠に繋がるのなら、と釘を握る手に力が入った。
「ごめんな、さ……ゆるして……
男の虫の腕は、変わらず右腕にある。異質な腕。異端の腕。
「──『浄化』を」
それからどのくらい時間が経ったのか。部屋には時計がついていないので正確な時間は大槌も男も分からない。ただ男の声が枯れきるまで腕を殺し尽くした。再生しないのなら、冒涜的に見るも無惨な姿
となっていただろう。だが現実に腕は再生し、そこまでの惨状とはならなかった。
殺し尽くしたのだ。
男の右腕があった場所には、何もない。
パーカーの袖も、虫の腕も。
獣に食い千切られたようにズタズタの右肩の断面と、もはや身悶えする気力もなく気絶した男がいた。
「浄化を終了する」
大槌の言葉は、低く響く。
釘で床に縫い止められた腕は、ぴくりとも動かない。虫の腕の墓標はそこで完成させられた。
大槌は何気なしに男の左腕を掴み、引き上げた。異端者であったとはいえ、N社理事が連れてきた客人である。むざむざ死んでしまえば、理事から握る者への評価が下がってしまう。
ただそれだけのために、『浄化』した相手の安否を確認した。
引き上げた男は、成人男性としては酷く軽い。小柄なのを差し引いたとしても軽かった。顎を上げ、顔を見る。涙と涎と鼻水で汚れた顔は、汚らしくみっともない。薄く染みついた隈が小刻みに震える。眠るのに慣れていない証拠だった。
「やめて……いたい、です……
元凶は切り離されたというのに、男は左腕がある体で動かす。当然ないので、肩だけが滑稽に動くのだが。男はすん、と鼻を鳴らす。
憐れだった。
惨めで矮小で、まるで湿った壁を這いずる害虫のようだった。
憐れで──愛らしく思った。
それは大槌に初めて湧いた感情だ。
握る者への忠誠心はあった。崇拝はあった。
それは完全なものに対する想いだ。
なら男へ湧き上がる愛おしさは何か。
「──ああ、」
息を漏らす。感嘆の息だ。
不完全なものに対する愛だ。
「これが──」
新鮮な感情を食む。身体を巡る血の温度が上がる。ズタズタの腕の断面を指でなぞり、男が痛みに震えると、背筋に電流が走る。
「理事はお帰りになりましたよ。首尾はどうです?」
耳障りな音を立てながら扉が開き、弱々しい光が差し込む。
握る者は相変わらず柔和な笑みを浮かべていた。
だが大槌にとって、その笑みは自身の新しく芽吹いた感情の祝福と捉える。
「握る者よ。誠に勝手な願いでありますが、この者を私付きに頂いてもよろしいでしょうか」
男の名前はグレゴール。
隻腕の小槌であり、大槌付きである。